右手と左手

「右手と左手」

以前始まりと終わりのお話をしましたが・・・・。

神社の入口にある狛犬。
向かって右、拝殿から見ると左にあるのが
「あ」
向かって左、拝殿から見ると右にあるのが
「うん」

「あ」は始まりで「うん」は終わり
「左」は男で上位
「右」は女で下位
注連縄も通常は 左が始まりで右が終わり。

だから姫を封印している神社は、
注連縄が、
右が始まりで、左が終わりになっています。

右=女神は、始まりのための終わりに
されてしまったのです。

そして、、私たちの 「手」 

「左手」は太陽
「右手」は月(水)をあらわします。

だから、
左手は 「陽(ひ)」だり手といい
右手は 「水・蛇(み)」ぎ手という。

そして神社へ行った時、私たちは知らず知らずのうちに、

「左手と右手」を合わせる。

太陽と月を一つにしているのです。

これは、神社という建物ができる前からの信仰が
続いているのだと私は思います。

「太陽信仰」という言葉がありますが、

本来、古代の人々は、どちらも同じように大事なものとしていたのです。

「太陽と月」

どちらもなければ、この地球は存在することはできません。

奇跡とも言える、地球と太陽と月の距離。

このどちらがなくても
またどちらか片方が少しでも遠くても近くても、
生命は生きていくことはできませんでした。

そして
月は、生命の誕生と死に関わり、
太陽は、生命を育む。

地球という星が生きているから、私たち人間も生きている。

今の時代。
それは、
昼間に太陽は出ているけれども、
闇夜を照らす月の明かりが
なくなってしまっていることと同じなのです。

「左手(太陽)と右手(月)を合わせる」

昔は少なくとも、心の中では、誰もがその大切さを
わかっていたから、祟りを恐れ、全てを消し去ることができず
手を合わせることだけはやめなかった。

でも今の時代。
人々は、手を合わせることもしなくなりました。

手を合わせると言えば、
何かお願いごとをする時だけ。。。。。。

「右手と左手をあわせる」ということは、
本来お願いをするためではなく、
命を授かったことに感謝し、生きていることへの感謝の気持ちから
はじまったこと。

手を合わせなくなったことと、命の重みを感じなくなったことが
まるで比例しているように私には思えます。

だからこそ、もう一度原点にかえらなくてはいけないと思うのです。

どちらか片方だけではいけないということを
もう一度、知らなければいけないのだと。。。。。

そして どちらか片方だけに光があたるのではなく、
どちらも同じように、それぞれの役目があるということを知り、
どちらも同じように、大切だということを知り、
どちらも同じように、手と手を合わせて未来のために力を合わせることが
必要だと、神社へ行けばいくほど言われているような気がします。

「右手と左手」

今日あなたは何回、右手と左手を合わせたでしょうか。。。。。。




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-08-29 00:01 | 日記 | Trackback | Comments(7)

こんばんは。
先週は、久しぶりに旅行に行ったり、なんだか忙しくて
1週間もあいてしまいました。

8月も残りわずか。
まだまだ暑い日が続いていますが、夏バテなどしていないでしょうか?

今日は前回の続き、香川県三豊町です。

前回お話したように、
第71番札所 剣五山 千手院 弥谷寺には、
黄泉の国への入口とされる洞窟がありました。

そして、この弥谷寺から海の方へ山沿いを走ると
ちょうどその山へと入る入口があります。

その入口に小さな神社があります。

神社の名前は、

「河上神社」

ここに、瀬織津姫が祀られています。

山沿いを沿うように道がつけられているのですが、
まるで、海から弥谷寺へ案内されるかのように、神社がありました。

お寺へ行く間には、
黒戸山という山があり、その山を越えると、黄泉の入口へとつきます。

この山の名前も、まるで黒いドア。黒い入口と言わんばかりの名前。
そしてその山の麓には、姫が祀られています。

少し高台になったこの入口にたった時、
この山が姫の山だったことがわかりました。
そしてその更に下の入口。海から陸へとあがるその場所には、
もう一つの神社があります。

ここから海を見ると、
小さな岩の島に鎮座されるその神社と、この河上神社は一直線上にあり、
更に、その先には、黄泉の国への入口。
姫がこの山に祀られていたことをこの二つの神社が
教えてくれていたのです。

山の中に隠れるように鎮座される小さな神社は、
今も姫の名前を残しています。

黄泉の国(死)の女神とされてしまった姫の姿が、
ここ三豊にはっきりと残っています。

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鳥居の向こうは、ひざ上まで草が生い茂り、
行きは周り道をして拝殿に向かいました。

拝殿につくと、拝殿の周りもこんなに草が生い茂っていました。
夏なので少し怖い気持ちもありましたが、思い切ってこの草の中を
かき分け拝殿へ。

すると、どこからともなく黒い蝶が現れました。

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しばらく誰も参拝する人がいなかったのかもしれません。
でも、こうしてここに存在してくれていることが、とてもありがたく、静かに参拝させて頂きました。

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帰りは、思い切ってこの草の中を鳥居に向かってまっすぐ歩いて帰りました。

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すると、木々の隙間から海が見えてきました。

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そして鳥居を出て見えたものは、
海の入口に鎮座する神社の社でした。

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今は、この海の上の神社には姫の名前はありませんが、
ここに祀られる神さまが姫のことをあらわしているのだと、
確信した瞬間でもありました。

荒ぶる神、スサノオ命が、姫と同体だということが。。。。。






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by ldc_nikki | 2012-08-26 23:49 | 香川県 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日はまず感謝のことば。。。

7月30日から始まった写真展が、今日終わりました。
会場だった銀行の方々にもとても喜んでいただき、また、多くの方がご覧になっていたことを聞きました。

地元今治で初めてさせて頂き、不安な気持ちもありましたが、
私の書いた説明を熱心に読んでくださる方がたくさんいたことを聞き、
本当に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

前回は、初めてでまったく気が付かず、感想ノートを置いていなかったので
今回は、会場においていました。

ドキドキしながらノートを開けると、
ほんのわずかな数でしたが、書いてくださっていました。

緊張しながら読んでみると、
そこには、感謝の気持ちがつづられていました。

何度も足を運んでくださったかたもいらっしゃいました。
写真の前で参拝をしてくださった方もいらっしゃいました。
そして、またぜひ開催してくださいと書いてくださっていました。

そして、最近神社へ行くことがなくなったけど、神社へ行ってみたいと思います。
と。。。。。。

前回の写真展の時もそうでしたが、
ほんのわずかでも、神社や神社の歴史に興味をもってくださったこと、
そしてなにより、心に何かを伝えることができたことが、何よりもうれしく開催してよかったと、
また、神社のことを辞めなくてよかったと思う瞬間です。

写真展にお越しの皆様が、このブログをご覧になっていないかもしれませんが、
この場を借りて、心からお礼を申し上げたいと思います。

貴重な時間を、写真展に費やしていただき本当に感謝申し上げます。

これからも、もっともっとみなさまの心に何かを伝えることができるよう、
初心を忘れず続けていきたいと思います。

神社の歴史を調べること、古代の封印の謎を解くことも大事なことの一つだとは思っていますが、
私自身その中で多くのことを学ばせて頂いたり、気づかせて頂いたり、心安らかな気持ちにさせて頂いたり、さまざまなことを考えるきっかけを与えて頂いたりしています。
それは、瀬織津姫という女神さまを知ることがなかったら与えられることのなかったことばかりです。

だから、私も、私が姫を伝えることで、一人でも多くの人の心に何かを伝えることができればいいなと思っています。

まだまだ未熟ものですが、これからも末永くどうぞよろしくお願いいたします。
本当に、ありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

では、あれから一か月以上たってしまいましたが、
今日から香川県の神社をご紹介したいと思います。

香川県へは今回初めて入ることができました。
行きたい所はたくさんあるのですが、今回私が向かった場所は、ずっと前から気になっていた場所
香川県の三豊です。

三豊そして観音寺は、姫の神社もありそれ以外にもなぜかとても気になる神社がありました。

全てをまわることはできませんが、行く前日、気になる所を全て地図に記して、
その中で行く場所は、実際に現地に入ってから決めることにしました。

いつもそうなのですが、前もって決めて行っても、なぜかその時になると全く違うところへ行っていたりします。

だから今回も、後はその時に自分たちの心が向かう所へ行くことにしました。

するとやっぱり、いざ高速にのり現地が近くになると、
なぜか前日にここで降りようと決めていたところが来ても降りる気持ちになれず、もう一つ先のインターまで
車を走らせました。
そしてインターを降りて、右に行くか左に行くかというところで、なぜか当初はここはいけないかなと思っていた方向へ曲がってしまったのです。

その先にある場所は、

四国八十八か所第71番札所 剣五山 千手院 弥谷寺。

ここは、前日はとりあえず記をつけたところでしたが、正直あまりよく知らないお寺でした。
でも、なぜか一番初めに選んだ場所がここでした。

でも行ってみると、香川の八十八か所の中でも特に意味のある場所で、
姫との繋がりがとても濃い場所、また、四国でも3つしかない、黄泉の国への入口だったのです。
そして更に、この後行った二つの神社が、この弥谷寺と繋がっていることに次の神社についた時に気付いたのです。

これは、書物の上では決してわからない、その場に立たないとわからないことでした。

今日はまず、この第71番札所 剣五山 千手院 弥谷寺からお話します。

千手院 弥谷寺のご本尊は、その名前の通り

「千手観世音菩薩」 

姫に繋がるとされる仏さまです。

しかし、それ以上にこの場所は、弘法大師もあるところで例えたように、
黄泉の国と関係のある場所だったのです。

この山は、古来から霊山信仰の山とされていて、亡くなった方が仏の世界へと旅立つ場所。
それは、四国に三つしかないと言います。

一つは阿波の切幡寺、一つは伊予の岩屋寺、そしてもう一つがここ

弥谷寺です。

ここ弥谷寺には、古来から死者が黄泉の国へと旅立つと言われる洞窟があります。
そしてこの洞窟が、極楽浄土への入口だったのです。

現在でもこの信仰は残っており、この水場の洞窟に、水経木と呼ばれる真言を書いた木札を
おまつりし、山頂から流れ落ちる霊水で経木を洗い清め子孫末裔が現世で安穏に過ごせるように
多くの方が参拝されているそうです。

「黄泉の国への入口」 「山頂から流れ落ちる霊水での清め」

これはどちらも姫の神格をあらわしています。

以前、沖縄のお話の時にもお話しましたが、
ここは、姫の 「子宮への入口(沖縄でいうホト)」 と同じです。

「子宮とは、誕生する場所でもあり、再生(黄泉がえり)の場所でもある」

古来の人々は、古墳を前方後円墳を代表するように、
子宮をただ誕生する場所とは考えていませんでした。
それは、死者の向かう場所でもあったのです。

古墳とは、姫の子宮を意味していたのです。

一つの命が終わり、新たな命として再生、誕生する場所、
それが、古墳であり、子宮だったのです。

また、洞窟も同じ。
洞窟の奥には、龍が住んでいると考えられていたように、
洞窟もまた、子宮への入口だったのです。

そして、仏によって黄泉の国の女神(古事記で言えば伊邪那美神)とされたように、

「黄泉の国、死者の向かう場所」だけを強調されてしまったのです。

ですが、ここでもその洞窟の前で今の残る信仰は、
姫を祀っていたと思われる山、「弥谷山」の山頂から流れる落ちる姫の霊水によって
清めることにより、子孫末裔まで現世で安穏に過ごせるとされていました。

弘法大師は、この洞窟のすぐ側にある「獅子の岩屋」で、
7歳の頃学問に励んだとされています。
この場所が、弥谷寺の奥の院です。

本当にここで7歳の時、学問に励んだかどうかはわかりませんが、
ここが仏によって黄泉の国への入口にされてしまった、姫を祀る場所だということを
知っていてこの岩屋にこもったのではないでしょうか。

四国の三つのうちの一つの黄泉の国への洞窟がある弥谷山。

この山が、姫を祀っていた山だということは、この後お話する二つ神社が教えてくれています。

そしてまた、
この山がある三豊は、今治や岡山や神戸と同じ時期に同じ一族が住んでいた場所。
それは、卑弥呼がいた時代と重なる時代をさしています。

なぜなら三豊にも、
あの沖縄から持ち帰った貝殻でつくった腕輪が見つかっています。

岡山と神戸は、今治と繋がっていたことは、
大山祇神社の文献からも見られます。そして、同時期のものとされる腕輪がこの場所から見つかったことは、
この三豊も、同じ志、同じ想いを持つ人々が暮らしていたことを意味するのだと思います。

*第71番札所 剣五山 千手院 弥谷寺 けんござん せいじゅいん いやだにじ
*香川県三豊市三野町大見70
*本 尊: 千手観世音菩薩
*開 基: 行基菩薩

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鐘楼
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護摩堂
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そしてここが黄泉の国への入口の洞窟
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弘法大師が刻んだとされる
弥陀三尊磨壁仏またの名を「磨崖仏(まがいぶつ)」
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本堂
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大師堂への入口
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大師堂
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大師堂から奥の院「獅子の岩屋」へ行く廊下から見える
洞地蔵尊
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そしてこの奥の真っ暗な岩屋の中に、
大師像、阿弥陀如来像、弥勒菩薩像が安置されています。
(写真はのせていいのかどうかわかりませんので、今回はのせないようにしようと思います。
ぜひ、機会があればその場でご覧くだいませ)

「子宮」

古代の人々は、子宮を今の人以上に特別なものとしていました。

古墳、洞窟、貝、海、湖、そして龍体である日本の子宮とされる場所。

それは、どれも誕生と死、再生、全てのものを生み出す場所。

そしてその子宮と女神は同じ意味を持っていました。

日本だけでなく、世界中で同じように。

私は今日友人からこのタイミングで、子宮、命に繋がるあることを聞かされました。
それは神社とは全く関係のない話題の中で。
そしてそれは
現代の私たちにももしかしたら関係することがあるかもしれないこと。

私は、このことを聞いて家に帰ってから
いろんなことが彼女の言ったその言葉で繋がり、なぜか全身震えが止まりませんでした。

日本人の考えは、1300年たっても何も変わっていなかった。

それは今ここでまだお話することはできませんが、
この 「子宮」 に対する古代の人々の考え方が、封印の意味、そして新たな国をつくる重要な鍵を
にぎることは間違いないのではないかと思います。

そして、それは、今も知らず知らずのうちになのか、日本人の魂がそうなのか、
今も受け継がれている。

姫を封印したにも関わらず、完全に封印できていないのは、
全てを誕生させる場所とされる、女性しか持つことができない 
「子宮」にあるのかもしれません。



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by ldc_nikki | 2012-08-18 02:45 | 香川県 | Trackback | Comments(8)

こんばんは。

今日は、久しぶりに大洲市の神社です。
大洲は以前少彦名命のお話をした時にご紹介してから、ずっと行っていませんでした。

最近また大洲が少し気になり始めていて、先日も大洲へと行ってきました。

大洲には、なぜか巨石やメンヒルが多いところで、
このメンヒルに書かれた文字を解読している方もいらっしゃいます。

そんな巨石やメンヒルが最近なぜか気になっています。
そのきっかけになったのが、今日ご紹介する神社です。

粟島神社です。

ここに巨石があることを知らず、なんとなく久しぶりに大洲へ行ってみようと思って
立ち寄った神社だったのですが、行ってびっくり、
不思議な所に神社の拝殿が建てられていました。

それも最初、拝殿に向かって参拝している時には全く気付かず、
そのまま帰ろうとしたのですが、ふと見ると階段の下に、「巨石遺跡」と書かれた石碑が目にとまりました。

巨石遺跡ってどこにあるんだろう?となんとなく神社の裏側へとまわり、ふと上を見上げると
拝殿の下に、大きな岩がありました。

拝殿は岩の上にすっぽりとおさまるように、建てられていたのです。

「粟島神社」 という名前だから、徳島と関係のある神社かと思ったのですが、
その場で、少し調べてみると、本来ここに鎮座されていたのは、
「粟島神社」ではなく、「大元神社」だったことがわかりました。

そしてこの拝殿は、その大元神社という神社があった時に
建てられたものだったのです。

では、ここにあった大元神社はどこに行ったの?

と思いまた調べてみると、
大元神社は、現在、南山神社というところに合祀されたと書かれてありました。

そして、その南山神社には、
姫に繋がる神様の名前がずらり。。。。

どうして南山へ合祀されたのかは書かれてありませんでしたが、
合祀された神社へも行かなければ。。。と思い、
その足で、南山神社へ向かいました。

その南山神社は、人里離れた山の中にありました。

小さな拝殿でしたが、
そのすぐ側には、やっぱり大きな岩がそびえていました。

*粟島神社(北只)
*大洲市北只424
*祭神
少彦名命(すくなひこなのみこと)
菅原道真命(すがはらみちざねのみこと)

本来ここに鎮座されていた、大元神社は、
明治44年11月に南山神社に合併合祀されました。

その後、昭和9年11月7日、北只字高瀬鎮座の少彦名神社、北只字城村鎮座の粟島神社、北只字中屋敷鎮座の天神社、北只字尾崎鎮座の天神社の四社を現在の鎮座地北只字常森に移転したといいます。

現在の社殿は1859年(安政6年)に建立されたと伝えられています。

そして、現在 少彦名命、菅原道真命を祀っているにも関わらず、

女性特有の病気平癒にご神徳があるといいます。

そのご神徳はまるで磐長姫のご神徳のようです。

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大元神社の名残りの瓦。

「大」の文字が刻まれています。

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そして、巨石の上につくられた社殿。

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昨日はある言葉を見て少し考えてしまいました。

「神さまのことに知識はいらない」という言葉でした。

私は、神さまのことを知るためにこうして神社を巡りながらいろんなことを調べています。
それは間違っていることなの?

ふとそんなことを、自問自答していました。

でも、私がこうして神社に行くのは、知識をえるためではなくて、
また何かを調べていくこともあるけど、その日、その時になってみなければ行く場所もはっきり決まらない。

時がこなければその場所へは行くことができない。

でも、行くたびに、いろんなことを知りたいという気持ちが増してくるのも事実。

いろんな思いはあるけれど、本当のところは、どうしてこんなにも知りたくて、知ろうとするのか
自分でもよくわかりません。
ただ、純粋に知りたいという気持ちが湧き上がってくるのです。

それがいけないことなのかな?

そんな風に思いながら考えていると、ある方が、
私のつぶやきに、
「自分が大切だと思うことを書いてきたからだよ。」
とおしゃってくれました。

「大切だと思うこと」

今まで何度も、こうして書くこと、神社へ行くことを辞めようかと考えたことがありました。

でも、その度に、自分の心に素直に従おうと思いなおしてきました。

私が大切だと思うこと。
その気持ちを持ち続けることが大事なんだということを、忘れかけていたかもしれません。

自分自身を見つめる事って、本当に大切ですね。
人間は、時々自分を見失うものだということを、神社に行き始めて何度も気づかされます。
そして、私に気づかさせてくれる人がいることが、本当にありがたいと思います。



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by ldc_nikki | 2012-08-15 23:35 | 愛媛県大洲市 | Trackback | Comments(6)

鬼瓦

こんばんは。
1週間ぶりのブログです。

しばらく地元のお祭りや、いろいろ忙しくてブログを書く時間がありませんでした。
でも、その間にもいろいろ時間を見つけては本を読んだり、調べものをしたり、
そして何より、昨日、高知県の姫の神社へと行ってきました。

そこでは、また不思議なことがあったり、
とても大事な伝説を見たりと、一歩一歩、前に進んでおります。

今度の日曜日に、大きな行事が入っていて、
まだしばらく忙しい日々が続きますが、無理せず、更新をしたいと思います。

今日のお話は、
今治市菊間町です。

毎週のように前を通りながら、一度も立ち寄ったことがなかった菊間町の神社に
1っカ月ほど前にやっと行くことができました。

菊間町は、「鬼瓦」で有名な町です。
愛媛県の神社やお寺には、菊間町の鬼瓦が使われているところも多く、
一般の住宅でもよく見かけます。

国道196号線沿いの海のすぐ側にある、「龍神社」の前に、大きな鬼瓦が置かれてあります。

これが、その写真です。

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鬼の頭に太陽。

意味深い姿ですね。。。。

「鬼瓦」とは、この写真のように鬼の姿をしたものもありますが、
鬼とは全く関係のないものもあり、
鬼の面の有無にかかわらず棟瓦の端部に付けられたものを
鬼瓦とよんでいるそうです。

しかし、その起源は、なんとギリシャ神話にあります。

古代遺跡パルミの入口の上にメドゥーサを厄除けとして設置していたことにあるといいます。

メドゥーサとは、皆さんもよく知っている蛇の姿をした女神です。

メドゥーサは、ギリシア神話に登場するゴルゴーン三姉妹の一人。

「ゴルゴーン」とは、「恐ろしい」という意味だといいますから、

「恐ろしい三姉妹」の一番下の女神、それがメドゥーサです。
また、この三姉妹は 「海神」の娘だといいます。

海神の娘で、その姿は恐ろしい蛇。 
まるで、瀬織津姫が変えられた姿と同じです。

シルクロードを渡ってきたこの文化は、奈良時代日本へと入ってきました。

奈良時代と言えば、姫が封印されてすぐの時代。
また、封印によってさまざまな天災が起こり、姫の怒りだと恐れられた時代です。

メドゥーサが厄除けとして置かれたように、日本でも、姫が鬼となり、厄除けとして
置かれたのだと思います。

ギリシャ神話の中でも、「悪」とされた海神の女神は、
日本でも同じように悪とされてしまったのです。

その形、名前は違いますが、
どれも根源は同じなのです。

今でも 「罰があたる」 という言葉をよく聞きますが、
人間は、自分にやましいことがあると、何かが起こった時、「罰があたった」と
考えてしまう。

それは、古代も現代も変わっていません。

特に、今以上に神様の存在を近くに感じていた古代の人々は、
あちこちで起こる天災や厄病を、神様の怒りとしてとらえていて、
その怒りを鎮めるため、またその力を逆に利用しようとしたのです。

この鬼瓦の起源も、そうだったのだと思います。

菊間町には、粘土瓦業者の守護神として祀られる神社があります。

そこには、竈神が祀られています。

この竈神も同じ。 荒神として祀られた竈神は、霊界と現世との境界の神とされたり、
清浄を尊んで不浄を排する神とされる元には、
姫の封印の意味があると思われます。

神道において、竈三柱神(稀に三本荒神)とは、
オキツヒコ(奥津日子神)・オキツヒメ(奥津比売命)・カグツチ(軻遇突智、火産霊)とされます。

これは、伊邪那美神を黄泉の国へと行かせた 「火の神」。

水の終わり、火の始まりを意味する神でもあります。

「竈」は、姫の魂を黄泉の国へと送る重要な役目を持つとも考えられます。

姫の封印の代わりに現れた 「伊予の狸(姫の魂を守る)」が、
竈に入れられて焼かれる伝説もそれに繋がるのではないでしょうか。

黄泉の国へと魂を送り(不浄を排する)、現生の人々を守る神という意味が
あるのでしょう。

粘土は、キリスト教では人を作り出す命の源。
竈で焼かれた粘土には、火の神の子どもが生まれる意味もあるのです。

火の神の守護神として誕生した、竈三柱神は、
厄除けのためにこの世に誕生したとも言えるかもしれません。

弘法大師が厄年にお参りしたと伝わるお寺が菊間にあるのも、
もしかしたら、これに繋がるものがあるのかもしれません。

*龍神社
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龍神社の向かいに、まるで向き合うように鎮座する、
三穂神社

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そして、ここが、菊間特産の粘土瓦業者の守護神

*荒神社
*今治市菊間町浜3299番地
*祭神
 斎火武主命(いみびたけぬしのみこと)
 奥津比古命(おくつひこのみこと)
 奥津比女命(おくつひめのみこと)

この神社は、踏切のない線路の向こうにあります。

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こちらへ行かれるさいには、
すぐ近くにトンネルがありますのでお気をつけ下さい。
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またこの神社の目の前の海には、
伊予国風土記に伝説が残っています。

熊野という舟が石になって残り、「熊野峯」の地名の由来と なったと。

この海でも、姫を祀る人々がその命を落としたのかもしれません。。。




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by ldc_nikki | 2012-08-14 02:07 | 愛媛県今治市)(旧菊間町) | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日は、今私が何度も読み返している一冊の本の中に書かれてあることを元に、
お話したいと思います。

もう2年ほど前に、ぜひ読んでみてください。と渡された1冊の本。

「赤碗の世直し」

この本の中には瀬織津姫に関することは全く出てきません。
頂いた当初は、これがどういう風に繋がってくるのか、全く想像もつきませんでした。

でも、1か月ほど前から、
急にこの本のことが気になり始め、再度読んだ時この本に書かれてあることが、
とても重要なことだとに気づきました。

この本は、「琉球」 沖縄に古くから伝わる
「赤碗の世直し」というフレーズが何度も出てくる神歌から
作者が、ヤマトとの関係に気づき、検証していった本です。
時代は、卑弥呼の時代が中心となりますが、
私は「卑弥呼」と瀬織津姫=古代の女神が、深く繋がっていると思えてならないので、
この「赤碗の世直し」を知ることは、姫の姿をより明確にできることに繋がると思うのです。
また、古代の人々の思想が、はっきりと見えてくるように思うのです。

今日お話する相対する伝説もその一つです。

古事記の中では、女神がその命を落とす場面が二箇所あります。
その一つは、大宜都比売が素戔嗚尊に切り殺される場面。
もう一つは、伊邪那美神が火の神を生んだ時に、陰部に大やけどを負い
黄泉の国へといってしまう場面です。

同じように死んでしまった、二柱の女神。
でも、その命をおとす場面に、大きな違いがあります。

大宜都比売は、身体を切られその身体から新たな生命(食物)が誕生しているということ。
しかし、伊邪那美神は、黄泉の国へ行ってしまい、その身体は鬼の姿へと変貌していく。

どちらも残酷な形だと今の時代に生きる私たちは思ってしまいますが、
古代の人々の考えかたは全く違います。

古代の人々は、「死からの再生」 を強く願いと同時に、
食物がそうであるように、一度その命がなくなっても、また新たな命が生まれてくると考えていたので、
稲が刈り取られるように、大宜都比売はその身体を切り刻まれたのでした。

しかし、伊邪那美神は違います。
伊邪那美神には 「死からの再生」はありませんでした。
それどころか、鬼の姿に変貌されてしまったのです。

どうして、片方は再生でき、片方は再生できなかったのでしょうか。

その答えは、「ホト」にあります。

「ホト」とは、女性器の 古代的表現だと言われていますが、
ホトとは、単なる女性器を表現する言葉ではなく、「子宮」そのものも含めた意味
だったのではないのかと思うのです。

伊邪那美神は、「ホト」そのもののを焼かれ、
そこから新たな命が誕生することができなくされてしまったのです。

そして、「ホト(子宮)」を亡くした伊邪那美神は、
「鬼」へと変貌させられてしまったのです。
それは、まるで瀬織津姫が、瀬織津姫の力を取られ、鬼へと変貌されたことと同じように。

「ホト」にまつわる伝説は、この他にもあります。

それが、「箸墓伝説」

箸墓古墳に埋葬された姫と伝わる、「倭迹迹日百襲媛命」の伝説です。

三輪山の大物主神と結婚をした百襲媛命(モモソヒメ)は、
毎晩、夜しかきてくれない大物主に、夜以外の姿も見たいと願います。
大物主神は、次の朝、百襲媛命の前にその姿を見せたのですが、
蛇だったことに驚き、大声を出してしまいます。
すると大物主神は、恥をかかされたと怒りいなくなってしまいました。
そして座りこんだ百襲媛命は、陰部に箸が突き刺さりその命を落としてしまったという伝説です。

ここでもまた、伊邪那美神と同じように、
陰部=ホト(子宮)を使えなくされてしまったのです。

箸墓古墳は現在、第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命大市墓とされており、
百襲媛命の別名は「大市姫」。

1975年に公表された
丹後・籠神社の日本最古の系図に、

始祖の彦火明命(ひこほあかりのみこと)から9代目の孫
「日女命(ひめのみこと)」「またの名を倭迹迹日百襲姫命」、「またの名を神大市姫命」
と書かれてあることから、百襲媛命の別名は、「大市姫」でもあるとされます。

大市姫は、大山祇神社が現在の宮浦へと移された当初から
なぜか祀られており、大山祇神社では、

「大市姫」 のまたの名を 「南海龍女」とよんでいました。

上記の百襲媛命をまとめると、

「百襲媛命=大市姫=南海龍女=日女命」 ということになります。

上の最後の 「日女命」 を
「日(ひ)」の女であるから、「火の神」と解釈されていますが、
以前お話したように、ここにあえて 「ひ」を「火」や「陽」と書かなかったか、

古代、(ひ)とは、「霊」であり 「日」でした。

北斗七星で、「一日=日」を導きだした、女神を祀る一族は、

「男神信仰」の一族に滅ぼされ、

「霊(ひ)」を、「日」ではなく 「火・陽」に変えられてしまったのです。

同じ 「ひ」という言葉でも、その持つ意味は
全く違うものからスタートしたということを私たちは知らなくてないけません。

籠神社に書かれた、
「百襲媛命=日女神」 の本当の意味は、

百襲媛命=瀬織津姫(全ての命の源の女神)という意味だったのだと
私は思います。

そして百襲媛命とは、瀬織津姫の魂を受け継いだ女神、
瀬織津姫の言葉を、民に伝える姫だったのではないでしょうか。

それが、本当の「卑弥呼」の姿だったのだと。

そして、二つのヤマトに残る「ホト神話」 
が姫の子宮の意味を壊した神話だったということを
教えてくれる、全く違うホト伝説が沖縄に存在したのです。

沖縄は、古来から本土と交流があったことが考古学上でも確認されており、
その歴史は弥生時代にまで遡ります。

本土が大きな変換機を向かるもっと前から、本土のヤマトでは争いが絶えず、
その力は、この沖縄までやってきていました。

そんな様子を語る神歌が以前も紹介しました
「赤碗の世直し」の神歌ですが、
沖縄だけは、一度侵入してきた新ヤマトを追い出し、
独自の文化を築き上げてきました。

それを伝える伝説の一つが、
本土の二つの「ホト伝説」に相対する 

沖縄地方にだけ伝わる 

「もう一つのホト伝説」です。

沖縄地方に古来から伝わる昔話には、本土では考えられない
不思議な物語があります。

それが、「鬼モチ伝説」 です。

首里の金城村に住んでいた兄と妹。
いつの頃からか兄は洞窟にすむようになり、
鬼になってしまったのです。

それを知った妹。
兄に問い詰めようと思った時、
竈の釜の中に人の肉が入っているのを見てしまったのです。
妹に気づかれたことを知らない兄は、妹にその肉を食べるように勧めますが、
妹は、なんとか逃げ出します。

(その逃げ出した時に渡った川を 「マテ川」といい
その時通った坂を 「生死坂(イキシノヒラ)」といいます。)

その後、兄が妹を訪ねて家にやってきました。

すると妹は、兄を崖の上に座らせ、
中に鉄を入れた餅を 「七つ」と、自分が食べるための
米餅「七つ」をつくり、兄に鉄の餅を食べさせ、
こう言いました。

「私の身には口が二つあります。
下の口はよく鬼を喰い、上の口はよく餅を喰うのです」と。

そう言って妹は、前裾を広げて兄を襲おうとしました。

驚いた兄は、足を滑らせ崖から落ちて死んでしまいました。

これが、沖縄につたわる 「ホト伝説」なのです。

本土ヤマトでは、
瀬織津姫の神格を持つ女神と姫が、そのホトにより命を落としましたが、

沖縄では、
兄である男が鬼となり、鬼は 「ホト」により死んでいった。
そして、ホト=子宮は、鬼を食べるところでもあったのです。

しかしこのお話でもう一つ大事なことは、
沖縄での「ホト」は、鬼を退治する所。というイメージを持ちますが、
これは退治するのではなく、

これもまた 「死からの再生」 なのだと思うのです。

鬼となった兄の命を奪うことが目的ではなく、本来の意味は、
「鬼となった兄(男)の再生」の意味が込められているということなのです。

本来の女神の力は、「命」そのもの。
それは、本土では、「死」の部分だけが強調され、まるで 「死の神」のように
されてしまいましたが、本来は、 「死からの再生」

「命の誕生も、命の育みも、命の終わり」も全てを司る女神であり、
それは、循環、また再生を意味するものだったのです。

そして、倭から伝わった本来の神を、
本土が祀らなくなってしまっても、
自分たちはずっとずっと祀り続けると歌ったように、
この鬼モチ伝説もまた、姫の存在、そして、姫を封印した男たちを
鬼と例えて昔話として1300年伝え続けられてきたのです。

本土で伝えられた浦島太郎や桃太郎と同じように。。。

でも、その意味は本土で伝えられるものと
全く逆。

本土からやってきた鬼たちが、女神を封印し祀ろうとした神を、
沖縄の人々は二度と出てくることはないようにと封印し、
本来の女神を祀り続けてきたのではないでしょうか。。。。

沖縄と本土。

ここには、大きな違いがあります。

その違いを、これからも少しづつみなさんにお話していきたいと思います。

20代の時、
突然沖縄に住もうと決めて沖縄に渡たり住んだ場所の名前が

「おおじゃな」

漢字は違いますが、まるで 「大きな蛇」 。

沖縄と姫との関係がわかればわかるほど、
あの時沖縄から始まった3年間を振り返ると、
それは、本当に姫の封印に関わった人々の場所を廻されたのではないかと思ってしまうほど
不思議です。

私が勝手に思っているだけかもしれませんが・・・・・。






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by ldc_nikki | 2012-08-07 01:36 | 沖縄 | Trackback | Comments(2)

花火

こんばんは。

この週末は、今治のお祭りでした。
今年も二日間、スタッフとしてお手伝いしていたので大忙し。

今年も沢山の人が、お祭りに参加してくださり、
また沢山の人にお越しいただき、ほんとに感謝です。

今日は、神社のお話はお休みして、
今日の夜行われた花火の写真をのせたいと思います。

もうみなさんは、今年花火を見に行かれたでしょうか?

今年の今治の花火は、数年ぶりに音楽が復活して、
音楽と花火と、そして今年初、レーザーをコラボさせた
まるでディズニーランドのようでした。

今治の港が
まるで、ディズニーランドのようになりました。

そんな花火の様子を、
ディズニーランドの音楽とともに、
ご覧いただきたいと思います。



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by ldc_nikki | 2012-08-06 01:32 | 愛媛県今治市 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日は、今回の徳島県の最後の神社です。

本当はもっともっと沢山行ってみたい所があったのですが、
限られた時間、今回はこれが精いっぱいでした。

でも、それも、
まだ訪れるには早すぎる場所だから行けなかったのかもしれません。

本当は、まだまだ徳島のことをお話したいのですが、
その場所を訪れるまでは、できるだけここには書かないようにしようと思っているので、
今回はこれでひとまず、徳島のお話は終わりにしたいと思います。

私が徳島での最後の神社に選んだ場所は、
神山町のお隣、佐那河内村の朝宮神社です。

ここは、天照皇大神荒御魂として、瀬織津姫を祀る神社です。

瀬織津姫は、伊勢神宮内宮の別宮の荒祭宮祭神、
天照皇大神荒御魂として祀られています。

天照皇大神荒御魂。

神道では、
神様には二つの側面があり、 その二つの魂のことを

「荒魂(あらたま、あらみたま)・和魂(にきたま(にぎたま)」といいます。

字のごとく、
荒魂は、荒ぶる魂。地震や洪水、火山など、天変地異をおこし、病を流行らせる
恐ろしい魂。

それに対し和魂は、人々に、雨や日光の恵みなどを与えてくれる魂。

だから私たちにご加護を与えてくれる神様は、
和魂とされています。

天照皇大神荒御魂が瀬織津姫とされるということは、
瀬織津姫は、荒ぶる神。 地震や洪水を引き起こし、病を流行らせる恐ろしい魂をもつ女神と
されていることと同じなのです。

大祓詞で、人々の罪や穢れを祓う女神とされながら
一方では、荒ぶる女神とされているのはどうしてなのか、どうして1300年も
その謎に、ふれる人が現れなかったのか不思議だと思いませんか。

でも、それは、ふれる人が現れなかったのではなく、
ふれることができなかったからなのです。

天照皇大神荒御魂を瀬織津姫を祀るところは、
伊勢神宮の他に、兵庫県廣田神社が有名ですが、
ここに天照皇大神荒御魂をお祀りすることになったのは、
神宮皇后に由来すると伝わります。

神宮皇后が、三韓征伐に出発する際、
和魂が天皇の身を守り、荒魂が先鋒として船を導くだろうという
神託がありました。
戦いを終え戻ってきた神功皇后は、
自分と生まれた皇子の命が狙われていることを知り、
和歌山県の方へと迂回して、難波を目指したのですが、 
難波の港が目の前という所で、船が海中でぐるぐる回って進めなくなってしまいました。
そこで兵庫の港に向かい、天照皇大神の神託を受けました。

「荒魂を皇居の近くに置くのは良くない。広田国に置くのが良い」と。

そこで神功皇后は、
山背根子の娘の葉山媛に天照大神の荒魂を祀られたといいます。

これが、廣田神社に、天照皇大神荒御魂
別名:撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと)
を祀ることになった起源だと言われています。

現在は、瀬織津姫の名前はありませんが、
戦前の由緒書きには、瀬織津姫を主祭神とすることが明確に記されていたといいます。

天照皇大神の荒御魂が瀬織津姫のことをあらわしていることは
ここでもわかりますが、ここ徳島県朝宮神社も、はっきりと天照皇大神荒御魂を、
瀬織津姫と記載しています。

また、もうずいぶん前にご紹介した、
愛媛県西条市に鎮座する、
「伊曽乃神社」もまた、天照皇大神荒御魂をまつる神社です。

しかし、ここは廣田神社と同じように、瀬織津姫の名前は記載されていません。

でもその代わりに、ここには瀬織津姫とわかる証があります。

それが、伊曽乃神社の神紋です。

伊曽乃神社の神紋は、「御所車」

「御所車」とは、牛車(ぎっしゃ)の俗称と言われますが、
これも以前に 「8の暗号」のところでも少しお話した、
伊勢神宮の中にも描かれている、北斗七星でもあります。

「8の暗号」では、
北極星=天帝を載せる車として、北斗七星=御所車が描かれていると
書かれてありました。
しかし、この北斗七星は、これまで何度かお話してきたように、
「瀬織津姫」のことでもあります。

瀬織津姫、太古の昔は別の名前だったと思われますが、
同じ意味を持つ、原初の女神もまた、北斗七星と繋がっていました。

瀧もまた、北斗七星から流れ落ちる水だということを
以前お話しました。

また、妙見信仰の意味を解いた空海が、
妙見菩薩として祀った神もまた、その根源を辿れば、瀬織津姫のことをさしているということも
以前お話しました。

伊勢神宮に書かれた、北極星と北斗七星の関係は、
天照皇大神の和御魂と荒御魂の関係でもあったのです。

北斗七星=御所車

だから、
西条市伊曽乃神社の天照皇大神荒御魂は、神紋が北斗七星=御所車と
されることから、瀬織津姫を本来は祀っていたことをあらわしている。

でも、なぜ伊勢神宮に封印したはずの、北斗七星を天帝の車として描いたのでしょう。

それは、廣田神社の起源である神功皇后の伝説にもあるように、
瀬織津姫の力は、決して消し去ることのできないほどの力、
全ての生命の源であるので、その力だけを受け取ろうとしたのだと思うのです。

その力を受け取り、新たに誕生したのが、天照皇大神だったのではないでしょうか。
天照皇大神の中に、瀬織津姫は封印されていると言ってもいいかもしれません。

またいつか詳しくお話したいと思いますが、
古事記がつくられ、新しい世の中がスタートした奈良時代から、
本来ならば、天照皇大神を中心に神道が盛んになるはずの世の中が
急激に仏教中心の世の中に変わっていきます。

これがもう一つの封印の秘密です。

仏教では、天照皇大神は大日如来だとされるようになりますが、
その裏にもう一つの姿がありました。

それが、役行者、そして聖徳太子です。

鬼神(瀬織津姫)を自由に操ることができたとされる 
「役行者」は、天照皇大神がその姿を変えた姿だとされていたのです。

「役行者」は、日本の霊山(本来は神が宿る山)にいる龍=瀬織津姫を
全て封印、排除していきました。
そして、それを自由に操ることができた人物であり、
天照皇大神だったのです。

また、まるで役行者と同じような力を持つ、
聖徳太子も同じように、天照皇大神と同一だと書かれてあります。

役行者に封じ込められた 「龍神、鬼神」とは、
天照皇大神の中に封印された、裏の姿(荒御魂)である瀬織津姫のことと
同じことになります。

そして、それは、仏の姿でもあらわされます。

天照皇大神の本地仏、 「大日如来」 
その大日如来の中に封印された、瀬織津姫の姿が、 
瀬織津姫である 「水」 を封印するために祀られた 「山」 の神
日本の総氏神 「大山積神」 の本地仏をあらわす、
大通 智勝仏の
日本にたった一つの姿です。

日本とは、大日如来の国。
大日の本国。 大日本帝国と考えられていたのではないでしょうか。

天照皇大神の荒御魂とされたことが、瀬織津姫の封印の意味を持つ姿なのかもしれません。

*徳島県
*朝宮神社
*天照皇大神荒御魂 瀬織津姫

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by ldc_nikki | 2012-08-03 02:09 | 徳島県 | Trackback | Comments(2)

こんにちは。

今日から8月ですね。
毎日暑い日が続いていますが、皆さんは夏バテなどしていないでしょうか。

先日玉川に住む知人が、秋の気配を感じるとおしゃっていました。
ギラギラとした太陽の光が降り注ぎ、ここにいると秋の気配を感じることができませんが、
山では日々、季節が変化しているのだなと思いました。

今日も、前回の続き徳島のお話です。

「天の岩戸」

天照皇大神が閉じこもった岩。

徳島県でも、この天の岩戸と呼ばれるところがあります。

徳島県神山町、前回ご紹介した上一宮大粟神社からそう遠く離れていない
山の中にあります。
そして、その天の岩戸があるこの山を、天の元山と地元ではよんでいいます。

「天の元山」

天から降ってきた大きな岩は、空中で二つに割れ、
一つは大和の国(奈良)へ、
もう一つは、伊予の国(愛媛)へ落ちたとされます。

しかし、徳島では、
これらの元山があるとされているのです。
それが、今日ご紹介する 天岩戸立岩神社の御神体の山です。

「阿波国風土記」では、

 そらより降り下りたる山のおおきなるは,阿波国に降り下りたるを,
 天のもと山と云い,その山のくだけて,大和国に降り着きたるを天香具山
 というとなん申(まをす)。

「伊予国風土記」では、
 天山(あめやま)と名づくる由(ゆえ)は,
 倭(やまと)に天加具山(あめのかぐやま)あり。
 天(あめ)より天降(あも)りし時,二つに分かれて,
 片端(かたはし)は倭(やまと)の国(くに)に天降(あも)り,
 片端(かたはし)はこの土(くに)に天降(あも)りき。
 因(よ)りて天山(あまやま)と謂(いい)ふ,本(もと)なり。

二つに分かれた大きな山の元は、
ここ徳島県だったというのです。

この「阿波国風土記」に書かれたことにより、
徳島が全ての原点だと地元では言われています。

徳島にあった山が、
二つに割れて片方は伊予の国へ、もう片方は大和へ。

徳島ではどうしてこのように言われるようになったのか。

それは、
新しい 「新生大和」の原点が、ここ徳島だったからなのです。

本来あった、「原生大和」は、
もうこの時すでに奈良に存在していました。

では伊予の国はというと。。。。

伊予の国は、神の宿る場所。人が住む都ではなく、
本来の倭が信仰していた女神の中心だった。

伊予の国は、再生・復活、そして新たな命が誕生する
「子宮」的場所だったのです。

そして、その子宮の中心が、
子宮を取り巻く羊水である 「瀬戸内海」の中心であり、
渦で囲まれた島 「大三島」 だったのだと考えています。

だから、新生大和が本来の倭だとするために、、
新生大和の大きな岩は、「原生倭(奈良=香具山)と
神の中心(伊予=天山)を、徳島の元山から、二つに割れたお話にした。

そして、新生大和は、
本来の原点である 「元山」 の徳島の存在をも隠し、
原生倭が存在した奈良へ移り、そこに最初から都をつくっていたかのように
歴史をつくりかえてしまったのです。

でなければ、徳島が元山だったことを隠す必要はなかったはずです。

徳島にいた自分たちの姿をも、
封印してしまったのだと私は思います。

日本に仏教が伝来したのは、539年と言われています。
しかし、徳島ではこれより先に、仏教が伝来した後があります。

それが何を意味するでしょうか。

そして、仏教が一番早くに入ってきた徳島という場所が
元山とされることが何を意味するのか。

それが、新生大和の誕生の鍵を握るのです。

天の岩戸に隠れた天照皇大神がその姿を出した後、
岩戸には、その岩戸がもう一度開くことのないように、注連縄がかけられました。

これが、注連縄が初めて文章として現れた場面です。

私は、この岩戸に注連縄がかけられたのは、
天照皇大神が新たにこの世界の神として誕生する代わりに、
本来の女神がこの中に閉じ込められたことを意味していると思っています。

そして、その場所がここだと徳島で言われるのは、
ここ神山が、徳島で一番初めに、正式に 「瀬織津姫の魂」が祀られた場所だからです。

伊予の国から、瀬織津姫の魂は、まずここへ運ばれ、
祀られたのです。
それが、上一宮大粟神社に残る言い伝え。

この天の岩戸とされる御神体の対岸には、
今も、左に不動明王、右に、蛇神さんが祀られています。
そして、昔、元山の村人が蛇を討ち血の海になったと伝わる
「蛇淵」が今も残っているそうです。

姫の存在を少しでも残しておきたい人々が、後世に伝えようとした想いが
ここに存在したことがわかったことが、
私がここを訪れて一番感動したことでした。

私は、どこに祀られているかわからない 対岸に向かって、
静かに手を合わせました。

姫の魂の封印をとくという力は私にはありませんが、
こうして一つ一つ、その場所へ行き、手を合わせ、
そしてその存在をほんの少しでも誰かに知らせることが、
姫の魂に少しでも光をあてることに繋がるのではないかという気がしています。

姫の魂は、全ての源であり、
命を再生・復活させる力を持つと言われます。

今、世の中全てが、再生しなければいけない時代。

姫の光を、ほんの少しでもこの世の中に輝かせることができたら、
また、ここでその光を見た人が、一人でも明るい未来へと歩いていくことができたら、
こんなにうれしいことはありません。

そして、私自身が少しでもよい世の中になるための
一筋の光になれるように、
もっともっと修行をしといきたいと、改めて姫に誓いました。

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この木々の向こうに、
不動明王と蛇神が祀られているそうです。

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by ldc_nikki | 2012-08-01 15:13 | 徳島県 | Trackback | Comments(2)

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。
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