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こんばんは。

今日は、久しぶりに愛媛のお話をさせていただきたいと思います。

実は、もう7月から止まったままで随分たまってしまいました。
最近とても忙しく、なかなか更新できませんが、どうかお許しくださいませ。


今日ご紹介する場所は、
久万高原町の八釜の甌穴群です。

久万高原町から四国カルストへ行く途中の道から、30分ほど川へと降りたところにあります。

この日は、夏ならではのお天気で、
久万高原町へついた時は、ゲリラ豪雨。 
一度は、行くをあきらめたのですが、やっぱりもしかしたら、着いたらやむかもしれないと思い、
向かうことに。

すると不思議に、八釜へと近づくにつれて
雨は小降りになり、ちょうどその入口へとたどり着いた時には、
すっかり雨があがっていました。

地面はきっとすべって危ないだろうけど、
ここまで来たら引き返すわけにはいかないと思い、向かうことに。

細い山道を、ひらすら川へと下っていきます。
半分くらい来た時でした。
また、雨が降り始めました。
そのうち雷が鳴り始め、雨が強くなってきました。
笠ももたずに行っていたので、もうずぶ濡れ。

でも、やはりここまで来たら、引き返すわけにもいかず、
雨が降り、神鳴りがピカピカ光る中を、ずぶ濡れになりながら、
ひたすら、姫の釜へ。

雨が降っていたせいか、思った以上に時間がかかりましたが、
やっと川が見えてきました。
誰もいない、透き通る川。

そしてしばらく行くと、伝説が残る八釜にたどり着きました。

川床に生じた大小様々な釜状の甌穴。
ここには、一帯には30数個の甌穴があります。
そして、その中でも、主流に繋がる八つの甌穴が釜の形に似ているところからこの名が生まれたといいます。

最大のものは直径9~12m。
今にもその甌穴の中から、龍が顔を出しそうでした。

というもの、ここには、龍の伝説が残っているのです。

「八釜伝説」

昔むかし、大野ヶ原(四国カルスト)の小松ヶ池に龍が住んでいました。
この小松ヶ池とは、現在大野ヶ原にある龍神社の境内にある池のことで、以前、ご紹介したところです。

この龍が何時しか八釜に住むようになりました。

八釜に住む龍はことのほか金気を嫌っておりました。
もし釜の中に金気を投げ込めば、空は俄かに掻き曇り、山鳴りが起こり、大雨が降るといいます。
それは釜から金気が流れ出すまで続く。

だから降雨祈願の折には、これを逆手にとって、
金物を縄で縛って釜の中に放り込むと伝わります。

ここには、あの四国カルストに住む龍が、いつしか住んでいたというのです。

この川を下ると龍宮橋がかけられ、久万高原町にも龍宮トンネルがあります。

この辺り一帯は、龍の棲む川だったのです。

そして、龍がどうして金気を嫌うのか。
その意味が、金毘羅さんに繋がるのでは・・・・・・・・・。

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上からここをのぞいていると吸い込まれてしまいそうです。
この釜の中に、龍は入れられてしまったのでしょうか。。。。

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先日の日曜日、
写真展の会場でハプニングがあり、再度行ってきました。

すると入れ違いで、会場に来てくださった方がいらっしゃいました。
わざわざお越しくださいまして、本当にありがとうございました。

いつか、もっとたくさん展示できるように、これからも続けていきたいと思っています。
どうか末永くよろしくお願いいたします。





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by ldc_nikki | 2012-11-06 22:38 | 愛媛県久万高原町 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日は、先日の続き久万高原町の神社です。
先日ご紹介した神社は、越智家の祖 「小千玉興」が勧請した神社でしたが、
今日のご紹介する神社も、小千玉興ゆかりの神社です。

久万高原町は、縄文草創期から1万年近く住んでいたと伝わる

「上黒岩岩陰遺跡という、複合遺跡」が見つかっていることでも有名です。

また、今から1万4000年前のものと言われる

長い髪・大きな乳房・こしみの・かすかにわかる 「逆三角形」 を、
鋭い石器などで小さい緑泥片岩に描いてある

女神像が出土しています。

これは、日本で最古の女神像と言われ、
更に、このような女神像は日本で初めて出土されたものだとも言われています。

更に、この女神像が出土しているのは、
日本のこの久万高原町以外に、

「南ヨーロッパ」で
類似のものが見つかっているだけだそうです。

南ヨーロッパと日本だけでしか見つかっていない

「女神像」

1万4000年前、縄文草創期、
現在の瀬戸内海という海はまだ存在していませんでした。

瀬戸内海は、
火山活動によって形成された土地で、そこは広い広い草原が広がっていました。
石鎚山から流れてくる豊富な水が川となり、
そこには人々が生活をしていました。

しかし、約1万年前から気温はだんだんと上昇し、
6000千年前までに、現在のような海が出来上がったといいます。

そんな、季節変動の激しい縄文時代、約1万年にもわたり人々が生活をしていた、
久万高原町の洞窟。

そして、ここで暮らしていた人々は、女神を信仰する
南ヨーロッパと共通する民族でした。

約1万年前までは、瀬戸内海だけでなく、日本海も陸地で、
現在の朝鮮半島と日本の間には川が存在していただけだと言われます。
その時代はここ日本も大陸の一部。
大きな大陸の東の端だったのです。

南ヨーロッパと言えば、あの地中海に浮かぶ島、

「母神信仰の島 マルタ島」

このマルタ島の遺跡からは多くの女神信仰の跡があります。

ここから出土した女神をかたどるものは、
とりわけ逆三角形の形をしていたそうで、

「三角形の女神」とよばれています。

顔や手、それに足も尻も、全て逆三角形になっているといいます。

久万高原町で見つかった女神像も、

「逆三角形」

この二つの場所から出土した女神の形は、
ともに逆三角形だったのです。

これだけで、二つの場所が繋がる民族だというこを断言できませんが、
少なくとも、どちらも女神信仰、そしてその女神の姿を

「三角形」 と結び付けていたということだけは、
はっきりしているのではないかと思うのです。

しかも、ここ久万高原町の遺跡の方がはるかに古い。

大陸の東の果てに暮らしていた人々と、南ヨーロッパという、
瀬戸内海とほぼ同じ気候の土地で暮らしていた人々は、もしかしたら
同じ女神を信仰していた民族かもしれないと思うのです。

そして 「マルタ島」に、フェニキア人、そして
ギリシア人やローマ人が上陸し、
女神信仰の巨石は破壊され、打ち棄てられていったのです。

子宮は壊され、
男たちにより破壊と争いが始まったのです。

それと同じことが、
この日本でも行われ始めたのが、弥生時代から古墳時代にかけてです。

それの最終結末が、
今から1300年前、古事記により終焉されたのです。

高知県足摺岬にあった、世界規模のストーンヘンジ。
今は、駐車場になってしまってわずかしかその姿を残していませんが、
それも、女神信仰の人々がこの大陸の東の果てに、
残した一つの遺跡だったのではないかと私は思っています。

久万高原町が空海の中でも特別な場所とされたのも、
女神の跡が多く残ることも、
今から1万4000年前という、太古の昔より、
女神を信仰する人たちが暮らしていた場所、すなわち、
女神信仰の民族が存在していたことに、繋がるのではないかと思います。

そして、瀬戸内海も同じ。

海の中に沈んで行った古代の人々が暮らした村。
今もその古代遺跡は、海の中に眠ったまま。

今でも時々漁師の網にかかるという、
マンモスの骨や、石器。
人々は、海の中から時々引き上げられる人々の暮らしの跡を見、
この下に、もう一つの世界があると思ったのかもしれません。

皆さんもちょっとだけ、目をつぶって想像してみてください。

激しい渦に、囲まれた島々、
太古の人々が暮らした海の底の村。
そこらじゅうで温泉の煙が立ちのぼる。

山と海がせめぎ合うようにあり、
その海岸線は、白い砂浜が続いている。

温暖で、豊富な食物がとれ、豊な水に恵まれ、
美味しい魚、貝、海草、
そして不老不死の食べ物 「橘(みかん)」が
育つ伊予の国。

大きな大陸の東の果て。
それが四国。

そして最後まで女神を守り続けた

「小千(乎致)命=命の源の女神を祀る命」

がいた母神信仰の伊予の国があった。

それが、愛媛が 「愛比売(えひめ)」という
女神の国だった意味だと私は思います。

ここ久万高原町は、そんな1万4000年前の
女神の国の姿を残す、重要な土地なのです。

*八柱神社
*上浮穴郡久万高原町大川1459
*祭神
 五男三女神(ごなんさんにょしん)
*境内社
 堂山鎮守社(天御中主神、日神、月神)

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手水舎
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ここは、
もともと奉祀の古河内大明神、荒神社、風宮、椿宮、大河内大明神、上姫宮、中姫宮、下姫宮の八社を天正18年11月官令により合祀し、総河内八社大明神と改め、明治3年八柱神社と改称したとされます。

そして、ここに祀られる神は、

「五男三女神」

上にあげた、8つの神社は、
五男三女神を別々に祀っていたということなのかもしれません。

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そしてここには、
八柱が合祀される前からあったとされる神社が
境内社として残っています。

天御中主神、日神、月神を祀る

「堂山鎮守社」

小千宿弥玉興公奉行とある棟札が残るこの神社は、

八柱神社の本殿よりも
上に建てられています。

ここに、姫は残されていたのだと思います。

星の宮とも権現宮として。。。。。

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いよいよ次回から、
徳島に入ります。

まだまだ入ったばかりの徳島ですが、
一緒に、徳島の真の姿を見ていきましょう。




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by ldc_nikki | 2012-07-12 22:43 | 愛媛県久万高原町 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今日は、久万高原町の神社をご紹介します。

これまで久万高原亜町の神社は何社もご紹介してきましたが、
こんな山奥にも関わらず、なぜかとても姫の色が濃い場所ということが
これまでのお話からもわかってきました。

龍宮へ続く川、黄泉の国への入口の一つとされる岩屋寺。
その岩屋寺を守るために神々をおいた空海。

どうしてそこまでこの場所が、重要だったのか
まだその真相までたどり着くことはできませんが、
伊予の国の中でもまだまだこれからもっと深く見ていかないといけない場所の
一つだと思っています。

今日ご紹介する神社もまた、
一つの歴史の謎に光をあてる神社。
ほんのわずかな記録ですが、その中にとても大事なことが伝えられています。

ここは、四国八十八か所 岩屋寺のちょうど真裏の山の奥に祀られれる神社で

「素鵞神社」といいます。

祭神は、スサノオノミコト。

愛媛ではとても多い神社の一つです。
でも、ここは元々「素鵞神社」という名前ではありませんでした。

「素鵞神社」と呼ばれる前までは、

「出雲宮」と呼ばれていました。
久万高原町の出雲宮?

しかもここに祀られたのは、大宝元年 「701年」
大山祇神社の大造営が始まったその年です。

大山祇神社の大造営が始まる100年ほど前から、
ほんの少しづつ本来祀られていた神が消されていきました。
その消された場所には、ほとんどが大山積神が祀られ、大山祇神社とか、三島神社という
名前に変えられていきました。

そんな中で、ここは、
「出雲宮」が 勧請されたというのです。

ここには、どんな意味があるのでしょう。

ここに出雲宮を勧請した人は、

「小千玉輿」 でした。

「小千玉輿」 これまで何度も出てきた名前ですが、
大山祇神社に祀られていた神が変えられたその時に、
一番関わっていたと思われる一人です。

昨日も少し出てきましたが、
小千家の名前は
どういうわけか、物部氏が滅亡しそれに合わせるように
世の中に出てき始めます。

それだけを見れば、まるで小千家が
封印したように思えますが、それは大きな間違いで、
姫を祀るために存在した一族が、小千家だったのです。

そしてこの小千家もまた、姫と同じように封印されてしまったのです。

小千玉輿の父は、小千守輿といい、
百済に見方して戦いに行って捕虜になり10年以上戻ってこれなかったと
伝わる人物です。

その間、小千守輿の子、小千玉輿が伊予の国を任されていました。

しかし、大山祇神社を大造営したのは、玉輿ではなく、
越智玉澄という人物でした。

越智家に関しての資料は、いくつか存在しますが、
その中に、

河野氏の秘伝的家伝書『水里玄義』があります。
この『水里玄義』を編纂したのは、
「土井美作守通安」という、河野教通の家臣でした。

この中に、河野氏の家伝には、内伝と外伝があると書かれてあります。

この内伝と外伝に書かれてあることのどちらが本当のことかわからず、
その真相を突き止めることができた人は、今もいません。

この「水里玄義」の中に、この玉澄について書かれてある文章があります。

玉純(宇摩大領、樹下大神)は十城別王19代の裔和介公万躬の男なり。
「饒速日裔小千玉興」 と契約して姓を小千に改む。
興、純の姓曉然たるを称し、姓を越知の字に換へしむ。

ここには、越智玉純(玉澄)とは、十城別王19代の裔和介公万躬の子であり、
小千とは全く違う姓を名乗っていたと書かれてあります。
そして、饒速日尊(ニギハヤヒ)小千玉興と契約して、
小千と名前を変えたと。
更にその時、その小千を、越知という字に変えたと書かれてあるのです。

今まで、この文章をどれだけの人が読んだでしょうか?
でも、この意味を真剣に受け止める人はきっといなかったのだろうと思います。

ここに、書かれてあることが、
本来の小千が封印され、新たな、大山祇神社を祭祀する一族

「越智」が誕生したことを伝えているのではないでしょうか。

十城別王とは、ヤマトタケルと吉備武彦の娘 吉備穴戸武媛の子。

吉備武彦とは、
吉備津彦神社に祀られていた神の名。

南北朝時代に書かれたとされる
「大日本国一宮記」の中で、

吉備津宮(現在の吉備津彦神社)の祭神は、
吉備津彦ではなく、吉備津武彦であると書かれてあります。

これが、吉備津彦神社の隠された歴史、
後に吉備津彦神社と名前が改められ、この神社の二つの歴史が
混合してわからなくなってしまった原因です。

越智玉澄は、この吉備津武彦という、やはり吉備津彦を封印しようとした
一族の娘の子供だったと、この書に書かれてあるということは、
越智玉澄もまた、吉備津武彦と同じように、封印する一族の子どもだったと
いうことではないでしょうか。

小千家が国譲り(神譲り)をさせられるより前に、
吉備津彦の一族が戦いに敗れていたことがこれから読み取ることができます。

古事記に書かれてある
最後は、戦いをせずに、国譲り=神譲りをしたというのは

饒速日尊小千が、越智になり、玉澄側=藤原、加茂、忌部、葛城によって
姫が封印されていったことになるのではないでしょうか。

もしこの考えが正しければ、
小子玉輿(小千玉輿)久万高原町に出雲宮を祀ったのは、
大山祇神社から封印されそうになった姫を、
隠したのではないかと思うのです。

だから、岩屋寺が黄泉の国への入口となったことと、
ここに出雲宮を造営したこととは、繋がっているような気がします。

そして、
「明治初年大政官令布告によりて神社制度に改変ありて素鵞神社となる。 」

明治元年。
ここでもまた大きな神社の祭神の入れ替えが行われました。
その年に、スサノオが祭神となった神社。

私は、ここも本来は姫神が祀られていた場所だと
思います。

それを物語るかのように、もう一つの道しるべが
神社へ入る山の入口にありました。

「道祖神」 

本来の祖へと導く 「道しるべの神」

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神社は、へんろ道にあります。
岩屋寺へのへんろ道へと向かいます。
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綺麗な川沿いを山の中へ。
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*素鵞神社
*上浮穴郡久万高原町菅生5番耕地500番地1
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数件の民家しかない山の中。
それでも、神社はちゃんと守られていました。
とても優しい空気が流れ、木々は空高くそびえるように生き生きと伸び、
素晴らしい場所でした。

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by ldc_nikki | 2012-07-10 23:34 | 愛媛県久万高原町 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日は、久万高原町の神社です。

久万高原町はこれまでも沢山ご紹介してきましたが、
ここは、久万高原町の西、内子町との境目にあります。

以前からずっと気になっていた神社だったのですが、
なぜか、その由緒をしっかりと読んでいませんでした。

どうして今まで気づかなかったのか
不思議なくらいです。

ここは、神社の名前の通り

「葛城氏」 と深い関係にあります。

葛城氏とは、古代豪族の一つで、
大和葛城地方、現在の奈良県御所市・葛城市に本拠地を置いていたとされ
武内宿禰(たけうちのすくね)の後裔だと言われています。

武内宿禰とは、
歴史上もっとも長く生きた人物とされており、その年齢は
300歳前後になります。

もちろん、一人の人間が300歳まで生きるわけもなく、
その歴史は、まだまだ謎に包まれたままです。

武内宿禰が使えた天皇は、
景行・成務・仲哀・応神・仁徳天皇の5代にの渡り、
仲哀、応神天皇の時代には、
神宮皇后の伝説の中にも、たびたび名前が登場します。

子孫には、
紀・巨勢・平群・葛城・蘇我氏など、
歴史上に名を残す一族が並べられます

この中に蘇我氏が入っていますが、
蘇我氏は、百済来た渡来人だという説もあり、
先日見た韓国の映画の中では、
蘇我氏=百済人 とされていました。

韓国の歴史ドラマの中で登場する 「蘇我氏」
どちらが正しいとも言えませんが、
仏教を日本に伝えた一族が蘇我氏ならば、
蘇我氏が百済人だという、韓国のドラマの説の方が
正しいのではないかと思えてしまいます。

百済は、新羅、高句麗、百済の中でも、
特に仏教国で、政治に僧が必ず加わっている姿が描かれています。

日本で、国が大きく変わった700年前後、
その政治の中には、必ずと言っていいほど、「役行者」や「僧」の姿がありました。

だからもし、蘇我氏が武内宿禰の子孫だとするならば、
武内宿禰もまた、百済人だということになるかもしれません。
武内宿禰は、応神天皇の時代、渡来人を率いて韓人池を造ったともされており、
このことから、百済と関係が深かったのではないかと思わされます。

紀元前84年~仁徳天皇55年(367年)の間に生きたとされるということは、
この間に、卑弥呼の存在もあったということにもなります。

ここで一つ気になるのが、年齢の約300歳とされること。

300歳と言って思い出される人物とは、
あの 浦島太郎です。

私は、この浦島太郎が最初に書かれたのは、
以前もお話したように、700年前後。
古事記ができる少し前に、その原文が書かれたといいます。

お話の内容は、以前も書きましたが、今の浦島太郎とは違います。

浦嶋子という若者が、亀に変身した神女(龍宮の姫)とともに、
蓬莱山へ行くというお話です。
そして、元の世界へ戻った時には、300年の月日が流れていました。

私は、この亀に姿を変えられた神女が瀬織津姫のことだと思っています。
でも、この浦嶋子が何を意味しているのかは、
まだはっきりとわかっていません。

この浦島太郎の元なるものをつくった人物は、
伊預部馬養連(いよべのうまかいのむらじ)といい、越智氏の研究の本の中では、
この人物も、本来は伊予の国出身ではないかと書かれています。
この浦島伝説を書いた時は、丹後にいた 伊預部馬養連(いよべのうまかいのむらじ)でしたが、
この人物は、今で言う、大学教授のような人で、
古事記をつくるにあたっても、この人物が協力しているともいいます。

そんな、古事記編纂の意味を知っていたと思われるこの人物が書いた
浦嶋伝説は、単なる物語ではなく、その当時のことを何かにたとえ書き残したとしか
考えられません。

物語では、蓬莱山で、神女と浦嶋子は夫婦の契りを交わしたかのようなことが書かれてありますが、
もちろんそんなことは嘘で、このことは、もっと深い意味を込めていると私には思えます。

そして、蓬莱山ですごした 300年という月日は、
本来は、たった数年の出来事を、300年の出来事として記録された
嘘の歴史のことをあらわしているように思えるのです。

武内宿禰の中で最初に出てくる 
景行天皇の時代は、創作だとされる説もあり実在されない天皇との見方が強い天皇です。

しかし、ここ伊予の国では、
ちょうどこの時代に神を祀る由緒が多数残っています。
また、熊野速玉大社もこの時代になります。

このことから、
私は、この時代から300年に渡る古事記に書かれたことは、
全てではないかもしれませんが、嘘ではないかと考えています。
そして、これより約100年後に、邪馬台国連合が、姿を現し始めてたといいます。

日本の歴史で、空白の100年と言われる時代がありますが、
私は、空白の300年ではないかと思うのです。

沖縄に伝わる、「赤碗の世直し」の伝説を調べられている著者が書いている
ちょうどその時代の大和の国の実像が、はるかに現実に近いのではないかと
最近思えています。

「赤碗の世直し」については、また機会があればもう少しお話したいと思いますが
世の中が乱れ、戦乱の時代だったこの時代、
二度にわたって、大きな世直しと言われる、今でいう社会運動のようなものがあったのではないかと
いいます。

それは、女性が立ち上がった、
新しい世の中をつくるための、女性たちの戦いの始まりです。

それが、後に卑弥呼に繋がっていくと。

その大和で始まった世直しは、沖縄の女性たちへも伝わっていたのです、

それが「赤碗の世直し」として、
現在も歌い続けられている歌です。

丁度その時代に生きたとされる 武内宿禰の伝承は、
全てを隠すためのものと、今に繋がるための物語。
そして、神功皇后の伝説をつくるための物語でもあったのではないでしょうか。

そして、神功皇后は、
その時代に女性たちが行った世直しのことが、
まるで一人の皇妃がしたことのように、変えられてしまったのではないかと思います。

一度は北九州から始まり、いったん終息したかに思えた世の中は
再度戦乱の世に入り、二度目は瀬戸内海で始まったのではないかといいます。

これは、単なる説ではなく、
世直しの証となる、平和をかたどったあるものが、多くのその世直しの地から
出土されています。

私はこの説が全て正しいとは思いませんが、
これに近いことが、北九州から瀬戸内海へそして大和へとどんどん広まっていったのでは
ないかという気がしています。

だから、邪馬台国とは邪馬台国連合。
その跡が、北九州とも、四国とも、大和とも言われるは、
その場所が一つの場所で行われていたことではないからではないかと思います。

そして元へ戻りますが、
その時代が、人間が生きていられるはずのない 300歳という年まで生きた
葛城氏の祖、武内宿禰の時代です。

葛城氏は、456年いったん滅びたとされています。
しかし、それは本当に滅びたのではありませんでした。

葛城氏と加茂氏の繋がりから考えると、
葛城氏と加茂氏は、時に同じではないかと思うほど、
神も同じ神を祀り、同じ動きをします。

丁度、葛城氏が滅んだ時と同じ年、
456年、伊予の国に、加茂族が移り住んできます。
(滅んだ葛城氏が、加茂族として移り住んだかのように、
その年代はぴったりとあてはまります。)
小松町の神社の伝説では、この時加茂一族は全国に散らばり
移り住んだといいます。

またここが、愛媛で一番最初に 「お寺」 が建立された場所と言われる
小松町、現在の西条市です。

葛城氏=蘇我氏=百済=仏教=加茂氏

葛城氏と加茂氏は、
その名前は違うように思えますが、
繋がっていたのではないでしょうか。

そして、今日ご紹介する神社も、
葛城氏と加茂族が繋がっていることをあらわしているかのような、
由緒が残っています。

この由緒を読んでも、
きっと歴史に興味がない人にとって、また神社に祀られている神様のことなんて
全く興味のない人にとっては、なんとも思わない由緒かもしれません。

でも、この由緒が、
私からすれば、全てを物語っているかのような由緒です。

先日の天狗のお話のところでも、書きました 「役行者」は、
役 小角(えん の おづの)という名前を持ち、
加茂族から出た一人でした。

そして生まれた場所が、
大和国葛城上郡茅原、この地名の通り、「葛城氏」の土地です。

役行者=加茂族=葛城上群=葛城氏

葛城氏と加茂族は、その役割は違っても、
本来は、同じものたちではないかとも思えます。

久万高原町 葛城神社 現在の祭神は、

「一言主命」

この神は、加茂家の神です。

古事記の中では、「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり」
と書かれ、
日本書記では、「天皇と共に狩りを楽しんだ」 と書かれ、当時の加茂氏の位置が
わかるかのようですが、

『続日本紀』天皇と獲物を争ったため、天皇の怒りに触れて土佐国に流されたと
書かれてあります。

さらに、
822年の『日本霊異記』では、
一言主は役行者(賀茂氏)に使役される神にまで地位が低下します。

こうして、中臣家=藤原家の力がだんだんと強くなるごとに、
姫の封印に大いに活躍したはずの加茂族の地位はどんどん低下していったのではないでしょうか。

そして、それは、同じ徳島の忌部氏も同じ道を辿っていきます。

加茂族と忌部氏は、同じように姫の封印の時は、
その力を発揮するのでは、同じように、藤原氏にどんどんその勢力を
奪われてしまったと思います。

この久万高原町に葛城神社を建立した時は、
まだまだ加茂家の力が強い時でした。

そして、
天武天皇、朱雀元年8月
小千玉興公が大和国葛城山から役小角を迎えて
山野の地を拓いて移民の法を設けたときに、

往古からの饒宮、または古宮と称した饒速日命を祀った社

へ大和葛城山から一言主命、味鉏高彦根命を奉還して鎮護の神として祀った。

この神社は、
本来饒速日尊を祀る神社でした。ということは、姫が祀られていた神社だとも言えます。

しかし、 「葛城山」 から 

「役小角(役行者)」 を迎え、姫を封印し、

本来祀られていた神を消し、加茂族の神 

「一言主命、味鉏高彦根命」 を祀った神社だったのです。

これだけ、そのことを忠実に由緒に書いてあるのに、
誰もこのことを不思議だと思わない時代なのだと
改めて感じました。

ここは、役行者、加茂族、そして葛城氏によって
封印された神社だったということが、
この由緒から、はっきりと読み取ることができます。

そして、これと同じようなことが、
伊予の国だけでなく、全国で次々と行われていったのです。

ある所では、御神体を持って山奥へ逃げ、
ある所では、最後まで守り続けた人々が殺され、
ある所では、追ってが来る前に、全てを隠したといいます。

村を挙げて戦った所や、
女性が、兵を率いてその命をなげうって守ろうとした
伝説もあります。

更には、もっと昔、二度にわたって世直しをしようとした
女性たち。

その多くの事実は、
権力者によって、全て封印されてしまい、
その証拠を焼き尽くされてしまいました。

しかし、その事実は、今もなお沖縄のある地域で神歌として
歌い継がれていたのです。

「水と太陽の霊も寄りつく私たちの崇める神は、ヤマトの中心の国のお生まれである。
この神を崇めるのは今や沖縄だけになってしまったが、
スジを曲げないでこの神にお仕えし、ご御招請しよう。
大和・山城から伝わった赤碗の世直し(碗)に、神酒を溢れるほどに注いで捧げます。」

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by ldc_nikki | 2012-06-25 22:22 | 愛媛県久万高原町 | Trackback | Comments(1)

こんばんは。

今日も、前回に引き続き久万高原町です。

前回の最後に、竜宮トンネルの写真を掲載しましたが、
あの御三戸の磐座のある場所は、
北方からの面河川と西方からの久万川との合流点に当たります。

そのうちの面河川を南へ行くと、
久万高原町、旧柳谷村があります。

そこには、竜の川橋という橋があります。

竜宮トンネルと、竜の川橋。

この二つの場所に龍の名前が付けられたのは、
この川が、竜のいる場所へと繋がる川だったからだと思われます。

その場所とは、
日本三大カルストの一つと言われる、

「四国カルスト」 です。

かなり前になりますが、ブログでご紹介した場所
四国カルストの中にある神社

標高1200mの海の神 「龍王神社」です。

龍王神社はこちら

ここを訪れた時は、この場所にどんな意味があるのか
まったく知りませんでした。

ただ、こんな山の上に、海の神として祀られる龍王神社があることを知り、
訪れたのですが、
ここを訪れてから、半年以上たって、
この場所がどんなに大事な場所かということがわかりました。

そして、今回、
更にそのことがはっきりとわかる、この龍の川を見つけることができました。

どうして、姫が、
四国カルストに祀られるようになったのかは
まだわかりませんが、
ここも一つの封印に関わる場所と言えると私は思っています。

日本三大カルストとは、四国カルスト、山口県の秋吉台、福岡県の平尾台の三か所です。

その中でも、
四国カルストは、一番標高の高い場所にあり、
一番高い場所 天狗高原は、標高1485mあります。

四国は、西日本最高峰の石鎚、そして、日本で一番標高の高い場所にあるカルストと
小さな島国に二つも大きな山があるのです。

そして、もうお気づきの方もいると思いますが、
その二つの山の一番高い場所には

「天狗」 がいます。

以前、天狗のお話をしましたが、
石鎚山だけでなく、ここ四国カルストの一番高いところにも、
ちゃんと天狗を置いていたのです。

そして、その天狗の側には、

「姫鶴平(めづるだいら)」

鶴の姿の姫の名前が付けられています。
偶然にしては、あまりにぴったりの名前に驚きました。

そして、姫鶴平の西、大野ヶ原に、姫を祀る
龍王神社があります。

姫はこの龍王神社の境内にある、

「小松ヶ池」にいたのです。

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この小松池に住むと伝わる龍が、
どれだけ大事な龍だったかということがわかるまでに
約1年かかりました。

この小松池に祀られる、
八大竜王、そして龍王神社に祀られる 「豊玉姫命」は、
瀬織津姫のことです。

そしてここは、海の龍宮に対する、山の龍宮と言えるほど
大事な場所です。

東温市のある神社では、
むかし、雨乞いを行うさいに必ずこの池の水をくみに行っていたといいます。

水を汲みに行くのは、必ず若い元気な男でなければなりませんでした。
それは、必ず一夜にして水をくみに行かなくてはいけなかったからです。
水が豊富な場所にも関わらず、どうしても、この小松池の水が必要だったのです。

竹筒に水を入れた男は、
帰路、一度も休憩することは許されませんでした。
一度も止まることなく、一夜であの四国カルストの上から
戻らなくてはいけなかったのです。

でも、それはきっと途中で誰かに見つかってはいけなかったからなのでは
ないかと思います。
水をとってくることを、誰にも知られてはならなかったのです。

また、この小松池に住む龍は、
二つの場所に移動します。

その一つが、久万高原町のある
「八釜甌穴群」 です。
ここは、近いうちに行ってから改めてご紹介しますが、
渦流によってうがたれてできた甌穴が八個列をなしてあるといいます。
最大のものは直径9~12m、深さ約10mに もなるこの八つの釜に
この小松池に住む龍はいつのころからか住むようになったと言います。

八釜に住む龍は、金気を嫌うといい、
もし釜の中に金気を投げ込めば、空は俄かに掻き曇り、
山鳴りが起こり大雨が降るといいます。

この八釜がある黒川は、面河川に繋がり、
あの御三戸へと流れていくのです。
そして、この川を渡る橋を 

龍の川橋と言います。

釜と言えば、先日お話した吉備津神社に伝わる
特別な神事 「鳴釜神事」が思い出されますが、
姫と釜にも、何か深い意味があるのだと思います。

小松池の龍が移されたもう一つの場所は、高知県梼原町にある

龍王宮と呼ばれる「海津見神神社」
四国カルストから南へ下った山の中に鎮座するこの龍王宮は、
この小松池に祀られていた神が、移された場所だと言います。

祭神は、豊玉姫命。

そして、愛媛県の城川町など南予の人々は、
わざわざこの龍王宮まで、年に数回お参りに行っていたと言われます。


海の上に祀られる 「海津見神」は 龍宮 大三島の大山祇神社。
山の上に祀られる 「海津見神」は 龍宮 四国カルストの龍王神社。

大三島からほぼ一直線上にある 北と南にあるものは
偶然とは言えないものばかりです。 

日本の龍脈と言われる 東西を走る中央構造線と交差するように
見えない線がそこにはあります。 

大三島から南へ下がると、
大三島→今治→四国カルスト→足摺岬 

世界規模のストーンサークルがあった足摺岬には
四国八十八ヶ所はもちろんのこと、
臼碆と呼ばれるその場所に、龍宮神社があります。
高知県で黒潮が初めて到達する場所、
そこには、空海が亀を呼び修行し、四国八十八ヶ所には、
三面千手観音菩薩を置いた。
そして足摺岬の天狗の鼻には、さまざま伝説があり、
一説には、役の行者が全国の天狗をここに集めたと言われる。
しかし、その天狗と争いになり、その中の天狗がこの崖から海へ落ちたとも。
また、ここに住む天狗を空海が封印したとも言われます。
そしてここに住む天狗は、放生坊と云ひ両面一足の天狗と縁起に見られるといいます。
ここで、全国の山々を封印していった天狗たちは、
空海によりその魂を浄化されるかのように、
「法生坊」 と なったのです、。

そして大三島から北へ行けば
そこには、「出雲の国」 があるのです。

これはあくまで私の勝手な考えですが、
大三島を中心とした、南北のラインもまた龍脈。

そして、南の端で姫の魂は解放され、沖縄へ。
そして、北の端は、北斗七星でもある姫が永遠に封印された、
死を意味する場所。

北の一番端で、
姫は長い眠りに入ったのだと思うのです。

北は、一番位の高い場所でもあり、また、太陽の光が入らない
太陽を神とする人々にとっては 「死」を意味する場所でもあります。
だから、姫を封印する場所として選ばれたのではないかと思います。

そしてその中央が、
大三島、 日本の総氏神 大山祇神社なのだと。

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今日、夕方のニュースでとても気になることを話していました。

原発の再稼働についてアンケートをとったところ、

女性の方が男性の倍ほど、原発を反対する意見が多かったということです。
現在の政治家の奥様方も、そのほとんどが原発に反対意見だともいいます。

これが、男性と女性の根本的考えの違いです。

もちろん、男性の中にも、反対する人は多くいます。

しかし、今世の中を動かしている人々、お金を動かしている男性の多くが
原発をなくそうとは思っていないのです。

それは、経済のことが理由なのです。

命より、お金。
命より、権力。
命より、名声。

それが、今の時代をつくっている人々です。
そして、これが、古事記により姫が封印された理由です。

縄文時代の人々は、第一に 「命」 「愛」 でした。

それが、女神信仰、女性の本来持つ魂の声なのです。

それが、男の社会へと変えるために、
姫は封印され、新しい神が誕生しました。 

「お金」 「権力」 の力の増大の始まりです。

命に係わる問題が現れた時、女性は、何よりも先に、
命を守ろうとします。 
今のように、爆弾を抱え、いつそれが爆発し、更に多くの命が奪われるかもしれない
危機に陥ってもまだ、世の中を動かす男性たちは、
命より、お金を選びます。

これまでそんな男性たちによって、多くの国は滅びて行きました。

今、私たちは、過去の過ちをまた起こそうとしているのかもしれません。
だから、封印された瀬織津姫の名前が、こうして世の中に現れた始めたのかも
しれないとさえ思います。

でも、そう簡単に、私たちの声が届くはずもなく、
ただ見ているだけしかできないのでしょうか。

15歳の女の子が言っている言葉です。
こうやって訴えている私たちの声は、
届くこともなく、原発はまた再稼働されるのでしょうか。








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by ldc_nikki | 2012-05-19 05:23 | 愛媛県久万高原町 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今日は、
久万高原町 「御三戸神社」です。

(みみど)と読むこの神社は、古記に残る神社の中では、
久万高原町の中でもっとも古くから神を祀る神社と言われています。

また、
大己貴神、少名彦神が国内を巡幸の祭のご駐れんの古跡ともされています。

御三戸神社の御三戸とは、
北方からの面河川と西方からの久万川との合流点にあたる、
大きな磐のことを言います。

この磐を磐座とし、
「黒磐神」 を祀ったのが、始まりと伝わります。

一説には、
伊予主命がこの地に神籬をたて、八神を奉祀したとも伝わります。

その八神とは、
国常立尊(くにのとこたちのみこと)
大山津見尊(おほやまつみのみこと)
鹿屋野比売尊(かやぬひめにみこと)
建速素盞鳴命(たてはやすさのをのみこと)
大市比売尊(おほいちひめのみこと)
来名戸祖尊(くなどのさへのみこと)
大己貴尊(おほなむちのみこと)
少名彦尊(すくなひこなのみこと)

ここに来たのは、今回で2度目なのですが、
一回目に来た時には、この神々の名前を見ても、
何も思いつきませんでした。

でも、今回改めてここを訪れ、神々の名前を見て
ここに最初に祀られていた神

「黒磐神」とは、

姫のことだったと思いました。

今治市大島沖の小さな島 「津島」には、
大三島から追い出された瀬織津姫がしばらくの間鎮座していました。

その神社の古い資料には、
大山積神∴(瀬織津姫、来名戸祖尊) と書かれてありました。

これは、大山積神と(瀬織津姫、来名戸祖尊)は同じ。
(瀬織津姫、来名戸祖尊)は、大山積神に変えられたことをあらわしていると思います。

ここ久万高原町にもその名が書かれてある、
「来名戸祖尊の 来名戸とは、 「きてはならないところ」
道の分岐点、境目という意味があり、
瀬織津姫が、三途の川の神とされていたことと類似します。
 
このことから読み取れるように、
来名戸祖尊とは、瀬織津姫のこと。

そして、大山積神は瀬織津姫の変えられた神ということがわかります。

この御三戸神社に祀られる

大山積神も、鹿屋野比売尊も、建速素盞鳴命も
大市比売尊、来名戸祖尊も、
姫の変えられた姿です。

大己貴尊は、ニギハヤヒです。

国常立尊は、古事記と日本書紀で
現れた順番が違いますが、
古事記で一番初めに現れた、天之御中主神と対をなす神と言われ、
その両方の神を合わせて

「宇宙の根源の神」 と言われます。

宇宙の根源の神とは、姫のことです。

少彦名命を除く、 「7柱」の神は
全て姫の変えられた名前。 「7」 を意味する姫とも一致します。

また、御神徳にも姫の意味が現れています。

ここは、古くから 「安産の神」として知られ、
近郊からはもちろんのこと、他県からも多くの参拝者が訪れるほどの
神社だったそうです。

瀬織津姫が、単なる水の神ではなく、
「命の誕生から死」まで全てに繋がる神だとされることを
意味しています。

また、もう一つの姫の姿 「荒神」 ともされていて、
人々は、神域に近寄りがたく、
いつのころからか、現在の場所に遥拝殿をたて、
ここで参拝するようになったといいます。

本宮と遥拝宮を備えた特殊な神社であったのですが、
町村合併により村庁舎の敷地に本宮境内を譲渡し、遥拝宮に本宮をも奉斎し
現在の姿になったと言います。

久万高原町は、空海も訪れ、
岩屋寺の周りに、お寺を守護する神を祀っていったという、
特別な地です。

縄文時代から人が住み
この地の岩からは特殊な鉱物が産出していました。

仙人が住んでいた岩山。
山の中の龍宮から流れる川。

久万高原町から砥部町へと抜ける山々に伝わる伝説。

山の中のこの町には、
まだまだ知られていない大きな出来事があるのだと
私は思います。

*御三戸神社
*上浮穴郡久万高原町上黒岩1020
*祭神
国常立尊(くにのとこたちのみこと) 大山津見尊(おほやまつみのみこと)
鹿屋野比売尊(かやぬひめにみこと) 建速素盞鳴命(たてはやすさのをのみこと)
大市比売尊(おほいちひめのみこと) 来名戸祖尊(くなどのさへのみこと)
大己貴尊(おほなむちのみこと) 少名彦尊(すくなひこなのみこと)

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本殿
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神社の前を流れる川は、
エメラルドグリーンに染まっていました。

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そして、御三戸磐です。

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磐の一番上に立つ一本の木
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そして、このすぐ側にあるトンネルの名前は、

「竜宮隊道(トンネル)」 と言います。

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どうしてここが、竜宮トンネルと呼ばれるのか。
それは、ここが、山の上の竜宮から流れる川の合流地点だからです。

その山の上とは、

愛媛県と高知県の県境

「四国カルスト」 です。

愛姫伝 スライドショー 「霧」 



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by ldc_nikki | 2012-05-16 22:18 | 愛媛県久万高原町 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日は、まず、神社のご紹介から。
今日ご紹介する神社は、前回のつづき久万高原町です。直瀬の五社神社に参拝した後、帰りは行きと違う道を通り、岩屋寺の方へとでるルートで帰ることにしました。

綺麗な川沿いを走っていると、右手に鳥居が見えました。
夕暮れまでには、まだ、少しだけ時間があったので、行ってみることにしました。

鳥居に、「八幡神社」 と書かれてありました。

ここは、久万高原町直瀬に鎮座する、もう一つの神社 「八幡神社」でした。
そして、ここも五社神社と同じく、京都、山城国男山八幡宮より勧請された神社でした。

紅葉がとても綺麗で、イチョウの葉が、まるでじゅうたんのように敷き詰められた神域がとても印象的な神社でした。

*八幡神社
*上浮穴郡久万高原町直瀬甲5261
*祭神
帯仲彦命(たらしなかつひこのみこと)
品陀和氣命(ほむだわけのみこと)
息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)

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階段を上ると、拝殿があります。
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拝殿
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八幡神社ですが、ここも、神紋は 「三島」です。
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本殿
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境内のもみじが、赤く色づいていました。 今年、初めてみた、紅葉でした。
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拝殿の奥をみると、イチョウの落ち葉がまるで、じゅうたんのように敷き詰められていました。
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そして、神域の中に、古い御神木が。
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ここには、姫の名前はありませんが、まるで、ここに姫がいるかのように、優しい神域でした。

神社にくると、日本に生まれてきてよかったと心から思えます。
春、夏、秋、冬と、その時、その一瞬しかみることのできない、自然の世界。
そして、この自然の中に、宿る神々。

古代の人々は、誰もが、この自然の中に、神を感じることができた。

自然の恵みを受け、自然に感謝し、自然とともに生きてきた、私たちの祖先。

見えないものばかりに目を向けることも危険ですが、見えるものだけを見続けることも危険。

今、私たちに必要なものは、その両方を見ることができる心の目なのかもしれません。

今日、一人の女性から、素敵なお便りを頂きました。

学生時代の素敵な思い出。 

桜の木に、「ただいま」 と 話しかけると、 「おかえりなさい」 という桜の声が聞こえてきたと。
誰にもいえなくて、ずっとずっと、大切に心の中にしまっておいた思い出。

皆さんには、そんな微かな思い出はありませんか?

私は、小さいころから、不思議なことが大好きな子供でした。

小さいころから、ギリシャ神話の本を読んだり、果てしない宇宙のことを考えることが好きでした。
占いも大好きで、 星占いはもちろんのこと、 小学生の時から、タロットや、筮竹、姓名判断などいろんな占いを自分で勉強したり、練習したりしていました。

3歳のころから、習い始めたピアノ。
辛いことや、悲しいことがあると、ピアノに向かい、浮かんできたメロディーを口づさみながら弾いていました。

詩をかくことが好きで、ノートにいつも詩を書いていました。

そんな子供時代、時々、どこからともなく、不思議な声が聞こえていました。
はっきりと、何を言っているのかわからないのですが、突然、耳元で、同じ声が聞こえてきました。

でも、大きくなるごとに、その声が怖くなり、一生懸命、心の中で、声が消えるようにお願いしていました。

そして、いつのころからか、その声は聞こえなくなりました。

その声が聞こえなくなった頃から、10年以上続けたピアノを辞め、詩を書くこともできなくなってしまいました。

人は、大人になるにつれて、心の目を閉ざしていくのかもしれません。
神様と繋がる、光の扉を閉じてしまうのかもしれません。

でも、いろんな現実を知り、この世界のことを見てきた今だからこそ、両方の世界を受け入れる心を持つことができるのではないかと思います。

現実を受け入れること、人として生きること、それと同時に、神様の一部として、自然の一部として、未来の人々のために、未来の地球の全ての命につなぐために生きること。
それが、私たち人間に与えられた命の使命なのではないかと思います。

どんなに嫌なことがあっても、どんなに苦しい時代を生きようと、現実から目を背けること、現実から逃げることはできません。 それは、私たちは、人間として生まれてきているからです。

でも、見えない神様との光が必ず繋がっていると信じ、現実の世界を一生懸命に生きていれば、また、光を見ることができる。 それは、私たちは、自然の一部であり、神様の一部でもあるからです。

その両方を持って生まれてきたのが、人間なのだと、私は思います。





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-12-09 00:35 | 愛媛県久万高原町 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日は、久しぶりに久万高原町の神社をご紹介します。

久万高原町は、松山から40分くらいで行けることもあり、これまでも何度も訪れていますが、
今回は、 「直瀬」 という地区に行ってきました。

昔の日本の風景が、そのまま残る 久万高原町の山村。
ここも、そんな山の中の村の中に鎮座されています。

この神社は、 天正2年に河野伊予守の命よって直瀬の城主小倉丹後守直政が、山城国男山八幡宮より勧請した神社です。

「山城国男山八幡宮」 とは、京都府八幡市に鎮座する、「石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)」のことです。

石清水八幡宮は、日本三大八幡宮のひとつに数えられ、皇室・朝廷だけでなく、源氏をはじめ、足利氏・徳川氏・今川氏・武田氏など、多くの清和源氏が氏神として信仰していたと言われます。

859年の夏、空海の弟子であった南都大安寺の僧行教が宇佐神宮に参詣した折に
「われ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との神託を受けて、その翌年の860年、清和天皇の命により社殿を建立したのを創建と伝わります。

京都の裏鬼門に建立された、石清水八幡宮は、封印した神々(鬼)が、都へと入ってこないようにと、つくられたものではないかと思います。

先日、昔放映された映画  「大奥」を見ていたら、 「八幡大菩薩」の旗を掲げ、出陣するシーンや、
将軍さまの子供が生まれる時にも、「八幡大菩薩」の旗を掲げ、家来たちが、四方へ魔を祓うために、弓を討ち続けているシーンがあり、八幡大神への篤い信仰心を感じました。

ここ、直瀬の城主も、そんな武将の一人だったのかもしれません。

今回、私がここへ訪れたかったのは、この八幡大菩薩を祀る神社もですが、もう一つ目的がありました。

それが、この神社の境内社として鎮座される、 

「真名井神杜」です。

真名井神杜と言えば、島根県松江市に鎮座する神社と、籠神社奥宮真名井神社があります。

そして、高千穂にある、真名井の滝。
どれも、瀬織津姫に、深く関係している場所ばかりです。

真名井の滝とは、瀬織津姫が出産をされた場所とも言われています。

また、京都の籠神社奥宮真名井神社は、元伊勢神宮があった所と言われ、豊受大神は、この地より、伊勢神宮と迎えられました。

豊受大神とは、稲の神として、伊勢神宮へと祀られることとなるのですが、
真の姿は、瀬織津姫です。

どうして、瀬織津姫が、稲の神である、豊受大神に変えられてしまったのか、その理由は、まだわかりません。

伊勢神宮で、アマテラスと同じように、いえそれ以上に、現代でも重要視されている、稲の神 豊受大神。

稲は、日本を象徴する食べ物であり、神と一体となる食べ物でもあります。

そして、その稲の神が下りてくるとされる、「桜」 

瀬織津姫は、桜の姫でもあります。 これは、コノハナサクヤ姫が、桜の姫とされているからかと思っていたのですが、それはどうも逆のようで、 やはり、コノハナサクヤ姫が、桜の姫となったのも、瀬織津姫が、「稲の神」 と、なんらかの関係があったからではないかと最近思い始めました。

というのが、

「桜」 と 「稲」 には深いかかわりがあったからです。

現代の私たちも、春になると、こぞって出かける 「お花見」

このお花見の起源は、 「祓(はら)いのための宗教的行事」 だったという説があります。
花の下で、「祓いの神様」 と過ごす行事、それが、 お花見の起源だったのです。

「祓いの神様」 といえば、瀬織津姫です。

お花見とは、「瀬織津姫」 とともに過ごす行事だったのかもしれません。

そして、さらにその前は、稲の生育を司(つかさど)る神様の存在がそこにありました。

さくらの「さ」は、稲の神さまのことで、「くら」は、稲の神さまのおわします座を意味していました。
桜の木は、神様の依り代。 春になると、神様がおりてくるところでした。

ですから、桜の開花は神様が桜(さくら)の木に降りて来たことを知らせるもの。
桜の花が開くと、人々は桜の下にお酒や食べ物をお供えして、神様を歓迎していました。

それが、現代の、お花見へと繋がっているのです。

桜の花は、花が散ってから葉が出てきます。
何もない木の枝から、つぼみが膨らみ、春になるとつぼみを一斉に咲かせる桜。
その花の神秘さにも、古代の人々は、神さまを感じたのかもしれません。

稲の神さまが宿る桜の木の由来が、 稲の神さまが、瀬織津姫から豊受大神となり、伊勢神宮へと祀られることになった一つの理由かもしれません。

「真名井神杜」と言えば、もう一つの謎があります。

それが、地中に埋まっていたという、古い石碑に掘られた、神紋。
現在は、八幡の紋になっていますが、 本来は、六芒星が、掘られていました。

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「ダビデの星」や「ソロモンの紋章」とも言われる図形です。

この図形が、ユダヤ教における神聖な紋とされていたり、イスラエルの国旗にも使われていたり、古代の遺跡にも刻まれていることと、伊勢神宮にもあることとで、ユダヤと結びつける説が多くみられます。

この図形については、また、いつかもっとじっくりふれたいと思いますが、私の中では、まだ、これを用いた新大和とユダヤ教とを直接結び付けるところまではいっていません。

今私の中で、この紋の意味を解くとすれば、

この、 「六芒星」 の図形は、

「天空=大宇宙」 をあらわす図形。 三角形のそれぞれの点は、霊的惑星と対応し

一番上の頂点から時計回りに、土星、木星、金星、月、水星、火星、
全ての中央が、 「太陽」 となる。

この図形もまた、 「八」 の暗号 と同じく、 太陽は全ての中央。
大宇宙の中心となり、 天皇は、 「天空=大宇宙」 の中心となるということです。


そして、また、
上向きの三角形が能動的原理、男性的原理、陽、火を示し、
下向きの三角形が受動的原理、女性的原理、陰、水などを示す。

この図形もまた、陰と陽、火と水、 男性と女性をあらわしているのです。

全ての調和をあらわした図形、 そして、大宇宙をあらわしたこの意味は、

意識と無意識、天と地の結合、完全なる図形、
だからゆえ、いかなるものの、入ることができない、よせつけることのできない、魔除けでもある。
そして、全ての中心、 大宇宙の中心は、 天皇であると示しているのだと、私は思います。

ユダヤとの関係以上に、この図形の意味が、重要だったのではないかと私には思えます。

古事記は、今でいう学者や大学教授のような、各分野のスペシャリスト集団で作られた、歴史上もっとも優れた書物だったともいえます。
世界中の、ありとあらゆる絶対的力をもって、古代の神を封印し、また、新大和の力を絶対的なものにしていったのではないでしょうか。。。。。

*五社神社
*上浮穴郡久万高原町直瀬
*祭神
市杵島比女命(いちきしまひめのみこと)
足仲彦命(たらしなかつひこのみこと)
田心比売命(たごりひめのみこと)
誉田別命(ほむだわけのみこと)
湍津比売命(たきつひめのみこと)
素盞鳴命(すさのをのみこと) 
稲田姫命(いなだひめのみこと)
*境内社
真名井神杜
(天忍穂命、天葦命・天津比古根命、熊野久須比命、奥津彦命、奥津比女命、狭依姫命、多岐津姫命)

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ここにも、太陽と月の燈籠がありました。
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狛犬
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参道
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拝殿
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三島の神紋
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本殿
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そして、真名井神社
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悪霊と精霊を操るため使われた、六芒星( ソロモンの印章 )

この図形がどちらも、思いのままに操れる印章だとしたら、
やはり、姫は、この中(籠)の中に、閉じ込められたのかもしれません。

竹で編んだ 籠の中に 閉じ込められた 「龍」 

そして、天女となり、星となった姫の御霊を鎮めるために、七夕の日にその竹の笹で、清めるために
大海原で待つ、速開都比売の元へと流されていったのかもしれません。。。。。。





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-12-06 23:52 | 愛媛県久万高原町 | Trackback | Comments(1)

こんばんは。

あっというまに、連休も残す所後一日になりました。
今日は、内子の方に行っていたのですが、高速道路のサービスエリアには、県外ナンバーがいっぱい。

うれしいですね。 愛媛は、都会でもないし、一見何もない所。
でも、愛媛はとってもいい所です。 もしかしたら、全部が、パワースポットかも。

日本から、神様の存在が少しづつ薄くなっている今、 愛媛は、まだまだ、神様の存在が残っている数少ない場所かもしれません。
それは、もしかしたら、 今まであまり誰からも注目されなかったおかげで、
ひっそりと、生き続けていたのかも、なんて、最近思います。

「姫」 の宿る国 愛媛(愛姫)(愛比売)

古事記の中で、 「愛くるしい姫、 理想の女神」 として 表現された 「愛比売」。
きっと、そう名前を付けられ意味がどこかにあるはずと思い、 調べ始めた愛媛の歴史。

まだ、だれも考えたこともないような、姫の歴史が隠されているという思いがますます強くなってきました。

皆さんも、ぜひ、一度愛媛に来て、 姫の国の空気を、風を、太陽、 自然を感じてみて下さい。

では、今日の神社です。
前回の久万高原町に続き、 本日も久万高原町の神社です。

国道33号線を走っていると、「東明神」 という地名があります。
この地名がずっと気になっていて、 今回、帰る途中に 東明神の神社によることができました。

この近くには、久万のスキー場があるのですが、 この近くからは縄文時代の遺跡が見つかっています。
縄文時代は、城川町にも人が住んでいたという洞窟がみつかっていますが、
ここ、久万高原町にも、縄文時代の後が数か所わかっているそうです。
ここもその中の一つ。

縄文時代は、 愛媛の中でも、山の高い所で人の住んだ後が残っています。
地形が今とは全く違う縄文時代。 現在よりも、気温が高かったと言われるこの時代は、標高の高い場所に住む方が、住みやすかったものと思われます。

城川町と久万高原町は、縄文時代の人々にとって、水もあり、食べ物も豊富にあり、とても住みやすかったのでしょう。

ここ、久万高原町 東明神にある神社には、 そんな縄文時代の伝説が残る数少ない神社です。

神社の名前は 「河内神社」 祭神は、建速須佐之男命 、
やはり、瀬織津姫やニギハヤヒに繋がる神社だと思います。

ここには、二つの伝説があり、一つは、当時国司だった、小千宿弥玉興(おちのすくねたまおき)が、
荒れ狂う濁流の中に神霊が現れ、社殿を建立して神霊を安置したと伝わります。

そして、もう一つの伝説は、
一万年以前に、東明神高畑山に天日身光天皇の御陵が造られその遥拝所として建立されたと伝わります。

「天日身光天皇」 初めてでてきた名前です。
天日身光天皇とは、ウガヤフキアエズ王朝という、神武天皇以前の古代王朝で、ホオリ(火遠理命)の子ウガヤフキアエズ(鵜草葺不合命)が開いた王朝の中に存在する天皇です。

ホオリのみこと(火遠理命)とは、先日お話した、山幸彦と海幸彦の山幸彦と言われています。

天日身光天皇は、名前の後についていて、これ自身が名前ではないようです。
5代 天地明成赤珠彦天日身光天皇、6代 石鉾歯並執楯天皇天日天皇身光天皇のように、後ろにつけられています。
また、7代 櫛豊媛尊天日身光媛天皇のように、光と天皇の間に 「媛」とついているものもあります。

ここ、久万高原町に作られた御陵が、どの天皇のものなのかは不明ですが、
ここに、古代の天皇の御陵が作られたという伝説が残っていることに、驚きました。

もう、知ることもできない、縄文時代の伝説が、ここには眠っているのかもしれません。

*河内神社
*上浮穴郡久万高原町東明神甲1216番地
*祭神:建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
*由緒
 言い伝えによると、荒れ狂う濁流の中に神霊が現れ、当時の国司、小千宿弥玉興(おちのすくねたまおき)が社殿を建立して神霊を安置した。
 別の言い伝えによると、一万年以前に東明神高畑山に天日身光天皇の御陵が造られその遥拝所として建立された。
 旧土佐街道沿いにあって神名石注連石は三輪田米山の書による。

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拝殿
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本殿
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御神木
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田舎の片隅で、静かにたつ神社。
大きな道を通る人々には、目に止まらない神社かもしれない。

でも、どんな小さな神社でも、 どんなに古びた神社でも、 それぞれの歴史があり、 それぞれの神様があり、 その土地の歴史を見守ってきた姿がある。

その歴史を知り、過去の人々の面影を感じ、神様な想いを感じることができる神社にいけばいくほど、
私たちの今は、 過去の人々の命のおかげだと、感謝する気持ちになる。

神様の姿が消えていきそうな今の世の中。 それは、私たちの過去、歴史も一緒に消えていくことと同じこと。

私たちの過去が消えるということは、 私たちの命も消えてしまう。

神社は、何のためにあるの? そんな声が聞こえてきそうな今の世の中。

でも、もし、日本から神社が消えてしまったら、日本の歴史は消えてなくなってしまうかもしれない。
本の中で、 その証が残ったとしても・・・・・・。

普段は、何も気にならない神社かもしれない。 空気のような存在なのかもしれない。
でも、その空気のような存在に、助けられ、 繋がれている。

「人のために生きる」 ことが、この世の中を豊にすることを、知らず知らず教えられてきた、日本。
それは、 神様の心、 過去の人々の想いが受け継がれているから。
だから、 こんなにも、 豊な国になったことを忘れてはいけないと、あなたもそう思いませんか。。。。。

(2011 9 十五夜の満月)
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(命は、永遠じゃない。 もし 今日が最後の日なら あなたは今日一日をどう過ごすでしょう。。。)




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-10-10 02:34 | 愛媛県久万高原町 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。
今日から三連休、いかがお過ごしですか?

私は、今日は本当に久しぶりに土曜日に子供の用事がないので、橋を渡り、大三島へと行ってきました。
今回は、大三島をぐるりと一周。
大三島の北から南へと、 車を走らせまだ行けていなかった場所へと行ってきました。

とても素敵な旅となりました。

少し先になりますが、大三島のお話もどうぞお楽しみに♪

さて、今日は、久万高原町です。
久万高原町は、4つの町が合併してできた町ですが、今回訪れたのは、その中の久万町にあたります。

久万高原町もまだまだ足を踏み入れたことがない場所がたくさんあります。

今日ご紹介する場所は、以前紹介した 住吉神社の交差点を左へ曲がり、県道209号線へ。
田畑が広がる美しい景色を眺めながら、 県道をひたすらまっすぐ行くと、
このあたりの氏神さま、総河内神社があります。

愛媛は 「河内(こうち)」とつく地名や、神社に瀬織津姫さまが祀られていることが多いので、ここもその一つではないかと思います。

この神社の近くには、 ちょっと変わった名前の山があります。

山の名前は 「餓鬼ケ森(がきがもり)」 

字の中に 「鬼」 という字が入っていますが、その名の通り、この山には、鬼が住んでいたという伝説があります。 
でも、 この 「鬼」 とつく山は、 瀬織津姫さまと関係のある場所が多い。
さらには、 山の名前の最後に 「森」 とつく山は、 神の住む山という意味でもあるそうです。

四国には、 「〇〇の森」 とつく名前が、どういうわけが大変多く、 四国以外では、山の名前に 「森」がつくことはほとんどないそうです。

「餓鬼ケ森」には、鬼が住んでいると伝わるとお話しましたが、 この山の上には、 
「白山権現」 が祀られています。 白山権現といえば、瀬織津姫です。
鬼が住むと言われる、 この山は、 やっぱり思ったとおり、瀬織津姫とニギハヤヒの山でした。

その山の下に鎮座する、 総河内神社は、昔この村にあった神社が全てが合祀されて一つの神社になっている神社です。
そして、現在鎮座している場所は、「定徳寺」 というお寺の守護神 「金比羅大権現」 が祀られていた場所だということです。
定徳寺はもうここにはないため、 どんなお寺だったのかまだわかっていませんが、金毘羅大権現が守護神ということは、 大国主(ニギハヤヒ)と関係の深い お寺だったことは想像できます。

現在の祭神は、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)となっていますが、
少なくとも、 ニギハヤヒがいることは間違いありません。 そして、瀬織津姫もきっといらっしゃると思います。

*総河内神社
*上浮穴郡久万高原町上畑野川甲1684番地
*祭神;天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)
*由緒
 明治5年定徳寺の守護神である金比羅大権現を廃し、その社殿に村内の全ての神社を合わせ祭った。
 江戸時代には俳諧が盛んで当時の作品が奉額に残っている。また、拝殿前の桧の大木は町指定天然記念物その他にもモミ、マキなどの大木が残っている。

上記の由緒から神仏分離が行われた時に、 神社が合祀されたようです。

神社は、木が生い茂る森の中にあります。
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とても静かな神域の中にたつ 拝殿
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本殿
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総河内神社の名前の横に、金毘羅社の名前もありました。
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そして、神社から更に北へ、山の上へと入っていくと、姫の姿ともいえる、滝があります。

「遅越の滝」

聞いたこともない滝の名前でしたが、なんだか気になり、行ってみることに。
車をとめ、そこから10分ほど歩いた所に、滝はありました。

そんなに大きな滝ではありません。
でも、 とても優しい、何かに包まれているかのような所でした。

車をとめてから、 そんなに歩くこともなくいくことができるので、 女性でも大丈夫。

有名な滝ではありませんが、一度、足を運んでいただきたい滝の一つです。
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道も綺麗に舗装されていて、とっても歩き安い、
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いよいよ滝です
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まるで木の鳥居です
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そして、滝の帰り道 あの餓鬼ケ森の頂上に太陽が沈んでいる所に出会いました。
そして、何も考えず車を止めた場所は、小さな橋の上でした。

橋の名前がなんと!
「樋之元橋」 これは ひのもと橋と呼ぶそうです。
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「樋之元」 これは、まるでニギハヤヒのことですね。
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今日も最後までありがとうございました。
明日も、素敵な一日になりますように☆




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-10-08 23:32 | 愛媛県久万高原町 | Trackback | Comments(0)

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