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つの大師 円福寺

こんばんは。

しばらく更新できず申し訳ありませんでした。
今月に入ってから忙しくて、なかなかブログを書く指が進まず、
やっと三連休の用事も終わり、ほっとしたところです。

先日、土曜日に、
初めて神社のお話をさせていただきました。

私が今こうして神社のことを調べることとなった
きっかけの神社、大浜八幡神社のすぐ裏で行われた 「花まつり」という
イベントで、お話をさせていただきました。

そのイベントには、
ブログをご覧いただいている方もいらっしゃり、
その方が、大浜八幡神社のあの小千命の銅像をつくった方だと知り、
本当に驚きました。

今回は、姫のお話ではなく、地元大浜のこと、
そして小千命のことをお話させて頂き、地元の皆様が喜んでくださったことが、
本当にうれしく、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

実は、時々、こうしてお話するのを
辞めようかなと思うことがあります。

神社の歴史や、姫のことを調べることは一生続けていきたいと思っているのですが、
こうしてお話することが、時々いいのかどうか迷う時があります。

でも、あんな風にみなさんに喜んでいただけると、
やっぱりお話を続けていこうと思いなおします。

ここは、きっと何かを知りたい、何かを求めている人が
お越しくださっていると思うので、
ここなら、思うことを書いても大丈夫かな、、、と。

神社は、大浜八幡神社が原点であり、
このブログもまた、私の原点。ここが、やっぱり一番落ち着く場所なのかなと
思います。

大浜のみなさん。
まだまだ未熟な私のお話を真剣に聞いてくださり
本当にありがとうございました。
私が、調べてきたことが少しでもみなさんの心に
何かを伝えることができたのなら、こんなにうれしいことはありません。
こんな機会を与えてくださり、本当にありがとうございました。

今日は、松山市、前回ご紹介した神社のすぐ下にある
お寺をご紹介します。

以前からずっと気になりながら毎週この前を通っては通り過ぎ。
早、3年。
何度も通っているのに、なかなか訪れることができなったお寺です。

永徳山河野院 円福寺

今治の玉川から、松山へ向かう山道の途中にあるお寺です。
天台宗のお寺で、平安時代に建立されたと伝わる古いお寺です。

天台宗、第五代の天台座主安慧の開基。
安慧とは、俗姓は大狛氏。河内国大県郡の出身だとされます。

天台宗とは、最澄が唐の天台山にのぼり、天台教学を受けて日本の伝えたと言います。
最澄とは、空海と同じ時代に生きた僧の一人で、
空海ともとても深いかかわりがあります。

最澄が唐へと渡った時と同じころ、空海も唐へと渡っていました。
そして、空海は、密教を、最澄は天台数学を日本にもって帰りました。
最澄は、この時中期密教というものも同時に日本に持って帰ったと言われていますが、
空海が持ち帰った密教までの知識はなかったと言われます。

しかし、最澄は、独自の密教を日本で誕生させました。
それが、天台宗に伝わる密教で、台密といいます。

そして、ちょうど時を同じくしてこの頃から、
日本では、神仏習合という思想がひろまっていきました。

それが、今も時々見られる、「権現」とつく、神と仏が習合された仏です。
それから、神さまは、仏の後ろ、
仏の仮の姿とされてしまいました。

この神仏習合の代表的な神の姿が、
「八幡大菩薩」です。今では、八幡神と呼ばれますが、八幡大菩薩とは、神仏習合の仏の姿だったのです。

この頃から急速に広がった、神仏習合の考えは、
明治時代まで続くこととなります。

700年前後、姫の封印が全国が行われ、
次は、この神仏習合によってさらに、姫の姿はわからなくなってしまいました。

しかし、神仏習合によって仏の姿に変えられていく姫の魂を、
空海は、みていたとも言えるかもしれません。

天台宗の山は、比叡山。
この松山市に建立された円福寺は、今でも比叡山で修行をつんだ方が、
住職さんとなられています。
比叡山は、都の鬼門に位置する山であり、修験の山、役行者によって神の山から、
仏の山へと変えられた場所でもあります。

比叡山に住む天狗は、四国までやってきていて、
香川県の大きなため池、あの空海が一夜にしてつくったと言われる満濃池にも、
比叡山の天狗に、つれて行かれた龍のお話があります。

姫の封印にも大きく関わったこの比叡山を原点に広まった天台宗は、
後の、「本地仏」という考えにも深く関わっていきます。
大三島の大山祇神社の本地仏の考えは、この天台宗による考えからきているのです。

それが、最澄が元としたとされる、法華経です。
大山祇神社の神、大山積神の本地仏は、この法華経の中に書かれいる仏。

三千塵点劫の昔に世に出て、八千劫の間「法華経」を説いたといい
また、阿しゅく、阿弥陀、釈迦など16仏をそのときの王子としたという仏

「大通智勝仏」です。

今も、どうして大山積神の本地仏となったのか、その謎をといた人はだれもいません。
でも、私の中ではその答えは出ています。
どうして大山積神が大通智勝仏なのか、
今はまだそのことにふれませんが、
その意味は、いつかきちんとお話したいと思います。

というように、天台宗は、平安時代に最澄が開創してから、
神と仏に深くかかわり、時の朝廷とも深く結びついていったものなのです。

そんな天台宗のお寺が、平安時代にここにつくられたのは、
よほどここが姫との繋がりの強い場所だったと言えるのかもしれません。

天台宗の僧の一人で、
「良源」という僧がいました。
良源は、第18代天台座主(てんだいざす、天台宗の最高の位)でした。

良源は近江の生まれで、
地元の豪族・木津(こづ)氏の子として生まれ
幼名は観音丸という小さいころから、特別な名前が付けられています。

天台宗の最高の位まで登りつめた良源は、別名を
「角(つの)大師」「豆大師」「厄除け大師」とも言われます。

ここ円福寺にも、この良源を現した、「角大師」がおかれ
広く信仰されているといいます。

角大師とは、2本の角を持ち、骨と皮とに痩せさらばえた鬼の像を表した絵で描かれます。
伝説によると、良源が鬼の姿となり厄病神を追い払ったと伝わり、
その時の姿を描いたものが、この角大師だといいます。

角大師のことはまだその本当の意味がわかりませんが、
これも、姫に繋がってくるのではないかと思えてなりません。

*永徳山河野院 円福寺
*松山市藤野町甲87
*ご本尊:聖観世音菩薩・普賢菩薩
*開山: 第五代天台座主安慧
*南北朝時代、新田義貞の子義宗ゆかりの寺で、義宗が残したと伝えられる
*南朝滅後、河野氏の所領となった。
 河野通直が新田義宗(上新田神社)、脇屋義助の子義治(下新田神社)の祠を建て再建した。

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by ldc_nikki | 2012-10-08 23:50 | 愛媛県松山市 | Trackback | Comments(3)

こんばんは。

9月ももう終わりですね。
つい最近まで、夏のような暑さが続いていたのに、彼岸の時期を迎え、
一揆に秋へと移り始めました。

夏から秋へ。
この季節の移り変わりを、昔の人々は特別な想いで迎えていたのではと思います。

大いなる女神によって与えられた、太陽の光、恵みの雨、豊かな土壌。
そのおかげで、私たちが食べるための食物が、一斉に実りを迎えます。
豊かな恵みのおかげで、私たちはこうして生きることができることに
本当に感謝です。

それでは今日のお話、
松山市に鎮座うされる 「天一神社」です。

今治市玉川町から松山市へと向かう国道317号線沿いに
この神社はあります。
道路からも見えるこの場所に鎮座する天一神社には、
姫の名前がずらりと並びます。

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
奈賀神(ながのかみ)
水波之女命(みずはのめのみこと)
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
速開都姫命(はやあきつひめのみこと)
天吉葛命(あめのよさづらのみこと)
少童命(わたつみのみこと)
比女神(ひめのかみ)


天之御中主神。
天地創造において、一番初めに現れた神。
全ての根源とも言えるこの神は、もちろん姫の本来の姿を現します。

奈賀神。
「なが」とは、「なーが」のこと。
インドの神話の中に起源があるこのナーガは、蛇の神。
仏教において、釈迦が悟りを開くときに守護したこの神の姿は
八大竜王としてもあらわされます。
釈迦が、悟りを開くために守護した神もまた、私は姫をさしているのだと思います。
釈迦も、この大いなる女神の存在にもちろん気づいていたと。。。

水波之女命
水の女神。伊邪那美神が、死ぬ直前に生んだとされるこの女神は、
瀬織津姫の代表的な、変えられた名前の女神です。

伊邪那岐命
これだけどうして、伊邪那美神でなかったのか少し疑問がありますが、
ある意味、ここに伊邪那岐命をもってきたことも、
姫の封印をあらわしているように思うのです。

速開都姫命
祓戸大神の人柱でもあるこの女神は、
姫の魂の一部でもあります。
祓戸大神は、四柱の神を合わせて一つともいいます。
岡山に、姫を祀る神社がありますが、
そこでも、姫と一緒に速開都姫命が祀られています。
祓戸大神という、人の穢れや汚れを祓うための女神として
つくられたこの女神もまた、姫の魂を色濃くもつ女神の一人です。

天吉葛命
日本書記において、伊邪那美神が死ぬ寸前に生んだとされる神の一柱。
この神もまた、岡山では瀬織津姫とともにまつられています・。
岡山県早滝比め神社では、瀬織津姫と速秋津比賣命、天吉葛命が
早瀧大明神として中世祀られていたといいます。
明治の神仏分離により、現在の祭神になったとされています。

少童命
漢字が違うと、全く違う神に見えがちですが、
これで、(わたつみのみこと)と読みます。
「わたつみのみこと」とは、豊玉彦でもあり、愛媛の大山祇神社の大山積命もまた
わたつみのかみと書かれています。
「わた」とは、海のことをいい、「み」は神霊をあらわすといいます。

比女神
八幡神社では、比売大神と言われる神が祀られます。
八幡大神でもなく、三女神でもない、比売大神。
この比売大神こそが、本来の女神の姿です。

松山市の奥道後から更に山奥へと入った、
小さな集落に鎮座される神社にも関わらず、ここは
伊予国正六位上、井河従五位下を授くと書かれています。

源寛王が祈雨をして霊験があり神領を奉献したと書かれてあるように
ここは、明治に入るまで雨乞いの祈願所でもありました。

それはここに祀られる女神が
水の女神だったことを物語っています。

まるで、多くの神々が祀られているように思えいますが、
本来は、女神だけ。
その女神の存在を隠すために、
女神の存在を持つ神々の名前をここに集めたのではないかと
思えます。

また、神社のすぐ下には、比叡山天台宗のお寺があります。

位置関係から考えると、
神供寺とも思えるこのお寺が、今も比叡山と深く繋がっていることも
姫の姿を見ずにはいられません。

*天一神社
松山市藤野町91

昔の面影が今も残る山間の町に、神社はあります。

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神社の下には、今も美しい川が流れています。
いつまでも、こんな風景が残っていきますよように。。。。

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by ldc_nikki | 2012-09-29 09:18 | 愛媛県松山市 | Trackback | Comments(0)

奥道後 竜姫伝説

こんばんは。

今日は、松山市に伝わる龍伝説のお話です。
松山市と言えば、道後温泉。しかし、道後温泉の東の山に、奥道後と言われる
温泉街があります。

ここも、オオクニヌシと少彦名の伝説が残っているところです。
道後温泉の源がどこにあるのかと探しに出かけたオオクニヌシと少彦名が
その源を見つけた場所、それがこの奥道後です。

この奥道後にあるホテルの敷地内に、
龍にまつわる不思議な伝説が残っています。

「湧ヶ淵」

ここで毎年8月23日に、「竜姫宮祀」が行われると言います。

それは、河野家の家臣だという、三好家に伝わる伝説が元となり、
大蛇の魂を鎮めるための慰める儀式だといいます。

8月23日と言えば、
ブログでも何度も触れてきました日にちであることに気付いた方もいらっしゃることでしょう。

和銅5年、神亀5年、大山祇神社の三島明神は、
この8月23日に、一斉に愛媛県中へと勧請されていました。

ここでも、そのキーワードとなる同じ日に、
この儀式が行われることも、とても興味深いです。

昔この湧ヶ淵には、雌雄の大蛇が棲みついていました。
大蛇は、多くの災いをもたらして人々を困らせていました。

そこで四国八十八か所でもある石手寺の僧が一人でこの淵に向かい、
石の剣で雄の大蛇の首を切り落として退治したといいます。

しかし生き残った雌の大蛇は生き残っていました。
雌の大蛇は夜な夜な美しい女の人に化けて、通行する者を誘い淵に引きずり込んでいました。

そこで湯山菊ヶ森城主・三好長門の長男である蔵人秀勝が鉄砲で、
雌の大蛇を撃ち殺してしまったと言います。

しかし、この雌の大蛇にはもう一つの伝説があり、
雌の大蛇は、人間の姿で三好家の下女となっていました。

三好家の下女となった大蛇は、夜になると、湧ヶ淵へこっそり出かけていました。
しかし夜な夜な出かけるところを怪しまれて殺されてしまったといいます。

この大蛇伝説は、三好家に代々伝えられてきたと言います。

今でも石手寺には、雄の大蛇を倒した時の石剣と大蛇の頭骨が残されているといい、
石手寺の宝物館で見ることができます。

この大蛇の伝説を読むと、やはり姫と繋がります。
三好家は河野家家臣。誰にも見つからないようにと、最初の大蛇が殺された後(姫が封印された後)
山の中、淵の影に隠し祀っていたのかもしれません。
しかし、とうとうここも見つかってしまった。
私には、そんな風に読み取れます。

8月23日が何を意味する日なのか、まだはっきりとしたことはわかりませんが、
ここでも8月23日に、儀式が行われるこの場所もまた、姫の封印に深く関わっている場所だと思います。
見つからないように、淵に隠すように祀られていた姫の姿が目に浮かぶかのようです。

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by ldc_nikki | 2012-09-25 23:44 | 愛媛県松山市 | Trackback | Comments(1)

こんばんは。

今日は二回目のお話になりますが、
松山市にある、「伊豫豆比古命神社」、別名椿神社をご紹介します。

毎年、旧暦の1月7・8・9日に開催される、「椿祭」で有名な
「伊豫豆比古命神社」。
県内外から、多くの人が訪れるこの椿祭は、
商売繁盛の御祭りとして、三日間、多くの人にぎわいます。

私も何度も行ったことがありますが、
本当に前に進めないほどの沢山に人です。

だから、初めて椿さん以外の日にこの神社に行った時は、
まるで別の神社にきているかのように、全く景色が違っていました。

以前、一度ブログでご紹介していますので、
まだ、読んでいない方は、是非こちらもお読みください。


2300年の歴史 「伊豫豆比古命神社」


この記事にも書いているように、
こちらの神社の起源では、

伊豫豆比古命・伊豫豆比売命という二柱の神様が、舟山という現在も境内にある岩に御舟を寄せ、潮鳴栲綱翁神(しおなるたぐつなのおきなのかみ)が纜(ともづな)を繋いでお迎えした。』

とされています。

しかし、この記述と、もう一つの
伊豫豆比古命・伊豫豆比売命の伝説がある神社の伝説と
食い違いがあります。

この二つの神社は、
とても重要な意味があると思っているのですが、
まだ確信にいたっていません。

伊豫豆比古命・伊豫豆比売命の伝説が残るもう一つの神社とは、
あの、日本最古の政庁の遺跡が発見された場所の近くにあります。

その神社の名前が、

「日尾八幡神社」

こちらの記事も、もしよかったらご覧ください。


ご神体に導かれ   「日尾八幡神社・龍神社」 


この記事にも書いているように、
ここを訪れたのは、本当に偶然でした。

日尾八幡神社は、記事にもあるように、
大変多くの神様が祀られています。

その中に、表向きには隠されるように祀られているのが、

中玉殿に祀られる
   伊予比売命(いよずひめのかみ)
   饒速日命(にぎはやひこのみこと)

です。

これを見ただけでも、どうして、この二柱の神さまが一緒に祀られているのか
不思議。

ここに祀られる 伊予比売命は、記事でも書いているように、
本来はここにはありませんでした。

現在の久米から小野川を遡った山の上にあったといいます。
久米郡神戸郷古天野神山(現在の小野村大字小屋峠)

伊予比売命と、伊予比古命、二柱の御神体は、
小野村の小屋峠に祀られていたのですが、
洪水により社殿が崩壊し、平井谷明神ヶ鼻に遷座されたといいます。

しかし、再び、洪水にあい、
二つの御神体は、別々の場所へと流されてしまったのです。

男神の伊予豆比古命は天山村の縦淵流れ着き、
現在の神社、伊予豆比古命神社に遷られました。

そして、女神の、伊予比売命は、
日瀬里(現在の久米窪田)の龍神淵にて引き上げられ、
この日尾八幡神社に祀られているといいます。

「伊豫豆比古命神社」では、二柱の神が訪れた場所とされ、
「日尾八幡神社」では、その御神体が別々に流されて
その男神のほうだけが、伊豫豆比古命神社に祀られていると伝えています。

これが、一体何を意味するのでしょう。

まだ、私の想像でしかありませんが、
この流されてきた川 「小野川」は、
久米の政庁を通り、その向こうには、あの天の香具山の片方の山

「天山」があります。

そして、十六弁八重表菊の神紋の
伊豫豆比古命神社。

この松山でも一番の歴史の秘密を握る場所に伝わる二つの
姫の伝説は、その時代のことをあらわしているのではないかと思うのです。

ご神体が別々に流れてきたのではなく、
ここで、別々に引き裂かれたと言ったほうがいいかもしれません。

2300年前とは、この山の上に姫が祀られた時であり、
この「伊豫豆比古命神社」の場所に船をつけてやってきた
伊豫豆比古命と伊豫豆比売命とは、
もしかしたら、全く別のことを意味していて、
2300年前から祀られる姫のことではないのでは最近思っています。

昔は、この辺りまで海だったと伝わり、
舟山という現在も境内にある岩にその船を繋いだ。

この場所に祀られる神
「潮鳴栲綱翁神」は、私には姫が祀られているように思えてなりません。
まるで、祓大神の意味と同じく、
この神にまず参拝してから、本殿へと向かう習わしとなっており、
天山への入口とも言えるこの場所で、まるで禊が行われたのではないかとさえ
思うのです。

この川から天山へとやってきた一族。
ここが、天山を奪うためにやってきたその場所なのではないかと。

古事記の中に、何度も書かれてある天の香具山。

天照皇大神が天の岩戸に閉じこもった時、神々は、多くのものを用意しました。

まず、常世の長鳴鳥を集めて鳴かせ、
天の安の河の川上にある堅い石(いわ)を取り、

天の金山の鉄を取って、

鍛冶の天津麻羅を探しだし、
イシコリドメノミコトに命じて鏡を作らせ、
タマノオヤノミコトに命じて八尺の勾玉を数多く長い緒に通した玉飾りを作らせ、
アメノコヤノミコトとフトタマノミコトをお呼びになって、

「天の香具山の雄鹿の肩の骨をそっくり抜き取ってきて、
天の香具山の桜の皮を燃やして、
鹿の骨を焼いて占わせ、
天の香具山の茂った榊を根こそぎ掘り取ってきて、
その上方の枝に八尺の勾玉を数多く長い緒に貫き通した玉飾りをつけ、
中ほどの枝に八尺の鏡をかけ、
下方の枝には白い幣(ぬき)と青い幣(ぬき)をさげた」

この天の香具山にあったとされる多くの品々に
どんな意味があったのかは、これから一つ一つ解き明かしていきたいと
思いますが、
この天の香具山を手にするものが、
全てを手にすることに繋がるとされていたのだと思います。

天の香具山の天の山、
それは、神の棲む世界、常世の国。
女神の魂が宿る国、伊予の国のことを意味していたのだと
思います。

持統天皇が歌った歌。

「春過ぎて 夏来るらし 白妙の 衣干したり 天香具山」

この歌が、そのことをあらわした歌。

この歌の解釈を、きっと私のように解釈している人はいないと思います。
でも、私は、この持統天皇が歌ったうた。
これが、持統天皇が望んだ世界なのだと、私は思います。

そして、もう一つの香具山(奈良)は、
元いた人々を追い出し、
新しい世界をつくるための場所に降りたる山。

だから、今言われている藤原京の跡とは、
本当は藤原京の跡ではなく、
消された一族の都跡。

そして、今度ご紹介する 
徳島県にある 

「天の元山」 とは、
奈良へと移り住む前に、その一族が天降った場所。

そこが、本当の藤原京があった 阿波の国。

元山とは、その一族にとっての元山だったのではないでしょうか。

先日も書きましたが、
ある一つの出来事には、双方、二つの見方がある。

ここに書かれた歴史は、
勝者から見る、
天の元山、天山、香具山という三つの山だったのではないでしょうか。

*伊豫豆比古命神社(椿神社)
*松山市居相二丁目2番1号
*祭神
伊豫豆比古命(いよずひこのみこと)
伊豫豆比売命(いよずひめのみこと)
伊与主命(いよぬしのみこと)
*境内社
勝軍八幡神社(誉田別命)
御倉神社(宇迦之御霊神)
児守神社(天之水分命・木花開耶姫命)
奏者社(潮鳴栲綱翁神)

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伊豫豆比古命神社の境内にある大きな楠。
この木にも、雌狸が棲んでいるそうです。

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拝殿
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神紋
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三つの椿
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そしてここが、(潮鳴栲綱翁神) を祀る 奏者社

この拝殿に参拝をして、
岩の中に足を踏み入れようとした時、偶然なのか、
黒いアゲハ蝶が飛んできました。 不思議ですね。。。。
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そしてここにも子守神社があります。
子守神社とは、籠神社のこと。

籠の中に閉じ込めらた神、
天之水分命・木花開耶姫命です。




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by ldc_nikki | 2012-06-20 22:04 | 愛媛県松山市 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

この間の日曜日、念願の徳島県へと行ってきました。

普段の日曜日は、子供の用事で
どこか遠くまで行くことは無理なのですが、
珍しく、全てお休みになり、さらに子供はお爺ちゃんと釣りへ。

こんな日はめったにない。
ということで、急遽、ず~っと行きたかった神山へと行くことにしました。

目的の神社は、上一宮大栗神社。
ここだけは、必ず行くことに決め、後は行ってから考えようと思い、
その他の予定は全く考えず出発!

神山へと着いたのはお昼すぎ。
ご飯も食べず、ひたすら閃くままに、6箇所まわってきました。

何も考えずに行く方が、不思議と
意味のある場所に行くことができるし、出会いにも恵まれる。
本当に、心の赴くままに行くことが、大切だなと
神社に行き始めて思うようになりました。

今回ぜひとも叶えたかった、宮司さんとのお話。
後で徳島の方から聞いてびっくりしたのですが、
上一宮大栗神社の宮司さんは、
地元では、1000回行って2回会えればいい。と言われるほど、
なかなかお目にかかることが難しいとのこと。

そんな方と、初めて徳島へと行って会うことができ、
約1時間もお話ができました。

黄金の狐のお話を聞き、ぜひとも自分の耳で伺ってみたかった
神社の伝説。
まだまだ、伺いたいことは沢山ありましたが、
今回、また一つ確信にいたるとても大事な伝説を伺うことができました。

本当にいつもいつも思うことですが、
「時がくれば必ず行くことができる。」
それを実感した、今回の徳島入りでした。

徳島へ入るためには、
きっとそのための私自身の準備が必要だったのだと
改めて感じました。
あの黄金の伝説も一つ。
あのお話を知らずにもし徳島へ行っていたら、
今回の宮司さんとのお話も、実現していなかったかもしれません。
また、もしお会いしていたとしても、
大事なことを聞けなかったかもしれなません。

次の進むためには、
次に進むために必要なことをクリアしなければいけない。
間を飛ばしても、それは本当に進んだことにはならない。

そんなことを、神社に行き始めて教えていただいた気がします。

それは、神社に限らず、私たち人生においても同じことなのだと。

一日一日を大切にし、今できることを一生懸命していれば、
きっと次へと近づいていく。 決して、どんなことも無駄ではないことを、
神社は教えてくれました。

今回も、そんなことを強く思う徳島の旅となりました。

徳島のお話はまだ少し先になりますが、
今回の徳島のお話もさせていただきたいと思いますので、
しばらくお待ちくださいませ。

ただ、徳島については、
まだはっきりと全てをお話できないかもしれません。
だんだんと、とても繊細な問題へと入ってきたからです。

また、はっきりと全てが繋がるまでは、
間違っていることもあるかもしれません。

だから、少しづつ、少しづつ、
真実に近づいていけたらいいなと思っています。
そして、ブログをご覧の皆様も、
一緒に、考えて、一緒に前へと進んで行っていただければ
うれしいなと思います。

いつも書いていることですが、
歴史の真実を知ることは、誰かを非難するためでもなく、
何かを壊そうとするためでもなく、
その全てを否定するためでもありません。

過去があるから、今があり、今があるから未来がある。
その繋がりの真実を知ることは、私たちが今生きている意味を
知ることに繋がると思うのです。
そして、これからの未来に、何が必要かを知ることにも
繋がると私は信じています。

全てを受け入れてこそ、次へと本当の明日へと進むことができると
信じているからです。

そしてそれは、私たちそれぞれにも当てはまること。
今の自分を全て受け入れてこそ、次へと進むことができる。

それができないから、人を恨んだり、憎んだり、誰かのせいにしたり、
世の中のせいにしたりしてしまう。
また、真実を隠そうとするから、
何かにずっと怯えながら生きていかなければならないのだと思うのです。
その気持ちが、心のどこかに潜んでいる限り、
本当の幸せには繋がらないと。

また、今の世の中も、自分自身も、何が足らないのか、
何が間違っていたのかを知ることが、次への一歩に繋がると。

瀬織津姫の復活とは、瀬織津姫が封印されたことにより、
失ってしまった大事な心を取り戻すことなのだと、
私は思っています。

そして、それが新しい人の生き方へと繋がるのだと。

「倭が危機に陥った時、黄金の狐を呼び戻し倭を救う。」

大宜都比売が黄金の狐へと戻る時。
それは、まさに今の時代のことではなかと思えてなりません。

今日ご紹介する神社は、
以前にも一度ご紹介した、旧北条市の小さな島に鎮座する

「鹿島神社」 です。

もう一か月以上の、5月3日。
鹿島神社で春の御祭りがありました。

鹿島神社の春の御祭りは、
えひめの無形文化財にもなっている、
「櫂練」が行われます。

また、この次の日、鹿島の目の前にある小さな岩に結ばれた注連縄の
一年に一度の締め変えが行われます。

今日は、そんな鹿島の御祭りの様子を交えながら、
鹿島神社のお話をさせていただきます。

鹿島神社は、茨城県鹿島神宮と同じ
武甕槌大神を祀る神社です。

この島は、神功皇后が三韓征討に行く途中立ち寄り、
武甕槌神、経津主神を勧請奉斎した神社で戦勝と道中の安全を
祈願して出陣したと伝えられています。

また、ここにも鹿島神宮と同じ、
地震をおさえる石 「要石」が置かれてあります。
ここ北条の鹿島では、この要石は、地底にする大鯰の頭を押させているという
伝説が残っていますが、この大鯰とは、本来は龍のことだったと思われます。

古代、日本では、龍が日本の中に潜んでいる考えていました。

それは、姫にも繋がり、
日本という国は、本来姫によって守られた島だったのではないかと思います。

日本には、中央構造線という大きな断層がありますが、
この断層が 「龍脈」と考えられ、九州から四国を通り、紀伊半島、伊豆、
そしてその最北が、茨城県だと言われています。

茨城県の鹿島神宮に置かれた要石は、
この龍脈の頭の部分に置かれているのです。

四国八十八か所のお寺の中の伝説にも登場する 
「行基菩薩」が書いたと伝わる日本最古の地図があります。
その地図については、後日詳しくお話したいと思っていますが、
この地図は、西日本の周りを大蛇か龍のようなものが
まるで取り囲むように描かれています。

西日本は、龍の身体の中にすっぽりと入っていたのです。
(しかし、絵の中に書かれた龍はなぜか、頭と尾が切られています)

姫を封印し、地底へと封印してしまった後、
日本は次々と、地震がおきます。

それは、当時の人々にとっては、姫が地底から出ようと暴れている姿に思えたのでしょう。
また、姫が怒り狂い、地底の奥底で暴れていると考えたのでしょう。

だから、それをおさえるために
要石は置かれたのではないでしょうか。
日本の龍脈のその端に。

そして、姫のその中心があるとされていたこの愛媛にも、
同じように、その要石は置かれていました。
その場所は、河野家が誕生した北条の島に。

行基が書いたとされるこの絵図を見た時、
当時の人々が、日本をどのように見ていたがわかったような気がしました。

龍に囲まれた日本。
日本そのものが、龍によって守られた島、
それは、本来姫によって守られていた島だと認めていたのです。

本来その地図に描かれた龍は、
頭と尾が一つになり、まるで円を描くように輪になっていたのではないかと
言われています。

しかし、その絵の龍は、
その頭と尾を切り取られ、
輪は切り離されてしまいました。

それが最初から描かれていなかったのか、または後で切り取られたかは
まだわかっていません。

でも、切り取られた姿が
今の姿なのではないでしょうか。

地底に閉じ込められた龍(姫)を、水として地上へと出そうとした
弘法大師空海。
それが、各地に残る湧水を出す伝説なのだと、
この絵を見て改めてそう思いました。

*鹿島神社
*松山市北条辻1595

 「鹿島の櫂練」

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鹿島神社拝殿
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宮入
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そしてこれが、北条鹿島の要石

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by ldc_nikki | 2012-06-12 23:57 | 愛媛県松山市北条 | Trackback | Comments(6)

こんばんは。

今日の神社は、松山市と旧北条市の境目の山の奥に鎮座する神社

「目魯止神社 (まるとじんじゃ)」なのですが、
ここに祀られる祭神のことを調べているうちに、
なぜか、「麻」と「忌部氏」とのお話に途中変わってしまいましたが
そのまま、記事として残したいと思います。

今日ご紹介する神社の
祭神は、

天ノ目一ツ神 (別名 天真一根命)
と一緒に、大国主命と少彦名命が祀られます。

神社の由緒を見ると、
この三神を一緒に祀る神社は、全国でここだけだと、
なぜかとてもそのことを強調して書かれてあります。

その文面を読んだ時、
なぜかそれがとても気になりました。

神社に書かれてある祭神の説明では、
天ノ目一ツ神とは、刀剣の神で、日本で最初の刀をつくった神と書かれてあります。

そのことから考えると、
字は違いますが、この神さまは、

「天目一箇神(あめのまひとつのかみ)、
別名は天之麻比止都禰命、天久斯麻比止都命ともされ、
製鉄・鍛冶の神さまのことです。

古事記にはその名前は見られず、日本書記の中では、
大国主命が国譲りをする時に、祭具をつくった鍛冶を担当したとされ、
古語拾遺によれば、
天照皇大神が岩戸隠れをした時に、
刀斧・鉄鐸を造ったとされています。

単純に考えると、ここに祀られる神さまは、
製鉄・鍛冶の神さまとなるのですが、
この場所に祀られることにとても不自然な気がしたのです。

昨日、この神社のブログを書こうとしたのですが、
それがどうしてもひっかかり書くことができませんでした。

今も、はっきりと何かがわかったわけではないのですが、
今私が思いつくことを、今日は書き留めておきたいと思います。

古事記や日本書紀に出てくる神様には、
それぞれ、その神さまを祖とする氏族がいます。

この、「天目一箇神」を祖とする氏族は、

忌部氏(いんべし・いみべし)です。

しかし、忌部氏には、その住む場所によって
なぜか、それぞれ別々の神を祖としています。

「天目一箇神」を祖とする一族はというと、

「筑紫国・伊勢国」 の忌部氏です。

では、他の忌部氏はそれぞれ、どんな神々を祖としているか、
簡単にまとめてみたいと思います。

1.「天目一箇神」・・・・「筑紫国・伊勢国」 の忌部氏

2.「手置帆負命」・・・・「讃岐国」の 讃岐忌部氏

3.「彦狭知命」・・・・・・「紀伊国」の紀伊忌部氏

4.「櫛明玉命」・・・・・・「出雲国」の玉作氏

5.「天日鷲命」・・・・・・「阿波国」の阿波忌部氏

6.「天太玉命」・・・・・・忌部氏が後に、斎部氏となのる

これを見てもわかるように、
忌部氏とは、同じ氏族の名前を名乗りながら、多くの別々の祖神がいます。

しかし忌部氏の一番の特徴と言えば、
ケガレを忌み、神事などに奉仕する一族。
古来より宮廷祭祀における、祭具の製造・神殿宮殿造営に関わってきた一族だと
言われます。

しかし、中臣家と忌部氏は、
天武天皇の以降、ともに祭祀を司る氏族とされるようになり、
しだいに中臣氏にその勢力を奪われ、忌部氏は衰退していくことになりました。

忌部氏は、上記にも書かれてあるように、
徳島県と香川県にとてもかかわりが深い氏族です。

しかし、両者とも、祖神は、
「天太玉命」ではなく、「天日鷲命」と「手置帆負命」になっているのです。

祭祀を司るとされる一族にも関わらず、
徳島県(阿波の神)が、 「天日鷲命」となったことに、
徳島の大きな謎が隠されているのではないかと思うのです。

まだまだ私の憶測でしかありませんが、
本来徳島にも、姫を祀る一族は住んでいました。

しかし、
中臣氏と、忌部氏がこの地を訪れてから、
その姫を祀る一族は、いち早くその土地を、
奪われてしまいます。

徳島県には、今でも、新しい天皇が誕生される時に、
必ず行う儀式 「大嘗祭」 で、
悠紀殿・主基殿の神座に 神衣(かむそ)として祀る麻をつくっている
三木家という、家系があります。

この三木家は、
「忌部氏」の子孫と言われ、
この天皇が天皇となるための一番大切な儀式に使われる 「麻」を
今も出棺されているのです。

「忌部氏」の祖神は、 「天日鷲命」。
しかし、一説には、この三木家の祖は、「白羽鳥」だと書かれて
あったのを、見たことがあるのです。

「大嘗祭」とは、天皇が天照皇大神と一体となる儀式。
この儀式を執り行うまでは、天皇にはなれないと言われるほど、
大切な儀式なのです。

そして、この時使われる 「麻の織物」は
まさにその一体となる瞬間に、お召しになるもの。

これが、二つの魂を繋ぐなくてはならない繋となるのです。

それをつくる一族が、なぜ、三木家でなければいけないのか。
それは、この三木家が、
本来は姫を祀る一族のための、麻をつくる人であり、
きっと、姫から天照皇大神へとその神が以降される時、
徳島に住む、三木家がその役目を果たしたのではないかと
そんな気がするのです。

だから、
1300年たった今でも、ここでなければならないのだと。

三木家は、「忌部氏」の子孫だとされますが、
その本来の姿は、「鷲」ではなく、「白い羽」。

その姿は、白鷺だったのではないでしょうか。

「長白羽神」は麻から麻布をつくり
「鷲」 は穀(カジ、楮の類)の樹皮から木綿をつくる。

鷲とは、あの三島明神物語にも出てきたように、
「三島明神の子供」 をそのくちばしで連れ去った鳥でもあります。

鷲は、天武天皇や、藤原氏側に見方したと考えられ、
その功績をたたえるかのごとく、大山祇神社の御神体は、

「鷲ヶ頭山」とつけられています。

木綿は、神功皇后の各地での伝説の中にもよく登場する布でもあり、
それが、鷲に繋がるのなら、鷲と木綿は、姫を封印したものということになります。

また、持統天皇の天の香具山の唄の中に書かれた 「木綿」 の姿もまた、
鷲に繋がるのです。

「春過ぎて夏来るらし白栲の衣乾したり天の香具山」」

「季節が春から夏へと移り変わるかのように、
天の香具山に、木綿の白い布をかかげることができれば
時代は変わるだろう。」

そして、「麻」とは、
縄文時代から日本にあったとされる植物で、
織物としても使われ、栄養価の高い食物としても食べられ、
姫そのものの姿のような気がするのです。

そして、その麻を着ることは、姫のその魂を身にまとうこととなり、
それは、麻の意味とも言われる 「浄化」の意味へと繋がり、
それは、「瀬織津姫」の禊、祓いの意味へとも繋がる。

「麻」 とは、 姫そのものの姿だったのです。

だから、麻をつくるその一族は、
三木家でなければならなかった。

姫の魂を持つ一族が阿波で麻をつくることは、
そのものも、天照皇大神と姫の一体を意味すると考えられるのです。

「忌部氏」という氏族のその存在の意味は、まだ
はっきりとはしていませんが、
「忌部氏」とされる中にも、もしかしたら、
この三木家のように、本来姫を祀っていた人々がいるかもしれません。

それを、これから少しづつ見ていきたいと思います。

話が、神社からそれてしまいましたが、
この松山市に鎮座される神社の祭神もまた、

天ノ目一ツ神、鍛冶の神とされていますが、
その祭神の御神徳が、目の神とされることや、
別名 天真一根命とされることから、

ここに祀られていた神も、
本当は、 姫だったのかもしれません。

別名。

「天の真の一の根(根源)の神。」

この別名が、そのことを意味しているような気がします。

*目魯止神社
*松山市大西谷

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今日のお話は、神社とあまり関係ないことばかりになってしまって
意味がわかりにくくなってしまったかもしれません。

いつも、ただ勢いでおもいつくまま書いているので、
時々、話がそれてしまいますが、
あえてそのまま訂正せず書き残したいと思っています。




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by ldc_nikki | 2012-06-07 01:01 | 愛媛県松山市 | Trackback | Comments(10)

松尾神社と賀茂氏

こんばんは。

今日は満月で部分月食。
あいにく曇りで、月食を見ることはできませんでした。

先日玉川に住む知人からとっても素敵なお話を聞きました。

玉川に、マクロビオティックランチ&スイーツのとっても素敵なお店があります。
身体によいものを食べて頂きたいという、
オーナーの心のこもったお料理が、訪れる人々の心も身体も癒してくれます。

このお店の近くからは、
古くから多くの人々に愛されている、鈍川温泉や、
楢原山が見えます。

そして満月の夜、
その山々の上に現れる満月の光は、
まるで龍のように見えるそうです。

もしお天気が良ければ、
今日、見に行ってみようと思っていたのですが、
あいにく見ることができませんでした。

次の満月までのお楽しみです。

そのお話を聞いて、どうしてあの山に姫が祀られてたのか
その意味が少しわかったような気がしました。
そして、姫が祀られる山々の上には、
もしかしたら同じように、月の周りに光り輝く龍の姿を見ることができるのかもしれないと。


では、今日のお話です。

今日は、松山市 (旧北条市)に鎮座される

「松尾神社」 です。

松尾神社の本社は、京都市西京区嵐山にあります。

京都市の松尾神社の背後にある山には、
元あったとされる古社地があり、その山の山頂近くには、
磐座(いわくら)とされる、大きな巨石があるそうです。

いつごろから、ここに神が祀られるようになったかは定かではありませんが、
かなり古くから、この磐座を神と祀られていたと思います。

そしてその時の神とは、
私は、瀬織津姫だと思います。

しかし、ここも
封印されてしまいました。

それが、
701年、勅命により
秦忌寸都理(はたのいみきとり)が現在地に社殿を造営し、
山頂附近の磐座から神霊を移したとされるその時です。

年代も、ぴったりと当てはまる年。

701年とは、
大山祇神社の大造営が始まったとされる年。

多くの重要な姫を祀る神社は、この年の前後に
まるで合わせたように、新たに神社が建立されることとなります。

この松尾神社も、その中の一つです。

もうすぐ、旧暦4月22日。
この日が、大山祇神社が瀬戸から現在の宮浦へと正遷座された日と
言われますが、
大造営が始まった 701年から、正遷座されるまでに、
実に 18年の月日がかかっていました。

私は、これは大造営を行っていたのではなく、
この18年間は
日本中の姫のいる場所を変えていた時間、
また この間に古事記が書かれ、
本来都にいた人々は追いだされ、
新たな一族が移り住むための時間だったと考えています。

そして、その新たな一族とは、
徳島にいたと、考えています。

その新たな一族を助けた鴨(賀茂)族が、
この松尾神社を建立しました。

一般的に、この松尾神社は、
冒頭に書いた通り、「秦忌寸都理(はたのいみきとり)」と言われる

「秦氏」 が建立したと伝えられています。

しかし、実はこの 秦忌寸都理とは、
あの京都の稲荷神社総本社、伏見稲荷を創建した、

「秦伊侶具」と兄弟で、伏見稲荷のところでもお話したように、

どちらも 「養子」 として、秦氏の名前を名乗った

賀茂県主久治良(くじら)の子だったのです。

以前から、何度もお話しているように、

この 「鴨(賀茂)族」 が、姫の封印に大きく関わった氏族なのです。

愛媛県西条市の、秦氏の里と呼ばれるところに開基されたお寺も、
同じく、この鴨族が、養子で入り開基されていました。

愛媛県新居浜市の有名な 一宮神社も同じく、
鴨族からの養子により、新たな神社として創建されています。

愛媛県今治市も同じ、
越智家が住んでいたとされる場所のすぐ近くには、
鴨族が存在し、越智家は鴨族に吸収されていきました。

愛媛県西予市宇和町、
姫がいたとされる、あの四国八十八か所、明石寺の山のすぐ横には
鴨族が存在します。

これだけではありません。

姫が存在した場所には、必ずと言っていいほど、
鴨族が存在します。

皆さんの町にも、「鴨、賀茂、加茂」と名のつくところを思い出してみてください。

その地の側では、
姫の封印が行われていると思います。

松尾神社、伏見稲荷神社を創建した兄弟の父、

賀茂県主久治良(くじら)は、賀茂氏。

賀茂氏の祖神は、

八咫烏に化身して神武天皇を導いたとされる賀茂建角身命を始祖とする一族。

賀茂氏は、姫を封印し新たな大和をつくるために
助けた一族だったのです。

また、賀茂県主久治良は、
神ともされていて、神倭伊波礼毘古命といいます。

神武天皇が歌ったとされる歌の中にも
出てきます。

宇陀(うだ)の 高城(たかき)に
鴫罠(しぎわな)張る
我が待つや 鴫は障(さや)らず
いすくはし 鯨 障(さや)る

この内容からすると、
賀茂族のくじらは、神武天皇と出会い、
神武天皇側についたと考えられます。

本来は、姫を祀る一族に見方をする人々だったのかもしれません。
しかし、神武天皇を八咫烏となって先導し、
協力し、その力はくじらのごとく、大きなものになったということだと考えられます。

こうして、
賀茂族は、各地に散らばる賀茂族の力を使い、
次々、姫を祀る人々を倒していったのだと思います。

そしてその力を見せつけるかのように、
各地にその名前を地名につけ、川に名前をつけた、

その代表的な川が、
京都の加茂川だと思います。

松尾神社の祭祀を司る 「秦氏」 は、本来の秦氏ではなく、
賀茂氏。

そして、祭神は、

大山咋神と中津島姫命 (市杵島姫命)

大山咋神は、大山に杭を打つ神。

大山積神のもう一つの名前でもあります。

日本の総氏神「大山積神」は、三島の神、越智家の神とされるため、
同じ神を、賀茂氏の祀る神とすることはできなかったため、

同じくらいの意味を持つ、この 「大山咋神」を祀ったのだと思います。

同じくらいの意味を持つ神を祀ることのできたことは、
賀茂氏が
どれくらい影響を与えた一族だったかということが、
おかわりいただけると思います。

そして天照皇大神が日本の象徴の神とされる中で、

日本の総氏神とされた 「大山積神」を祀る
古事記の中にその名前を記されることもない
「越智家」 は、姫と同じようにその真実の姿を
封印されてしまった一族だったのです。

そして、719年 旧暦4月22日
大山祇神社を宮浦へと移した 越智玉澄もまた養子だったのでは
ないかと思っています。

とすれば、本来の 「越智家」はどこに行ってしまったのでしょう?

私の祖母や母が、私が小さいころから言っていた話は
本当だったのかもしれないと。

私の祖祖父は、どちらの越智だったのかはわかりませんが、
本当は大山祇神社の宮司の子孫だったと言っていた、
大三島で生まれた、祖祖父(越智)もまた、
何かを聞いて育ったのかもしれないと、そんな気がしています。

今は、この世にいない祖祖父なので、
もうその本当のことを聞くことはできませんが、
祖母が生きている間に、
祖母の父が、祖母に話していたことを、
ほんの少しでも聞くことができたこと、
今こうして、その軌跡をたどることができることも、
何かの縁なのかもしれないと思います。

*松尾社
*松山市中西外284
*大山昨命

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注連縄は反対でした。
この神社も本来は、逆の立場だったのでしょうか。。。

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神紋は三島

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この松尾神社は、三島の神紋ですが、
あの北条に鎮座する ニギハヤヒを祀る
国津比古命神社と、関係のある神社。

それが、
本当の姿なのかもしれませんね。。。。

例大祭は今度の週末ですが、
正確には、来週の月曜日 旧暦4月22日が
大山祇神社が、宮浦へ正遷座されて、

1293年目。

その真実の姿を、いつかあきらかにできる日がきますように。




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by ldc_nikki | 2012-06-04 22:46 | 愛媛県松山市北条 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

もう6月ですね。
今日は、雨。そろそろ梅雨に入るのかな?

あっというまに、今年も半分が過ぎました。
月日がたつのは早いですね。

昔はこんな風に思ったことはありませんでしたが、
今は、一日一日が、とても大切に感じます。

永遠に続くことはない与えらえた時間。
どんな風に過ごすかは、本当に自分次第。
与えらえたこの時間を、大切に大切に過ごしたいと思います。

今日のお話は、
前回地図でご説明した、四国八十八か所浄瑠璃寺や八坂寺を
久万高原町の方へ向かった山の中、

「久谷」のお話をしたいと思います。

隠神刑部狸の神霊を祭る、山口霊神を少し過ぎたところに、

「蛇の釜」 と書かれた看板がありました。

この川には小さな洞窟があり、そこには、オントル、メントルと呼ばれる
二つの釜があります。
そしてその釜の中には
雄雌二匹の蛇が住んでいるという伝説があるといいます。
上からはその釜をみることができませんでしたが、
ここに、蛇がいると言われる釜があることも、
姫と繋がるような気がしました。

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そして更に奥へと進むと、
不動明王の文字が目に飛び込んできました。
車をとめてみてみると、道路から少し山に入ったところに、
不動明王が祀られていると書かれてありました。

お寺の名前は、石仙寺。
後で調べてみると、松山の椿神社のすぐ近くにあるお寺でした。
ここは、そのお寺の奥の院として、不動明王を祀っていました。

どのくらい歩かないといけないか、全くわからなっかたので、
少し迷ったのですが、やっぱり気になり行ってみることに。

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すると、少ししてまるで神社のような
赤い鳥居が見えてきました。
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鳥居をくぐると、小さなお堂が見えてきました。
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こんな何もない山奥に、
不動明王が。。。。。。
でも、この場所に不動明王が置かれることも、
きっと姫に繋がると思いました。

ここにも、弘法大師が訪れた後がありました。

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空海が日本に持ち帰ったと伝わる
不動明王は、大日如来の化身。
瀧のある場所には、姫の姿は不動明王に変えられ祀られることが多い。

ここには瀧はありませんが、
私には、ここも姫の一つの姿として置かれた仏さまの姿のような気がします。

そしてこの不動明王のすぐ近くに、
往古から神が鎮座されると伝わる古社

「葛掛五社神社」がありました。

久万高原町と松山市の境、三坂峠の北側に位置する、
この場所に、罔象女神は祀られていました。

*松山市久谷町表田甲1717
*祭神
 一言主神(ひとことぬしのかみ) 罔象女神(みずはのめのかみ)
 国狭槌神(くにのさづちのかみ) 埴安神(はにやすのかみ)
 金山彦神(かなやまひこのかみ)

神紋は、「三島」
こんなところにも、しっかりと三島家の神社がありました。

往古より神さまを祀りしこの場所に、
文武天皇元年8月、越智玉輿が大和国葛城山より役小角を迎えたとき
葛城山より一言主神を勧請したと伝わります。

一言主神を勧請する前に、
どんな神様が祀られていたかは書かれてありませんが、
ここに罔象女神が祀られていることと言い、
はやりここも、姫を封印した際に名前を変えられた一つだと思いました。

罔象女神は、
古事記では弥都波能売神、日本書紀では罔象女神と書かれます。

名前のごとく、水の女神。
瀬織津姫の変えられた代表的な名前の一つです。
古事記の中では、
伊邪那美神と伊弉諾の間に最後に生まれた子供
火の神 、カグツチのよって火傷を負い、苦しんでいた伊邪那美神の尿から
生まれた神とされる女神です。

また、日本書紀の中では、
伊邪那美神が死ぬ前に、
この神社にも祀られる、埴山媛神と罔象女神を生んだとされます。

一言主神とは、
古代の豪族、葛城氏が氏神とする神で、
姫が封印される時に関わった氏族の一つ。

三島の神紋を掲げる、葛城の名前を持つ神社がここにあることも
ここで一つの封印の歴史があったことを物語っているかのようです。

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倒れた木から新しい命が誕生していました。
気の生命力のすごさに、いつも感動させられます。

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この久谷という村には、
姫の跡、そして空海の後が沢山あります。

神社からの帰り道、
違う道を通って帰っていると、もう一つ空海にまつわる場所がありました。

「弘法大師の縄掛石」

昔むかし、久谷の里で、農作業の邪魔になる二つの大きな石を
村人が総出で動かそうとしていました。
しかし、あまりに大きくてびくともしません。
困り果てていた所、ちょうど弘法大師が通りかかりました。
弘法大師は村人を救おうと
大きな石に網を被せて天秤棒で担って運んでいましたが、
坊が折れて、一つは大久保の川の中へ、
もう一つは今の場所に残ったと言われています。

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阿波国の霊場は「発心の道場」、
土佐国の霊場は「修行の道場」、
伊予国の霊場は「菩提の道場」、
讃岐国の霊場は「涅槃の道場」と呼ばれます。

阿波の国が 「発心の道場」とされたは、
阿波から、藤原氏を中心とする本来日本に祀られていた神を消しさるできごとが
起こったからであり、
伊予の国が 「菩提の道場」とされたのは、
ここが本来の姫が宿る土地。
女神の国だったから、その封印し、消された魂の
死後の冥福を祈る場所とされたのではないかと思います。

四国の伝説では、
弘法大師が四国八十八か所を開いて行った時に、
この四国から狐を追い出したことも、
全ては、もう一度戻ってこれる時まで、四国以外の安全なところに、
あえて連れていったのではないかと思います。

空海の言葉にこんな文章があります。

「本物は目立たないと言う

 目立つのはメッキであり 本物は目立たない

 困ることは本物は自分が目立たない事を何とも思わないことだという

 目立とうともせず それを恥とも思わない

 だから余計目立たないのだ

 そこに本物だと空海は言う」

この言葉の中にも、
姫への想いが込められていると感じるのは
私だけでしょうか・・・。




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-06-03 12:27 | 愛媛県松山市 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日は狸の伝説、四日目。
狸のお話は、ひとまず今日で終わりになります。

本当は、もう一か所ご紹介したい場所があったのですが、
平日に行くことは難しく、またの機会にお話させて頂きたいと思いますが、
少しだけ、その場所をお話しておくと、
それは、新居浜市一宮神社に伝わる、狸姫の伝説です。

一宮神社はまだご紹介していない神社ですが、
新居浜の神社の中で、とても重要な神社です。
ここに伝わる狸が生まれた場所が、この狸が姫であったことを
伝えています。

いつになるかわかりませんが、
一宮神社とともに、ご紹介したいと思います。

では、狸伝説、最後のお話は、

「三光姫狸」です。

この名前を見た時、
今まで行った場所は、姫というよりは姫を守る人たちに関係があるのではないかと
思う狸が多かったのですが、ここは、この狸が姫そのものを表しています。

松山市高井町。
四国八十八か所西林寺にほど近いこの神社は、
「高井八幡神社」 といいます。

まずは、地図で場所をご確認ください。

全て、以前にブログの中でご紹介したところばかりですが、
もう一度この場所がどんなところか見ておきたいと思います。

色のついた星マーク、あるいは桜のマークの上にマウスを置くと、
その場所の名前が見えますので、
確かめながら進んで行ってみてください。




まず、一番北側の緑の星のマークが、

「久米官衙遺跡群」 です。

来住廃寺跡(約1万平方メートル)と、
久米官衙遺跡(3ヶ所、計約2万平方メートル)の遺跡群です。

ここには、法隆寺と似たつくりであったと言われる
来住廃寺跡と、平城京よりも先に、古代の政庁の役割をはたしていたと思われる
正倉院や、政庁施設が見つかった場所でもあり、
どうして平城京よりも先に、ここに造られたのかが今だ解明されておらず、
学芸員さんたちも、その謎を解いてほしいと言われた場所。

この近くには、あの天の香具山の天山があり、
ここが、姫を封印するにあたり、まず、その手に収めたところでもあると
私が考えているところです。

そこから南東へ少し下がると、
紫色の記の場所があります。
ここが、偶然見つけた 「龍神社」です。

この久米地区は、石器時代から人が住み続けている場所でもあり、
松山の中でも、特に古い村です。
この龍神社のすぐ前に、小さな川が流れています。

この川が、天山、久米官衙遺跡のどちらも通る川、
「小野川」 です。

この小野川は、政庁から米を運ぶために使われていた川ではないかと言われている川で、
古代の道でした。
そして、小野川の上流に、姫は約3000年前から祀られていました。

あの大山祇神社に姫が祀られたと言われるその時代と
同じ時代です。
しかし、その後山の上にあった姫を祀っていた場所は、
洪水により崩壊したと言われ、この小野川を少し下った山の麓に移されました。

しかし、更に洪水により、社殿は流れ、
御神体は、姫神と男神が別々に流されてしまいました。
そして姫の御神体は、この龍神社の近くにたどり着き、
川から引き上げられ、現在は、日尾八幡神社にあると言われます。

当初は、ここに本当に流れついたのかと思っていましたが、
本当は、この場所に移り住んできた人々により、姫は封印されてしまったのです。
それが、先ほどの古代の政庁を創った一族です。

龍神社のすぐ近くの 40と書かれた道、
これが、へんろ道、八十八か所が三か所揃う道となります。
この県道40号線を南へ下ると、

今度は道路の西側に、黄色の記があります。
ここが、
「波賀部神社」 です。
この神社には、古墳時代後期の前方後円墳があります。
全長62メートル松山平野では最大の古墳だと言われています。

元々は大山積神が祀られていた神社ですが、
嵯峨天皇の皇子寛王がこの地で亡くなられたと言われ、
神社の傍らに葬り神霊を合祀しています。

この古墳が誰のものかは、今もわかっていませんが、
おそらく姫の封印に関係のある人物が葬られているのだと思われます。

そして、この道を少しだけ南へ行くと、
ピンクの記、四国八十八か所西林寺があります。

この西林寺のご本尊は、十一面観音。
この十一面観音があった場所は、本来、先ほどの小野川が流れる、
姫の神社が二度目に建立されたと伝わる小野町にありました。
それを、弘法大師がここへ移動させたと伝わります。

その西林寺の奥の院が、
西林寺の南、桜の記がある場所、
「杖の淵」です。
弘法大師は、弘法大師は村人を救うために錫杖を突き、
近くで清水の水脈を見つけました。
それが、この「杖の淵」です。

そして更に南へ地図を動かしてみてください。
現在通る道沿いではないのですが、1本隣を走る道路沿いに見えてくる
黒い記が、 

「文殊院」 です。
四国八十八か所を開いた 
衛門三郎の邸宅があったと伝えられる地です。
この衛門三郎が、弘法大師を追い出したことが原因で、
8人の子供が次々と亡くなり、とうとう8年目に8人全ての子供がなくなりました。
そして、自分の罪の深さに気付き、
弘法大師に会うために、四国八十八か所を周りはじめます。
しかし、20回まわっても会えず、21回目は逆からまわり始めます。
そして、その21回目の途中、

徳島県 12番札所 「焼山寺」の近くで倒れてしまいます。
そして、亡くなる直前に、目の前に弘法大師が現れ、その罪を詫びたと言われます。

この焼山寺は、大蛇が住むという山で、
あの、徳島県神山町にあるお寺です。

文殊院から少し南へ下がると、
次は、四国八十八か所 

「八坂寺」 です。

ご本尊は、阿弥陀如来。
起源は、古事記の終焉と同じ、 1300年前。
今年がちょうど開基1300年にあたります。
役行者小角が開基し、越智玉興が建立。
ますます栄える「いやさか(八坂)」にも由来すると言われ、
大和の国が、栄えるようにとここに造られたものと考えられます。
しかしここは後に、

「熊野権現の分霊」を奉祀したと伝えられ、
「熊野八坂寺」と呼ばれるようになったと言います。

「熊野権現」 とは、 姫のこと。
ここも後に、姫の分霊を呼び戻し、その魂を鎮めようとしたのだと
考えられます。

八坂寺から、また南へ下ると今度は、

46番札所 浄瑠璃寺

このあたりは遍路の元祖といわれる
先ほどの文殊院の右衛門三郎のふる里だとされます。

行基菩薩が奈良の大仏開眼に先だち、
和銅元年に布教のためにこの地を訪れ伽藍を建立したと伝わるお寺。
奈良の大仏より先に、ここに来なくてはいけなかった理由は、
もうお分かりいただけると思います。。

そして、地図を更に南へと移動させてみてください。
浄瑠璃寺の先には、
あの808匹の狸の総大将、 

「隠神刑部狸」を祀る 山口霊神 があります。
天智天皇の頃からここに住むようになった、

「隠神刑部狸」の伝説が、なぜここに造られたのか、
その理由は、これらの場所全てが教えてくれているかのようです。

前置きが長くなりましたが、
どうしても、ここで、もう一度この辺り一帯を、
見て頂きたいと思い、お話させて頂きました。

では、今日の姫狸はというと、
少し北へと戻ってみてください。

ピンク色の星マークのすぐ近くに
赤色の星マークがあります。

ここが、 三光姫狸を祀る、

「三光姫神社」 です。

三光姫神社、どこかで聞き覚えのある神社の名前だと思いませんか?

そう、以前に青麻三光宮のお話をしましたが、
ここ 三光姫神社とは、あの三光宮のことを言っているのではないかと思います。

三光宮とは、
宮城県仙台市にある、 「青麻神社」の旧称であり、
青麻神社は、全国の、青麻神社・三光神社の総本社です。

この三光神社とは、
姫の封印を解くために造られた神社とも言われ、
その祭神は、
「天照大御神・月読神・天之御中主神」

「日神・月神・星神」

神仏習合時代は、
「大日如来・不動明王・虚空蔵菩薩」 とされていました。

天照皇大神は、ニギハヤヒ。
月読神は瀬織津姫。
そして、その両方とも言える、 天之御中主神。

ここ、三光姫神社に残る
三光姫は、色白で、とても美しい姫狸だったと言います。
そして、その姫狸は、
日清・日露の戦争のときに従軍し、日本兵を助けたという伝説があります。

そして、この姫狸の元へ供えられるその食べ物は、

「油揚げ」 だということを、伝えておきたいと思います。

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神社の前を流れる川の名前は、

「悪社川」 といいます。

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高井八幡神社の拝殿です。
拝殿の注連縄は、逆でした。

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そしてこちらが、三光姫狸を祀る、三光姫神社です。
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三つの光とは、
姫の本来の三つの意味にも繋がります。

「生 ・ 育 ・ 死 」 

命が誕生し、命が育まれ、そして命が終わる。

命の全てを司るとされた、太古の昔。
この地球に、文明ができたとされる、その時代より
命の根源とされてきた女神、

それが、姫の姿です。

そして、その一族は、封印した一族たちとは違い、

「月」 は命そのものに繋がると考え
「太陽」もまた、命に恵みを与え、
「星」 もまた、人間の時間をつくる、「日」 の基準となりました。

どれも、私たち人間にとっては、
大事なものだということを、ちゃんと知っていたのです。

だから、太陽も月もともに神として祀り、
決して、どちらかひとつを排除するようなことはしなかったのだと私は思います。

それなのに、
闇夜の世界と同じように、月を封印してしまったのです。
月を封印することは、水を封印することにも繋がり、
海を封印することにも繋がります。

だから、月を封印してしまった後、
自分たちに必要な水だけを、神として復活させた。

今と同じ、
自分たちの都合のいいように、自分たちが封印してしまった神の
ほんの一部分だけを、使おうとしたのです。

その人間の欲、人間の身勝手な心が、
今のような世界を作り出してしまったのです。

水を奪い合うために戦い、
食糧を奪いあうために戦い、
権力を得るために戦い、
更に、それは、お金のために戦い、
お金のために、命をも犠牲にしようとする時代へと
なってしまいました。

自然は、人間のお金のために、壊され、
自然は、人間の欲のために、破壊され、
今もなお、自然は利用され続けています。

自然がなくなれば、人は生きていくことはできません。
自分一人くらいなら、このくらいなら大丈夫だろう。

みんなが、自分だけなら。。。。と考え、
今日もまた、どこかで自然は壊されています。

昨日、この愛媛でもとうとう、水の豊かな、
伊予の国の水の源とも言える久万高原町に、
産業廃棄物を埋める計画が始まったという記事を読みました。

もし、本当にそんなことになれば、
将来、水は汚染されてしまうでしょう。
今、生きている人たちは、まだ大丈夫かもしれません。
でも、将来子供たちの時代になった時、
美しい水の都の姿は、なくなってしまっているでしょう。

そんなに必要ならば、
松山市の真ん中に、埋めればいいと思います。
だれも住んでいない山だから、大丈夫などと、本当に考えいるのでしょうか。
森は、私たちの命の源です。
お金のために、悪魔に身を売ったひとたち。

「地球は今泣いている。」

私は、なぜかこの言葉をここ数日で、
何度も聞きます。

しかも、それは全く別の場所で聞くのです。

先日、ご紹介した 森繁久彌さんと宮下さんの曲から始まり、
何人かの方から、なぜかその言葉を聞かされます。

今日、もう一度、この曲をここに載せたいと思います。
皆さん、
こんな世の中が続いていいのでしょうか。
本当に、このまま手をこまねいてみているだけでいいのでしょうか。
どうしていいかわからず、
ただ、その気持ちだけが、あふれるように、
沸いてきます。




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by ldc_nikki | 2012-05-30 23:52 | 愛媛県松山市 | Trackback | Comments(3)

こんにちは。

いつでも誰かが~ きっとそばにいる~♪
これは、平成狸合戦ぽんぽこの主題歌、
上々颱風 「いつでも誰かが」です。

今日の最後の動画は、この曲をのせていますので、
狸の伝説を、この曲を聞きながら読んでいただけたら、
狸の光景が浮かぶかも?

前回、狸のお話をしてから、狸の伝説にはまっています。

昨日は、二箇所、狸さんの伝説のところへと行ってきました。
なので、今日、明日、明後日と、
狸のお話が続きます^^ 

まとめて、狸さんの伝説を
のせたいと思っています。


冒頭で、平成狸合戦ぽんぽこの歌に触れたのは、
もう一つ訳があります。

というのが、
今日お話する狸は、あの映画の登場人物、

「隠神刑部」 です。

あの映画をまだ見ていない方は、ぜひ一度見てみてくださいね^^
先日私も、改めてじっくり見たのですが、
なんだかとても考えさせられる映画でした。

多摩に住む狸たちは、
動物たちの山を壊されていくことに怒り、
人間を追い出そうとします。
でもなかなか思うようにならず、
四国から狸の長老たちを呼び、助けてもらおうと計画します。

そして、その時多摩に向かった長老の一人が、
この隠神刑部です。

他に、一緒に向かった狸は、
徳島県小松島市にある金長大明神の金長。
そして、
御年999歳の、屋島に住む 太三朗禿狸です。

映画の中では、この太三朗禿狸が一番古い狸となっていますが、
実は、この松山に住む 隠神刑部が、もしかしたら一番の長老の狸かもしれません。

あの松山市から久万高原町へと向かう、直線上の山の麓にその跡が残る
隠神刑部は、天智天皇の御代に、この地に住むようになったと言われます。

その訳は、
この地で、起こった出来事がその時代だったからです。

空海が狸を開放したと言われるのは、
ここに、起源があったのかもしれません。

天智天皇の時代に住みついた隠神刑部は、
次々子孫をつくり、とうとうその数は、

「808匹」 になったといいます。

不思議でしょ。

ここでも、 「8」

四国八十八か所は、「88」 ですが、
狸の数は 「808」 

ここまで 「8」の数字にこだわらなければいけなかったことは、
今の時代の私たちには、想像ができない世界です。

でも、この時、姫を封印しようとしていた人々は、
「8」 という数字にこだわり続けていました。
だから、空海は、その逆を同じ 「8」 で しようと思ったのではないかと思うのです。

天智天皇、持統天皇などの古墳が 「八角形」八角墳となっていることが
その象徴かもしれませんね。

ここで、ちょっと話が古墳にそれますが、
斉明天皇や天智天皇の古墳も 「八角形」になっているのでは?
と 思われる方もいると思いますが、
これは、天武天皇が、斉明天皇の子供で、天智天皇の兄弟だということを
証明するために、ダミーとして造られたものだと私は思っています。

この二人の天皇が、正式に葬られたのは、
亡くなってからずいぶんたってから。

天智天皇が本当に亡くなった場所は、
ここ愛媛だったのです。

と、これは私の勝手な想像ですが、
それだけ、「8」という数字にこだわっていたのです。

隠神刑部の有名な伝説は、
『松山騒動八百八狸物語』 として語られていますが、
この伝説もまたあることが元になっている、お話で、
その発端とは、不思議な縁と言えるような、
久万高原町の人たちの百姓一揆にあると言われます。

四国一の神通力をもつと言われた 隠神刑部は、
この松山藩のお家騒動に巻き込まれ、
ついには、久万山の古い磐の中に808匹の仲間とともに、閉じ込められたといいます。

その心霊を祀る場所が、
ここ久万高原町から松山へと降りてくる山の麓、

松山市久谷中組にあります。

今でも、磐の洞窟の中に閉じ込められている、
隠神刑部。

まるで、姫と同じ道を歩んだかのようです。

久万山とは、現在の久万高原町だと思われ、
古い磐とは、古岩屋、あの岩屋寺から移り住んだ仙人がいると言われる、
古岩屋なのかもしれません。

そういえば、あの場所で不思議なことがありました。

古岩屋の岩の下を流れる川で、
笛の練習をしていた時に、笛を吹き始めると突然大雨が降り、
吹き終わると、嘘のようにやんだこと。

あれは、そこにいるよという合図だったのかな?
なんてふと思い出しました。

もし、古岩屋の前を通ることがあれば、
ほんの少し思い出していただけると嬉しいです。

四国一の神通力を持つ、とっても勇敢で、とっても家族思いな
隠神刑部という狸がいたことを。。。。。。

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私が勝手に思っているだけですが、
この狸が、隠神刑部なのかもしれないな。。。。。。

そういえば、映画の中の隠神刑部も
この狸に似ていたかも。。。。。

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意識はしてなくても、
封印された一族も、封印した一族も、
みんなが分かち合うことができたらいいですね。

それは、世界が一つになることに
繋がるのかな。。。。 なんて、それだけではないのですが、
ふと思ったのでした^^ 





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by ldc_nikki | 2012-05-27 13:22 | 愛媛県松山市 | Trackback | Comments(0)

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。
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