大浜八幡神社の元旦

こんばんは。
お正月も終わりお仕事が始まった方も多いことと思います。

私も明日から仕事がスタートです。

皆さんはお正月どんな風にお過ごしでしたでしょうか?
私は、大晦日から元旦にかけて
いつものように大浜八幡神社へ初詣。

でも、今年は、
大浜八幡神社へ行く前に、
今治市最古のお寺 

「石中寺」へ行ってきました。

石中寺は、昔、今治市中寺というところにあり、
中寺の地名になったお寺でもあります。

このお寺は、役行者とも関係が深く、
役行者が石鎚山を開山する前にいたとされる所で、
ここから石鎚山へと出発したとされています。
このお寺の僧侶とともに。

石鎚山は、役行者によって
「石鎚蔵王大権現」を出現させ、開かれたとされています。
その時開かれたお寺を、
天川寺と言います。

まるで、奈良県の天河大弁財天と同じように、
役行者は石鎚山を仰ぐ場所にお寺を建立しました。

石中寺は、もうなくなってしまっているとばかり思っていたのですが、
昨年、仕事の途中に偶然見つけた
「神変大菩薩」の旗。

その旗に導かれるように、旗の建てられている所を辿っていくと
そこに石中寺がありました。

お祭の前で旗を出していたらしく
普段何度も通っている道から少し入った所、
しかも、大浜八幡神社のすぐ上にあるなんて、
まったく知らなくて、
本当に驚きました。

二度目に訪れた時、
住職さんともお話ができ、お弟子さんたちとも仲よくなり、
今回大浜八幡神社へ行く前に、
どうしても行かないといけないという気持ちになり、お寺へ行きました。

大晦日なのに、
お弟子さん以外だれもいなく、
静かな本堂の中で、2013年最後のお努めをされているところでした。

以前は役行者に対してあまりいい感情はなかった私なのですが、
このお寺に行き始めてからほんの少しづつ
その気持ちが変わりつつあり、
なんだか最近は、とても近い存在に思えてきました。

不思議ですね。

お寺で2014年を迎え、
大浜八幡神社へ。

いつものように
瀬織津姫の社へと向かい新年のご挨拶をすませ、
杵築神社のオオクニヌシにご挨拶をし
小千命の銅像へ、ご挨拶をし、
本殿へ。

いつもは静かな境内が、沢山の人で賑わい、
本殿の中では宮司さんがご祈祷を行い、
境内では、氏子のみなさんが御餅つきをし、
参拝者の方へ、お餅をお配りしていました。

私も参拝が終わってから、
御餅つきをさせていただき、
お餅を丸めるお手伝いのを一緒にさせていただき
無事、お正月を迎えることができました。

この神社へ行き始めてから
私の人生は大きく変わり、
今の私があります。

原点を忘れることなく、
常に最初の気持ちを胸にとめ、
今自分がやるべきことを、ただ一心にやり続ける。

ここへ時々こうしてくる度に、
その気持ちを自分で確認しているような気がします。

瀬織津姫、大国主、小千命、饒速日命。

私の調べる歴史に、大きく深く関係する
4柱の神さま。

ここからのスタートだったからこそ見えること、
ここが原点だからこそわかる歴史。

大浜八幡神社と出会えたことに
心から感謝。

今年も、ここからスタートします。

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by ldc_nikki | 2014-01-07 01:35 | 愛媛県今治市 | Trackback | Comments(5)

新年あけましておめでとうございます。

2014年がスタート!
皆さま、お正月いかがお過ごしでしょうか。

お正月早々、沢山書きたいことはあるのですが、
今日は一人で映画 「かぐや姫の物語」を見てきたので、
その感想を書きたいと思います。

 「いまは昔、竹取の翁(おきな)といふもの有りけり」

で始まる竹取物語は、平安時代に書かれた伝説の物語。
この物語について、いろいろな解釈がされていますが、
私自身はまだ、はっきりとこの物語が意図したこと、この物語で作者が伝えようとしたその意味が
はっきりつかめていません。

そんなこともあり、
今回のこのかぐや姫の物語は、とても興味深いものでした。

でも当初、「かぐや姫の罪と罰」ということだけがクローズアップされ、
正直少し私の考えと違うかも?という思いがあり、見るのをそんなに急いでいませんでした。

でも、今日なんとなくかぐや姫の物語を見た人のレビューを読んでいて、
一人だけ他の人と違うものを、この中から読み取った人がいました。
その人の感想を見て、すぐに見ないといけないと思い立ち、
今日、一人見に行くことにしました。

もうご存知の方も多いと思いますが、
この物語は、実在の人物にある程度あてはめることができ、
飛鳥から奈良へと移行するその時期のことを
あらわした物語だと言われています。

 「いまは昔、竹取の翁(おきな)といふもの有りけり」

の竹取の翁とは、忌部氏の一族だと考えられていることも
もうご存知のところです。

そして、五人の貴公子は、
・中納言いそのかみのまろたり・・・中納言・石上麻呂(六四〇~七一七)
・大納言大伴のみゆき=大納言・大伴御行(?~七〇一)
・右大臣あべのみむらじ=右大臣・阿倍御主人(?~七〇三)
・くらもちの皇子=藤原不比等(六五九~七二〇)

そして、御門。
かぐや姫という名前をつけた人物は、忌部氏だとされます。
ということから、忌部氏側の人物が書いたものだという解釈もありますが、
私はそうではないかもしれないとも思います。

忌部氏は、必死で御門に詰め寄ろうとしましたが、
結局その座を、藤原に奪われてしまいます。
もし忌部氏側からの目線で書かれたものなら、
こういう内容にはならなかったのではないかと思うからです。

それよりも、忌部氏のした役割みたいなものが、
ここにあらわされているのではないかと思うのです。

実はかぐや姫ととても似ているお話があります。
かぐや姫は育てる相手が、姫ですが、
もう一つのお話は、男の子。

しかしどちらも忌部氏が深く関わっていたと思われる物語です。

私は、誰の目線で書いたということを断定するよりも、
かぐや姫の物語の中で作者が、伝えようとしたこと、言いたかったことは
何だったのか?
ということにとても興味がありました。

だから、今回の映画も同じ、
高畑監督が、この映画を通じて何を伝えようとしたのか。
それがとても気になるところでした。

人それぞれ伝わり方が違うと思いますが、
今日は私がこの映画を通じて受け取ったメッセージを
お話したいと思います。

まず思ったことは、
高畑監督という方は、やっぱりすごい方だということです。
かぐや姫が、何をさしているのか、誰か一人を特定することは別として、
かぐや姫が意味するものは何だったのか。
それをまるでわかっているかのような描き方に、
思わず鳥肌がたつほどでした。

映像のあちらこちらに、絶妙のタイミングであらわされるキーワードとなるもの。

何より驚いたことは、
まるでその姿を重ねあわせているかのように、
五人の貴公子がかぐや姫の前に座った時、
突然現れたもの。

わずかな演出とも言える映像の一コマですが、
私はこのシーンをみた瞬間鳥肌がたつほどでした。

他にも、竹はもちろんですが、桜、織機を使うその場面も、
なんとも言えないタイミングであらわされる。
もう私は、言葉が出ないほどの衝撃でした。

そして、何より今回の映画で、
私が一番感じたことは、
この映画の中に、女神がどうしてこの世から姿を消さなくてはいけなかったのか、
どうして、裏の世界、夜の世界(黄泉の世界)、浄土の世界へと
追いやられなくてはいけなかったその本質を伝えようとしていることでした。

今昔物語の中で作者が書いた竹取物語の意図が、
本当はどうだったかということは書いた人でなければ100%正しいとは
言えないかもしれません。

でも、高畑監督さんが、
竹取物語の中にこれを感じ取っていたのであれば、
それは本当にすごいことだと思います。

宮崎駿さんが、千と千尋の物語の中で、
千尋のお父さんとお母さんを豚にしてしまったことは今の世の中、
しかし、竹取物語の中の父さまとかかさまを
高畑監督は、父さまだけにその意味をかぶせていました。

その違いはとても大きい。

「まるで獣や動物と同じ」

そう言ったかぐや姫の言葉。

高価なものを得ること、贅沢なものを食べること、大きなお屋敷に住むこと、
地位を得ること。。。。
それらを追いかける、まるで獣と同じ。

父さまは自分の地位のために、姫を御門へと嫁がせようとする。
五人の貴公子たちは、高価なものをあげることで心を動かされると思う。

お金を持ち、地位があり、位の高いところへ嫁にいくことが
女の幸せだと勝手に思い込む。

男たちが一番だと思うものは、お金であり地位。
そのためなら相手を殺してでも、戦ってでも得ようとする。

しかし、それをかたくなに拒み続けた姫。
そんなものに心を奪われることもなく。
そして、月へと帰って行った。
誰のものにもなることなく。。。。。

あの時代、何が間違っていたのか。
何をしようとしたのか。
どうして姫は消されてしまったのか、
その意味もまた、この物語の中に高畑監督が見たものと
重なるのです。

そして、私がこの映画を見て一つ気づいたことが、
これまでは、かぐや姫という存在は、
実在する人物ではないと思っていたのですが、
もしかしたら、かぐや姫にあてられた人物がいたかもしれないということ。

そして 「月に帰った」 その意味は、
その人物の持つ意味でもある。

ただ勘違いしないで欲しいのが、
瀬織津姫という女神の存在がその人物だというのではなく、
その意味を持つということです。

その意味を持つとはどういうことかというのは、
ここではまだお話することができません。

よく瀬織津姫の生まれ変わりとか、
瀬織津姫をある特定の人物にあてはめたりしますが、
瀬織津姫という存在は、
誰か一人にあてはめることができるのではないということは
書いておきたいと思います。

あの時代起こった歴史を、現実と空想(考え方を元にして)を
入り交えながら、その根源となるかぐや姫の意味を
しっかりと組み込みながら書かれたもの

それが、 「竹取物語」 なのかもしれません。

平安時代までは、語り継がれていた歴史の真実。
その真実、歴史が動いた意味、人の心の変化、欲望、
それらを伝えようとしたもの

それが 「竹取物語」 なのだと。

この映画が2013年~2014年にかけて公開されることも
偶然ではないように私には思えます。

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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2014-01-03 01:53 | 日記 | Trackback | Comments(10)

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