こんばんは。

今年は桜が咲くのがとても早かったですね。
今日は全国的に荒模様で桜の花が散ってしまったところも多いのではないでしょうか。

一年のうちのわずか数週間だけ美しい花を咲かせる桜。
春の訪れを告げ、春の訪れとともに散ってゆく。

なんだか少し寂しい気持ちにもなりますが、
時は、こうしてどんどん流れていく、季節も日々変わりゆく。
子供の時は、時の流れなんてこと考えたこともありませんでしたが、
年を重ねるごとに、時の流れを強く強く感じるようになりました。

そして、「時間」がとても大切に思えてきました。
人間も含め、命あるものには全て限りがある。
与えられた時間をどう使うか、また誰のために、何のために使うかは、人それぞれですが、
せっかく頂いた命、せっかく頂いた時間、
私は、何かのため、誰かのために使いたいと思うようになりました。
これも、神社に出会い、女神に出会ったおかげです。

今日、四国八十八か所栄福寺の住職さんが、
とても素敵な方をご紹介くださいました。

森田真生さんという方で、数学と自然、数学と言葉、
数学の研究者なのですが、そこから見つめようとしているものは、単に私たちが考える数学でなく、
その奥に秘められたまるで、古代の人々が数学から光をよみ、神を感じたのと同じような感覚がそこにあります。

そして、数学を通して見つめようとしているものは、
失われた片方。
命の源より生まれた私たちが、忘れてしまった存在です。

私には、見る角度は違っていても、見ようとしているものが同じではないかと思えました。
数年前、私が初めて女神のことを知った時、まだまだ世の中の大半は、外にばかり目を向け、また、欲望を満たすことだけに目を向けていました。

人間中心に物事を考え、他のものと自分との繋がりを深く考えようとはしませんでした。
でも、ここ数年でそれは変わってきました。

多くの人が自分を見つめるようになり、今を見つめるようになり、自然を見つめるようになり、
自分以外のものとの繋がりを考えるようになりました。

全ては繋がっている。
今ある命も、過去の命も、未来の命も、命あるものは、全て繋がっている、
そしてそれは本来一つだった。

女神が、西の阿弥陀如来にされたことは、
極楽浄土という、本来の命の根源にいる女神の場所にいることを意味する。
私たちは、生まれた場所へ帰って行き、また、
東の空から新たな命となって生まれてくると思っていたからなのだと私は思うのです。

死の女神だとされたことも、
本来は、生も死も一つなのに、別々にされてしまったからなのだと思います。

生と死を別々のものとして考えるようにしてしまったこと、
それは命を忘れ繁栄だけに目を向けてしまったこと同じ意味をもちます。

死の女神も、荒ぶる神も、鬼も、
それは人がつくった形。 人間の都合でつくった形だということを理解できるように伝えるために、もっともっと勉強をしていきたいと思います。

旧東予市。

今治市朝倉町から東に山を越えた旧東予市にも、飛鳥時代の跡があります。

舒明天皇。
天智天皇の父であり、斉明天皇の夫でもある舒明天皇の足跡はなぜか、
この地、旧東予市に残ります。

縄文時代から人が住んでいたと伝わるこの今治市との境目の山の麓に、
舒明天皇にの勅願によって建てられたと伝わる古いお寺があります。

「聖帝山実報寺」

640年、舒明天皇12年、天皇の勅願にとより建立されたと伝わるこのお寺を開いたのは、
恵隠法師という僧でした。

恵隠法師は、近江国滋賀郡(滋賀県)の漢人で、あの小野妹子に従って僧旻、南淵請安らと共に遣隋使として中国の隋へ渡り、31年間にわたり留学し、舒明天皇11年(西暦639年)9月に日本にかえってきたと伝わります。

『阿弥陀経』を称えて念仏を唱える僧で、
藤原鎌足との縁も深く、恵隠法師のために寺院を建立ました。

そのお寺が、大阪府茨木市の北部にある
「大念寺(だいねんじ)」です。
藤原鎌足公が自身の別荘地「摂津国三島の別邸」に日本ではじめて阿弥陀仏を説くお経を講説した学問僧、恵隠法師を迎えて建てられたお寺がはじまりだと書かれてあります。

藤原鎌足の別荘地は、摂津国三島。
舒明天皇の一つ前、
推古天皇の時代に、摂津国三島からやってきた、大山積神。
そしてそこに迎え入れられた、恵隠法師。

その恵隠法師が、この朝倉の隣の地へ、お寺を建立する。
少しづつ少しづつ、その手が伸びてきているのがわかります。

ここは舒明天皇の勅願によりとされますが、
本当にそうだったのかと疑問が残ります。

実報寺は、その後、685年、天武天皇の時代に火災にあい全てを焼かれてしまいます。
この時、火災により灰になったとされるこの伝説は、もしかしたら戦いだったのかもしれません。

その後、しばらくお寺はありませんでした。
そして今度は、723年、あの行基菩薩が、地蔵菩薩を刻み精舎を造営。

姫の封印の地には、この行基菩薩もよく登場します。
更に、この後、空海もここを訪れ、真金の五鈷杵等数十個の宝物ものを備えたといいます。

聖徳太子、藤原鎌足、天武天皇、行基菩薩、空海。
全て一つの意味に繋がります。

推古天皇の時代から、天武天皇の時代にかけて、
激動の渦の中に巻き込まれた地の一つだと私には見えます。
過去の因縁をとくとされる地蔵菩薩を行基が刻んだことも、それを物語っています。

境内には、江戸彼岸桜があり、
今もなお、その因縁を祓うかのように春になると美しい花を咲かせます。

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by ldc_nikki | 2013-04-07 03:03 | 愛媛県西条市(旧東予市) | Trackback | Comments(4)

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。
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