こんばんは。

来週から始まる写真展の準備で、
ここ数日、バタバタ。。。。

夏はなぜか毎年忙しくて、なかなかブログを更新することができませんでした。

今日は、前回の続き、
上一宮大粟神社のお話ですが、その前に一つお知らせがあります。

来週月曜日7月30日~8月17日まで

第2回、愛姫伝写真展を開催することになりました。
今回は、今治です。

内容は前回とほぼ同じです。

前回松山に来ることができなかった方も沢山いたので、
今回は地元でさせていただくことになりました。

場所は、伊予銀行今治支店の中にあるギャラリーです。

*今治市 伊予銀行今治支店(どんどび交差点)
*7月30日~8月17日まで
*観覧時間は、朝9:00~午後5:00まで
*注意:土日は銀行がお休みのため、見ることができません。

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姫の封印のお話は、写真展ではあまりしていませんが、
それぞれの場所の歴史を書いています。

今回の写真展でご紹介している場所は、
21か所。

前回見ることができなかった皆様
よかったら見に来てください^^

では、前回の続きです。

まず、前回のお話を読んでいない方は、よろしけらばこちらから先に
お読みください。

上一宮大栗神社 大宜都比売 1


上一宮大粟神社の言い伝えには、

「倭が危機に陥った時、この黄金のきつねが帰ってくる」というお話を
させていただきましたが、大宜都比売のこと
少しおあわかりいただけましたでしょうか?

そんな大宜都比売の故郷、原点が、
ここ上一宮大栗神社です。

ここには、他にも不思議な言い伝えがあります。

その一つが、「天狗」です。

上一宮大粟神社の拝殿の中には、
「天狗」のお面のようなものが飾られています。

少し気になって、宮司さんに聞いたところ、

先々代の宮司さんが、現在の宮司さんに話してくれた一つの言い伝えがあると言います。

その言い伝えとは、

「この上一宮大粟神社には、時々天狗が現れる」というのです。

私は思わず 「ここにですか?」と聞き返すと、

「そうなんです、ここに、この神社に天狗が現れていたんです。」

私はこの話を聞いて、言葉が出ませんでした。

そして、次の話を聞いて、どうしてここに天狗が現れるのかと言われていたのか
その意味がわかりました。

それは、ここには大宜都比売が大宜都比売になるために、
「結び」の神さまがいるということでした。

神社の考えで一番重要なこととも言える(←宮司さんがおっしゃっていました)

「結び」

大宜都比売は、大宜都比売の周りに祀られる神々がいて
初めて、大宜都比売となれるというのです。

その神々とは、

素戔嗚命、大山積神、そして、あの役行者です。

この他、あと二柱の神が祀られていると思うのですが、
何にもひかえて帰らなかったため、はっきりと覚えていないのですが、
上記の名前だけは、はっきりと覚えています。

大宜都比売が大宜都比売となるために、

「役行者」が一緒に祀られていたのです。

役行者=天狗。

ここに現れていた天狗とは、現れていたのではなく
ここに帰ってきていたのです。

そして、 「大山積神」「素戔嗚命」 

大宜都比売になるためには、大山積神」も必要だったのです。

大山積神は、姫を封印するためにおかれた神さま。
大宜都比売が誕生するには、姫の魂を封印する必要があったということ。

そして素戔嗚命。

今度香川県のお話のところで再度お話しますが、
素戔嗚命もまた、姫の代わりに祀られた神様なのです。

「結び」とは、
姫の代わりに祀られる神々を誕生させるために、
とても重要な考え方だったのです。

天狗であり、天照皇大神でもある役行者が、
この神社の中に大宜都比売を守るように祀られていたから
ここには天狗が現れていた。

姫を大宜都比売に変えるためには、
大山積神も、素戔嗚命も、役行者も必要であり、言い換えられば、
これからの神々がいなければ、大宜都比売は大宜都比売となることができない。

そしてここにも、真名井の水があります。

「真名井の水」とは、丹後の籠神社の奥の院、
豊受大神の故郷ともいう、真名井神社が、思い出されますが、
私はずっと、真名井の水とは、「瀬織津姫」の水のことを言っていると思っていました。

しかし、本当は真名井の水もまた、
大宜都比売が大宜都比売になるため、天照皇大神が天照皇大神となるため、
姫の姿から新しい神へとその姿を変えるために必要な泉だったのです。

そして、姫はというと、
真名井ではなく、 「渟名井(ぬない)」の水だったのです

それがどうしてわかったかというと
私のブログにもリンクをさせていただいています 「ひもろぎ逍遥」さんのところに
書かれてある一つの由緒からでした。

天の真名井と星の祭祀

筑後の国、赤司八幡神社は、
三女神が降臨した本跡だといいます。そこには、この真名井と渟名井についての
興味深い伝説があります。

「日の神から生まれた三女神を筑紫の洲(くに)に降臨させた時に、日の神が
「そなたたち三神は道の中に降居して天孫を助けて天孫のために祭られなさい。」と教えられた。」
と書かれてあります。

天孫のために祀られてなさいとされた三女神とは、
あの天照皇大神と素戔嗚命の誓約のさいに誕生した女神でもあります。

そしてこの女神たちが降臨する時、ある儀式のようなものが行われました。
それが、真名井と渟名井に関係があります。

「天孫が降臨する時、天の真名井の一元の水を降ろし、
蚊田(かだ)の渟名井(ぬない)に遷して、その水を供えた。」

天の真名井の水を、渟名井(ぬない)に遷す。

これは、渟名井(ぬない)の水を真名井の水に変えるという意味ではないでしょうか?
そうすることで、新たな女神が誕生するという意味だと。

さらに、この 「真名井」とは、
「真名井星」 という星の名前に使われ、その星とは

「北極星」

天帝、天皇、そして宇宙の中心とされる 北極星のことを、

「真名井星」 と呼んでいたのです。

そして 「渟名井の渟名(ぬな)」 とは、古代翡翠のことをこう呼んでいました。

だから、翡翠の産地に残る 奴奈川姫(ぬながわひめ)は、翡翠の伝説の姫なのです。

「翡翠」とは、古代の人々が死者とともに葬る、再生・復活を意味する玉でした。

「渟名=翡翠=再生復活」 

渟名井とは、姫の水のことをあらわしていたことになるのです。

万葉集に、沼名河(ぬなかわ)のことをうたった歌があります。

「沼名河の底なる玉、求めて得まし玉かも、
拾ひて得まし玉かも、あたらしき君が老ゆらしく惜しも」

この万葉集も、現在は全く違う意味、女性が若い男性のことを歌った歌だと言われていますが、
この「沼名河」 とは、 「姫の水が流れる川」 という意味ではないかと私は思います。

話がどんどん横道にそれてしまいましたが、

これが、真名井と沼名井の、本当の姿なのだと私は思います。

上一宮大栗神社にも、真名井の水があります。

長い間、真名井の水は埋もれてどこにあったのかわからなくなっていたそうなのですが、
現在の宮司さんが、その場所を見つけ、今はこんこんと水が湧き出ています。

ということは、この水もまた、大宜都比売が大宜都比売になるために必要な水だったということに
なります。

こうして、ここに祀られていた姫は、
大宜都比売へとその姿を変えられてしまったのだと私は思います。

*上一宮大粟神社
*徳島県神山町
*大宜都比売

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拝殿
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本殿
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そしてこれが真名井の水
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真名井の水が復活したさいの記念碑。
この中に、とても重要な言葉があります。

「大宜都比売はこの大粟山に鎮座し、水の神とともに、
五穀豊穣を達成してきた。」

その水の神とは、
その力だけを差し上げた、姫の姿ことだと私は思います

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by ldc_nikki | 2012-07-28 00:51 | 徳島県 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今日は、いよいよ上一宮大栗神社です。

今回、私が一番行きたかった場所。
そしてできることなら、宮司さんとお話をして帰りたいと願っていた場所です。

上一宮大栗神社は、
徳島県神山町、鮎喰川の上流、大粟山に鎮座し

「大宜都比売」を主祭神とする、大宜都比売の原点とも言える神社です。

もうここをご存知かと思いますが、
大宜都比売が一般的に言われている姿についてまずはお話したいと思います。

大宜都比売(オオゲツヒメ)の初出は、
古事記の中での伊邪那美神と伊弉諾神との国生みで、
二番目に生まれた島 

「伊予の二名島」 

今でいう四国の中の、一柱の女神でした。

四国は、身体が一つで顔が四つの神の島で、
その四つの顔にはそれぞれ名前が付けられていました。


☆ 愛比売(えひめ):伊予国
☆飯依比古(いひよりひこ):讃岐国
☆大宜都比売(おほげつひめ)阿波国
☆建依別(たけよりわけ):土佐国

ごらんのとおり、伊予国(愛媛)と阿波国(徳島)は姫神
そして、讃岐国(香川)と土佐国(高知)は男神です。

阿波の国、徳島県は、
オオゲツヒメという女神の国として誕生しました。

最初の国生み(大八島)の中で、比売の国として誕生したのは、
愛媛と徳島以外に、対馬、 別名は天之狭手依比売(あめのさでよりひめ)だけです。

これだけでも、
愛媛と徳島がいかに姫神と関係があるかをおわかりいただけると思います。

愛媛の女神、愛比売については、今回はあまり深くふれませんが、
徳島がオオゲツヒメという名前の女神の国となったのは、
この愛比売が深く関係しています。

オオゲツヒメについては、
多くの考え方がありますが、今日は私が思うオオゲツヒメを
お話したいと思います。

オオゲツヒメは、この国生み以外にも古事記の中でなぜか登場します。

伊邪那美神と伊弉諾神が国を生んだ後、
今度は多くの神々を誕生させますが、その中で、伊邪那美神が黄泉の国へと行く原因ともなる

「火之夜芸速男神またの名を、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ」

が生まれる、一つ前に、(穀物や植物を掌る女神)として誕生しています。

最初の神を誕生させてから数を数えてみると
「12番目」の神として誕生していることがわかります。

この12番目というのにも意味があると思っていますが、
今回はこのお話には言及しないことにします。

12番目に誕生したオオゲツヒメは、この後再度古事記の中に登場します。

それがスサノオ命との場面です。

高天原で暴れて天照皇大神に追放されたスサノオが初めて出会うのが
オオゲツヒメです。
オオゲツヒメはスサノオに自分の鼻や口、尻から多くの食べ物を取り出して差し上げるのですが、
スサノオは、食物を穢して差し出したと怒り、切り殺してしまいます。
すると、殺されたオオゲツヒメの身体からさまざまなものが誕生します。
それは、頭から蚕、目から稲種、二つの耳から粟、
鼻から小豆、陰部から麦、尻から大豆でした。

オオゲツヒメは、これらのものを生んだ女神と
古事記の中では書かれてあります。

これは、古代の人々の死からの再生の意味を込めていると思われますが、
それだけでなく、ここにも姫の魂と関係があるのだと思います。

それはオオゲツヒメもまた、瀬織津姫の魂を根源に持ち、
その中の一部分の力を受けついだ女神とも言えるからです。

しかし、それは単に一部分の力を受け継いだだけでなく、
更にもっと、大きな役目があったようです。

太古の昔から、多くの民族が争いをおこなってきました。
自分たちが一番になりたいために、権力をえるために、
地球上に文明というものができてからずっとずっとその争いは続いてきました。

そして一つの国が亡び、新しい国が誕生し、新しい王が誕生してきました。
その度に、自分たちが国の始まりだということを証明するために、
多くの神話がつくられました。

そんな神話に共通する点が、
滅んだ側の神は、その力だけ利用され、新しい神へと姿を変え、名前を変え
更にその意味も書換えられてきました。

1300年前にこの日本で起こったことも
これと同じようなことです。

「土着の神」 と日本ではよく言われますが、
その土着の神こそ、日本がずっと信仰してきた本来の神でした。
しかし、その神は封印され、力だけを利用され、新しい神が誕生していったのです。

ここ伊予の国、愛媛では、
多くの神社の宮司さんが、この「土着の神」 の存在に気付いています。
でも、ほんとうについ最近まで、宮司さんであっても
神社の歴史を調べたり、神様のことを調べたり、
何かが変だと思っていても、口にすることさえできなかったといいます。

最近になってようやく、少しづつそのことにふれることができるように
なったと、何人もの方から聞いたことがあります。

ここ、上一宮大粟神社の宮司さんも、
私に同じようなことをおしゃっていました。
そして、このオオゲツヒメの本当の姿は、

「ただの食物の女神」ではないということも、気づいていらっしゃるようでした。

伊予国、愛媛県今治市大三島。

ここに鎮座される大山祇神社の祭神は、「大山積命」
しかし、ここに本来祀られていた神は、龍の姿をした姫神でした。

瀬織津姫は、日本全国、あらゆるところで
封印されてきましたが、その魂の中心が、
この大三島だったと私は思っています。

今だかつて、きっと、ここ大三島が姫の魂の中心だと言った人は
いないと思います。
でも、私は、姫の歴史をたどっていくと、やはりここ大三島に最終的に
もどってきてしまうのです。

そして、この神山町上一宮大粟神社も、原点は、大三島にあったことが
わかったのです。

今年発売された 「オオゲツヒメと倭国創生」 の中に、
上一宮大粟神社の社伝には、

「オオゲツヒメが伊予国、現在の愛媛県大三島から大粟山にきて降臨した」と
伝えるものがあります。

と書かれています。

この本の中では、このことは間違いだとしていますが、
私はこれが、本当の姿だと思います。

ここ大粟山に降臨した時の神の姿は、もちろん大山積神ではありません。
本来、大三島から大粟山へ降臨した神とは

「瀬織津姫」 のことです。

そして、大三島が、日本総鎮守の神として大山積神を祀り
姫の魂を封印した時、
ここ大粟山の姫は、 「オオゲツヒメ」という名前に変えられた。

どうして、ここを大山積神としなかったのか。

それには、わけがあります。
それぞれ別々の役目があったからです。

大山積神は、姫の中心を封印するための役目。
オオゲツヒメは、当時では税をお金ではなく 「米」でとっていたように、
「食物」は、今のお金と同じ意味をもっていたため、
姫を封印した一族が阿波に住み一番大事な 「米=権力」を得るために
必要な女神だったからです。

しかしそれだけではありません。
オオゲツヒメには、もう一つの姿がありました。

それが、「きつね」です。

大宜都比売(オオゲツヒメ)

「げつ」とは「けつ」のことで、昔きつねは「けつ」と呼ばれていました。

オオゲツヒメとは、オオ(きな)キツネ(の)ヒメだったのです。

稲荷神(稲の神・食物の神)が、龍からきつねに変えられたように、
キツネとは、龍(瀬織津姫)を封印したものだったのです。

「キツネは化ける」と言いますが、
キツネそのものが化けた姿だったのです。

姫を封印した一族の本当の都は徳島であり、
阿波の国は、姫を封印して新たな大和をつくった出発の地。

そして、伊邪那美神と伊弉諾神の国生みのさいに

「8番目」 に誕生した国は 「本州」

その名を、大倭豊秋津島(おほやまととよあきつしま)

別名 「天御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)」としました。

「8」 という数字は、「7」で一つの世界が終わり、「8」で新たな世界が誕生することを
意味します。

一つの世界が終わり、新しい世は、本州
「天御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)」で誕生したのです。

「あまつみそら とよあ きつねわけ」 とは、

天に何もなくなった空の国、その「豊(とよ)」は、きつねわけの国。

「オオゲツヒメ(きつね)の国=阿波の国」からわけてできた国だったということです。

これは、徳島のある家系に決して知られることのないようにと
口伝で伝えられた

「きつねとたぬきの子守唄」にも、 

この意味が書かれてあります。

そして、空海が四国より追い出したとされるきつねとは、

「黄金の狐」 

それは、大きな狐ではなく、キツネに姿を変えられた姫
瀬織津姫のことを意味し、
黄金のキツネとして、封印された姫を四国から外へと助け出し、
時がくるまで連れ出したのではないかと思います。

そして、そのきつねは

「鉄の橋が四国にかかった時に、もどってくる」と予言のような言葉を残した。

また、上一宮大粟神社の言い伝えには、

「倭が危機に陥った時、この黄金のきつねが帰ってくる」と伝えられているのです。

(続く・・・・・・)

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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-07-25 00:58 | 徳島県 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日は、前回の続き徳島のお話です。

前回は四国八十八か所の焼山寺のお話でしたが、
今回も、この焼山寺にも関係するもう一つの小さなお寺のお話です。

四国八十八か所。
今は、まるで観光地のようにバスで多くの人が訪れますが、
このお遍路さんがどうして始まったかという歴史を
ご存知でしょうか。

ずっとブログをご覧になっていらしゃる皆様は、
もうお読み頂いていると思います、愛媛県松山市にあるお寺

「文殊院」

ここが、お遍路さんの発祥の地と言われています。
このお寺は、お遍路さんの発祥の地なのですが、
八十八か所の中には含まれません。
ですから行ったことがないかたも多いかもしれません。

ここには、お遍路さんの始まりの伝説が残っています。
少し長いお話になりますので、
まだお読みくださっていない方は、
こちらもぜひお読みください。


「文殊寺」四国八十八ヶ所と「かごめかごめ」の本当の意味


ここにも書かれていますように、
八十八か所は、一人の男から始まりました。

伊予の国、、伊予の国荏原の庄の長者 「河野衛門三郎」

お大師さまは、衛門三郎の門前で托鉢の修行を、数回、7日間行いましたが欲深い衛門三郎は、追い帰してしまいました。

それが元で、衛門三郎の子供たち
「男の子5人と女の子3人」は

「八日間」の間に次々と亡くなってしまいました。

文殊院のお話の時にも、書きましたが、
この伝説の中にも、数々の暗号が隠されています。
三島明神の物語やこの衛門三郎のお話は、そのまま読んでもその意味はわかりにくいですが、
よ~く読むと、それらは同じことを根源にもっているお話だということがわかります。

またこの衛門三郎の物語の子供も、あの天照皇大神と素戔嗚命の誓約の時に誕生した
神々と同じように、「8人」の子供がおり、その子供たちは

「男の子5人女の子3人」 

五男三女神と同じです。

そして、衛門三郎の名前は 「河野」
河野家に繋がるとお話なのです。

衛門三郎は、自ら犯した罪を懺悔するために、弘法大師が置いた88のお寺を回り始めます。

20回まわっても、弘法大師に会うことはできず、
21回目は反対からまわりました。

衛門三郎はとうとうこの地、徳島県神山町の焼山寺の麓で力つき
動けなくなったその時、弘法大師が目の前に現れたのです。

そして、弘法大師に自らの過ちを懺悔しました。

ここ徳島県神山町は、
衛門三郎がなくなる直前、弘法大師と出会うことができその罪を懺悔することが
できた場所だったのです。

河野家は、ご存知のとおり、越智家の子孫、
三島明神を祀る、伊予の国の豪族。

河野家は、
なぜ越智という名前を、河野に変えたのか今もその謎はわかっていません。

一つだけはっきりしていることは、
姫の封印に深く関わった越智家の子孫であるということです。

養子として越智の姓になった 越智玉澄の子孫なのか、
本来の小千家の子孫なのか、
衛門三郎がそのどちらをさしているのか、それはまだはっきりとはわかりませんが、
どちらにしても、姫の封印に手を貸してしまった越智家の祖であったことは
間違いないかもしれません。

姫の封印から、
約100年後。

824年、衛門三郎は弘法大師に懺悔するために旅を始めました。

そして、
832年、この地で息を引き取る寸前に、やっと弘法大師に出会えたのです。

そして、この物語の最後に書かれてあるように同じ年の
832年、河野息利の子が「衛門三郎再生」と書かれた石を握りしめて誕生しました。

生まれ変わった河野家です。

現在の松山市道後公園は、湯月城という河野家のお城があったことで有名ですが、
このお城が立ったとされるよりもずっと前に、
この地には、河野家が住んでいました。

そして、その河野息利の子は、弘法大師に懺悔をして生まれ変わった子供でした。

この頃から河野家は同じ一族の中で、大きく二つに分かれて
争いが起こり始めました。
その争いに巻き込まれた人物が、大山祇神社に宝篋印塔を置いた一遍上人です。

私はこの衛門三郎の伝説は、姫の封印に気付いた河野家の一人が、
その心を改め、生まれ変わったことを意味しているのではないかと思っています。

衛門三郎が住んでいたとされる場所は、
姫の封印と関わる重要な地域であることは以前もお話しました。
そこに住む衛門三郎が、四国八十八か所のお遍路さんの先駆けとなった人物であったことは、
弘法大師が姫の魂を鎮めるために八十八か所にお寺を置いたことと繋がっているのです。

21回という数字は、願いを聞き届けていただくために、祈願をする日の数と同じ。

衛門三郎は、自らのまた自らの祖先の過ちを詫びるために、
姫の封印のお寺を21回まわり続けました。
そして満願の日。 21回目にしてその願いは通じ、弘法大師に出会うことができ
生まれ変わることができた河野家は、それから再度姫を祀るようになったのです。

それは、表向きには姫とわからないように。

そして、河野家が滅びる時、
湯月城に棲む大蛇の尾がとどいていたとするお寺「義安寺」の泉の水を飲み、

「この後、決して二君に仕えないことを約束し、自刃したといいます。」

それは、どんなことがあっても、もう二度と一族の本来の祖に反するものに
仕えないという約束だったのではないでしょうか。

そして、ここ徳島県神山町は、女神を封印した一族の高天原。

衛門三郎の物語は、この地が姫が封印され岩戸が開かれた
場所だということを、伝えたかったのではないかと思うのです。
そして、養子に入った越智玉澄の家来として仕えることを選んでしまった
本来の小千家の子孫、河野家が選んでしまった道を詫びたかったのではないかと思うのです。

ここ神山は、伊予の国から最初に祀られた姫の場所、
「大宜都比売(おおげつひめ) = オオケツ=おおきづね」の姫 
(大きな狐にその姿を変えられた姫)」がいる場所。

ここ神山は、
神山の麓、板野に本拠地を構え奈良に移る前までこの地でその勢力を拡大し
この地で藤原京をつくり新しい世の中に変えようとした一族が
「高天原」とした

「天狗の帰る場所」、「黄金の狐が帰ってくる場所」、
姫が黄金の狐にその姿を変えられ、
本土へと渡っていった場所。

国生みで

「8番目 (古いものが終わり新しいものが始まる場所)」 

に誕生した、「大倭豊秋津島」 

別名 「天御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあ きつねわけ)」

現在の本土は、
何もない 「空(から)」の国。
大宜都の根別の国 

「天御虚空豊秋津根別」 

黄金の狐に変えられた女神は、
倭が危機に陥った時、海を渡って帰ってくる。

瀬戸内海に、鉄の橋がかかった時、
狐の姿に変えられた本当の女神は、

ここ、伊予之二名島へ帰ってくると言った空海の言葉が
今現実になろうとしているのかもしれません。

*杖杉庵
*徳島県神山町

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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-07-22 02:14 | 徳島県 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今日から徳島のお話にはいります。
今回私がまず選んだ場所は、「神山町」 

神山町は、徳島市から車で50分ほど行った山の中、
徳島県の北東部にあります。
徳島では、高天原と言われるこの町には、
多くの古代の謎が隠されています。

神山という名前の町になったのは、
1955年。
それまでは、阿野村、神領村、下分上山村、上分上山村、鬼籠野村という
5つの村に分かれていました。

今回は残念ながら行くことができませんでしたが、
この中の鬼籠野村が、先日ヤマタノオロチのところでご紹介した村です。

今回は、神山町を中心に、6箇所行ってきました。
徳島のお話はこの6箇所から始めたいと思います。

まず最初に向かったのは、

四国八十八か所
第12番札所 摩廬山 正寿院 焼山寺

ご本尊は、虚空蔵菩薩。

このお寺は、徳島の中でも姫に通じるとても需要なお寺です。
そのことに気付いたのは、
次回詳しくお話する場所、杖杉庵の存在を知った時でした。

杖杉庵は、焼山寺と同じ山にあるお寺で、
四国八十八か所が今のようなお遍路さんの文化が誕生したことに
繋がるお寺です。

どうしてここが、お遍路さんの誕生とかかわりがあるのかは、
次回に詳しくお話しますが、
そのお話を抜きにして、この焼山寺は語れないほど、
重要な場所ですが、まずは、
焼山寺の由緒を、お話したいと思います。

焼山寺は、
焼山寺山は、標高938メートルの8合目近くあり、
八十八か所の中でも、2番目に高い山岳札所と言われます。

この山を最初に開いたのは、
やはり 「役行者」でした。

「役行者」とは、これまで何度もブログでお話してきましたが、
姫を封印するための中心人物の一人です。

役行者は、神々の住む山(龍)の住む山に、
蔵王権現を祀り神々を封印していきました。
石鎚山を筆頭に、多くの霊山には、天狗の伝説が残り、
天狗の名前が付けられていますが、
これは、役行者の分身でもあり、龍を封じ込めるために
つけられた名前でもあります。

天狗のお話をまだ読んでいない方は、ぜひそちらもお読みいただけたらと
思うのですが、天狗は、龍を食べる存在。
役行者もまた、龍を封印し消し去る存在。

どちらも同じ役目をもつものだったのです。

天狗が神のように崇められる場所もあれば、
悪のように書かれる場合もありますが、
これも、天狗にとっての敵と味方、双方から見た天狗の姿。
鬼のお話もそうでしたが、
ある人々にとっては善でも、ある人々にとっては悪というわけです。

古代の伝説の謎がとてもわかりにくいのは、
全く反対の立場の人間が、つくった物語だからなのだと私は思います。

そして、焼山寺のある焼山寺山の由緒は、
封印した側、役行者側の立場で書いているということを
頭において読んでみてください。

飛鳥時代に役行者が山をひらいて、蔵王権現を祀ったのですが、
この山には、神通力を持った大蛇が棲んでおり、
しばしば火を吐いて農作物や村人たちを襲っていました。

そして弘仁6年ころ、弘法大師がこの地にやってきました。

弘法大師が、一本杉で休んでいたところ、阿弥陀様があらわれた夢を見ました。

目を覚ますと目の前が火の海になっていました。
そこで麓の垢取川で身を清めて山に登りました。
すると、大蛇は全山を火の海にして妨害してきました。

弘法大師は「摩廬(水輪の意)の印いん」を結び、真言を唱えながら進みました。
そして大蛇は山頂近くの岩窟で姿をあらわしたのです。

大師は一心に祈願し、虚空蔵菩薩の御加護のもと
大蛇を岩窟に封じ込めたといいます。

そしてその時、この岩頭に
自ら三面大黒天を刻み安置し被害を受けていた民家の大衆安楽、五穀豊穣を祈りました。

これが、
焼山寺の由緒です。

四国八十八か所にはこのように、多くの伝説が残っていますが、

「大蛇が山を火の海にしたなんて、あるわけない。」

普通はそんな風に考えてしまいますよね。
だから、こうした由緒がどうしてつくられたかなんてことは
今まで、深く追求されることはありませんでした。

四国には、大蛇の山が沢山あって、
悪いことばかりして、蛇は嫌われもの? 

と思ってしまいますが、
この大蛇のお話があるところは、ほとんどが姫と関係のあるところと言っても
いいと思っています。

神山町は、古代、
まだ仏が祀られる前、役行者がここを封印するまでは、
姫を祀っていた場所でした。

姫を祀るところは、本当に沢山あり、
よく土着神という言葉を目にしますが、この土着神も本来の倭の人々が
縄文時代から祀り続けていた、女神でした。

後ででてきます、徳島の一宮とされる神社が
そのことを伝えています。
この神社に本来祀られていた姫は、伊予の国から渡っていったのです。

大蛇が火の海としたのは、大蛇=悪とするためのにつくられたお話です。
姫神が、鬼神になった姿です。

この当時起こった天災や、厄病は、
封印された姫の祟りによっておこされたと考えられていました。
ここで火の海とした大蛇も、姫の怒りの姿として現され、
女神を悪とするために、人々に言い伝えられたものだったのです。

そして、空海がその魂を鎮めるために自らつくった

三面大黒天。

これは、姫を意味するものでした。

空海は、姫の存在を知り、姫が封印された場所を
一つ一つ訪れます。(本来は、お弟子さんも含まれていたと思いますが)
そして姫の魂を鎮めようとしていったのです。
またもしかしたら、後世に姫の存在を残すために自らの跡を
残していったのかもしれません。

三目大黒天は、
中央が大黒天、右面が毘沙門天、
そして左面が弁財天の像。

大黒天は、ニギハヤヒの封印された姿でもあります。
そして毘沙門天は、鬼の上にのった姿で現されているように、
密教ではとても重要な仏の一つ。
そして、弁財天は、封印された女神の姿です。

宮島の厳島神社のイチキシマヒメが、弁財天とされることと同じです。

古代の女神は、
三つの顔で表されるとお話しました。

しかし、本来三つの顔、処女、母、老婆、の三つの姿また、女神が逆三角形として
あらわされた 「3」 。
それは、後に、男と女を含む3つの神の姿に変わったり、
男神だけの姿となったり、それぞれの宗教によってさまざまでした。

ですから、大黒天=オオクニヌシもまた根源にあるのは、
ニヒハヤヒという太陽の神を生んだ 「女神=瀬織津姫」 なのです。

女神信仰だった古代の人々が、太陽の神を信仰していなかったわけではありません。
女神信仰の一族は、太陽、そして星もまた、同じように神として
信仰していました。
どちらも大事だと考えていたからです。

でも、太陽を生んだその源もまた、 「命の女神」

ですから、ニギハヤヒという太陽の神の根源にもまた、女神の姿があり、
本来の倭が一番偉大な神として必ず祀っていたのが女神だったのです。

この三面大黒天は、そんな一つの女神からなる三つの顔を
あらわしています。

余談になりますが、
香川で有名なあの金比羅さんのオオクニヌシが、海上交通の神として、
愛媛の海運業者からも信仰されるのは、
根源に、女神(命と水の神)があったからなのです。

弘法大師が、これをつくったのは、
一つの顔に三つの面をもつ女神のことをいいたかったのだと思います。
そして、他の場所にはつくらず、ここにこの三面大黒天を置いたのは、
ここ神山が、徳島の中で姫の封印において特に重要な場所。
神山に太古の昔に姫が正式に祀られることになった場所でもあるからなのだと思います。

火の海にして抵抗をした 龍(女神)
でも空海は決して、女神を封印しようとしたのではないと私は思います。
空海は、いつかその姿がもう一度この世に復活する時がくるまで、
その魂を鎮めただけなのだと。

そして、その復活の時は、
四国と本土に、黄金の橋が架かる時から始まる。

三つの橋が繋がった
1999年。

この時から、少しづつ再生の方向へと動き始めています。

命の女神は、
再生復活の女神。 そのための膿が今出ているのかもしれません。

それでは、写真で神山町、焼山寺へ。。。

徳島で最初に目についた金長まんじゅう屋さん。
信号で止まった時、ふいに左をみたら、「金長」の文字が。。。。

金長とは、あの徳島県小松島に棲むと言われる 狸の名前です^^

この狸さんも、
姫の封印に関係のある狸さんなんですよ。

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途中、阿波から神山へ抜ける山道で、
弘法大師に出会いました。

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ここから焼山寺。

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そしてここに三面大黒天が祀られています。
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本堂の横には、神社があります。
十二社神社。 この神社の由緒はなくなってしまって今となっては
全くわからなくなっているそうです。
でもここも神仏習合の姿を今も残している一つ。
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そして、焼山寺からの神山の景色。
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この深い山の中で、
一つの大きな変革が起こったのです。

大河ドラマ 「平清盛」

清盛が生きた時代は、まだ女神の封印のことは忘れ去られてはいませんでした。
それどころか、女神の重要性が再認識された時代でもありました。

だからと言って、女神を復活させることは行われるはずもなく、
どんどん仏にすがる時代でした。

そんな中、清盛は、荒廃した広島県宮島にあった神社を、
再建しました。
清盛が、どうしてここに神社を再建しようとしたか。。。。

それも女神に関係があったと私は思います。
この女神の力を、清盛は知っていたのだと。

そしてその力を知ることになったと思われる大きな出来事が
この時代に起こりました。

清盛18歳。
西日本の各地で、昼もまるで夜のように真っ暗になり、
何日も雨が降り続きました。
朝廷は、雨が止むようにと祈り続けました。
そして、その願いが通じ、雨があがりました。
その願いが誰に聴きとられ、天変・異変に終止符を打ったのは
大三島に祀られる 「大山積神」でした。

そして、この時 大三島の大山積神の重要性を再認識した朝廷は、
現在のような形、
「本社に「雷神・高龗」を加えまつり、
三社をもって「本社」とするようにという「宣旨」があったのです。
それと同時に、
国中の神社の傍らに「神供寺」を設けさせたのです。

「三社を持って本社とする」

これは、三面大黒天、女神が三つの姿を持つことに繋がります。

そして、神供寺は、
大山積神によって封印された女神の魂を鎮めるために、
置かれたお寺です。

更に、この時、
大山祇神社には、神供寺のほかに「一于の堂」を建て、
そこに大通智勝仏の像を安置し、大山積神の本地仏としたのです。

どうして、大山祇神社のみに、
この時、本地仏を置いたのか。
それは、ここ大三島が女神が祀られる源だったからです。
そして、この大山祇神社に置かれた 「大通智勝仏の像」
が、隠された本当の女神の姿です。

それが、現在の東円坊におかれる
「大日如来の大通智勝仏の像」です。

伊予の国、大三島の大山祇神社が
日本の総氏神とされるのは、本来の女神が、
ここにいるかならなのです。
それを証明する日本にここだけにしかない仏の像。

大日如来の大通智勝仏の像です。




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by ldc_nikki | 2012-07-18 23:49 | 徳島県 | Trackback | Comments(2)

徳島へ入る前に。 

こんばんは。

三連休、いかがお過ごしでしたでしょうか?
先週は、九州のあちこちで川が氾濫し、多くの方が犠牲となりました。
こころから、被害にあわれた皆様にお見舞いを申し上げ、
また、犠牲になられた皆様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

今日は、東京でさようなら原発のデモがありました。

昨年の震災を境に、日本は少しづつ変わろうとしているのかもしれません。
まるで、あの弥生時代に起こったことと同じように。

あの時代起こったことは、内容こそ違いますが、
根本には同じものがあったと私は思っています。

命を一番大切に考える人たちと、
権力や財力を一番に考える人たちとの戦いです。

平和を願い、女性たちが動き始めた弥生時代。
でも、1300年前、権力や財力を一番に考える人たちに
負けてしまいました。
あの時から始まった、私利私欲の世界の始まり。

武士も、自分が一番になりたいために争いを続け、
将軍になることを考え、強いものが世の中を制するという時代が続きました。
我が子を将軍にするため、我が子を頂点にたたせるために、
同じ一族の中でさえも争いが続きました。

そして、日本の中での争いがなくなった明治時代以降、
今度は、世界と戦いを始めました。
多くの人々が、戦争の犠牲になりました。

そして、第二次世界大戦が終わり、世の中は一見平和になったかのように見える
今の時代。
しかし、今も多くの人々が私利私欲で動き、力のあるものが全てを決め動かし、
お金という魔物に取りつかれ、お金がない人たちはまるで、全て終わったかのように、
自ら命を落とす。
子供たちもまた、自分が上にたちたいために、誰かを標的にして仲間を集める。
いじめは限度を越し、子供たちまでもが、未来に希望を見ることができず命を絶つ。
原子力という、お金の魔物が、気がつけば日本中を覆い、
まるで爆弾を抱えた国となってしまいました。

私は思うのです。
弥生時代に始まり、1300年前にこの国が選んだ道によって、
いつまでも同じことの繰り返しをしているだけなんじゃないかと。
経済が発展し、世の中は便利になったけれど
何も変わっていない。
それどころか、とうとう、地球そのものを壊しかねない最悪の状態を
今迎えているのではないかと。

「命」
地球上にある全ての命を守るために、
今、私たちは本当に気づかないといけない時なのだと思います。

いよいよ徳島のお話に入りますが、その前にここに書いておきたいことがあります。
まだまだ徳島へ入ったばかりで、100%私の考えがあっているとも思いません。
でも、姫に出会って3年。
徳島に入るために、多くの準備をしてきました。
だから、全く間違っているとも思いません。

徳島と愛媛の関係は、
1300年前の大きな鍵を握ります。

今まで、多分誰ひとりとしてまともにその話を読み解こうとした人はいなかった、

「三島明神のもう一つの誕生物語」

私が初めて、徳島と愛媛の関係を知ったのが、
この物語でした。

初めてこの物語を読んだ時は、全くの空想の物語かと私も思いました。
でも、この物語には、河野家が必死で伝えようとした多くの秘密があることが
時がたつごとにわかってきました。

そして決定的だったのが、
三島明神の子供が、「鷲」に連れ去れた場所が

「徳島県板野」だとわかり、それと時を同じくして、
この板野が、藤原家(中臣家)の本拠地だったということがわかった時でした。

また、愛媛と徳島の境目にある山々には、
今も、大蛇の伝説、鬼の伝説、三途の川の入口の山があります。

大蛇、鬼、これはどちらももちろん姫のことをさしていますが、
何より決定的なのが、三途の川の老婆です。
空海は、瀬織津姫のことを、「三途の川の入口にいる老婆」 だと言いました。

その三途の川とは、
徳島への入口。

そしてここは、三島明神誕生の物語で、三島明神が週十年間、身を隠した
「白人城」がある場所でもあります。

そしてとうとう姫は、徳島に本拠地を構える一族によって、
黄泉の国また、三途の川また、死者の国の女神とされ、
そして封印されてしまったのです。

もちろん、徳島にも姫を祀る一族はいました。
徳島全部が、姫を封印しようとしたわけではありません。
でも、徳島にその本拠地を構えていた一族、また、それに見方した一族は、
その多くが徳島にいました。

また、阿波国(徳島)の一宮は、
三島明神の子供が連れ去れた場所で
養父となった

「頼藤右衛門」が祀られていると書かれてあり

また、讃岐国(香川)の一宮は、
三島明神の子供が連れ去られた所で、乳母となった

「高倉の蔵人の妻」が修行をつんで現れた神だと言います。

讃岐の一宮は、香川県高松市の田村神社。
モモソヒメを祀る神社。

そして阿波国一宮は、
中世以降のことをあらわしているなら、「大麻比古神社」
それ以前ならば、「上一宮大栗神社」または、「天石門別八倉比売神社」

三島明神の物語は、
単に、空想の世界でなく、これ以外にも実際の地名、事柄を
ほんの少しだけわからないように書かれてあるだけで、
河野家の秘伝として、後世に伝えようとした物語だったのです。

古事記に書かれてある舞台が徳島だと、
今その真相が明らかになろうとしています。

そしてそれは、古事記を書いた人々が、徳島にいたことを意味し、
それと同時に姫を封印した人々だったこともあきらかになっていくと私は思っています。

徳島へ入る直前に、
不思議と徳島とのご縁が増えたことも、
私は、何かが導いてくれているように感じます。

古事記終焉から今年でちょうど1300年。

大きな節目、
この年に、こんな風な流になることも、何か不思議な力が働いているのではと
思えてなりません。

しかし、この問題は、どちらがよくとどちらが悪いという問題ではなく、
どちらが正しいという問題でもなく。

本当のことを知ることに意味があるのだと私は思っています。
そして、何度も言ってしまいますが、
一人でも多くの人が、正しい歴史の中から、新たな未来の生き方を見つけてくださるように。

私は、自分のためでも、ただ歴史の真実が知りたいだけでもなく、
姫を封印した人々を見つけ出すことが目的でもなく、
真実から、新しい未来を生み出さないといけないと
この世界は本当によくはならないと。

歴史の真実が見えるほどに、
強く思うようになってきました。

今、原発反対のデモの記事のところに書かれてあるコメントを
少し読んでいました。
まだまだ、原発がなければ経済が・・・。
という人が多いことに驚きました。

私は今の世の中が貧困の差がどんどん広がっていくのは
経済のせいだけではないと思います。
みんなで、分け合うということができなくなっているのです。
また、電力会社にしても、その他、政治、経済がどれだけ、私利私欲で
動いているのか。。。。。
また、力のあるものが優先される、矛盾したしくみ。
また、人より会社を大きくすることを考えているのが今の世の中です。

そんなことは、私たちの周りで日常ふつうに行われているのです。

そしてそれが間違っているという人たちは、
どんどん潰されていってしまいます。

いくら経済がよくなろうと、会社が大きくなろうと、
今のままでは働く人たちの状況は何一つ変わりません。

人間の心に、問題があるからです。

いつまでもたっても、きっと心が変わらなければ、
何も変わらないと。

でも心を変えることは本当に難しいことで、
私がこうして言ったところで、変わることはないのかもしれません。
それでも、矛盾した世の中が、ずっと続いてきたということを
伝えることしか今の私にはできることがありません。

徳島のお話に入る前に、どうしてもこのことを書いておきたいと思い
今日は、こんなお話になってしまいました。

徳島のお話を、私の考えるままに書くために、
どうしてこれを書いているかを知っていただきたかった。
決して、どちらが悪い、どちらが良い、という考えで、
判断しないように、心からお願いいたします。

一緒に、これからの未来をどう生きたら一番いいのかを、
この歴史から見つけていってほしいと願います。




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by ldc_nikki | 2012-07-16 23:40 | 徳島県 | Trackback | Comments(0)

今日は土曜日ですが、久しぶりに家にいます^^
今日は、徳島のお話へ入る前に、
あることに気付いたのでそのお話をしたいと思います。

先日ご紹介した 「清神社(すがじんじゃ)」
私が参拝したのは愛媛県伊予市の清神社ですが、
同じ名前の神社
広島県安芸高田市の清神社は、
日本書紀の中に出てくる一つの舞台だと言うお話でした。

その日本書記のお話とは

「ヤマタノオロチ」

ヤマタノオロチって出雲では?
と思われるかと思いますが、
日本書記巻第一神代上第8段に書かれた、ヤマタノオロチのの舞台は、
なぜか出雲ではなく、ここ

広島県安芸高田市だとされます。

「素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、安藝國(あきのくに)の可愛(え)の川上に降りてきました。」

これが、日本書記巻第一神代上第8段に書かれた冒頭の部分です。

「ヤマタノオロチ」の「ヤマタノ」は
言葉の通り、八つの頭、あるいは八つに分かれた胴体を持つ
という意味なのですが、

「オロチ」ということばの意味が
今までどうしてわかりませんでした。

でも、先月徳島へ行った時、
ある地名を見て、もしかして?
と思い、今日それが私の中ではっきりと繋がりました。

徳島県神山町は、
上一宮大栗神社や、天岩戸立岩神社など
古事記に繋がる場所、また、当時(1300年前)の謎が
多く隠された土地です。

その神山町の中に、
天岩戸立岩神社が鎮座する 

「神山町鬼籠野」というところがあります。
「鬼籠野」は神山町と合併する以前は、鬼籠野村と言われていました。
「鬼(おに)の籠(かご)の野」と書いて

「おろの」と読みます。

私は神山へ入った時まっさきに目についた地名が
この「鬼籠野」。
これを見てあることを確信しましたが、
ヤマタノオロチの 「オロ」とは、

「鬼を籠で閉じ込めた」という意味と同じなのです。

日本むかし話のように、鬼は悪いもの、鬼は怖いもの。
私たちはそう教えられて育ちました。
でも私たちが教えられた、「鬼」とは、本当は悪いものでも、怖いものでもなかったのです。
ある人たちにとって邪魔な存在。
それは神でもあり、人でもありました。
邪魔な神、邪魔な人々は、みんな「鬼」とされてしまったのです。

「鬼」とは、中国では、
死霊を意味していましたが、日本では、「隠れる」という意味の「オン(隠)」という言葉から変化して「オニ」になったといわれています。
「鬼」とは、邪魔なものを隠し悪とされた存在だったのです。

「籠」とは、
文字の通り、竹の下に龍と書きます。
竹であんだ入れ物を 「籠」と言いますが、これは、籠の中に閉じ込められた
「神=龍」を意味します。
「竹」は、古来からとても神聖な神の宿る気でもありました。
「かぐや姫」のお話も、この閉じ込められて龍神(女神)が
起源となっています。

「竹の中にいた姫とは 月の姫」でしたよね。

神山町鬼籠野とは、悪い鬼を閉じ込めたことからきている名前。

悪い鬼とは、存在しては困る女神です。

谷へ追い込まれ、封印されてしまった女神の存在です。

「鬼籠=おろ」

ヤマタノオロチの 「オロ」とは、
籠の中に閉じ込められた鬼、すなわち
「存在しては困る神」のことだったのです。

そして「オロチ」の「チ」とは、

古代言語、また古神道における「チ」の意味は、

森羅万象に宿り世界を巡環して生かす霊的な力を含めた、霊・生命そのものを指していました。

また古代の人々においては、「チ」も「ヒ」も
ほぼ同義の意味と捉えられていました。

「チ」「ヒ」とは、神霊そのもの、生命の源を意味していたのです。

「八千代」の「千(ち)」にもそう意味が込められています。

「チ=ヒ」

「ヒ」と呼ばれるものは、「霊、日、陽、火」などがありますが、
本来のヒ(神霊)と共通する意味を持つのは 「日」でした。

初めて「一日」という概念が生まれたのは 「星信仰」からでした。

北辰を中心点としてその周囲を24時間かけて回る星々を一輪の円で描き、
一日というサイクルを表して「日」の原型と成りました。
母系社会において智慧や秩序の基盤となった「日」は、
母系社会から男系社会へと変えられていく過程で、

「日」の神格が 「陽」へと変えられていったのです。

本来は 星で一日を表していた 「日」 が 
陽(太陽)を象徴する文字として使われ、一日を太陽であらわされるようになり、

「ヒ(神霊)」の意味も、「陽」が象徴するようになっていったのです。

それは、一日という単位だけでなく、一か月、一年という暦も同じ。

「月」をもとにつくられていた暦が 「太陽」をもとにつくられるようになったこともこれに通じます。

少しややこしくなってきましたが、

「チ=ヒ」という言葉の中には、私たちが思っている以上の意味が
込められているのです。

「ヤマタノオロチ」とは、

「八つの姿」=天照皇大神とスサノオの誓約の際に誕生した神々が八つに分けられたことに繋がります。
*五男三女神・・・・
 多紀理毘売命 ・市寸島比売命 ・多岐都比売命  
 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命・天之菩卑能命・天津日子根命・
 活津日子根命・熊野久須毘命
「籠の中に閉じ込められた鬼」=存在しては困る女神の神霊が宿る大蛇(竜)

これが、ヤマタノオロチの真の姿の意味。

日本書記の中で書かれた、もう一つのヤマタノオロチの存在が、
ヤマタノオロチの物語が単なる大蛇退治のお話ではないこと、
出雲という場所だけで起こったことではないことを、
私たちにまるで暗号のように教えてくれているように私は思います。

「鬼」
勝者にとっての邪魔な存在が鬼。
封印され、消されてしまった人たち、その戦いにおいて多くの命を失った人たちにとっては、封印しようとした人たち、平和を奪った人たちこそが

「鬼」だったのではないでしょうか。

戦争、争いは、どちらも鬼にもなり神にもなるということを、
私たちは、この歴史からしっかりと学ばなくてはいけないと私は思います。

それは、今の原発にも通じます。
政治家や、経済界の人たちにとっては、原発は
「善」
しかし、命を一番に考える人たちにとては、原発は
「悪」

同じ一つの問題に対して、
善と悪。どちらもお互いの立場で、善と悪が入れ替わる。

弥生時代から始まり、1300年前に終焉した
善と悪の戦いもまた、今の原発と同じです。

「命」を一番重視する人たちと
「経済・お金」を一番重視する人たちとの
争いだったのです。




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by ldc_nikki | 2012-07-14 15:07 | 古代の謎 | Trackback | Comments(8)

こんばんは。

今日は、先日の続き久万高原町の神社です。
先日ご紹介した神社は、越智家の祖 「小千玉興」が勧請した神社でしたが、
今日のご紹介する神社も、小千玉興ゆかりの神社です。

久万高原町は、縄文草創期から1万年近く住んでいたと伝わる

「上黒岩岩陰遺跡という、複合遺跡」が見つかっていることでも有名です。

また、今から1万4000年前のものと言われる

長い髪・大きな乳房・こしみの・かすかにわかる 「逆三角形」 を、
鋭い石器などで小さい緑泥片岩に描いてある

女神像が出土しています。

これは、日本で最古の女神像と言われ、
更に、このような女神像は日本で初めて出土されたものだとも言われています。

更に、この女神像が出土しているのは、
日本のこの久万高原町以外に、

「南ヨーロッパ」で
類似のものが見つかっているだけだそうです。

南ヨーロッパと日本だけでしか見つかっていない

「女神像」

1万4000年前、縄文草創期、
現在の瀬戸内海という海はまだ存在していませんでした。

瀬戸内海は、
火山活動によって形成された土地で、そこは広い広い草原が広がっていました。
石鎚山から流れてくる豊富な水が川となり、
そこには人々が生活をしていました。

しかし、約1万年前から気温はだんだんと上昇し、
6000千年前までに、現在のような海が出来上がったといいます。

そんな、季節変動の激しい縄文時代、約1万年にもわたり人々が生活をしていた、
久万高原町の洞窟。

そして、ここで暮らしていた人々は、女神を信仰する
南ヨーロッパと共通する民族でした。

約1万年前までは、瀬戸内海だけでなく、日本海も陸地で、
現在の朝鮮半島と日本の間には川が存在していただけだと言われます。
その時代はここ日本も大陸の一部。
大きな大陸の東の端だったのです。

南ヨーロッパと言えば、あの地中海に浮かぶ島、

「母神信仰の島 マルタ島」

このマルタ島の遺跡からは多くの女神信仰の跡があります。

ここから出土した女神をかたどるものは、
とりわけ逆三角形の形をしていたそうで、

「三角形の女神」とよばれています。

顔や手、それに足も尻も、全て逆三角形になっているといいます。

久万高原町で見つかった女神像も、

「逆三角形」

この二つの場所から出土した女神の形は、
ともに逆三角形だったのです。

これだけで、二つの場所が繋がる民族だというこを断言できませんが、
少なくとも、どちらも女神信仰、そしてその女神の姿を

「三角形」 と結び付けていたということだけは、
はっきりしているのではないかと思うのです。

しかも、ここ久万高原町の遺跡の方がはるかに古い。

大陸の東の果てに暮らしていた人々と、南ヨーロッパという、
瀬戸内海とほぼ同じ気候の土地で暮らしていた人々は、もしかしたら
同じ女神を信仰していた民族かもしれないと思うのです。

そして 「マルタ島」に、フェニキア人、そして
ギリシア人やローマ人が上陸し、
女神信仰の巨石は破壊され、打ち棄てられていったのです。

子宮は壊され、
男たちにより破壊と争いが始まったのです。

それと同じことが、
この日本でも行われ始めたのが、弥生時代から古墳時代にかけてです。

それの最終結末が、
今から1300年前、古事記により終焉されたのです。

高知県足摺岬にあった、世界規模のストーンヘンジ。
今は、駐車場になってしまってわずかしかその姿を残していませんが、
それも、女神信仰の人々がこの大陸の東の果てに、
残した一つの遺跡だったのではないかと私は思っています。

久万高原町が空海の中でも特別な場所とされたのも、
女神の跡が多く残ることも、
今から1万4000年前という、太古の昔より、
女神を信仰する人たちが暮らしていた場所、すなわち、
女神信仰の民族が存在していたことに、繋がるのではないかと思います。

そして、瀬戸内海も同じ。

海の中に沈んで行った古代の人々が暮らした村。
今もその古代遺跡は、海の中に眠ったまま。

今でも時々漁師の網にかかるという、
マンモスの骨や、石器。
人々は、海の中から時々引き上げられる人々の暮らしの跡を見、
この下に、もう一つの世界があると思ったのかもしれません。

皆さんもちょっとだけ、目をつぶって想像してみてください。

激しい渦に、囲まれた島々、
太古の人々が暮らした海の底の村。
そこらじゅうで温泉の煙が立ちのぼる。

山と海がせめぎ合うようにあり、
その海岸線は、白い砂浜が続いている。

温暖で、豊富な食物がとれ、豊な水に恵まれ、
美味しい魚、貝、海草、
そして不老不死の食べ物 「橘(みかん)」が
育つ伊予の国。

大きな大陸の東の果て。
それが四国。

そして最後まで女神を守り続けた

「小千(乎致)命=命の源の女神を祀る命」

がいた母神信仰の伊予の国があった。

それが、愛媛が 「愛比売(えひめ)」という
女神の国だった意味だと私は思います。

ここ久万高原町は、そんな1万4000年前の
女神の国の姿を残す、重要な土地なのです。

*八柱神社
*上浮穴郡久万高原町大川1459
*祭神
 五男三女神(ごなんさんにょしん)
*境内社
 堂山鎮守社(天御中主神、日神、月神)

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手水舎
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ここは、
もともと奉祀の古河内大明神、荒神社、風宮、椿宮、大河内大明神、上姫宮、中姫宮、下姫宮の八社を天正18年11月官令により合祀し、総河内八社大明神と改め、明治3年八柱神社と改称したとされます。

そして、ここに祀られる神は、

「五男三女神」

上にあげた、8つの神社は、
五男三女神を別々に祀っていたということなのかもしれません。

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そしてここには、
八柱が合祀される前からあったとされる神社が
境内社として残っています。

天御中主神、日神、月神を祀る

「堂山鎮守社」

小千宿弥玉興公奉行とある棟札が残るこの神社は、

八柱神社の本殿よりも
上に建てられています。

ここに、姫は残されていたのだと思います。

星の宮とも権現宮として。。。。。

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いよいよ次回から、
徳島に入ります。

まだまだ入ったばかりの徳島ですが、
一緒に、徳島の真の姿を見ていきましょう。




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by ldc_nikki | 2012-07-12 22:43 | 愛媛県久万高原町 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今日は、久万高原町の神社をご紹介します。

これまで久万高原亜町の神社は何社もご紹介してきましたが、
こんな山奥にも関わらず、なぜかとても姫の色が濃い場所ということが
これまでのお話からもわかってきました。

龍宮へ続く川、黄泉の国への入口の一つとされる岩屋寺。
その岩屋寺を守るために神々をおいた空海。

どうしてそこまでこの場所が、重要だったのか
まだその真相までたどり着くことはできませんが、
伊予の国の中でもまだまだこれからもっと深く見ていかないといけない場所の
一つだと思っています。

今日ご紹介する神社もまた、
一つの歴史の謎に光をあてる神社。
ほんのわずかな記録ですが、その中にとても大事なことが伝えられています。

ここは、四国八十八か所 岩屋寺のちょうど真裏の山の奥に祀られれる神社で

「素鵞神社」といいます。

祭神は、スサノオノミコト。

愛媛ではとても多い神社の一つです。
でも、ここは元々「素鵞神社」という名前ではありませんでした。

「素鵞神社」と呼ばれる前までは、

「出雲宮」と呼ばれていました。
久万高原町の出雲宮?

しかもここに祀られたのは、大宝元年 「701年」
大山祇神社の大造営が始まったその年です。

大山祇神社の大造営が始まる100年ほど前から、
ほんの少しづつ本来祀られていた神が消されていきました。
その消された場所には、ほとんどが大山積神が祀られ、大山祇神社とか、三島神社という
名前に変えられていきました。

そんな中で、ここは、
「出雲宮」が 勧請されたというのです。

ここには、どんな意味があるのでしょう。

ここに出雲宮を勧請した人は、

「小千玉輿」 でした。

「小千玉輿」 これまで何度も出てきた名前ですが、
大山祇神社に祀られていた神が変えられたその時に、
一番関わっていたと思われる一人です。

昨日も少し出てきましたが、
小千家の名前は
どういうわけか、物部氏が滅亡しそれに合わせるように
世の中に出てき始めます。

それだけを見れば、まるで小千家が
封印したように思えますが、それは大きな間違いで、
姫を祀るために存在した一族が、小千家だったのです。

そしてこの小千家もまた、姫と同じように封印されてしまったのです。

小千玉輿の父は、小千守輿といい、
百済に見方して戦いに行って捕虜になり10年以上戻ってこれなかったと
伝わる人物です。

その間、小千守輿の子、小千玉輿が伊予の国を任されていました。

しかし、大山祇神社を大造営したのは、玉輿ではなく、
越智玉澄という人物でした。

越智家に関しての資料は、いくつか存在しますが、
その中に、

河野氏の秘伝的家伝書『水里玄義』があります。
この『水里玄義』を編纂したのは、
「土井美作守通安」という、河野教通の家臣でした。

この中に、河野氏の家伝には、内伝と外伝があると書かれてあります。

この内伝と外伝に書かれてあることのどちらが本当のことかわからず、
その真相を突き止めることができた人は、今もいません。

この「水里玄義」の中に、この玉澄について書かれてある文章があります。

玉純(宇摩大領、樹下大神)は十城別王19代の裔和介公万躬の男なり。
「饒速日裔小千玉興」 と契約して姓を小千に改む。
興、純の姓曉然たるを称し、姓を越知の字に換へしむ。

ここには、越智玉純(玉澄)とは、十城別王19代の裔和介公万躬の子であり、
小千とは全く違う姓を名乗っていたと書かれてあります。
そして、饒速日尊(ニギハヤヒ)小千玉興と契約して、
小千と名前を変えたと。
更にその時、その小千を、越知という字に変えたと書かれてあるのです。

今まで、この文章をどれだけの人が読んだでしょうか?
でも、この意味を真剣に受け止める人はきっといなかったのだろうと思います。

ここに、書かれてあることが、
本来の小千が封印され、新たな、大山祇神社を祭祀する一族

「越智」が誕生したことを伝えているのではないでしょうか。

十城別王とは、ヤマトタケルと吉備武彦の娘 吉備穴戸武媛の子。

吉備武彦とは、
吉備津彦神社に祀られていた神の名。

南北朝時代に書かれたとされる
「大日本国一宮記」の中で、

吉備津宮(現在の吉備津彦神社)の祭神は、
吉備津彦ではなく、吉備津武彦であると書かれてあります。

これが、吉備津彦神社の隠された歴史、
後に吉備津彦神社と名前が改められ、この神社の二つの歴史が
混合してわからなくなってしまった原因です。

越智玉澄は、この吉備津武彦という、やはり吉備津彦を封印しようとした
一族の娘の子供だったと、この書に書かれてあるということは、
越智玉澄もまた、吉備津武彦と同じように、封印する一族の子どもだったと
いうことではないでしょうか。

小千家が国譲り(神譲り)をさせられるより前に、
吉備津彦の一族が戦いに敗れていたことがこれから読み取ることができます。

古事記に書かれてある
最後は、戦いをせずに、国譲り=神譲りをしたというのは

饒速日尊小千が、越智になり、玉澄側=藤原、加茂、忌部、葛城によって
姫が封印されていったことになるのではないでしょうか。

もしこの考えが正しければ、
小子玉輿(小千玉輿)久万高原町に出雲宮を祀ったのは、
大山祇神社から封印されそうになった姫を、
隠したのではないかと思うのです。

だから、岩屋寺が黄泉の国への入口となったことと、
ここに出雲宮を造営したこととは、繋がっているような気がします。

そして、
「明治初年大政官令布告によりて神社制度に改変ありて素鵞神社となる。 」

明治元年。
ここでもまた大きな神社の祭神の入れ替えが行われました。
その年に、スサノオが祭神となった神社。

私は、ここも本来は姫神が祀られていた場所だと
思います。

それを物語るかのように、もう一つの道しるべが
神社へ入る山の入口にありました。

「道祖神」 

本来の祖へと導く 「道しるべの神」

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神社は、へんろ道にあります。
岩屋寺へのへんろ道へと向かいます。
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綺麗な川沿いを山の中へ。
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*素鵞神社
*上浮穴郡久万高原町菅生5番耕地500番地1
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数件の民家しかない山の中。
それでも、神社はちゃんと守られていました。
とても優しい空気が流れ、木々は空高くそびえるように生き生きと伸び、
素晴らしい場所でした。

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by ldc_nikki | 2012-07-10 23:34 | 愛媛県久万高原町 | Trackback | Comments(0)

志守り 大宮八幡神社 

こんばんは。

先週の土曜日、いよいよ香川へと入りました。

先月は徳島、そして今月は香川。
この二つの県に入るのに、約3年かかりました。

でも、今だから行ける。
そう思う出来事が、振り返れば多々あります。

そして、今回の香川も、
きっともう少し前だとわからなかった新たなた繋がりの場所を
見つけました。

まだ徳島のお話もしていませんので、
香川は更に先になりますが、
お楽しみ。

一つ、一つ、
時間がかかってもたどっていくことが、一番の近道。
真実へと少しづつ近づいて行っていると
信じたいと思います。

今日の神社は、
前回の伊予市の清神社から砥部へと抜けたところに
鎮座する神社です。

ここは、全く行く予定ではなかったのですが、
帰り道前を通り気になって立ち寄ってみました。
そこでまた、一つの出会いがありました。

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伊予市から砥部町へと、山の中を通ります。
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山を降りて、国道33号線へと出る前に、
神社はあります。

「大宮八幡神社」

この辺りは昔もっと深い山の中で、鳥がとても多く、

「鳥部」と呼ばれていたそうです。
ここに神社が建てられたのは、崇峻天皇の時代だとされます。

しかし、もともと神籬をたててお祀りしていた場所もあるということから、
本来は、もっと古くより神を祀っていたところではないかと思われます。

崇峻天皇の御代とは、
587年~のことで、この時代は一つ大きな鍵を握る時代です。

587年は、物部氏が滅んだとされる年です。
そしてこの翌年から、突然 「越智家」の名前が文献に姿を現すようになります。

それが、鉄人と呼ばれた
「越智益躬」です。

物部氏は滅びたとありますが、
ここから一揆に、仏教の力が強くなります。
でも、まだここから更に争いはましていったのではないかと思います。

少しづつ少しづつ、
この辺りから、封印への勢いが広がっていったのだと。

そして、ここもいち早く、
変えられてしまった神社の一つではないかと思います。

社殿によると、ここへ最初に祀った神は、
「筑前宗像宮 三女神」 となっています。

砥部は、隣の松山市や伊予市のように、
直接の舞台とはなっていないような気がするのは、
ここへ移り住んできた人が、松山市や伊予市とは少し違う一族だったかのような気がします。

それが、この祭神に現れていると。

新居浜にも、宗像氏が移り住んだとされる場所がありましたが、
ここももしかしたら、そうかもしれません。

858年、宇佐八幡宮より八幡大神を勧請し、
現在は八幡神社となっていることが、
歴史の移り変わる様子を表しているかのようです。

*大宮八幡宮
*伊予郡砥部町大南317
*祭神
誉田別尊(ほむだわけのみこと)
足仲都彦尊(たらしなかつひこのみこと)
息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)
姫大神(ひめのおほかみ)

境内社
厳島神社
荒神社
霊神社

神社へ入る時、ちょうど太陽が真ん中にきていました。

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右がわに見える青い龍の絵は地元の高校生たちが描いた絵だそうです。

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拝殿
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参拝して帰ろうとした時、宮司さんと出会いました。
いろいろお話をさせて頂き、
記念にと写真までとってくださり、その場で印刷してくださりました。

写真ができるのを待っている時、
一つのお守りに目が止まりました。
今まで見たことのない、お守り。

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志を守ってくれるお守り。

志を持ち続けることは、難しい。
途中であきらめてしまうことも、多いかもしれません。
私も、何度もそうなりそうな時がありました。

私はこのお守りは、そうなりそうな時、
原点に戻してくれそうな気がしました。

諦めてはいけない。
とそう私に訴えてくれているような錯覚さえ。。

この日、迷わずこのお守りを頂き、
バックにつけて毎日持ちあるいています。

もしくじけそうになったら、これを見て原点に戻ろうと。

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宮司さんが写真をとってくださらなかったら、
このお守りとも出会うことはなかったかもしれません。

本当に、ありがとうございました。




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by ldc_nikki | 2012-07-09 21:25 | 愛媛県伊予郡砥部町 | Trackback | Comments(2)

天の逆鉾

こんばんは。

今日は、もう一度「天の逆鉾」についてお話したことがありましたが、
もう一度、このお話に触れてみたいと思います。

天の逆鉾とは、
古事記の中に登場する、伊邪那美命と伊弉諾命が
国生みをするさいに使ったものとして表される 

「天沼矛」とは別のものとされ、

「天の逆鉾」とは、大国主命が瓊瓊杵尊に譲り渡し、
国を平定するために使われ、国家の安定を願い二度と振るわれることのないようにと
高千穂につきたてたという伝説があります。

しかし、古事記や日本書紀以降に書かれた書物の中には、
少し違う意味のものがあります。

先日もお話した 「行基菩薩撰」と伝えられる

「大和葛城宝山記(やまとかつらぎほうざんき)」という
仏教、特に修験道の立場から書かれた神道書があります。

この中では次のように書かれてあります。

「それ天の瓊玉戈(ぬたまほこ)は、または天逆矛と名づく。
 または摩返戈(まがえしのほこ)と名づけ、または金剛の宝剣と名づけ、
 または天の御量柱(みはかりのはしら)、国の御量柱と名づけ、
 または常住(じょうじゅう)の心柱(しんのみはしら)心の御柱と名づく。
 または忌柱(いみばしら)と名づくる也。
 おもうに、これ天地開闢の図形、天御中主の神宝、独鈷の変ぜる形にして、
 諸仏の神通、群霊(ぐんりょう)の心識、正覚正智の金剛に坐しますなり。」

この中では、
天の逆鉾も天沼矛(天の瓊玉戈)も同じものであり、
その他、摩返戈のほことも言い、金剛の宝剣ともいい・・・・・。

というように、多くの名前が付けられています。

この名前をご覧になって、皆さんはどう思われるでしょうか?

私は、伊邪那美命と伊弉諾命が国生みをするさいに
使ったとされる 天沼矛とは、
国をつくるため、それは新しい国をつくるために使われた矛だったと
この書物は伝えているように思言えます。

天の逆鉾・・・天と地を逆さにする、すなわち、それまで原初倭から新大和への入れ替え。

摩返矛・・・・・「摩」ものとなった、姫神他、姫神を祀っていた一族の「摩」を跳ね返す矛

金剛の宝剣・・もっとも堅い金属、もっとも強い剣を意味し、更には、それは大日如来の金剛界も
         あらわす。それは、日本の国は金剛界の大日如来(天照皇大神)の国だったから。
          (大日如来と天照皇大神についてはまた後日お話します。)

天の御量柱、国の御量柱、常住の心柱・・・
         そしてこの矛は、天をつくり、国をつくり、こころの中心となるなくてはならない
         柱(伊勢神宮の正殿の床下中央に建てられる柱)にもなる。
忌柱・・・・・・・・そして穢れをもよせつけぬ矛

天の逆鉾=天の沼矛とは、ただ単に国を生むためにもちいられた矛ではなく、
天と地をひっくり返し、その後の国を支えるために一番重要な 「柱」となる矛だったのだと
この文章は伝えているのではないでしょうか。


そしてこれが、

「天地開闢」の図形。

更に、この天の天沼矛を、
「天地開闢の際に発生した霊物であり大梵天王を化生した独鈷杵」としています。

「大梵天王」とは、

インド神話、ヒンドゥー教の神 「ブラフマー」を意味していると思われます。

「ブラフマー」とは、
ヒンドゥー教においての、三神一体の神の中の最高神で、

「世界の創造と次の破壊の後の再創造を担当」する神とされるのです。

この時代にぴったりの神ともいえる ブラフマーです。

天の沼矛から
「世界を創造し、破壊された後、再創造をする神が」
誕生し、この国を再創造したと、この書物は伝えていることになるのです。

宇宙の根源を意味する 男性神がこの矛から
誕生していたと後の書物で書かれることが、この矛が使われた
本当の意味をといていると私は思います。

そして、ちょうど古事記が編纂される少し前から、
どこからか、大三島の大山祇神社へと移動して行った

「天の逆鉾」

それは、天地を逆さにするために、

大国主からニニギに譲り渡したとされる伝承のように、
運ばれていったのかもしれません。

そして、もしかしたらその矛の意味を持つ矛とは、
今も大山祇神社の中に、御神宝とされ
祀られている矛かもしれません。

大山祇神社が現在の場所に建てられたとされた時から
約1300年間、歴代天皇の他は神社の関係者さえ一度もそれを見ることはなかったという
御神体と御神宝が、数年まえ、初めてそのベールをぬぎました。

そこには、二つの御神宝と、御神体がありました。

御神宝は、日本国唯一の大和朝時代作の 「ヒイラギ八ひろホコ」 

もう一つは、奈良朝以前の白銅鏡。

御神体は、木造神像。

これは、文部省文化財保護委員会の人たちにより調査され、
翌日愛媛新聞に発表されました。

日本でたった一つの

「ヒイラギ八ひろホコ」 

柊(ひいらぎ)とは、日本でも魔除けとされていますが、
西洋でも同じように、魔除けとして考えられていました。

キリストが十字架にかけられた時に
頭の上にかぶせられたあの草の冠が、柊です。

しかし、もっと重要な意味がこの柊には込められています。

それは、西洋ヒイラギが、
ケルト人の聖木で魔除けとされたということです。

大国主命から、瓊瓊杵尊に譲り渡された矛とは、

「ヒイラギ」の形をした、日本で唯一の矛。

ケルト人が聖なる木としていた、「ヒイラギ」を意味した矛だったの
かもしれないと。

それは、今から3000年前、
初めて大三島に神を祀った一族が

「ケルト人=根源の女神を祀る民族」 と深く繋がる 一族かもしれないと
思うから。。。。。。。。。




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by ldc_nikki | 2012-07-05 23:59 | 古代の謎 | Trackback | Comments(0)

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。