中秋の名月

こんばんは。

今日は中秋の名月ですね。
日本列島は台風が横断していて、大変な場所も沢山あると思いますが、
皆さんのところは大丈夫でしょうか?

被害が出ないことを祈るばかりです。。。。。

愛媛は、台風の影響もほとんどなく、
午後から雨が上がり、夜には雲も切れ始めて、
眩しいほどの満月が、夜空に輝いています。

古代の人々にとってこの時期の満月は、特別なものだったのではと
私は思っています。

年に二度やってくる 「彼岸」 は、
現在は、先祖供養の日となっていますが、本来は、神様の先祖。

本来の神が、天から降りてくる日、また、天と地が繋がる日だったのではないかと
いろいろ調べているうちに思うようになりました。

太陽が真東に昇り、真西に沈む、この時、
そこには、天と地を結ぶ光の道ができました。

また、仏教では彼岸のことを、
「煩悩を脱した悟りの境地」とします。

仏の世界と繋がる日。

それもまた、根源には、本来の神の姿があるのだと私は思います。

また彼岸は 「日願」だともいい、
月から太陽への以降の日でもあるのかなとふと思ったりもします。

だから、日本では、今もなお彼岸を特別な日としているような。。。

月の女神から、太陽の神への以降。
そして、かぐや姫は、彼岸あけの今日、中秋の名月に、月へと帰っていく。

もしかしたら、そこからかぐや姫の物語が生まれたのではないかと。。。。。

中秋の名月が、
他の満月と比べ、その輝きが増しているのも、
かぐや姫が月へと帰ったことに繋がるのではないかと、
今日の満月を見ながら思いました。

本来の女神を失った古代の人々は、
この中秋の名月を、どんな想いで見ていたのでしょうか。。。。。

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by ldc_nikki | 2012-09-30 23:55 | | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

9月ももう終わりですね。
つい最近まで、夏のような暑さが続いていたのに、彼岸の時期を迎え、
一揆に秋へと移り始めました。

夏から秋へ。
この季節の移り変わりを、昔の人々は特別な想いで迎えていたのではと思います。

大いなる女神によって与えられた、太陽の光、恵みの雨、豊かな土壌。
そのおかげで、私たちが食べるための食物が、一斉に実りを迎えます。
豊かな恵みのおかげで、私たちはこうして生きることができることに
本当に感謝です。

それでは今日のお話、
松山市に鎮座うされる 「天一神社」です。

今治市玉川町から松山市へと向かう国道317号線沿いに
この神社はあります。
道路からも見えるこの場所に鎮座する天一神社には、
姫の名前がずらりと並びます。

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
奈賀神(ながのかみ)
水波之女命(みずはのめのみこと)
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
速開都姫命(はやあきつひめのみこと)
天吉葛命(あめのよさづらのみこと)
少童命(わたつみのみこと)
比女神(ひめのかみ)


天之御中主神。
天地創造において、一番初めに現れた神。
全ての根源とも言えるこの神は、もちろん姫の本来の姿を現します。

奈賀神。
「なが」とは、「なーが」のこと。
インドの神話の中に起源があるこのナーガは、蛇の神。
仏教において、釈迦が悟りを開くときに守護したこの神の姿は
八大竜王としてもあらわされます。
釈迦が、悟りを開くために守護した神もまた、私は姫をさしているのだと思います。
釈迦も、この大いなる女神の存在にもちろん気づいていたと。。。

水波之女命
水の女神。伊邪那美神が、死ぬ直前に生んだとされるこの女神は、
瀬織津姫の代表的な、変えられた名前の女神です。

伊邪那岐命
これだけどうして、伊邪那美神でなかったのか少し疑問がありますが、
ある意味、ここに伊邪那岐命をもってきたことも、
姫の封印をあらわしているように思うのです。

速開都姫命
祓戸大神の人柱でもあるこの女神は、
姫の魂の一部でもあります。
祓戸大神は、四柱の神を合わせて一つともいいます。
岡山に、姫を祀る神社がありますが、
そこでも、姫と一緒に速開都姫命が祀られています。
祓戸大神という、人の穢れや汚れを祓うための女神として
つくられたこの女神もまた、姫の魂を色濃くもつ女神の一人です。

天吉葛命
日本書記において、伊邪那美神が死ぬ寸前に生んだとされる神の一柱。
この神もまた、岡山では瀬織津姫とともにまつられています・。
岡山県早滝比め神社では、瀬織津姫と速秋津比賣命、天吉葛命が
早瀧大明神として中世祀られていたといいます。
明治の神仏分離により、現在の祭神になったとされています。

少童命
漢字が違うと、全く違う神に見えがちですが、
これで、(わたつみのみこと)と読みます。
「わたつみのみこと」とは、豊玉彦でもあり、愛媛の大山祇神社の大山積命もまた
わたつみのかみと書かれています。
「わた」とは、海のことをいい、「み」は神霊をあらわすといいます。

比女神
八幡神社では、比売大神と言われる神が祀られます。
八幡大神でもなく、三女神でもない、比売大神。
この比売大神こそが、本来の女神の姿です。

松山市の奥道後から更に山奥へと入った、
小さな集落に鎮座される神社にも関わらず、ここは
伊予国正六位上、井河従五位下を授くと書かれています。

源寛王が祈雨をして霊験があり神領を奉献したと書かれてあるように
ここは、明治に入るまで雨乞いの祈願所でもありました。

それはここに祀られる女神が
水の女神だったことを物語っています。

まるで、多くの神々が祀られているように思えいますが、
本来は、女神だけ。
その女神の存在を隠すために、
女神の存在を持つ神々の名前をここに集めたのではないかと
思えます。

また、神社のすぐ下には、比叡山天台宗のお寺があります。

位置関係から考えると、
神供寺とも思えるこのお寺が、今も比叡山と深く繋がっていることも
姫の姿を見ずにはいられません。

*天一神社
松山市藤野町91

昔の面影が今も残る山間の町に、神社はあります。

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神社の下には、今も美しい川が流れています。
いつまでも、こんな風景が残っていきますよように。。。。

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by ldc_nikki | 2012-09-29 09:18 | 愛媛県松山市 | Trackback | Comments(0)

奥道後 竜姫伝説

こんばんは。

今日は、松山市に伝わる龍伝説のお話です。
松山市と言えば、道後温泉。しかし、道後温泉の東の山に、奥道後と言われる
温泉街があります。

ここも、オオクニヌシと少彦名の伝説が残っているところです。
道後温泉の源がどこにあるのかと探しに出かけたオオクニヌシと少彦名が
その源を見つけた場所、それがこの奥道後です。

この奥道後にあるホテルの敷地内に、
龍にまつわる不思議な伝説が残っています。

「湧ヶ淵」

ここで毎年8月23日に、「竜姫宮祀」が行われると言います。

それは、河野家の家臣だという、三好家に伝わる伝説が元となり、
大蛇の魂を鎮めるための慰める儀式だといいます。

8月23日と言えば、
ブログでも何度も触れてきました日にちであることに気付いた方もいらっしゃることでしょう。

和銅5年、神亀5年、大山祇神社の三島明神は、
この8月23日に、一斉に愛媛県中へと勧請されていました。

ここでも、そのキーワードとなる同じ日に、
この儀式が行われることも、とても興味深いです。

昔この湧ヶ淵には、雌雄の大蛇が棲みついていました。
大蛇は、多くの災いをもたらして人々を困らせていました。

そこで四国八十八か所でもある石手寺の僧が一人でこの淵に向かい、
石の剣で雄の大蛇の首を切り落として退治したといいます。

しかし生き残った雌の大蛇は生き残っていました。
雌の大蛇は夜な夜な美しい女の人に化けて、通行する者を誘い淵に引きずり込んでいました。

そこで湯山菊ヶ森城主・三好長門の長男である蔵人秀勝が鉄砲で、
雌の大蛇を撃ち殺してしまったと言います。

しかし、この雌の大蛇にはもう一つの伝説があり、
雌の大蛇は、人間の姿で三好家の下女となっていました。

三好家の下女となった大蛇は、夜になると、湧ヶ淵へこっそり出かけていました。
しかし夜な夜な出かけるところを怪しまれて殺されてしまったといいます。

この大蛇伝説は、三好家に代々伝えられてきたと言います。

今でも石手寺には、雄の大蛇を倒した時の石剣と大蛇の頭骨が残されているといい、
石手寺の宝物館で見ることができます。

この大蛇の伝説を読むと、やはり姫と繋がります。
三好家は河野家家臣。誰にも見つからないようにと、最初の大蛇が殺された後(姫が封印された後)
山の中、淵の影に隠し祀っていたのかもしれません。
しかし、とうとうここも見つかってしまった。
私には、そんな風に読み取れます。

8月23日が何を意味する日なのか、まだはっきりとしたことはわかりませんが、
ここでも8月23日に、儀式が行われるこの場所もまた、姫の封印に深く関わっている場所だと思います。
見つからないように、淵に隠すように祀られていた姫の姿が目に浮かぶかのようです。

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by ldc_nikki | 2012-09-25 23:44 | 愛媛県松山市 | Trackback | Comments(1)

こんにちは。

昨日は、116年ぶりの秋分の日でした。
それを知っているのと知らないとでは、なんだか同じ一日がまったく違う一日になるな。。。と
思った一日でした。

一昨日の夜、
突然思いついて、朝の苦手な私が、昨日は4時に起き
太陽が昇るその瞬間を大山祇神社で迎えたいと思い出かけました。

まだ真っ暗の中、しまなみ海道を渡り、大三島へ。
橋を渡るごとに、辺りが少しづつ明るくなり、丁度大山祇神社へついた時、
日の出の時間を迎えました。

朝6時前。
誰もいない境内は、いつもくる大山祇神社とは全く違う空気が流れていました。
少し冷たくなった空気が、身体の皮膚からも浸透していく。
そんな感覚さえもおぼえました。

太陽が地平線に現れただけで、こんなにも世界は明るくなるんだ。
明かりのなかった古代の人々は、
太陽の光がどんなにありがたかったことでしょう。
夜でも明るい今の人々には、想像もつかないほど太陽の偉大さを感じていたことでしょう。

人は明かりがあるだけで、安心する。
自由に明かりをともすことができなかった時代、人々は不便な生活をしていたかもしれませんが、
不便だからこそ、自然に生かされていることを感じることができたのかもしれません。

今日は、皆さんに、秋分の日の大山祇神社をお届けしたいと思います。

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誰ひとりいない境内。
見えるのは、樹齢2600年の大楠。
本殿と拝殿とこの大楠はまっすぐに伸びる光の道で繋がっています。

樹齢3000年、雨乞いの楠
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ここは、以前にお話した大山祇神社の周りを流れる祓川から流れてくる水でつくられた池。
ここで大蛇は、三つに切られたのです。

夜間は通ることができない、本殿の裏。
本殿の真裏には、木花咲耶姫を祀る社があります。
早朝、ここのドアがもう開けられていました。
境内の中でも、一番の神域とも言えるこの場所にこの時間行くことができるとは思ってもみなかったので、
ドキドキしながら向かいました。
古代からの楠群。 
その中に鎮座される木花咲耶姫

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友人たちとここへ来た時、カラスアゲハが、私たちを先導するように、この中へす~っと入っていったことを思い出します。 あの時は、このカラスアゲハが何を意味しているかわかりませんでした。

カラスアゲハは、姫を表す蝶でもありました。
この真っ黒い蝶の幼虫が、常世の虫だったのです。

楠群の中でもひときわ目をひく木。
まるで大蛇が木からのびてきているようです。

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神さまに奉納するための稲。
旧暦9月9日。ここで抜穂祭がおこなわれます。

今年は10月23日。早乙女の稲刈りと稲の聖霊と相撲を行う一人相撲。

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少し曇っていたので、今日は無理かなと思い帰ろうと思ったその時。
太陽の光が境内に降り注ぎました。

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急いで拝殿へと戻り、本殿と拝殿、そして楠を通るその光が一直線になるその瞬間を待ちました。

そしていよいよ、太陽は本殿の中心へ。
その光はまっすぐと、私の身体を通りぬけ、楠へと向かいました。

この瞬間をここで迎えることができて、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

(合掌)
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皆様のところにも、この光が届きますように。




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by ldc_nikki | 2012-09-23 17:45 | 愛媛県今治市(旧大三島町) | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今週に入って、急に愛媛も涼しくなってきました。

暑さ寒さも彼岸まで。
と昔から言われていますが、この時期になるとその言葉がいつも頭に浮かびます。
そして毎年、本当に昔の人が言う通りだねと。

時代は変わっても、ずっと受け継がれていく
昔の人の教え。
そんな教えも、最近なんだかあまり言われなくなってきたなと思う今日この頃。
この教えの中には、私たちが思っている以上の
ふか~い意味があります。

いつまでも、絶えることなく、伝え続けて行ってほしいなと思います。

「厚さ寒さも彼岸まで」

こんななんでもない言葉でも。。。。

今日のご紹介は、前回の続き朝倉です。
朝倉はもうずいぶん前になりますが、続けてお話したことがありますが、
この今治の中でも、古代の歴史を見るうえで、外せない場所です。
昔は、ここが中心的な場所だったとも思える伝承が数多く残されています。

今日ご紹介する神社も、
そんな歴史の秘密を知る上で、とっても大事な神社です。

以前もお話したように、朝倉は、斉明天皇のゆかりの地。
ともいえるほど、多くの伝説が残っています。
地名にも天皇に繋がる地名が多いことでも知られています。

昔は、朝倉へと流れる現在の頓田川がもっと入りくんでいたと言われ、
今ではそんな面影などありませんが、天然の良港としてとても開けた所でした。
しかし地元に残る歴史では、
天武天皇の時代におこった大きな地震で、この港が使えなくなり、
だんだんと中枢としての機能が果たせなくなり、衰えていったといいます。

しかし、私はそれだけが原因ではないと思っています。
以前にもお話した、朝倉のお寺にあったと言われる多数の仏像が、
どうして北条へと運ばれていったのか。
その理由も、姫の封印に関係があったのではと思っています。

一つ一つの神社の伝承を繋ぎ合わせ、
初めてその姿が見え始めてきました。

朝倉も、歴史とともに封印された場所だった。
それが、最近になってわかってきました。
それがどういう意味かは、まだここではお話できませんが、
今日ご紹介する神社は、その謎をとくためにもとても重要な神社です。

*八幡大神社
*今治市朝倉下甲74番地

現在の祭神は、
誉田別命(ほむだわけのみこと)

しかし、ここには八幡神社が勧請されるもっともっと前から、
神さまが祀られていました。

その神さまのことを、
「晏坂の神」といいます。

「晏」とは、安らか。という意味でもあり、
女性をなだめて落ち着かせるという意味もあるといいます。
ここが、「晏坂の神」と呼ばれていたのは、
封印された姫の姿をあらわしているような気がします。

このことばを見て少し思ったことが・・・・。
お彼岸に、神さまにお供えてすることからはじまった、
「ぼたもちやおはぎ」
これらにあんこを用いることも、この名前に繋がるような気がします。

斉明天皇7年5月、
歴史上、斉明天皇の最後を迎えるこの年、
一般的な歴史では、5月に九州の朝倉へついたということになっています。
しかし、この神社の伝承では、
同じ年の同じ月、斉明天皇は、この伊予の国の朝倉へときました。
そしてその時、
この神社に祀られる、「晏坂の神」に天下太平・五穀豊穣を祈願をされたと言われます。

その後、
キーワードの年でもある、

和銅5年8月に大三島宮を勧請して合祀し、
「真宮明神」と言われるようになりました。

その後、 貞観元年8月、宇佐より八幡宮を勧請して一社を建立されたといいます。

しかしこの時は、真宮明神と八幡神は、まだ別々の社殿でまつられていたようです。
そして文禄11年に両社合併して現在地に奉遷し、現在の形となりました。。

本来、ここは姫を祀っていたと思われます。
そして、斉明天皇は、大山祇神社でも、八幡神でなく
姫に参拝をしていたのです。
斉明天皇の由来は、ここだけではありません。
そして、斉明天皇7年1月6日
斉明天皇がある場所を出発して、九州に向かった。

その途中、1月9日に、
大伯海という海にいたり、大田皇女が皇女を産み、
大伯皇女と名付けたと言われます。

この皇女が生まれた場所も、
この伊予の国だったのです。

大伯海とは、この伊予の国側の瀬戸内海のある場所を指していたのです。

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今も、三島と八幡の二つの神紋を掲げています。

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明日は秋分の日。
太陽が真東からのぼり、真西に沈む日。

この日は、古代の人々にとって特別な意味を持つ日だったのだと思います。
そして今年 2012年は、116年ぶりの秋分の日でもあります。
普段は9月23日が秋分の日ですが、
今年は9月22日。

1世紀に一度起こるか起こらないかのとても貴重な日です。
古代の人は、もしかしたら正確にこのことをわかっていたかもしません。

メキシコのククルカンの神殿では、
年に二度、春分の日と秋分の日に、
天下る巨大なククルカンというトルテカの神の象徴である羽の生えた蛇の姿が現れるといいます。

古代、中国では、
春分の日に、龍が天へと上り、秋分の日に天から降りてきて
深い淵の中へと沈んでいくと考えられていたといいます。

どちらも、
年に二度。竜が天から地上へと降りてくる日。
だから、この日は古代の人々にとって、とても重要な日だったのでしょう。
姫である龍体が、太陽の道を通る日。
先祖の霊を祀る日になったのも、姫の魂への祈りだったのかもしれません。

太陽の道の中に現れる龍。
その龍神である女神に対する、信仰から始まったものなのかもしれません。



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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-09-21 22:55 | 愛媛県今治市(旧朝倉) | Trackback | Comments(4)

こんばんは。

今日のお話は、今治市朝倉にあるお寺、光蔵寺です。

この日は息子が早朝からカブトムシを取りに行くというので、玉川方面へ行ったのですが、まったく見つからずそのまま朝倉へ。

そしてなんとなく、何度も通った道を通っていると、息子が急にトイレに行きたいというので、
どこかないかな~と廻りを見渡すとお寺があるのを見つけました。

お寺なら、行かせてもらえるかなと思い行ってみました。
息子がトイレに行っている間に、お寺の縁起を読んでみると、ここは、越智家の氏寺だとされていたのです。

今まで全く知らなかった越智家の氏寺が、朝倉のこんな場所にあるなんて。。。。

朝倉は、これまで何度かご紹介したように、斉明天皇のゆかり地。
多くの斉明天皇の伝説が残っている場所です。

そしてそれと合わせて越智家の由来も多く、弥生時代から古墳時代にかけて
ここが、越智郡の陸地の中心だったのではないかと思っているところです。

医王山光蔵寺は、
朝倉の高き峰にあることから「高蔵寺 たかくらのてら」とされていました。

推古天皇年 (602年)
旅の薬生僧俊覚日羅上人が伊予国の
大領小千益躬を施療し平癒したことへの報恩により、本尊薬師如来像をお寺のある
水之上(みずのかみ)に安置し、領内に飢饉や旱魃・洪水のないよう領民の五穀豊穣・領内安泰を祈願、自らも延命地蔵王菩薩像を彫って小千氏の氏寺「高蔵寺」を建立したのが医王山光蔵寺の開基であるとされます。

このお寺の縁起を見ておわかりのとおり、
ここは、越智家の中で突然、世の中に名前をあらわしはじめた人でもある、あの鉄人伝説の

「小千益躬」に由来するとされます。

しかし、本来小千家は、神さまを祀る一族なので、こんなに早くお寺を建立するとは考えがたいのですが、
602年。大化の改新の少し前に、ここに建立されたというのです。

もしこれが本当なら、仏教が日本に入ってきて、物部氏が蘇我氏に滅ぼされた後、
神を祀る一族が住む場所にも、少しづつお寺も建てられるようになっていたのかもしれません。
しかし、その時はまだ、静かに浸透して行っていたというように思います。

その後、斉明天皇の時代にも、この朝倉にお寺が斉明天皇が名前をつけたというお寺があります。

しかし、このわずか数十年後に、斉明天皇が名前を付けたとされるお寺は、その姿を消してしまいます。
そしてそこに置かれてあった多くの仏像は、北条へと移されていったのです。
この理由は今でもはっきりとわかっておらず、朝倉町史は地震のためではないかといっています。

当初私も地震で全てが倒壊してしまい、人が住むことができなくなったのかと考えました。
でもなんなくしっくりこなかったのですが、この越智家の氏寺は、その地震があったとされる以降も
こうして、1400年の間ここにあり続けているのです。

やはり、これは地震が原因でななかったと思いました。

その理由もまた姫の封印に関係すると思います。

小千家の氏寺とされるこの光蔵寺は、
現在のお寺の前を流れる古寺川上流の古寺山(小寺山)に存し、
林内に点在する堂は七堂伽藍であったほど大きなお寺だったといいます。

冒頭の縁起には、ここを開基したのは、
「旅の薬生僧俊覚日羅上人」と書いていますが、もう一つの説があり、
この御本尊を掘ったのは、あの行基だとも言われます。

お寺の前を流れる古寺川は国府の田畑を潤す頓田川の上流で、
さらにその奥の古寺山の山中にある
磐座(いわくら)があり、古来より山ノ神としてお祀りされていたといいます。

しかしこの磐座は、水ノ神だったとも言われ、ここで雨乞いの神事が行われていたと言います。

地名も 「水の上(みずのかみ)」これは 「水の神」のことをあらわしているのではないでしょうか・

水の神から山の神へ。

まるで大山祇神社と一緒ですね。

また、水源の近くには古くから銅鉱石を産出する
金山(かなやま)があったといいます。

ここも当時の人々に必要不可欠だった、銅鉱石がとれる場所だったのです。
この山を 【金山」といいます。

だからか、ここにはもう一つ名前があり、

「金蔵寺 かなくらのてら」とも言います。

また、江戸期まで光蔵寺が水之上の氏神である飯成神社の
別当寺であったとも言います。

「飯成神社(いなりじんじゃ)」は、このお寺からすぐの所にあり、
現在は、宇加之魂神(うかのみたまのかみ) を祀ります。

稲荷は通常「稲荷」と書きますが、ここでは「飯が成る神社)と書いて「いなり」と読みます。

弘仁15年嵯峨天皇の詔勅を奉じて山城国稲荷山から当国へ十社を勧請した中の
1社だと言います。

そしてもう一つ、このお寺で気になることがあります。

それは、ここが奈良時代、華厳経学の道場となっていることです。

華厳経学は、今とても興味のある経典で、
釈迦が成道(じょうどう)した悟りの内容を表明した経典とされます。

華厳経学もとても奥が深く、
実在した釈迦族の王子が真理を発見して覚者となり、覚った真理を説いた内容となっています。

これを 「佛教」ともいいます。

この後アジアを中心にした多くの国に影響を与え、
独自の宗教が出来上がっていきます。

今日本に伝わってきている仏教も、強く影響を与えているとされますが、
その内容は日本に伝わると同時に大きく変えられてしまったともいいます。

 佛教は、釈迦が祖。

ユダヤ教・キリスト教・イスラム教などの経典宗教は、神が総てを創造したのに対して
佛教は釈尊が真理を発見した宗教です。

世界宗教の中で唯一、信仰や儀典への参加や忠誠心を強要しない宗教ともいえるといいます。

元々日本は自然に宿るものを神としていたので、
今のような仏像や、神像などをつくる風習はありませんでした。

しかし、この沸教が日本に入ってから、神像等をつくる礎となったともいいます。

この後の日本に強く影響を与えた、沸教。

しかし、この本来の教えもまた、神の入れ替えに利用され、
元の教えとは違うようになってしまいました。

華厳経学、これからの大きな鍵となる一つのような気がしています。

ここに由来する鉄人、小千益躬を見るためにも、
やはり朝倉は、もっとしっかり突き詰めていかなければいけないと思いました。

そして、同時に、
どうして中心だった朝倉が衰退し、他へ移っていったかも、
もう一度見直さなければいけないと思います。

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そしてこれが、飯成神社です。
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人はどれだけ緑を壊せば気が住むのでしょうか。
森に住む動物たちどんどんその住かがなくなっていく。

二年前、私が行った、あの美しい姫の滝。鳴滝もまた、
人の手によってその姿を変えてしまったと言います。

あの場所は、私にとって特に思い出深い場所でした。

姫の魂がしっかりと今も残る場所の一つでもありました。

まるでもののけ姫の世界のように、あの場所で私の目の前に現れた猪。
あの猪たちは、今もあの森でいきていてくれるでしょうか。

どうかこれ以上森を壊さないで。
これ以上森がなくなれば、私たち人間の身にも降りかかってくることを知っているのでしょうか。

人も自然も、動物たちも、みんなこの森のおかげで生きていくことができる。
それを、もう一度思い出してほしいと思います。

そのためにも、こうして伝えていかなくてはいけない。
そう思います。

2年前の鳴滝
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by ldc_nikki | 2012-09-17 02:47 | 愛媛県今治市(旧朝倉) | Trackback | Comments(2)

こころ

こんばんは。

今日は、今書き留めておきたいことがあります。

姫のことを調べたり、真実の歴史を見ようとしていると
いろんなことにひっかかることがあります。

どうして、こんなことをしたんだろう。

どうして、この神さまはここにいるんだろう。

どうして、神さまなのにこんなことをするんだろう。。。。

これは、私の勝手な想いかもしれません。

でも、私の頭の中に、今日こんな言葉が浮かんできました。

人はどうして戦いをするのでしょう。

それは、土地が欲しいからです。水が欲しいから、資源が欲しいからです。
自分が一番になりたいから、自分の思う世界がつくれないからです。
自分がだれよりも偉くなりたいから、自分が正しいと思うからです・・・・・・。

人はどうして怒りをおぼえるのでしょう。

それは、自分の思うとおりにならないから 
それは、愛する人が自分のものにならないから
それは、自分と違う意見をもつことが許せないから。

人は、どうして恐れをもつのでしょう。

それは、自分が誰かに攻撃されることがこわいから。
それは、目に見えない何かがやってくることがこわいから。
それは、未来が見えないから。
それは、大切なものを失うかもしれないから。
そして、いつか 死と向き合う日がくるから。

戦い、怒り、恐れ。 
これらの感情は、全て人の欲望から生まれる感情。

戦いの神、勝利の神、願いを叶えてくれる神。

神さまは人の欲望のために存在するのでしょうか。

神さまは、人の欲望と同じ欲望を持っているのでしょうか。

神と神が戦い、神が神を裁く。

人のこれらの欲望がなくても、これらの神は存在したのでしょうか。

神は人だけの存在ではないはずです。

地球上に住む多くの生命、木や花や食物、これらもまた神さまによって
与えれた命。

私の中の神さまは、無条件で私たちに命を与えてくださり、
太陽と月と地球というこの三つの関係をつくってくださり、地球という命をつくってくださった
全ての母、全ての命の源以外のなにものでもありません。

神さまは、戦いを望んでいません。
神さまは、怒りを望んでいません。

もし、ほんとうに人が戦いを望む心をなくすことができたら、
きっと、戦いの神はなくなる。。

私はそう思うのです。 

でも、人は弱い。
人は、人の心に負けてしまう時がある。

だから人は、その心をいやすため、安心させるために、神という存在が必要だったのかもしれません。

最初は人は神のおかげで、本当に救われると思うからこそ、
この世の中を少しでも安心して過ごすために必要だからと思うからこそ、
古代の人々は、神をそこに見たのかもしれません。

感謝することから始まった神の存在。
その時代には、戦いや争いはありませんでした。

戦いや争いが今も行われている今の世界。

永遠のテーマでもある、人の欲望。
これは仕方のないことなのかもしれません。

でも、できることなら、無くしたい争いや戦い。
私だけが思っていることかもしれませんが、
人間の欲望のためにつくりだされた、戦いや争いの神が本当はいないと
私は思っています。

醜い神も、悪い神も、土地を奪う神も。

この地球上に存在する全ての生命は、
みな同じように、神さまから頂いた命だということを知り、
人も自然も、動物も、全てが同じように生きることのできる地球に
していくことが、唯一感情と知恵を頂いた私たちに与えらえた使命ではないでしょうか。。。。。




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by ldc_nikki | 2012-09-13 22:50 | 日記 | Trackback | Comments(8)

滝宮の神

こんばんは。

今日は、香川県最後の神社のご紹介になります。

今回の香川の旅は、後で振り返ると姫一色と言っていいほど、
姫の跡がはっきりと残る場所ばかりでした。

最後に参拝した神社 香川県観音寺市 「滝宮神社」は、
神社の名前そのものが姫の滝神としての意味をあらわしている神社です。

神社が建てられているところには、滝はありません。
そこまで山奥でもありませんし、滝などどこにも見あたりません。

このように、
神社の名前が 「滝宮」 とされていて、いかにも滝と関係があるかのような名前でも、
周りのどこを見渡しても、滝が存在しない場所が多くあります。

だから、各神社によって、解釈もさまざまでそこの根源に存在する 「滝神」について
書かれている由緒は、見たことがありません。

それどころか、四国地方の「滝」という字が使われている神社のそのほとんどの祭神が

「スサノオ命」になっています。

「スサノオ」と「滝」 は、表面的にどう考えても結びつくものがありません。
にも関わらず、どうして 「滝宮」であり「滝神」とされるのか。

それは、スサノオの存在が、姫の一部だからです。

姫の荒い魂が、男の神の姿となり、スサノオという存在をつくりあげていると思われます。
そしてその奥には、更に深い意味も込められています。

そしてその姫の魂の一部である、「スサノオ」 牛頭天皇と習合されてしまったことも、
姫である魂の一部だからなのです。

それがどうしてそうなるのか、姫がどうしてスサノオになるのか、
更にそれがどうして牛頭天皇となり、祇園の神となり、八坂とも混合されていくのか。

もしかしたら今後今の私の考えと変わることもあるかもしれませんが、
その意味が先日、私の中で繋がりました。

今回は、そのことについては触れませんが、
いつか話せる時がきたら、お話させていただきたいと思っています。

そしてまだまだ、はっきりと決まったわけではありませんが、
私が今まで調べ続けてきたこと、また体験したこと、めぐり続けてきた神社のことを、
本にできたらいいなと思い始めています。

なぜか、最近毎日のように、誰かから、「本を書いてください」という言葉を頂きます。
本当にありがたくてありがたくて、そう言っていただけるだかでもとてもうれしい。

いつかそんなことができればいいなと思っていたので、
少し真剣に、本のことを考えてみようかと思っています。

少しでも多くの人にわかりやすく、
また神さまや神社のことに興味を持つ人が一人でも多くなるように、
そして、私がいつもブログで書いているように、
神社のこと、神さまのこと、歴史の真実を知っていく中で、
何か、一人一人の気づきに繋がることができるように。
もし本を書くのなら、そんな本にしたいと思っています。

そしてその本の中で、「まことの名」 にたどり着きたいと思います。

まことの名とは、本当の名前という意味でなく、本当の姿。
霧の中で見え隠れする姿ではなく、純粋で透明で、濁りのない、真っ白なその姿。

透き通った空気の中で、本来の姫に出会い、
本来の姫にたどり着くことで、本来の自分に出会う。
本来の人間の心に出会うために、本を書ければいいなと思います。

話が少しそれてしまいました。
では、今日の神社

滝宮神社です。

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門のところに
櫛石窓神(くしいわまどのかみ)、豊石窓神(とよいわまどのかみ)と書かれてあります。

この神々は、別名 

「天石門別神(あまのいわとわけのかみ)」と言います。

邇邇芸命が天より降臨してきた時、
三種の神器に沿えた神の人柱で、古来より天皇の宮殿の四方の門に祀られていた神でもあります。

以前広島宮島の厳島神社の時にも、この神について少しふれましたが、
最近、徳島にこの名前がつく神社が多いことがわかってきました。

例えば 「天石門別」「八倉比売神社」

この神社は、八倉比売の前にわざわざ、この神の名前でもある、

「天石門別」がついています。

他にも 「天石門別豊玉比売神社」
どうして徳島だけ、このように二つの神の名前が一緒になった名前になるのでしょう。

それが私自身不思議だったのですが、
なんとなくその訳がわかってきました。

「天の石門を別々にするための神」

この神にはそういう意味があったのではないでしょうか。

「天の石」とは、まるで、ご神体である磐、あの天が二つに割れた 天の香具山のようにです。

そしてその 「天の石門を別々にするための神」の意味は、

櫛石窓神(くしいわまどのかみ)、豊石窓神(とよいわまどのかみ)です。

片方は、「櫛」の中にその魂を封じ込められた神。
そしてもう片方は、「豊」 。豊玉姫や豊受大神の名前にも使われているように、
「豊」という文字に特別な意味があるような気がします。

「豊」は、別字で「豐」という意味も持ちます。
本来は別々の意味だったとされていますが、別々にされたことにもその根源の意味があると考えます。

まず、「豊」は、「豆(たかつき)」と言って、お供えをするために使われる台がついた坏(さかずき)を
意味会意文字を意味します。それはレイの音を持ち「醴」の原字だと言います。
「醴」とは「あまざけ」のことです。

あまざけは、白米の固めのかゆに米こうじをまぜ、発酵させてつくります。
元は、神事用につくられたものでした。

そして、「豐」
音符「丰(ホウ)」×2+「山」+「豆(たかつき)」の会意形声文字。「丰」は穀物の穂で、たかつきの上に収穫した穀物の穂を山盛りにした様。「峰」等と同系だと辞書に書かれてあります。

もう勘のいい方は、わかったかもしれません。
この「豊」という文字自体が、姫の力を得て、新たに誕生した 穀物の穂、更にその穂が
山もりになるようにという意味が込められていたのです。

甘酒は、その白い米を発行させてつくるように、
神さまに供えられるお酒は、一度腐らせ、腐らせたことによりできる新たな力を意味します。

白い米は、太陽と水の力によりできる新たな物質。
水の女神である姫と、太陽の神であるニギハヤヒとの
混合の力によって出来上がった、究極の白い食べ物。
二つの力を得て、人間に豊かさをもたらすものなのです。

穂=米がその力を受け取り出来上がるように、
人間もまた、その力だけを受け取ろうとした姫を封印した人々、
「豊」という文字は、姫の力だけを受け取り、
その力が二倍となるという思いが込められた文字だったのではないでしょうか。

だから、その力だけを受け継ぐ女神、
「豊玉姫、豊受大神」がつくられ、 
神功皇后は、その力を受け取るために、「トヨの港の宮」に滞在し、「トヨの姫」と呼ばれた。

豊受大神こそ、その究極の女神。
「豊(女神)の力)」だけを受け継ぎ、穂の女神にされた姿だったのではないでしょうか。

そして、この門に並ぶ、一つであり二つの神

「天石門別命」は、櫛に封印されて力だけを授けた神と、
その力を受け取った「豊」の神、その両方の意味を持つ神、
天が二つにわかられることとなった、根源の意味をあらわしていたのではないでしょうか。

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滝宮のその多くがスサノオ命に名前が変えられているにも関わらず、
スサノオの名前も祭神としてありますが、
ここは、瀬織津姫の名前を祭神として今も残してくださっている

滝宮の一つです。

神社の前は、綺麗な川が流れていました。

その川を上流へとさかのぼると、そこには、四国八十八か所
第66番札所 巨鼇山 千手院 雲辺寺がありました。

住所は徳島県になりますが、なぜかここが、
讃岐の打ち始めのお寺となっています。

それはお寺のある山から流れ落ちるその麓の滝宮の中に、
姫が祀られているからかもしれません。

この山、この川が、姫にとってとても意味のあるところだったのかもしれないと思います。

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by ldc_nikki | 2012-09-10 23:50 | 香川県 | Trackback | Comments(6)

池宮神社と黒嶋神社

こんばんは。

今日の神社は、香川県観音寺市の黒嶋神社です。
前回ご紹介した、大水上神社は、瀬織津姫を三島滝神としてまつる神社でした。

表向きでは、大山積神としながらも、
その神徳、そこにいる神さまの意味は、今も瀬織津姫の魂を残していました。

今日の神社黒嶋神社は、
今も瀬織津姫の名前を表に刻む神社です。

明治時代、黒嶋神社に合祀された池宮神社。
通常なら、合祀されてその名前が消えたり、また境内社として扱われたりしているところが
多い中、今もここは同格と言わんばかりの扱いで、池宮神社の名前を残し続けています。

入口に立てられた鳥居には、
二つの神社の名前が並ぶように掲げられており、境内に入ると、大きな石碑に、
はっきりと瀬織津姫の名前が刻まれています。

黒嶋神社の祭神は、
「闇山津見神」 

闇山津見神とは、イザナミが最後に生んだ「火之迦具土神」を、イザナギが切った後、
誕生された神の人柱です。

カグツチの血から八つの神が誕生し、
カグツチの死体からも八つの神が誕生しました。

闇山津見神は、カグツチの死体から誕生した神で、
その死体の場所は、迦具土神の性器(陰部)から誕生しました。

沖縄でいう「ホト」 から誕生した新たな神が、
「闇山津見神」

八つの山の神の中でも、特に姫との繋がり、女神との繋がりを感じることができます。

「ホト」から誕生したこの神は、
山の中でも谷を司る神でもありました。

「谷」もまた、女性のホト。
8の暗号によって、姫の魂の一部が一度死に、再度誕生した神ということなのだと思います。

元の女神と、新たな神とが一緒に祀られる 黒嶋神社。

ここは、姫がどのようにしてその姿を消されたかがよくわかる場所ですね。
本来ならば合祀され、黒嶋神社の影に隠れてしまうはずだったのに、
こうして残してくれた姿を見ていると、氏子の方々の姫に対する深い思いを感じます。

大水上神社でも、黒い蝶が飛んできましたが、
ここ黒嶋神社でも、境内に入る前に、どこからともなく飛んできました。

姫がここにいることを知らせてくれるかのように。。。

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本殿にもちゃんと、黒嶋神社と池宮神社が並んで掲げられていました。
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石碑に刻まれた 瀬織津姫の文字。
神社でこうして姫の名前を見ることができる場所はほんのわずかしかありません。
残してくださってありがとう。。。。

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by ldc_nikki | 2012-09-08 20:29 | 香川県 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今日は、誕生日。
姫のことを知って、初めて大浜八幡神社に行ってからちょうど3年。
4年目がスタートしました。

3年前の誕生日を境に、神社の世界へまっしぐら。
気づけば、神社一色の日々になっていました。

それまでは、自分探しをするために、いろんなセミナーに通ったり、本を読んだり、
いろんなことを始めようとしたりしていました。
何年もそんなことを続けていたけれど、一向に見つからなかった。
でも、ほんとは一生懸命探そうとしなくても、心のままに進めばよかったんだとやっとわかったのも
神社に行き始めてから。

もし私と同じように悩んでいる人がいたら、まずは悩むのをやめることかも。
純粋に、気になることに耳を傾け、目を向け、足を運ぶ。
それを続けていくと、その先に、本当に自分に必要なことが待っているのだと思います。

また今日から新たな1年のスタート。
この世に生まれた奇跡の日。この世に誕生できたことに感謝して、
また少しづつ前に進んでいきたいと思います。

まだまだ未熟な私ですが、まだまだ、何もかもが途中の私ですが、
これかもどうぞよろしくお願いいたします。

では、今日のお話です。
今日は前回の続き、大水上神社。

3年目の誕生日の日に、三島明神としての姫の姿が残るたった一つの場所をご紹介できるのもご縁かなと思っています。

香川県三豊市。 大水上神社は前回もお話したように、
大山祇神社の三島明神が、三島瀧神として祀られているという跡が残る、とても大事な神社です。

拝殿の右上には、
古代の祭祀遺跡の磐座があります。ここは、現在 
「千五百皇子社」とされ、伊耶那岐命、伊耶那美命を祀ります。

この「千五百皇子社」という名前は、古事記に由来します。

伊耶那岐命が黄泉の国で変り果てた伊耶那美命の姿を見て逃げ帰った時、
黄泉国と地上との境で「黄泉比良坂(よもつひらさか)」を大岩で塞ぎました。

その時に岩を挟んで、伊耶那美命は言いました。

「お前の国の人間を一日千人殺してやる」と。

すると今度は伊耶那岐命が、
「それならば私は、一日千五百の産屋を建てよう」と言いました。

この時、伊邪那岐命が言ったことばこの 一日「千人五百」ということばが
この磐座の名前となっています。

この磐を挟んでその会話が行われたことと、この神社が三島滝神(瀬織津姫)から
大山積神へと変えられたことを伝えるかのように私には思えます。

現在この磐座は、子授けの神として信仰されているのですが、
この名前とこの信仰とがちぐはぐだと思えるのは私だけでしょうか。

前回紹介した 津嶋神社も子供の守り神としてスサノオ命が祀られていましたが、
ここも同じように、本来は姫を祀っていたと思える信仰が伝えられています。

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そして、この磐座の下を流れる川に、三島瀧神は祀られています。

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この場所を 滝の宮神社 「鰻淵の神」と言います。

現在の祭神は、
「滝田比古命・滝田比売命」 

しかし、三島瀧神と称されていました。
雨の神として信仰が篤く、古代からの祈雨神祭遺跡で白鰻、黒鰻のつたえあり。

昔から旱ばつ時、参籠潔齋の上、淵の水を桶でかいだす神事が行われた。
黒白の鰻がすみ、黒鰻が姿を見せると雨。白鰻がでれば日照りが続き、蟹が出ると、
大風が吹くといわれているとされています。

ここは、うなぎ淵またの名を(竜王淵)というように、
龍は時代とともに、鰻にも変化していきました。
各地に残る鰻の伝承も、本来は龍であったところが多いのです。
皆さんの町にもし鰻の伝承があったらぜひ、その意味をよ~く考えてみてください。

きっと、そこにも龍の跡が見えるはずです。

黒と白の鰻に現されたのも、きっと意味があるのだと思います。

雨を降らす鰻は 「黒い鰻」 これは、本来「白」で表現される姫神の 黒の姿。
ここにも古代の人々の、独特の思想が見える気がします。

この伝承からもわかるように、ここに住む 「竜」は 「三島瀧神」

三島滝神とは、三島明神の本来の姿である 「滝神」のことを意味しています。
そしてそれは、瀬織津姫∴大山積神 と書かれてあったように、 

「瀬織津姫」 のことを意味していると思います。

徳島では、三島明神が 「事代主命」 だとされていますが、
三島明神とは、小千家の神でありその他の何物でもありません。

河野家、越智家(小千家)が、大山積神を祀りながら、大山積神と言わず、

「三島明神」 というわけは、(三)島の神は、大山積神であるということを認めていなかったからだと思うのです。そして、その三島明神とは、 「三島瀧神」 水の神、 瀬織津姫だということを裏に含んだ意味だったのです。

それを伝える場所、それがこの大水上神社の鰻淵に鎮座する

「滝の宮神社」 です。

四国には、「滝」がつく名前の神社が沢山ありますが、
そのほとんどが、スサノオ命を祀ります。

でも、それらも全て、本来はスサノオ命の裏に隠された姫のことをあらわしていると私は思います。

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そしてその奥には、二つの石が重なるように磐座があります。

「夫婦岩」
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また、この神社には空海も訪れています。

そしてここで詠んだとされる歌が、石碑に刻まれています。

最初神社を一回りして、探してみたのですがこの石碑が見つからず諦めて帰ろうと車へ戻りました。
そして車に乗り、神社を出発しようとしたその時、
境内から、宮司さんが出てこられたのです。

急いで車を降りて空海の詠んだ歌がどこに書かれてあるか聞いてみました。
すると、あの鰻淵より更に奥に行った所にあると教えてくれました。
私は急いでもう一度境内に入り、石碑を言われたとおり鰻淵より更に奥に進んでみると
そこに、空海の詠んだあの歌がありました。

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往来は心安かれ空の海
  水上清きわれは竜神

これは空海が詠んだ歌ですが、その内容は、まるで、
三島滝神である姫が詠んだ歌。空海が姫になり変わり詠んだ歌ではないでしょうか。

水上神社に祀られる私は、清き龍神。
瀬織津姫なのだと言っているのではないでしょうか。

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by ldc_nikki | 2012-09-05 23:43 | 香川県 | Trackback | Comments(10)

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。