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鬼瓦

こんばんは。
1週間ぶりのブログです。

しばらく地元のお祭りや、いろいろ忙しくてブログを書く時間がありませんでした。
でも、その間にもいろいろ時間を見つけては本を読んだり、調べものをしたり、
そして何より、昨日、高知県の姫の神社へと行ってきました。

そこでは、また不思議なことがあったり、
とても大事な伝説を見たりと、一歩一歩、前に進んでおります。

今度の日曜日に、大きな行事が入っていて、
まだしばらく忙しい日々が続きますが、無理せず、更新をしたいと思います。

今日のお話は、
今治市菊間町です。

毎週のように前を通りながら、一度も立ち寄ったことがなかった菊間町の神社に
1っカ月ほど前にやっと行くことができました。

菊間町は、「鬼瓦」で有名な町です。
愛媛県の神社やお寺には、菊間町の鬼瓦が使われているところも多く、
一般の住宅でもよく見かけます。

国道196号線沿いの海のすぐ側にある、「龍神社」の前に、大きな鬼瓦が置かれてあります。

これが、その写真です。

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鬼の頭に太陽。

意味深い姿ですね。。。。

「鬼瓦」とは、この写真のように鬼の姿をしたものもありますが、
鬼とは全く関係のないものもあり、
鬼の面の有無にかかわらず棟瓦の端部に付けられたものを
鬼瓦とよんでいるそうです。

しかし、その起源は、なんとギリシャ神話にあります。

古代遺跡パルミの入口の上にメドゥーサを厄除けとして設置していたことにあるといいます。

メドゥーサとは、皆さんもよく知っている蛇の姿をした女神です。

メドゥーサは、ギリシア神話に登場するゴルゴーン三姉妹の一人。

「ゴルゴーン」とは、「恐ろしい」という意味だといいますから、

「恐ろしい三姉妹」の一番下の女神、それがメドゥーサです。
また、この三姉妹は 「海神」の娘だといいます。

海神の娘で、その姿は恐ろしい蛇。 
まるで、瀬織津姫が変えられた姿と同じです。

シルクロードを渡ってきたこの文化は、奈良時代日本へと入ってきました。

奈良時代と言えば、姫が封印されてすぐの時代。
また、封印によってさまざまな天災が起こり、姫の怒りだと恐れられた時代です。

メドゥーサが厄除けとして置かれたように、日本でも、姫が鬼となり、厄除けとして
置かれたのだと思います。

ギリシャ神話の中でも、「悪」とされた海神の女神は、
日本でも同じように悪とされてしまったのです。

その形、名前は違いますが、
どれも根源は同じなのです。

今でも 「罰があたる」 という言葉をよく聞きますが、
人間は、自分にやましいことがあると、何かが起こった時、「罰があたった」と
考えてしまう。

それは、古代も現代も変わっていません。

特に、今以上に神様の存在を近くに感じていた古代の人々は、
あちこちで起こる天災や厄病を、神様の怒りとしてとらえていて、
その怒りを鎮めるため、またその力を逆に利用しようとしたのです。

この鬼瓦の起源も、そうだったのだと思います。

菊間町には、粘土瓦業者の守護神として祀られる神社があります。

そこには、竈神が祀られています。

この竈神も同じ。 荒神として祀られた竈神は、霊界と現世との境界の神とされたり、
清浄を尊んで不浄を排する神とされる元には、
姫の封印の意味があると思われます。

神道において、竈三柱神(稀に三本荒神)とは、
オキツヒコ(奥津日子神)・オキツヒメ(奥津比売命)・カグツチ(軻遇突智、火産霊)とされます。

これは、伊邪那美神を黄泉の国へと行かせた 「火の神」。

水の終わり、火の始まりを意味する神でもあります。

「竈」は、姫の魂を黄泉の国へと送る重要な役目を持つとも考えられます。

姫の封印の代わりに現れた 「伊予の狸(姫の魂を守る)」が、
竈に入れられて焼かれる伝説もそれに繋がるのではないでしょうか。

黄泉の国へと魂を送り(不浄を排する)、現生の人々を守る神という意味が
あるのでしょう。

粘土は、キリスト教では人を作り出す命の源。
竈で焼かれた粘土には、火の神の子どもが生まれる意味もあるのです。

火の神の守護神として誕生した、竈三柱神は、
厄除けのためにこの世に誕生したとも言えるかもしれません。

弘法大師が厄年にお参りしたと伝わるお寺が菊間にあるのも、
もしかしたら、これに繋がるものがあるのかもしれません。

*龍神社
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龍神社の向かいに、まるで向き合うように鎮座する、
三穂神社

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そして、ここが、菊間特産の粘土瓦業者の守護神

*荒神社
*今治市菊間町浜3299番地
*祭神
 斎火武主命(いみびたけぬしのみこと)
 奥津比古命(おくつひこのみこと)
 奥津比女命(おくつひめのみこと)

この神社は、踏切のない線路の向こうにあります。

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こちらへ行かれるさいには、
すぐ近くにトンネルがありますのでお気をつけ下さい。
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またこの神社の目の前の海には、
伊予国風土記に伝説が残っています。

熊野という舟が石になって残り、「熊野峯」の地名の由来と なったと。

この海でも、姫を祀る人々がその命を落としたのかもしれません。。。




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by ldc_nikki | 2012-08-14 02:07 | 愛媛県今治市)(旧菊間町) | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日は、今治市波方町宮崎に鎮座する 「御崎神社」です。

ここは、以前にも一度ご紹介した神社なのですが、
その時は、すぐ近くまで行き、御崎神社に繋がる参道を通っていませんでした。

そこで、今回もう一度、
ご紹介させて頂きます^^

今治市波方町 「宮崎」

ここは、縄文時代から人が住んでいたと伝わる場所の一つです。
また中世には、海賊が滞在する場所ともされていたと言われ、
この宮崎には、海賊だった人々のお墓もあるようです。

しかし、今行くと、かなりの絶壁。

こんな所に人が住んでいたなんて。。。
と思ってしまいますが、私たちと古代の人々の感覚は
全く違っていたのでしょうね。

ここは、高縄半島との一番北側に位置し、
愛媛県の最北端でもあります。
正確には、大隅半島が最北端になります。
(ここには、弘法大師の伝説があります)




一説によると、
この宮崎という地名は、大山祇神社とも繋がるのではないかとも言われています。

宮崎の宮とは、大山祇神社のことを指すとも。

宮崎の鼻には、現在最先端に灯台があります。
この御崎神社は本来、その灯台のあったところに鎮座されていたといいます。

しかし、その時は現在の名前ではなく、
香取神社と呼ばれていました。

そして、キーワードの年、

神亀5年(728)に、
ここに、二つの神社が合祀されて御崎神社が建立されました。

この年代から見て、
この場所に移された時に、神さまの変更があったと考えられます。

現在の祭神は 「猿田彦神」 とされることが
更にそれを物語っていると思います。

そして、この御崎神社には、冒頭でもお話したように、
山桃が植えられた参道があります。
現在は、舗装された道ができたため、車でも御崎神社へ行くことができますが、
昔は、この参道を通って参拝に行っていたといいます。

樹齢数百年と言われるこのやまももの木は、
この山の中に、約300メートルも続いています。
民家もない山の中は、まるでもののけの世界です。

御崎神社から更に灯台の方へ行くと、
七五三ケ浦という海岸があります。
この辺りに、縄文時代の遺跡が多数存在するそうです。
ここは、とても美しい海岸で、
私も昔はここまでよく泳ぎにきていました。
当時は、この場所がそんな場所などとは考えてもいなかったのですが、
今治とは思えないこの景色が好きで、
よく来ていた場所です。

でも、今考えると 「七五三」とはすごい名前ですね。
七五三の起源については、まだ確信がありませんので
はっきりとわかった時にお話したいと思います。

七五三ケ浦を過ぎ、
灯台があります。
この灯台には、映画の撮影のためにこの地を訪れた森繁久弥さんが
あまりの美しさに感動し、詠んだ歌が刻まれた石碑があります。

今回はここまで行っていないのですが、
この灯台をさらに歩いて進むと、
そこには一本のロープが下へとぶら下がっているそうです。
それは、下の海岸へと降りるためのロープのようで、
古代の人々は、もしかしたらこんなロープをつたって
下へと降りていたのかもしれないと想像させられます。

まずは、御崎神社に続く参道と、参道の手前にある
海の中の鳥居からご覧ください。

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この鳥居の向こうに見える山の中を通って神社に向かいます。
参道の入口が、この鳥居の方向にあるのだと思います。

ここが、参道の入り口。

別名 「やまもものこみち」です。

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小さな狛犬にお出迎えされ
山の中へと入っていきます。

参道の地面は、多くの落ち葉で埋め尽くされ、
まるで葉っぱのじゅうたんです。
そのおかげで、地面がふわふわして、コンクリートの道を歩くよりも
ずっと歩きやすい。
この落ち葉がまた栄養となって地面へと吸収されていく。
こうして自然は循環しているんだなと、感じる場所です。

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小鳥たちのさえずり、心地よい風、
こんな場所が市内からすぐのところに残っていることに
感謝です。

3分の2くらい進むと、
神社の名前が刻まれた石碑があります。
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約300メートルの参道の両側に
まるでトンネルのように植えられた山桃。

一瞬、黄泉の国から伊邪那岐命が逃げて帰るその姿を
想像してしまうようなそんな場所です。

古事記のあの場面を再現するかのように、
ここに山桃が植えられたのかと思ってしまいます。

黄泉の国とは、姫のいる場所を示す所でもあり、
その帰る途中、追いかけてきた鬼女たちを、
桃で追い返す。
桃には、邪気を祓う力や不老不死を与える力があるとされていました。

ここでもまた、姫は自分で自分を退散させられてしまったのですね。

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参道を抜けると、
神社の鳥居の前に出ます。

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境内へ入ると、まっさきに目つくのが、
この牛。

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昭和30年ころまでは、
田植えの終わった近郊の農家が、牛馬を休ませて、
この神社に参詣し、また牛のわらじを造って奉納し、
牛馬の護札をうけて畜舎に飾って農作業の安全と豊作を願ったと言います。

拝殿
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神紋は、やはり三島紋

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でも拝殿には、本来の神社に由来する神紋であろうものが
二つ一緒にかかげられていました。

一つは 「十六菊紋」
もう一つは 「五三の鬼桐」

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今、古代の沖縄と大和の関係について調べています。
古事記の中で、日本国とされていなかった沖縄。

しかし、その沖縄にも、
大和で起こったことを伝えるさまざまな伝承があることがわかってきました。

沖縄の神は、
本来の倭が伝えた神だったのです。
そして、封印された本来の神を、
唯一沖縄だけが、ずっと祭りつづけていました。

そして、どうして沖縄だけが
残ったのか。
それを物語る歌が、今もある一部の人々の間で
歌われつづけているということです。

沖縄生まれで、ここ愛媛に移り住み
長年くらしていた 名護博さんという方が
「赤碗の世直し」という本を書かれています。

数年まえに、知人から突然渡された一冊の本。
まだ、何もわからなかった当時、私はその本の意味が全く理解できませんでした。
でも、今やっとその意味が繋がってきました。

世の中を戦いのない世界にしようと、
立ち上がった女性たちがいました。
それが、卑弥呼を中心にした邪馬台国連合。

その女性たちの想いは、
ここ沖縄にも伝わっていたのです。

う-とーと-  いづがぎー あめーらわん 
てだがぎー ほくらって 神の生まりたちや
大和のふそ(ん)の御獄 
うちなーならわん よかるならわん すぢが元たてて
親の神は うんつけーしやびら
大和から下たる 赤碗のよのーし
中盛らち 御酌しゃびら 
やしろから下たる 黒碗のよのーし
端盛らち 御酌しゃびら

「水と太陽の霊も寄りつく私たちの崇める神は、ヤマトの中心の国のお生まれである。
この神を崇めるのは今や沖縄だけになってしまったが、スジを曲げないでこの神にお仕えし、ご御招請しよう。大和・山城から伝わった赤碗の世直し(碗)に、神酒を溢れるほどに注いで捧げます。」

ここ日本では、女性が 「鬼」とされ、数多くの伝説に伝えられてきました。
その鬼女とは、女神の姿でもありました。

しかし、沖縄では、
戦いで命を奪う 男性を 「鬼」 とし、
女性たちの間で、代々その伝承を受けついできました。

なんだか、この歌が、この女性たちが立ち上がったこの時代が、
今の世の中にかぶります。

「戦争」という命の戦いは、今日本ではありませんが、
その代わり、
「お金、権力」 という新たな男性社会の争いが、まるで戦争のように、
行われているような気がします。

私が、今していることは、単に古代の謎を解きあかしているのではなく、
もう一度、本来の争いのない、命を中心にした世界へと
還るためにどうしてもしなければいけないことのように思います。

そして、女性たちが、
男性と同じような戦いをするのではなく、
女性にしかできない戦いを始める時ではないかとも思うのです。

命を守るために。。。。。。。




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by ldc_nikki | 2012-06-23 23:10 | 愛媛県今治市(旧波方町) | Trackback | Comments(0)

大山祇神社と姫と狸

こんばんは。

まだ一度も訪れていない徳島。

それなのに、今徳島のことが次々とわかってきます。
以前から、気になっていた場所や謎。

それが、なぜか次々と、その意味がわかってきます。

あまりに一度に、宝物の箱が沢山のプレゼントが出てくるかのように、
繋がってくる現状に、自分でも驚いています。

しかし、私のこの考えが間違っていると思うかたもいらっしゃると思います。

私自身、本当に1300年間だれもわからなかったことが、
こんなに次々わかるはずがないと思う気持ちもどこかにあります。

でも、確かに、真実に近づいていると、
私は、思っています。

その気持ちがもっと強くなるように、
一つ一つ、例えどれだけ時間がかかろうとも、
確かめていくことしかないと思っています。

今日も徳島の神社に、大山祇神社と瀬織津姫の関係を語るかのような伝承を見つけました。

徳島の神社のお話は、
徳島へ訪れてからにしたいと思っていますので、
今は、あまり深くふれることを避けたいと思いますが、
愛媛以上に、なぜかその姿がはっきりとわかる伝承が多いことに
驚いています。

きっと、ここを長くご覧頂いてくださっている方々なら、
その伝承を読むなり、はっと気づくことがあると思います。

いよいよ、
伊予の国以外の神社の伝承にも、
深く入っていく時がきたのかなと思っています。

もし、皆様の町で、
この伝承はもしかして?
と思う場所がありましたら、ぜひ、教えていただけると
うれしいです。

ブログの最後に、

「一緒に、瀬織津姫を復活させましょう♪」と書いてありますが、

なんとなく、一緒に
姫の隠された場所を、見つける時が始まったようなそんな気がしています。

なんとなく、この伝承はそうかも?
と思うところでも大丈夫^^
それを、一つづつ、確かめていきたいと思いますので、
ぜひ、沢山の情報をお待ちしています。

私は、かくれんぼの鬼になったような気分です。
全国に数えきれないほどあるだろう、隠された場所を、
一つ一つ見つけている、鬼。

1300年間閉ざされたまたなドアを、
一つ一つ、一緒に開いていきましょう♪
一人でも多くのみなさんと一緒に。。。。。。。。。。

では、今日のお話です。

今日は、またまた狸のお話。
今まで、私の地元今治以外の狸の伝説ばかりをお話してきましたが、
地元にも、姫と狸を結びつけるかのような神社が沢山あることに
今頃になって気づき、昨日、少し早く終わったので、
行ってきました。

今治の狸は、
大山積神と姫と狸の繋がりを教えてくれるかのような場所にいました。

しかも、今まで訪れたことのある、
越智家に深くかかわる、重要な神社ばかり。
どうして今まで気づかなかったのかと、不思議に思うところばかりです。

では、続けて三社、狸を祀る神社をご紹介していきますね。

まずは、玉川町、白山神社。
祭神は、菊理媛神。

光林寺という空海ゆかりのお寺の中を通り、
その裏山に鎮座される、白山神社の中に、

「狸神社」 はあります。

光林寺は、あの大山祇神社の本地仏、大通智勝仏の仏像を置く、
東円坊と深いかかわりのあるお寺で、
数年前まで、光林寺が、東円坊のお寺も見ていたとされます。

大山祇神社、建立とも関係の深いこのお寺の裏山の
姫を祀る 白山神社の中にも、ちゃんと狸は存在していました。

*白山神社 境内社 狸神社

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こちらは白山神社の拝殿です。
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そして、狸神社。
この狸神社。なぜか、山王神社祭神と書かれた祠と同じところに祀られます。
山王神社の祭神は、

「大山咋神」 ← 大山積命のこと。

この中に、狸が祀られていること、もうおわかりですね。

次は、今治市蔵敷町 

「鴨部神社・榎狸の宮社」

鴨部神社は、越智家の中でも特に有名な 「鉄人」と呼ばれた、
越智益躬を祀る神社です。
この境内にある、大きな楠に住んでいたと言われる狸。

いつのころからかこの大老木に、
一匹のはげ頭の大きな狸が住むようになりました。
だれいうとなしに、この狸を榎狸と呼んでいたといいます。

この狸は、
鴨部神社(または東禅寺)の使い走りをよくしていました。

ある夏の暑い日、清水の八幡さんにお使いを済ませての帰り、
暑さと疲れで、榎の近くのなすび畑の日陰でうたたねをしていたところを、
蔵敷の住人に見つけられ、棒を手にした数人の者に追いたてられ、
逃げ道を失って井戸の中へ転落してしまいました。
それを無残にも竹ざおで突きたてられ、あえない最期を遂げました。
その晩、狸退治(?)をした人達を中心に、
隣近所の人たちが皆で狸じるを作ってにぎわいました。

ところが、その後、狸退治をやった連中や家族、
それに狸じるをよばれた者が、次々と変死したり妙な病気にかかるなど、
珍事が続出しました。

この地の人たちは、これはてっきり榎狸のたたりだと大いに恐れ、
有志の間で相談の上、祈祷をしてもらい、
その結果、現在の毘沙門天の隣地に新宮を造り、
「高砂八幡」としてお祭りしました。
その後、従前ほど、災難は起こらなくなりましたが、
それでも、まだぼつぼつ変な病気になる人が後を断ちませんでした。

そこで、鴨部神社の境内に新たに「お狸様」と称する宮社を造り 
―蔵敷町の故青野小三郎氏の発起によるもの― 
一層てい重にお祭りしたところ、その後、ぷっつりと災難がなくなったということです。

そして、現在鴨部神社のお狸様の横は、
狐を祀る宮社と並ぶように、鎮座します。

左が狐を祀る神社、
そして右が狸を祀る神社です。

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この社の左(赤い方)が狐。右(青い方)が狸です。
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そして最後が、

「別宮大山祇神社」

和銅5年(712)大領の越智玉澄公により、
伊予一ノ宮、大山祇神社の地御前として勧請創建された神社。
神社の隣には、
四国八十八か所55番札所 南光坊があります。

ここには、
「大楠と三匹の狸」の伝説があります。

神社の境内にある、大楠に住んでいたとつたわる

「お奈遠」「お佐遠」「お袖」の三姉妹狸。

一説には、現在は、この大楠には「お奈遠」だけが祀られていると言います。

その他の狸はというと、
境内にある他の楠に祀られているのではないかと思います。
書かれてはありませんでしたが。

*別宮大山祇神社
*大山積大神
*「お奈遠」「お佐遠」「お袖」の三姉妹狸

拝殿
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拝殿の横に鎮座する大きな稲荷神社
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本殿と稲荷神社に挟まれるように鎮座する、
磐長姫を祀る 「阿奈婆神社」

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まるで竜宮城のような、阿奈婆神社の本殿
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境内に祀られる三つの御神木。このそれぞれに狸が祀られているのだと思います。
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そしてこれが、三姉妹狸の本体。
大楠です。
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三姉妹とは、宗像三女神と同じ意味の狸だったのだと思います。

「お奈遠」「お佐遠」「お袖」

別宮大山祇神社に住んでいたと伝わる 三姉妹狸とは、
空海が開放した、姫の意味を持つ狸だったのです。





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by ldc_nikki | 2012-06-08 00:01 | 愛媛県今治市 | Trackback | Comments(7)

こんにちは。

来週、5月2日はいよいよ古事記物語の著者 「宮崎みどりさんと小林晴明さんの」
古事記のお話があります。

先日もおひとり 参加させていただきたいというご連絡を頂きました。

私のブログを通じて、古事記に少しでも興味をもっていただける方が増えると
私もとてもうれしいです。

古事記を知ることは、
今の日本がつくられた原点を見るうえでかかすことのできないものです。

その内容は、確かにつくられたもので、
自分たちの世界をつくるために書き下ろされたものです。
でも、それでもそれが原点となり、今の日本がつくられたことに変わりありません。
また、その中には今を生きる私たちが、忘れてしまった大切な教えも含まれているような気がします。

よくも悪くも、
今の日本がこれを元に始まった国だということを知っておくべきだと
私は思っています。

知った上で、間違いはただし、
また新たな国造りを始めるべきではないかと。

今年は、古事記1300年という大きな節目です。
原発にしても、政治にしても、経済にしても、人の生き方にしても、
いろいろなことをもう一度考えなおさなければいけない時期に入った今、
私たちは、もう一度原点に戻り、きちんと現実をみつめなければいけないと
強く思います。

「権力」を持つものが好きなようにできる世の中を変えるためにも、
古事記が創られた意味を知ることはとても大切なことです。

自分勝手な考えかたを続けていると
どんな未来が待ちうけているのか、それを今を生きる私たちは
いやというほど、いろんな場面で思い知らせているのではないでしょうか。
(まだいろいろなことが起こっても、それに気づいていない人も沢山いますが)

今回のお話は、昼の部と夜の部の二回講演となっています。
夜の部は、昼の部よりも少し奥が深い内容となるようです。
私もどんなお話をしていだけるのか、とても楽しみにしています。

もし、興味のある方がいらっしゃいましたら、
直接お寺の方へご連絡いただくか、もしくは私のところまでご一報ください^^
kids_ld@ybb.ne.jp

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今日はこれから松山へと行きますので、
神社のお話は、夜にアップしたいと思います^^

では、楽しいゴールデンウィークをお過ごしください!


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by ldc_nikki | 2012-04-28 13:16 | お知らせ | Trackback | Comments(8)

こんばんは。

今日は、今治市に鎮座する 「三嶋神社」をご紹介します。
今治には、沢山の三嶋神社があります。

越智氏の本拠地なので、当たり前といえば当たり前なのですが、
「三嶋」 と書かれていない神社でも、その大半が神紋が 「三」の文字。
改めて、三嶋の勢力がどれだけ大きかったかを、思いしらされます。

今日ご紹介する三嶋神社は、
国府があったところではないかと言われている場所の一つ、

「上徳」 というところにあります。

「上徳=神徳」とも読めるこの場所は、
富田地区にあり、朝倉へと続く頓田川沿いに位置します。

川を朝倉方面へと走っていると、右下に木々が生い茂る小さな杜があり
神社はこの杜の中にあります。

この神社へ行くのは今回で二度目。
一度目はもうずいぶん前で、なんだか薄暗いところ。。。と思ったのが第一印象でした。
その時は、全く気付かなかったのですが、
ここに、大きな鍵を握る神様が祀られていたとことに今回気づきました。

その神様が、タイトルにもある

「鷺大明神」 です。

境内社の中に祀られる神様なのですが、
この神様が、出雲と伊予の国を結ぶ重要な神様なのではないかということが今回わかりました。

「鷺」 と言えば、
ブログの中でも何度も出てきている鳥。

三嶋明神と鷺は、同一とも言える とても深い関係にあります。

あの今治市鳥生町という名前の由来にもなった鷺は、
三嶋明神の 「神使」 と言われています。
河野家が戦いに苦戦している時、鷺が現れ助けてくれたお話や、
道後温泉のお湯を見つけたのも、足をけがした鷺がお湯の中でその傷をいやしている姿を見て
発見したと言われ、現在も道後温泉の本館には、まるで大山祇神社の方を見ているかのように
本館の屋根の上にいます。

北を向いた鷺
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また鷺は月の神の使いともされ、兎と同様、
月の女神の神使です。

古代太陽の神使は 「カラス」 とされ、
それと反対に、 月の神使は 「鷺」 だとされていたのです。

そしてこの鷺が、伊予の国以外に祀られていることがわかりました。

その場所が 「出雲」 です。

鷺大明神として出雲の国に祀られる 「鷺」は
島根のお隣の鳥取では、 鳥取の神話の代表 「兎」とともに 鷺が祀られているといいます。

「鷺」と「兎」はともに、月の使い。
どうして、出雲の国に「鷺大明神」が祀られたのか、
これからもう少し詳しく調べていかないといけませんが、
私は、この鷺大明神が一つの大きな鍵を握るような気がしています。

*三嶋神社
*今治市上徳字高森194・195番地
*祭神:大山津見命(おほやまつみのみこと)

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神社の境内には、水を抜かれた池があります。
その中には、小さな祠が。。。。 ここに昔は弁財天が祀られていたのでしょうか。
それともここが、祓いの池だったのでしょうか。
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そして更に奥には、大きな磐があります。
古代、ここが祭祀の場所だったのかもしれません。

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そして磐の隣には少し小高い丘があります。
その上に、小さな祠があります。 
ここに鷺大明神は祀られています。

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この階段を上がります。
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そして同じ場所に、天照皇大神。
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この三嶋神社のすぐ近く、田んぼの中にもう一つ小さな祠があります。

「桜元塚大明神」

その由来ははっきりとわからないのですが、
地元の言い伝えでは、お酒が好きな神様で、必ず午前中に行くことと言われているそうです。

「桜」の「元」 とは、桜の神様はここです。と言いたいのでしょうか。
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by ldc_nikki | 2012-04-24 22:48 | 愛媛県今治市 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

3月も後少しですね。 一か月が本当に早いです。
いつもの年ならそろそろ桜が咲き始めるころなのですが、今年はまだまだ。。。
今日の新聞に、菅原道真がたどり着いた場所桜井の梅の花が、一か月遅れで今満開になっているそうです。

朝倉へ続く桜で有名な川沿いには、いつもの年と同じように提灯がたくさんつけられているというのに、
夜桜を楽しめるのはもう少し先になりそうです。

お花見の予定がなかなかたてられませんね。

でも、春はもうすぐそこ。 桜の開花を楽しみに待ちたいと思います。

では、龍女のお話。 いよいよ今日で最後になりました。
衣干からスタートした龍女が登った川 「龍登川」をさかのぼり、千手観音を龍女自らが掘ったと伝わる場所

四国八十八か所 「仙遊寺」に向かうことにします^^

仙遊寺は山の頂上近くにあるのですが、今回私たちが行った場所はお寺ではなく、お寺に入る少し手前の
弘法大師加持水のある場所です。

以前お話した宇和町のお寺、四国八十八ヶ所 「明石寺」 では、龍女が大きな石をかついで山を上がり、
山の頂上に着く前に、太陽が昇り鶏が鳴く声を聞いておどろいて消えてしまった場所にも、
弘法大師は井戸を掘り水を出していました。

そして今回は龍女が千手観音を掘ったと伝わる場所。

ここにも、弘法大師が民のために水を出したと言われる場所があります。

それが、ここ仙遊寺です。

そして仙遊寺には、加持水の入口の手前に小さな池があります。

池の名前は 「放生池」

「放生」 とは、 捕えられた龍を放してやることをいいます。

724年、八幡神の託宣により宇佐神宮で放生会を行ったことが起源といわれる
「放生会」 は、京都府の石清水八幡宮や福岡県の筥崎宮をはじめ全国の八幡神社で行われいる儀式です。

大山祇神社境内にある、雨乞いの池の名前も 「放生池」 といい、そこでは龍が三つに切られたという伝説が残っていますが、この儀式は姫である「龍」の魂を鎮めるための儀式だったのだと私は思っています。

その放生池が、ここ仙遊寺にもありました。
それも、お寺の中ではなく弘法大師の加持水の入口に。

池には観音様の姿が。。。。
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この木の向こうには不動明王がいらっしゃいます。
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そして池の向こう側には小さな祠があり、その中には龍が。。。
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池の向こう側に行ってみます。入口には狛犬のようなものが。。。
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入ってすぐ左に不動明王が。

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そして観音様
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観音様のお顔はとても優しい顔をしていました。
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そして、中央に祀られる小さな祠へ。
祠の前に行き手を合わせ合掌。 そして中を見てみるとそこには。。。。。
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白い龍。

小さな龍でしたが、見ているとドキドキしてきて、なんだか緊張します。
ここには何の説明もありませんが、この池は 「龍」のための池。
龍の魂を鎮めるための池だと思いました。 

そしてこの向こうが、龍女の伝説の場所だと。

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まずはこの山門をくぐります。
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そしてここから山へと入ります。
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階段を上ります。
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一歩足を踏み入れると一瞬にして空気が変わります。
ここから神域。
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山へと上る道の横には、水はわずかしか流れていませんが、美しい水が流れています。

ここが、龍登川の源流です。

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龍女はこの川を伝いここまでやってきたのですね。
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そしてとうとう見えてきました。
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弘法大師加持水。

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この水は1000年以上たった今も枯れることなく、わき続けています。
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途中不自然に途切れた龍登川でしたが、その源流はちゃんとこの地にありました。
龍女は、自分の魂が眠るこの場所に、千手観音を掘りました。

この地にそういう伝説が残ったのは、きっとその存在を何かの形で残したかったからなのだと思います。

そしてこの地は、姫を祀る一族が逃げてきた場所でもあり、姫をここで最後まで守ろうとした人が、最後を迎えた場所かもしれません。

弘法大師はそのことを知り、ここへとやってきたのだと思います。
そして姫の魂を外へと出すために、井戸を掘ったのだと思います。

その水は、不治の病をも治す 「再生の水」 

瀬織津姫の聖なる水です。

ここは私には瀬織津姫の眠る聖地のように思えました。

仏の姿に変えられてしまっても、真の意味は同じ。 例え封印され、消された場所だったとしても、
そこには、ちゃんと姫の魂が宿っていると感じます。

龍女の伝説はただのつくられたお話ではありません。

その奥には多くの人々の命と姫の魂、そして言うことができない多くの真実がつまっているのだと思います。

最後に仙遊寺から見る景色です。

今から約1300年前、この山奥で見た景色はどんな風だったのでしょう。

島と島を大きな橋で結ぶ光景はきっと想像もできなかったでしょうね。

豊かな暮らし、自由、争いのない世界。
そんな世界がいつかくることを願いながらこの世を去っていったのかもしれません。

私たちは今、この時代の人々の望んでいた世界に生きているのかもしれません。
でも、今度はこの時代の人々が持っていた大事なものを無くしてしまったのかもしれません。

こうして歴史を巡ることで、少しづつ少しづつ
無くしてしまったものが、蘇ってくるような気がします。

今日は久しぶりに動画をつくってみました。

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by ldc_nikki | 2012-03-24 03:42 | 愛媛県今治市 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今週は家族が順番にインフルエンザにかかって大変。
元気なのは私だけ^^;

今年は寒かったせいなのか、こんな時期にまたインフルエンザが流行るなんて、
皆さんは大丈夫でしょうか?

少し暖かくなってきましたが、まだまだ寒暖の差が激しい時期が続きます。
どうぞお体に気をつけてください。

では今日は前回の続き、竜登川の第4回目です。

川が行き止まりとなり、不自然に左へとおれていましたが、そのままもし川がまっすぐに流れていたら
龍仙寺へと登っていくはずだと思い、そのままお寺にむかってまっすぐ行ってみることにしました。

川はここから左へとおれていました。

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向こうに見えるのは仙遊寺の山
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山にむかっていると、小さな標識が。
止まってみてみると、ここはお遍路さんの道でした。

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仙遊寺まで1.8km。 歩いてお遍路さんをする方たちはここを歩いて行くんですね。

そして、少し行くと初めてみるお寺が。 名前は 「吉祥寺」
なんだか、気になったので車を止めておりてみました。

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目の前には池。
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入口にはお堂が。
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そしてお寺の入口に置いてあった看板には
「鷹取殿」 と書いてありました。

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「鷹?」 鷹ということばが気になり、行ってみることにしました。
鷹取殿はこの吉祥寺の裏山の上にありました。
山へとあがる入口に小さなお堂があったのでみてみるとその中には「三島の神紋が」
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ここも三島家のお寺でした。
ますます気になり上に行ってみることに。
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一番上まで行くと、小さなお堂がありました。
そこには赤ちゃんのステイがたくさん結び付けられていました。

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お堂の彫刻は初めてみる形で、波と波の間に注連縄がかかっていました。
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ここは、正岡紀伊守経長が
天正13年(1585年)小早川隆景の奇襲を受け落城し自害した後、
妻子は鹿子谷で自害したため、その霊を祀ったもので、
安産、子育てのお守りとして多くの一族の人々が信仰されているところでした。

正岡家は、越智家から河野家へと名前が変わったように、
越智家の血を受け継ぐといわれています。

正岡という苗字は北条に多く、北条には正岡家が宮司を務める神社もあります。

この山には鷹取城というお城があり、そのお城の城主の妻子は傷ついた体のうえ、お腹に子供を身籠り、そのお腹をかばいながらこの近くの鹿子谷の洞窟の中に隠れていたのですが、とうとう自害してなくなったといいます。

この戦いは、愛媛中のあちこちに攻め入った、豊臣秀吉の四国征伐です。

この鷹取城はあちこちの城が落城する中、最後まで抵抗し続けた場所だといいます。

今でこそ車でこの山の中までこれますが、昔は今のように開けていたわけではなく、この山の中で必死で抵抗しつづけた様子を思い浮かべると、なんだかとてもつらくなります。

また、この妻子の最後のお話などは、瀬織津姫が封印された時代と重なるものがあり、こんな風に多くの人々が山の中で隠れ最後は自害また、討死したのかもしれません。

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次回は、龍女がのぼった川「龍登川」の最後の場所、
龍女が千手観音さまをほったと伝わる仙遊寺の湧水です。

吉祥寺から山を見上げると見えるこの建物が仙遊寺です。
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by ldc_nikki | 2012-03-22 22:55 | 愛媛県今治市 | Trackback | Comments(4)

こんばんは。

昨日の続きの龍登川です。

衣干神社から川沿いをまっすぐまっすぐ進むと、川はだんだん狭くなっていきます。
途中小さな橋の上で降りてみると、橋にもちゃんと竜登川の文字が。。。

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田んぼの中をまだまだまっすぐ山へと向かいます。
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そして住宅街の中へ
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しかし中寺という地区に入ると川が途切れてしまいました。
その途切れた所には、宝寿寺というお寺が。。。。
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でもこのお寺はそんなに古くからここにあるわけではないようで、直接関係はない気がします。
ただ、ここで突然川の流れが不自然に左へと折れています。
本来龍登川は仙遊寺まで続いていたはず。いつ川の流れが変えられてしまったのかははっきりとわかりませんが、なんとなくこの川の流れが変わったこの辺りに何かあるような気がしました。

そして、偶然調べものをしている時に見つけた伝説とこの辺り一帯の意味が後で繋がりました。
それがこの地図です。


川の流れが直角に曲がっている所が、先ほどのお寺 「宝寿寺」です。
地図を見てもわかるように、そのまままっすぐもし川が続いていたその先には、

四国八十八か所 「仙遊寺」があります。

そしてその間にあるお寺が 「吉祥寺」 
このお寺は、越智家から分かれた 「正岡氏」ゆかりのお寺です。

そして、西の方をにある二つの記。

一つは 「弁天池」 が今も残る 「厳島神社」

その向こうには 今はもう壊されてしまっているお寺 「石中寺」

この石中寺はその姿はもうありませんが、その名前だけは今も残っているようでバス停の名前が
石中寺でした。

このお寺が、姫が封印された時代、とても重要な拠点の一つだったのです。

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<石中寺の由来>
富士山をはじめ日本の高山は、たいてい役行者<えんのぎょうじゃ>(役小角<えんのおず>とも言います)が開拓したと言われています。また、その間に数々の仙術を披露しており、「日本霊異記」と言う書物には、孔雀王咒法と言うもので空を飛んだり、鬼神を駆役する等、種々の奇蹟を伝えています。
ところで、四国霊峰と言われる石土山(瓶ヶ森とも言い、山岳愛好家は瓶の愛称で呼んでいます。)も役行者の開創によるものと言われています。
 この役行者が、全国行脚の途次、大宝元年(701)に清水の中寺の石中寺の不動院に寄られて、ここを根本道場として、孔雀明王、不動明王、愛染明王の法の功徳によって大誓願を行いました。すると、不思議なことに、空中から五色の雲が下り、楢原、石土、豊岡、象頭の四大権現が現れました。そこで、役行者は、石中寺の住職峰仙とともに、石土蔵王権現の彌山を決めるため、石中寺の東に向かって行き、高くて険しい山々を駆け巡り、草衣木食を以って難行苦行を積んだ末、石土山瓶ヶ森で、遂に尊い大権現の霊感に浴しました。早速この石土の地に安置申し上げるとともに、清水の石中寺にも本尊としていただいたと言うことです。このようなことがあって以来、石中寺がずっと、石土総本山として信仰されるようになりました。その後千有余年間、いろいろ時代による興亡はありましたが、近くの霊峰石鎚とともに、多くの信者を有し今日に及んでいます。
特に、昭和のはじめに、清水の小笠原観念住職が中興に当たり、かなり規模の大きい壮大なお寺になり、更に、昭和二十二年(1947)天台宗寺門派より独立し、石土総本山石中寺として、全国的にその名を広めるまでに至りました。しかし、残念なことに、二十数年前経済的な面で思わしくないことがあり、建造物がこわされ、御本尊が他に移されています。

これは今治地方に伝わる伝説の一つです。
ここに書かれてあるように、役行者は 701年、大山祇神社の大造営が始まったとされるころ、この石中寺を根本道場として大誓願をおこないました。

そして石鎚山の弥山を決めるためにここから出発しました。

そして石中寺がずっと、石土総本山として信仰されるようになったといいます。

ということはここに、大和の拠点があったということになります。

先日お話した久米の政庁でもそうだったように、そこには必ず「寺」がありました。
大和をつくるにあたり 「寺=役行者」 は 必要不可欠。 
影の大きな役割を担った役行者が、根本道場を置いた場所が拠点であったのではないでしょうか。

600年前半につくられた久米の政庁は、その機能を今治へとうつしました。
そして、今治に国府がつくられたといいます。

今治の国府がどこにあったのかは、まだ今もはっきりとしたことがわかっていません。

でも、このことから私は、この辺り一帯。
龍登川が途切れたこの場所から、寺があった場所一帯に国府がつくられていたのではないかと思いました。

だから川もここで途切れているのかもしれません。

またここには、空海のある伝説もあります。

ちょうど川が途切れた場所の近くに松木という地名があります。
この松木に住むお百姓さんが空海が水を与えてくれるよう頼んだところ断ったため、この辺りいったいの水を、金気水にしてしまったといいます。

金気水とは鉄分を多く含む水のことで、とても飲める水ではないといいます。

龍女が観音さまを掘ったと伝わる 「仙遊寺」では弘法大師は水を出したといいます。
しかしその麓である 松木では 飲めない水へと変えてしまったという伝説が残っています。

空海は、水を出したという伝説と、水を止めた、また飲めない水にしたという伝説の両方があります。

水を出した場所とは姫がそこに祀られていた場所に多く、水を止めた場所は姫を封印した側に関係が深い場所ではないかと思います。

これらのことから、今治ではまだ遺跡として国府が発見されたわけではありませんが、
ここがやはり一番可能性が高いのではないかと思います。

石中寺は今はもうその姿はなく、小さなお堂だけがバス停の向かいにありました。
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そして、姫の水だけが残る 「弁天池」もすぐ近くに。

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今は小さな公園となっていますが、泉の側に小さな厳島神社がたっていました。
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地元の方でしょうか。 ちゃんとお供えものを置いてくださっていました。
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次回は、途切れた川をそのまままっすぐ仙遊寺へとむかってみたいと思います。

先日、スマートフォンのサイトをつくっているとお知らせいたしましたが、
まだ完成とまでは行きませんが、少し形になってきましたので、ご紹介させていただきたいと思います。

(愛姫伝 写真集)
サイトURLhttp://smart4me.net/aihimeden

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スマートフォン専用サイトなので携帯では見ることができません。
両方で見ることができればいいのですが・・・・・。

今日もありがとうございました。



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by ldc_nikki | 2012-03-20 02:36 | 愛媛県今治市 | Trackback | Comments(1)

こんばんは。

今日は昨日の続きです。
龍登川を出発して一番初めに向かったのは、龍女が衣を干したと伝わる 

「衣干峠」 です。

ここは、現在衣干神社が鎮座されています。
またこの神社の由緒の中には、もう一つの衣にまつわる伝説があります。

「長慶天皇文中2年9月28日、覚理法王が新居郡御所寺より密かに船に召されて、夜の明け方に此の処(現神社地)に上陸し夜露に濡れた御衣を、社の岩の上に干された」という伝説です。

「覚理法王」とは長慶天皇が出家した時の名前のことをいいます。

長慶天皇とはこの今治から現在の玉川町を抜け松山へとむかったとされています。
その時にここに立ち寄ったとされ、現在も衣を干したという岩が残っています。

神社の創建は700年前後ではありませんが、
河野親清が石清水八幡宮を二十六社勧請せられた一社でもあり、
二つの衣伝説が残る場所。

またここは、古代は海だった場所で、満潮の時は海となり干潮の時は水が引き人が歩ける場所でもあったと考えらます。
そんな海と川の入口にある丘にはここだけではなく、多くの場所に瀬織津姫に繋がる衣伝説や、
神功皇后の伝説が残ります。

衣の伝説と言えば、天女の羽衣伝説。

これもまた瀬織津姫に繋がる伝説。 8人の天女が地上へと舞い降り、そのうちの一人の天女だけが羽衣を無くしてしまい天へと帰れなくなりました。
天へと帰った天女は、北斗七星と結び付けられる。

この伝説がつくられた原点は 「7」にあります。

そこには 「8」から「7」 にしなければいけない理由があったからです。

それが、「8」の暗号のところでお話したことに繋がります。

衣は瀬織津姫を祀る一族が伝えたという織物にも繋がります。

ここに籠宮に住む龍女の 「衣」 にまつわる伝説が残っていることは、瀬織津姫の存在を伝えてるためだったのだと、私は思います。

*衣干八幡大神社
*今治市衣干町2丁目2番66号
*祭神
三女神(さんじょしん) 
品陀和気命(ほむだわけのみこと) 
息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)  



龍登川河口を出発し、旧国道196号線に出てすぐ右へ入ると神社はあります。
住宅が密集するその中に、小さな丘があります。神社はその上に鎮座します。
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狛犬の向こうに見えるのが拝殿です。
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拝殿です。
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そしてこれが衣をかけたという石。
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龍女はここに衣を干し一休みして、作礼山を目指しました。
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今日のニュースで、
東京浅草の三社祭のもとになった「舟祭」が初めて行われてから今年で700年になるのを記念して、
54年ぶりに、「舟渡御」が再現されたと出ていました。

最近古いものが見直されたり、この記事のように一度絶えてしまっていたものが復活したりするお話をよく耳にするようになりました。

人々の心の中で何かが変わり初めているのかもしれません。

知らず知らずのうちに、深く何かを考えていなくても、心の奥底に眠っていた先人たちの想いが蘇ってきているのかもしれません。

私たちの魂の中、私の血の中には、過去の多くの人たちの想いがつまっています。
それは私たちが何も感じないだけで、受け継がれているものだと私は思います。

それが少しづつ今思い出されているのかもしれないと感じます。

今日、松山の姫だるまを売っているお店に行ってきたのですが、この姫だるまは神宮皇后が由来となり造られた、姫のだるまです。
この姫だるまもまた、だんだんとつくれる人が少なくなり今それを絶やさないようにと一生懸命頑張っている方がいらっしゃいます。 
今度、姫だるまのお話にもふれたいと思いますが、今日お話を伺った方も、やはり何か見えない糸に導かれているような気がしました。
そしてここへ行くようにと全く予想外の場所で教えられたことも何かに動かされたのかもしれないと思います。

先日、大浜八幡神社の宮司さんとお話をした時に宮司さんもおっしゃっていた御祭り。

昔今治では、大浜八幡神社から船で今治城のすぐ側まで神輿を運びお殿様のところで祭りをしていました。 これは、大浜八幡神社がこの今治にとってとても重要な神社だということを、お殿様をわかっていたからなのだと思います。

私はできることならこの御祭りをもう一度再現したいと思っています。
できるかどうかはわかりませんが、数年後、もしかしたらそのチャンスが訪れるかもしれません。

私の一つの夢です。
大浜八幡神社の神様が、もう一度この港からお城へと上がることができますように。。。。



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by ldc_nikki | 2012-03-19 00:57 | 愛媛県今治市 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日はとても暖かい一日でした。
関東の方は冷たい雨、とテレビで行っていましたが、ここ愛媛は午後から日差しがさし昨日までの寒さが嘘のように暖かい空気に包まれていました。

今年は例年に比べて寒かったせいか、梅が咲くのも遅く桜の開花も4月になるのでは?なんていわれていますが、今日のお天気で桜のつぼみも少し大きくなったかもしれませんね。

あと少し、桜の開花を楽しみに待ちたいと思います。

桜は瀬織津姫の花。

桜は寒い冬を乗り越えて美しい花を咲かせます。 古代から桜の花は春の到来を告げる花。
花が全て散ってしまった後も、葉桜と言われるほどに、鮮やかな葉が木を覆います。
そして秋、その葉も全て枯れておちてしまう。 
花も葉も何一つ無くなり冬を迎える。
まるで、一度死んでしまったかのように思える桜は、また春がくると同時に美しい花を咲かせる。

古代の人々にとって桜の花は、人間の命と同じだと思っていたのかもしれません。
そして、桜の花のように一度その命が尽きてもまた新しい命として復活することができる。

再生、復活の意味を持つ「木」であり、「花」だったのではないかと思います。

それが瀬織津姫の再生・復活の意味と重なり、
姫の「木」また「花」としての姿と重ねられたのではないかと思います。

では、今日のお話です。

今日から2、3回に分けて今治に伝わる 「龍女」の伝説をお話したいと思います。

この伝説は、今治にある四国八十八ヶ所 仙遊寺ともかかわりのあるお話で、ご存知の方もいらっしゃるかと思います。

今回、私たちはこの龍女の伝説の川 「龍登川」 の河口から、龍女が観音様を掘った仙遊寺まで、
川をさかのぼってみることにしました。

途中車が通れない所も多々あったのですが、そこはジグザグに走りなるべく川の側をひたすら
作礼山を目指し川をさか登ってみました。

どうしてこの川を龍女は登って行ったのか、そしてその川には何が残されているのか、その答えを探すために

まずは、今治に伝わる 「龍女伝説」 をお話します。

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昔、龍女(*①「籠宮」にいるといわれる仙女)が、海から *②「龍登川」 (河南地区を流れている川で龍燈川とも書きます。)を伝って玉川町の *③「作礼山」 に上がり、それはそれは立派な観音さんを作りました。

龍女は、一刀刻むごとに三度礼拝し、何日も何日もかけてこの *④「観音さん」 を作りあげました。
観音さんが出来上がると、龍女は再び龍登川を伝ってもとの海に帰りました。

ところで、ある古老は、龍登川の近くにある *⑤ 「鳥生」 の 衣干という地名は、龍女が川を上がる際、川尻の *⑥「衣干峠」 でしばらくの間休み、衣を干したからだといっています。

また、*⑦「拝志」 という地名は、龍女が観音さんを刻んで川を下る途中、作礼山の方をふり返って、観音さんを何度もうやうやしく拝したからだという人もいます。

その後、旧の *⑧「7月9日」 には、毎年決まったように *⑨「龍燈」 が龍登川を伝って 「作礼山」 へ上がり、作礼山の仙遊寺(真言宗、四国八十八か所十八番札所)にある桜の木にかかったそうです。

この桜の木は今はありませんが、龍燈桜と呼ばれ、明治時代ころまで見ることが出来たということです。その跡へ昭和二十九年(1954)に、高野山の金山大層正によって立派な桜の木が植樹され、かなり大きく成長していましたが、惜しいことに虫にでも食われたのか、今はそれも枯木になってしまっています。

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これが、今治地方に伝わる龍女伝説です。

まずは番号を付けているところの言葉をもう少し詳しく説明していきたいと思います。

①「籠宮」・・・・
これは「このみや」と読み、どうしてこの今治でこの言葉が使われたのかはわかりませんが、
「丹後一宮 元伊勢 籠神社」 のことを、籠宮といいます。
以前、籠神社のことに触れましたが、ここに祀られていた 「豊受大神」が現在の伊勢神宮外宮に
祀られたといいます。
正確には豊受大神が祀られていた場所は、真名井原の地と呼ばれる(現在の境外摂社・奥宮真名井神社)でした。 そしてこの真名井原の地に祀られていた女神 「豊受大神」が、田の神として祀られる
もう一つの瀬織津姫の姿です。

 * 「この伝説の中に出てくる 龍女は、「籠宮」にいると言われていたとかかられています。」
  それは、丹後の籠宮から来たというのではなく、丹後の 「籠宮」 の本来の意味をさしています。
  「籠の宮」 とは 「籠で閉じ込めらた宮」の中にいるという意味です。

②「龍登川」・・・・・・
 この川は今治の中心市街地から数キロ東に行ったところにあり、河口はヤマダ電機の駐車場の横を入っていくとあります。
 川幅はそんなに広くなく、河口から少しさかのぼれば目立たない小さな川です。 でも古代はもう少し大きかったのではないかと思います。 


③「作礼山」・・・
 「作礼山」とは、四国八十八か所龍仙寺がある山です。
 近くからは古墳、遺跡も多数あり、大国主命や少彦名命が開拓したと伝わる一角にもなります。
 またこの 「作礼山」という名前にも不思議な伝説があります。それはお話の中で。。。。
 


*④「観音さん」
 ここで言う観音さんとは、千手観音菩薩のことです。八十八ヶ所仙遊寺のご本尊でもあるこの千手観音様を掘ったのが龍女です。

*⑤ 「鳥生」
 「鳥生」 と書いて地元では 「とりゅう」と読みます。 この名前がついたことも三島明神と関係があると言われます。小千直益躬が、靺鞨(まかつ)の国より鉄人(強い武人)が八千の兵を率いて攻めてきたのを、播磨の国で討ち、木の下の浜(今の鳥生の浜)へ勝って帰ってきました。
そして、自ら榊の大樹に鏡をかけて大山祇の大神を祀りました。そして、この木の枝に多数の白鳥が巣を作り、ひなを育てたので鳥生の宮と称し、この地を鳥生と呼ぶようになったといいます。
「白鳥」 とは、三島明神の神使とされていて、この白鳥とは 「鷺」 のことだといいます。
「鷺」 とは 月の神使でもあり、三島明神が本当は大山積神ではないことをこの鳥が教えてくれました。

*⑥「衣干峠」・・・
 「衣干」 と書いて 「きぬぼし」と読みます。 現在もこのあたりは衣干と呼ばれていて現在のヤマダ電機のあたりがそれにあたります。また「衣干峠」とは現在の「衣干神社」のことです。 この辺りは平地なのですが、ぽつんと小さな丘があります。この丘の上に神社が建てられていて、この場所に龍女が衣をかけたと言われています。

*⑦「拝志」・・・・・
 「拝志」と書いて 「はいし」 と読みます。
 ここは衣干から少し東へ行ったところをいい、近くには桜で有名な頓田川があります。
 この川の上流は斉明天皇の伝説が残る朝倉になります。

*⑧「旧暦7月9日」・・・・・
 どうしてこの日に龍燈が龍登川を上ってきたのかはまだわかりませんが、この日はここだけでなく、他県でも観音様の縁日としているところがあります。旧暦7月9日は真言宗の中での観音様の特別な日なのかもしれません。

*⑨「龍燈」・・・・・
   「龍燈」とは、龍神が住む海や河川の淵から現れる怪火のことを言い、龍神が灯す火と言われています。 仙遊寺の桜の木にかかった 龍燈とは龍神が灯した火。龍は毎年この山の中のお寺に自分の代わりに「火」をおいていっていたのです。

この伝説は、ただのつくられた昔話のようですが、本当は大きな意味を含む大事な物語だったのです。

「籠の中」に閉じ込められた龍女(瀬織津姫)はこの山奥まで川を伝いやってきて、自分の代わりとなる千手観音さまを掘り上げました。 私はこの地は最後に姫の御神体をだれかが隠そうとした場所、御神体を持って逃げ込んだ場所ではないかと思っています。

それがなぜかというと、この場所に造られたお寺 「仙遊寺」の名前に意味があります。

仙遊寺は国守の越智守興が天智天皇の勅を奉じて堂宇を建立したのが始まりでだと言われていますが、
本当の起源は全く別のものだったのではないかと思います。

天智天皇の時、このお寺の僧となったものが 

「養老2年(718)」 突然姿を消したというのです。

「仙遊寺」という名前は、雲と遊ぶが如く忽然と消えたことに由来してつけられた名前でした。

「718年」 とは、大山祇神社が正遷座される前の年。

この時に忽然と姿を消した僧は偶然とは思えません。これは姿を消したのではなく、消されてしまったのではないでしょうか。
天智天皇が姫を隠した場所が見つかってしまい消されてしまった。

それからおよそ100年、お寺は荒廃していたといいます。

私はこの時本当はまだお寺をなかったと思っています。

そして100年後、弘法大師がこの地を訪れ、荒廃していた寺を再興した(姫の場所に寺をつくった)というのが本来のこの地の姿なのではないかと思います。

では、そんな歴史を思い浮かべながらこの川を上っていきましょう。

*龍女伝説の川 龍登川

ここが龍登川の河口です。
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橋がかかっているとこは埋め立て地で、現在多くの企業が立ち並んでいるところです。
また大きな船も時々着き港としても使用されています。

さあ河口から出発!と思ったところ、その川の入口に1羽の鷺が止まっていました。
三島明神の神使と言われる 「鷺」が目の前に。 
偶然かもしれませんが、その姿がとてもありがたく感じました。
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では、作礼山へ出発!!
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次回へ続く・・・・・・。




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-03-18 02:11 | 愛媛県今治市 | Trackback | Comments(4)

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