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新年明けましておめでとうございます。
2017年がスタート。
今年の始まりは、私は夜明けの太陽ではなく、日が沈む頃西の空に現れる月。

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1月2日は、金星が月に近づき美しく輝いていましたね。
金星は、明け方か夕暮れ時にしか見ることができない星。

今のように電気がない時代、暗闇の中に一際明るく輝く星が、太陽が沈む頃現れ、太陽が昇る前に現れる。
この光景をどう感じていたのか、それが金星を女神とした理由だと、今もう一度遠い昔の人の心になって考えてみたいなと思っています。

年末二つの出来事がありました。
一つは、棚が重さに耐えられず落ちてきて、その中から今買っている犬の血統書が出てきました。
そこに家に来る前の名前が書かれていて…。ちゃんと読んだことがなくて。その名前を見てびっくり。
月の女神、アルテミス。
私が神社に行き始めたのは、月の女神が始まりで。
最初は不思議なことがたくさんありました。犬が家に来た時は、まだ始める前で気にも留めてなかったけど神社を始める少し前にやってきた犬も、偶然月の女神だったことに気づきました。

瀬織津姫という女神さまのことを知った時は、今のようになるなんて思ってもいませんでしたが、
今考えると、瀬織津姫を知る少し前から、あの黒い蝶と同じように、私の周りにはその前兆があったのかなと、後になってわかることが今でもあります。

年が明ける前、いつものように今治最古のお寺、役行者ゆかりのお寺へ行くと、いつもはお弟子さんしかいないのに、私がきっとくるだろうからと住職さんが待っていてくれました。
そこで目についた一枚のお札。
その意味を聞いてみると、北の位置に書かれているのは、妙見さまだと。
そしてれはそ北斗七星であり、命を司る星と。

1300年前の方法で今も護摩焚きをしていると言うお寺。
その教えは、妙見さまは北斗七星であり、命を司る星。

やっぱりその意味をちゃんとわかっていたんだと思いました。

どうして役行者は、山を開いていかなければいけなかったのか…。
どうして、石鎚山だけ特別な意味を持たせたのか。
どうして、最後に箕面の滝に行ったのか。
どうして、役行者は越智と一緒にいたのか。

ずっと役行者を避けていた私が、今治最古のお寺に、幟に導かれて行った日からとても身近に感じるようになりました。

年末に、改めて妙見の意味を教えてもらったことも、棚から落ちてきた血統書も、何等かの私へのメッセージだと思って、今年一年過ごしていきたいと思います。

それが何かを暗示していたのかどうかは、今は知ることができませんが、
それを意識していることが大事なのかなと思います。

もしかしたら、今、私の心が弱くなっていることで、信じる力をくれたのかもしれません。
思い返せば、私の心の中に不安がよぎると、いつも不思議なことが起きてきた。
不思議なことが起こらなかったら、神社へ行くこともやめていたかもしれません。

黒い蝶々が何度も私の前を横切った姫に出会う前の出来事、次々流れてくる雲が天の川にかかる前に消えて行った時のことも、道に迷って蝶々について行ったことも…。

心を閉ざさず、希望を失わず、信じて進むこと。
それが今の私には必要なことなのかもしれません。

今日はもう3日。
明日から仕事もスタート。

そろそろ、お正月モードから仕事モードへと切り替えないとですね。

皆さま2017年も、どうぞよろしくお願いたします!

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by ldc_nikki | 2017-01-03 14:15 | 日記 | Trackback | Comments(0)


こんにちは。


最近こうして神社のことを書くことが、とても少なくなりましたが、
ふと気づくと、神社や神様や歴史のことを考えている自分がいます。



Facebookは、頻繁に書いていますが、
素直に、思いつくままに書くことができないので、やっぱりここに戻ってきます。


今年は、60年に一度のお遍路さん、逆打ちの年。

今ちょうどこの辺りを回る人が多いらしく、連日、沢山のお遍路さんがやってきます。


どうして、60年に一度なのか。
その理由は、お遍路の起源でもある、「衛門三郎」が、20回まわっても弘法大師に会うことができず、21回目mに逆まわりにまわると会えたという伝説に関係しています。


その会えた年が、閏年だったため、閏年は逆打ちをする人が多いのですが、今年はそんな閏年の中でも更に特別な年。


『丙申』

今年の干支と同じ年に、会えたと伝わるから、60年に一度の特別な年なのです。



衛門三郎のお話はもちろんそのままのことが起こったわけではなく、
これも歴史の意味を込めた伝説だと私は考えています。


もともと、この伝説により、逆打ちに回ると願いが叶うと言われていますが、
それ以外にも、蘇る、生まれ変われる、という意味もあると言います。

これも、衛門三郎が、生まれ変わった伝説があるからだと、普通は考えるのでしょうが、私は少し違います。

『逆』に回ることで、生まれ変われる。

これは、歴史の意味をそのまま含んでいます。


更に、21回目というのも、7×3。

この数字にも意味があります。

更に、『丙申』


この干支があてられたことにも、ちゃんと理由があると思うのです。

『丙』

方角で言うと、南をしめし、陽気が一番活発になる年、南=火です。


『申』

申は、雷を意味し、更には神を意味します。

火が、天と地を結ぶ、雷=神と繋がり、天へと行くことができる年。


そして、この年は物事があきらかになる年。

南である火と火の神。天と地を結ぶ。

その年に、逆にまわった衛門三郎。


逆に回って会うためには、この年しかなかったんじゃないかと思うのです。


今までなかなか、出す気持ちにはなれませんでしたが、
昨日突然、神社の本を出してみようかと思い始めました。

まだ、歴史の謎にふれるものは本にすることはできませんが、
先に本格的な本を書いた時、きっと必要になるだろう、これまで私がまわってきた場所の神社やお寺を、一社づつ、小さな冊子にできたらと思っています。


それを見ながら、伊予の神社やお寺を沢山の方に巡ってもらえたらなと。

いつか本を書いた時、今回の小ブックが役にたつように、作りたいと思います。


また詳細が決まりましたら、こちらでお知らせさせていただきます。


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by ldc_nikki | 2016-06-02 19:28 | お知らせ | Trackback | Comments(14)

正式に決定しました

こんばんは。

遠くから来られる方もいるので、
お話会の詳細を早く決めなければと思い、
今日会場の方とお話をして、決定しました。

簡単ですが、チラシもつくりました。

お店が20名しか入らないので、
今回は20名になりましたら締め切らせていただきます。

大浜八幡神社での参拝やお祓い。
龍笛、笙、篳篥の雅楽奉納演奏。
そして、お話会。

第一回目は、やっぱり私の始まりの場所でもある、
大浜八幡神社からスタートしたいと思います。

宮司さんにお願いし、
また新しい一歩を踏み出すために、
みんなで一緒にお祓いをしていただこうとお願いしました。

そして、ずっと実現したかった
大浜八幡神社での、奉納演奏。

ずっと夢みていたことが、また一つ叶い、
感謝の気持ちでいっぱいになっています。

先ほど、このチラシを作りながら、
私自身が気づいたことがありました。

瀬織津姫がきっかけとなり、始めた神社巡り。
ある時からお寺も巡り始め、気づいたら歴史を調べ、伝説の意味を読み解くことを始めました。

どうして自分がこんなことをするのか、
その意味など考えることもなく、
ただ、目の前にある疑問と向き合うことだけに夢中だった6年。
今年7年目を向かえ、少しづつ私がどうして夢中になったのか
その意味が見え始めました。

もしかしたらこの先、もっと他に意味が見つかるかもしれません。
でも、今私が気づいたこと。
それは、このことでした。

「伝説の中に隠された真実を探す旅、
 それは多くの命が残した
 私たちへのメッセージを受け取る旅」

いくつもの命によって、受け継がれた歴史。
たくさんの命が残した多くの物語。

私は歴史を調べながら、物語を読み解きながら、
神社やお寺に足を運びながら、
命が残したメッセージを受け取ろうとしていたのかもしれません。

声なき声で伝える、
物語の中に込められた多くの命のメッセージを
探していたのかもしれません。

11月29日(土)

もうすでに、10名近くの方からお返事をいただいています。
今治市意外の方が多く、なかなかこれない方も多いと思いますが、
もしこれる方がいらっしゃいましたら、
お早目にご連絡ください。

お会いできることを楽しみにしています。

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by ldc_nikki | 2014-10-10 00:35 | お知らせ | Trackback | Comments(1)

言葉とは、表とは、

こんばんは。

今日は今年一番の寒さ。
ここ愛媛でも、山は雪で白く彩られ、急に冬が訪れたようです。

ブログではなかなか更新できませんが、
相変わらず頭の中は、
歴史のことでいっぱいです。

歴史のことを深く考えるようになって、
今まで、気にならなかったことが、とても気になったり、
私たちが、今まで考えてきたことは、ある意味洗脳に近いものだったんだと
わかってきたり、歴史を調べることが単なる、歴史だけにとどまらず、
いろんなことを深く考えるようになりました。

これまでの歴史を研究する人たちは、
ただ、表面的な記述ばかりが気になり、そこに書かれてあることからしか
歴史を見てこなかった。

ただ、これは嘘のことを書いているとか、
これは本当のことだとか、
古事記一つにとっても、ここに書かれてあることが
どこの場所のことだとか、
ここが始まりの地だとか、
そんなことばかりに気をとられいるせいで、本当のことが見えなかったのではないかと
最近強く感じます。

始まりの地って、何をもって始まりというのか。。。。

本当の源を、忘れ、見えないまま、
何が始まりなのかと、疑問を感じずにはいらなれない日々が続いています。

そんな中、昨日、ある言葉が目に止まりました。

「アワ女とサヌキ男」

昔から言われているというこの言葉の意味を、
アワを女性性の意味としている。

アワ=女性性とは、「分け与えること」

私は、この言葉を見て、言葉ってなんて便利なんだろうと、
「分け与える」という、本来は、とても素晴らしい意味ともとれる言葉が
私には、とても都合のいい言い方にしか見えなかったのです。

「ものは言いよう」

という、言葉がありますが、本当に言葉って(日本語)って、
その通りだなと思うのです。

「分け与える」という言葉を見て、
きっと、私以外のほとんど人は、なんて心優しいと思うと思います。

でも、私の中では、
「アワ女」 の意味する 「分け与える」は、
「利用される」 という意味と同じなのです。

どうして、分け与えると利用するが、同じ意味なるのか、
誰にもわからないかもしれません。

それが、「ものはいいよう」歴史の謎を解けないことに繋がるのです。

言葉の奥に込められた想い、
言葉の背景にある状況、

それは、「分け与える」だけは、見えないのです。

例えば、
自分の大切な子供が特別な能力があるからと、ある日突然誘拐されてしまい
誘拐された子供は、他の土地でその能力を使って、大国を築いていったとします。

奪われた両親は、どんな気持ちになるでしょう。
もし自分が奪われた側の人間なら、どんな想いがするでしょう。

しかし、反対に奪った側の人たちは、
その能力のおかげで、豊かの国となり、その繁栄の元、裕福な生活ができるようになったとしたら。
奪ったことよりも、その力で繁栄ができたことを、
喜ぶでしょう。

そして、その力は、「分け与えてくれた」 と言う。

それが、本人の意志でなくても。

誘拐された子供は、自分の故郷に帰ることもできず、
自分の本当の名前も明かされることなく、
その身を光にあてられることなく、
ただひたすら、奪った人たちのためにあり続ける。

もし、自分が親の立場だったら、兄弟の立場だったら、
血の繋がる一人だとしたら、
どんな想いがするでしょう。

そんな相手の気持ちも考えず、
自分たちさえよければいい、自分たちだけ栄えることができればいい、
自分たちの暮らしさえ裕福になればいい、
自分たちだけ、権力を持つことができればいい。

まるで、今の時代とそっくりだと私は思えてしかたがありません。

「言葉」

それは、それぞれの立場で、いろいろな形となって
言い表されられる。

一つの出来事を、誰かに伝えようとした時、
それは、自分の立場で言っているということを見抜かなければ
その本質を見抜くことができないということを、
歴史が私に教えてくれました。

本当に、見ないといけない歴史は、
古事記でも、卑弥呼でも、イザナミでも、神武天皇でも・・・・・
なく、それら全ての奥に繋がる、一番大切なものの歴史なのではないかと
私は思います。

それを知ることが、
これまで沢山の命が繋がれ続いている歴史に、
本当の意味を持たせることになるのだと。

私たちは、一番大切なものを見ようとせず、
華やかな歴史の登場人物や、歴史に名を残す偉大とされる人物や、
表の歴史ばかりに目を奪われ過ぎてきたのかもしれません。

瓊瓊杵尊が、磐長姫を選ばず、木花咲耶姫を選んだことと同じように。。。。





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by ldc_nikki | 2013-11-20 00:51 | 日記 | Trackback | Comments(8)

こんばんは。

今年も残すところ後1日と少しになりました。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

田舎へ帰省する方、旅行に行かれる方、家でのんびりされる方、
そして年末年始もお仕事で忙しい方・・・・。
いろんな年末を迎えられていることと思います。
そしてみんな同じように時は過ぎ、同じように新しい年を迎える。

私は神社のことを調べ初めてから
いろんなことに気づきました。
特に、自分はいろんなものと繋がって生きているということを、
強く強く感じるようになりました。

瀬織津姫という女神さまに出会うまでは、
あまり深く考えたことがなかった、さまざまなものとの繋がり。

瀬織津姫に出会い、神社に出会い、お寺に出会い、歴史に出会い。
そしてここで多くの方々と出会い、
私はこの三年と少しで本当に多くのことを学ばさせて頂きました。

そして、今、心から思うことができます。

神さまを知ることは、神社を知ることは、お寺を知ることは、歴史を知ることは、
命の繋がり、自然との繋がり、過去に生きた人々との繋がりを知ることで
それは、「生きる」という意味に繋がる。
人は何かと繋がることで生きることができるということ。

そして、私たちもまた、次の命へとつなぐ大切な役目がある一人だということ。

そうしながら、何千年も人間はこの地球という星に存在することができた。

私たち日本人は、どんどん裕福になり、物にあふれた世界で生きることで
本当に繋がっているものは、本当に必要なものは、
物ではなく、命であり、自然であることを忘れてしまいました。

でも、それは完全に忘れさってしまったわけではなく、
私たちの心の奥底に眠っているだけなのだということも、
自分自身で知ることができました。

今、いろんな意味で、この世界は大きな分かれ道にきているような気がします。

そんな今、私たちは、心の奥底に眠っているものを
目覚めさせなければいけないのではないかと思います。

そしてそれを目覚めさせることができるのは、
神社であり、神さまであり、歴史なのではないかと思うのです。

まだまだ、私自身知らないことが沢山あります。
だからもっともっといろんなことを知り、もっともっと大切なことを見つけなければいけないと思います。

そして、私が通ってきた道と同じように
多くの人が、眠っている心を目覚めさせることができるように、
私が一つの道しるべになりたいと思います。

今年の後半は、どうしたら、道しるべになれるかということを
一生懸命考えてきました。

少しでも神社や神さま、お寺、歴史に興味のある人は
そんなお話を伝えることで気づいてもらえるのではないかと思っていたのですが、
全く興味のない人に、私はどう伝えていったらいいのか。
そんなことを、毎日毎日考えていたように思います。

はっきりとした答えが出たわけではありませんが、
まずは興味をもってもらう方法を、来年は少しおこなっていけたらと思っています。

そんなさきがけとも言えることを、
年明け早々させていただくことになりました。

1月27日、
神戸元町にて、神社の写真の展示と
初めてのトークショーをさせていただくことになったのです。

ミュージシャンの方とのコラボなので、私の写真があることなどあまり気にせず
音楽を聴きにこられる方もいらっしゃいます。
そんな方々を前に、初めての神社のお話。

私の話を聞いて、少しでも興味をもってもらえるような内容を私なりに
今一生懸命考えています。

もし、ブログをご覧頂いている皆さんの中で、
私のお話を聞いてみたいという方がいらっしゃいましたら
ぜひ、お越しくださいませ。

詳しい詳細は、来年年明けにお知らせさせて頂きます。

今年も、一年間振り返ると本当にいろんなことがありました。
嬉しいこと、楽しいこと、悔しいこと、悲しいこと。。。。

どれも私の生きた証であり、明日へ繋がる一日。

そして、そんな毎日を生きることができるのも、
この一瞬の時間さえも、多くのものと繋がっているからこそなのだということを
感じながら、2012年に終わりを告げたいと思います。

一年間ずっとブログをご覧いただいた皆様、
最近、偶然ここにたどり着いた皆様、そして、今日初めてお越しくださったみなさま。

ここで、こうして繋がることができたことに
心から感謝します。

本当にありがとうございました。
こんな私ですが、来年もどうぞよろしくお願いいたします。

皆様どうぞよいお年をお迎えくださいませ。

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http://www.youtube.com/watch?v=5WeLpev3l4Q&feature=share&list=PL2152C6D379AB231C

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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-12-30 18:17 | 日記 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今日は、瀬織津姫の名前が今も残る神社をご紹介します。

ここは、四国中央市 (旧三島町) の山の奥。
なかなか、今までここまでくることができませんでした。

やっと、くることができました。

愛媛は、大山積神によって、瀬織津姫の名前が消されている場所が多く、今も姫の名前を表に出してくれている神社は、数少ないのです。

その中でも、なぜか四国中央市の山の中には、姫の神社が三社あります。
どこも、金紗湖という湖の向こうの山の中。

そのうち 1箇所は、かなりの山奥で、車で行くこともできないようで、
今は、決まった宮司さんさえもいないそうです。
別の神社の宮司さんが、年に数回、もう一社の瀬織津姫を祀る神社から、山へ向かって拝んでいるそうで、
その方に聞いてみたのですが、 その宮司さんさえも一度も行ったことがないそうです。

それにしても、どうして、この山奥にこんなに固まって、姫の神社が残っているのでしょう。

まだ、その謎ははっきりとわかっていないのですが、
この四国中央市の山から、隣の徳島県と高知県の県境の山々には、不思議な伝説が数多く残っています。

そのどれもが、姫に繋がるような伝説。

例えば、徳島県へと超える峠には、三途の川の伝説があったり、
「鬼」 が住む場所や、 「大蛇」 がでる場所。 また、妖怪がでるところなど、徳島県側に伝わる伝説として、今も伝わっています。

まるで、徳島から愛媛へと山を越えさせたくない何かがあるように。。。。

これは、これから先、徳島県に行って、その場所に立ち、調べてみないとわからないことかもしれませんが、
きっと、この山の中に、誰にも知られたくないことがあったのだと、そんな気がしています。

また、高知県へと超える山 「白髪山」 のに並んだ 「工石山の巨岩」には、白山神社が鎮座し、
白山権現が祀られています。
そして、その山を越える峠の名前は 「竜王越」 という名前がつけられています。

白山権現とは、瀬織津姫の神仏習合の姿です。
そして、その上には竜王が住み、そこを竜王越という。

「愛媛」 「徳島」 「高知」 この三つの県の県境の山は、瀬織津姫やニギハヤヒに深い関係のある場所に間違いないと思っています。

そして、その向こうにある 「剣山」 にも。。。。。

今日、ご紹介する神社は、その神社自体には、何も由緒が残っていませんが、
ここに行くことに意味があると思うのです。

神社を巡り、歴史を調べていくことは、 まるで、 人生と同じ。

「意味がない」 ことをしているように思えても、全てに意味があり、
そこを通らないと、決して次へと進むことができない。

私は、 神社巡りから、 それを教わりました。 

先を急ぎすぎ、 何かを飛び越えて行こうとしても、たどり着くことはできないんだと。

どこかへたどりつくためには、そこにたどり着くための準備ができていないといけないということを。

だから、焦らず、そして諦めず、 今できることを一生懸命する。

それが、何かにたどり着くための一番の近道であり、たどり着くための条件でもあると思います。

*熊野八幡神社
*四国中央市富郷町寒川山681番地
*祭神
 瀬織津比女命(せおりつひめのみこと)
 事解命(ことさかのをのみこと)
 伊邪那伎命(いざなぎのみこと)
 速玉男命(はやたまのをのみこと)
 菊理比売命(くくりひめのみこと)
 息長足比女命(おきながたらしひめのみこと)
 品陀和氣命(ほむだわけのみこと)
 帯中日子命(たらしなかつひこのみこと)
 新田義貞公(にったよしさだこう)
 於加美命(おかみのみこと)
*境内社
 合併神社   厳島神社
*由緒
 建久以前の奉斎といわれ、寿永3年(元暦元年)の奉斎ともいわれるが未詳である。
 現在の御社殿は、正治2年3月28日の再建と伝えられ、明治26年12月25日に内務省より保存金を下付されている。

そして、こちらの神社の御神徳は、
「様々な悪い繋がりを断ち、様々な良い繋がりを結んで下さる。」 です。

まるで、この山の上から、一日も早く、よい世の中がくるようにと、瀬織津姫が祈り続けているように思えました。 
「本当に正しいことは何なんなのか。」 
「本当に良い繋がりとはどんな繋がりなのか。」

早く気づいてほしいと、願っているかのように、私には感じました。。。。。。。。。。。。。。。

                       【金紗湖にかかる赤い橋】
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                         【川を通り山の中へ】
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                            【寒川山】
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                            【鳥居】
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                         【境内社 厳島神社】
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                             【拝殿】
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                             【本殿】
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                            【合併神社】
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                             【燈籠】
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                 【合祀された神社の境内に置かれていた神の石】
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これはこの熊野八幡神社のある部落から更に山の上にあった部落の神社の境内に置かれてあった石です。
この石にどんな意味があるのか、聞いてみたのですが、もうその起源を知る人はいないそうです。
ただ、この石をここへ運んでいる時に、足の骨を折るなど、ここまでくる道のりは険しいものだったそうです。

                           【神域の中の木】
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                              【全景】
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                        【境内の木に生えるきのこ】
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                    【神社の側になぜか置かれていた鐘楼】
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少し聞きたいこともあったので、近くで畑仕事をしている男性に、声をかけてみました。
その男性は、偶然にも、この神社のお世話をされているかたでした。

男性は、私たちに心の中で訴えるように、おっしゃいました。

「最近は、みんな歳をとって、歩くことも大変になってきてな。 
神社の掃除すら出てこれない人たちばっかりじゃ。 わしが、もしいなくなったら、その時はこの神社も、もう終わりかもしれんな~。子供らも、町へおりて、帰ってきやせんし、仕方ないわな~。」

もう、何回、こんな言葉を聞いたことでしょう。
山の中へ入るたびに、 その光景を目にして、いつまでこの神社はここにこうして存在できるんだろうと。

今、小さな小さな山の奥の神社かもしれません。
でも、ここには、大切な歴史、 そして、ここに住む人たちのさまざまな思い出が詰まっています。

このまま、 この歴史を閉じてしまっていいのだろうか。

数少ない、本当の姿が残る場所がなくなれば、過去のことを思い出すことも、過去のことを知ろうとする人も
いなくなってしまうのではないのかな。

そして、 消されてしまった神様も、 消されてしまった歴史も、 消されてしまった多くの人たちの存在も
もう永遠に、葬り去れてしまうのでしょうか。。。。。。

今、私にできることは、こうして少しでも、ここに存在した証を残しておくことかもしれない。
そして、そこであった歴史も、できることなら見つけ出して、それをいつか認めてくれる時まで、残していくことかもしれない。
なんて、最近、思うようになりました。

一つでも、多くの真実を。

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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-11-15 23:26 | 愛媛県四国中央市 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日は、昨日の続き、八幡浜市 保内町です。

保内町は、現在は、かんきつ類の栽培が盛んな町ですが、 
愛媛県で一番早く電気がともったり、 金融機関が一番早くできたりと、、文明開化期をリードした町なんですよ。

古代の歴史は、 まだまだ謎のままですが、
保内町川之石という地区は、 古くから港として栄えたり、 みなとの近くでは、 鉱山で栄えました。

佐田岬半島は、中央構造線に位置していることもあり、佐田岬半島の付け根にあたるここ保内町は、
もいくつかの鉱山がありました。

川之石地区は、保内町となる前は、 一つの町でした。
そして、この町もまた、3つの町が合併した町で、 その前は、
磯津村・宮内村・喜須来村という、三つの村がありました。

村の中には、宮内川という川が流れ、 旧八幡浜市との境に、権現山という山があります。

古代の歴史をもっと深く調べていくと、ここにも、姫の跡が見つかるかもしれません。
今日、ご紹介する神社がある、 雨井とよばれる地区は、 特に姫がいるような気がします。

この時、私がここを選んだのも、 なんとなく 「雨井」 という言葉に、興味をもったからなのです。
行くまでは、 ここがどんな場所かも全くしりませんでした。

でも、後で調べてみると、私たちが参拝した、雨井神社のまわりには、姫を思わせるような場所があることがわかりました。

まずは、 雨井地区に鎮座しる 雨井神社のご紹介です。

雨井神社がある地区は、平地が少なく、海のすぐそばに山があります。
わずかな平地に、細い道が走り、古い町並みの住宅が並んでいます。

どこも細い道ばかりで、 神社を見つけにくく、ゆっくりゆっくりと車を走らせ、あたりをキョロキョロ。

すると、 家の壁に貼り付けてある、 小さな看板が目に入りました。

それは、津波の際の避難経路を表す、看板でした。

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雨井神社は、 津波の際の避難場所になっていました。
車をとめて、ここからは歩いていくことに。

民家の間の、細い坂道を上ります。 津波が海から押し寄せてきたら、この町はいったいどうなるんだろう。
そんなことを考えながら神社へと向かいました。

すると、石垣と鳥居が見えてきました。

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近くには、みかんの木が。
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秋には、 オレンジ色に染まり、おいしいみかんができるんでしょうね。
鳥居をくぐり、 拝殿へと向かいます。

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拝殿です。
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*雨井神社 (あまい)
*八幡浜市保内町川之石6-137
*祭神:伊邪那岐命(いざなぎのみこと)  
     大国主命(おほくにぬしのみこと)   
     事代主命(ことしろぬしのみこと)
*合併神杜(大物主命、大山祇命)

雨井神社は、由緒は末梢されていて、 過去のことはわかりませんでした。
ただ、イザナギと大国主命がセットで祀られているところは、あまり見かけないので、少し不自然です。

雨井という名前は地名ですが、 「水」に関係する、神がいないのも、とても不自然です。

この神社では、 イザナギ=瀬織津姫 かもしれません。

本殿
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津波避難場所の案内がありました。
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境内から海を見ると。。。
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津波なんか、 二度と来ないでほしい。 
そう願いたいですが、 地球が生きている限り、それを止めることは誰にもできません。
いつか、この海の向こうから、津波が押し寄せてくる日がくる。
とても悲しいことですが、 それは、 受け入れるしか仕方のないことなのだと。

雨井神社で参拝を終え、車に戻った時でした。
1匹の、黒い蝶が、車の近くに飛んできました。 
(やっぱり、ここにも、黒い蝶が・・・・) そう、思った瞬間、神社の左の山の方から、光がさしました。
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「わ~! 綺麗♪」 そう思った瞬間、
山の上から、 まっすぐに光がおりてきました。

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その光は、すぐ近くをさしているようなきがしました。
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「あの山は、もしかしたら、意味のある山なのかもしれないね。」

そう、言いながら、山に手を合わせ、雨井をあとにしました。

そして、帰ってから、調べてみると、 雨の神社から、少し北へいったところ、
そう、この山裾に、 「慈眼庵」 というお堂があることがわかったのです。
そうして、そのお堂には、 「千手観音」 さまが、 お祀りされていたのです。

今考えると、 あの光は、まるで千手観音さまの位置をしめすかのように、 おりていたのかも。

千手観音は、全ての生き物と人々を救う菩薩さま。
大山祇神社の中の、十七社に祀られる、瀬織津姫と同じ意味、 十一面千手観音は、瀬織津姫さまのことです。

気づかず、 行くことができなかったことが、 少し残念ですが、 まだまだ、私もそれに気づけるだけの能力がないのだなと、 未熟さを痛感。
まだまだ、修行が足りません。

でも、保内町の、雨井にこれたことは、 とても意味のあることだったんだろうと、思っています。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は、 宮崎駿さんの 映画が大好きです。
そして、その中で流れてくる、久石讓さんの音楽が大好きです。

その中でも、なぜか、一番初めに覚えた歌が、 天空の城ラピュタの主題歌でした。
この歌詞が、私の心となぜか、一致するのです。

私は、ずっと昔から、今でも、 何かをずっと探しているような気がしているのです。
それが、人なのか、 なんなのか、 今でもわかりません。
でも、ずっとずっと、探し続けている気がします。
母も父も、 今も、私の側にいます。
それなのに、この歌の中の歌詞が、 私の心に響きます。

どうして、この歌がこんなに好きなのか、 昔は全くわかりませんでした。
でも、最近、この歌の中に出てくる言葉が、 もしかしたら、 このことだったのかもしれないと
私の思い込みかもしれませんが、 感じることがあります。

まるで、 今の、私の旅と同じだと。。。。。
いつか、出会う日を夢みて。。。。。。




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-08-23 23:53 | 愛媛県八幡浜市保内町 | Trackback | Comments(5)

こんばんは。

今日は、暑い一日でしたね。
北関東、伊勢崎市では、38度を超える暑さ。
皆様の町は、大丈夫でしたか?

伊勢崎市は、ご縁があり、しばらく住んでいました。
偶然テレビのニュースで出た遊園地は、その当時、子供たちを連れて遊びに行った場所でした。

子供たちがまだ小さかった頃、遊びに行った場所、懐かしく思いながら、ニュースを見ていました。

いろいろあった群馬県ですが、ご縁があったのも、きっと、理由があったのでしょうね。
こうして、神社を巡っていたら、いつか、その理由が、わかるような気がします。

神社に行き、神々を調べ、いろいろなことがわかってくると、
自分がこれまで生きてきて、私の人生に影響を与えた人との出会いや、 住んだ場所が、過去から繋がっていたことに気付きます。

もしかしたら、ずっと前から、修行をさせられていたような。。。
そんな気にさえなります。

きっと、 私たち人間は、 全ての人に、生まれた理由があり、そのために、多くの人と出会い、学び、助け合うのだと思います。
悲しい出来事も、 自分のためにおきたのだと、 今、 強くそう思います。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて。。。 今日からは、新しい土地に移ります。

久しぶりの、久万高原町です。

高速道路が無料の間は、 できるだけ遠くへ行こうと、南予を中心にまわっていましたが、無料化が中止になったので、 今度は、近くでまだ行っていないところを、周ろうかな、と思っています。

ということで、 松山から、一般道で、約40分ほど走れば、いくことができる、久万高原に行ってみることに。。

はっきりと、行く場所は決めず、 行きながら思いついたところに行こうということで、とりあえず、久万高原へ向かいました。

国道33号線を走り、三坂峠を超えると、 久万高原町です。

国道を走っていると、 左手に、鳥居が見えました。
今まで、何度も通っていますが、 今までは、気にならなかった神社でしたが、 今回は、 何か気になる。
ということで、まずは、こちらで、 今回の旅のご挨拶をすることに。。。。

車を止めると、 神社の名前が書かれた石碑がありました。

「高殿神社」

はじめて聞く名前でした。
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どんな神社なのかな~ とワクワクしながら、 鳥居の方へ。
神社の近くの山は、 久万高原町独特の岩山がそびえています。
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鳥居の向こうの境内の中に、人影が。。。。 
もしかして、お祭り?

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境内に近づくと、 テーブルやいすの準備をしている方々の姿が見えました。
(やっぱり、お祭りの準備をしているのかも)
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そして、拝殿へ。
すると、拝殿の中にも、人が。。。 
(どこかで、こんな風景にであったことが。 そうそう、 少彦名命の神社をさがしていて、お祭りの前日の神社に行った時も、氏子の皆さんが、拝殿の中にいたな~)

中に人がいると、 なんだか、 恥ずかしいような。。。
でも、氏子の皆さんがいらっしゃる時にこれるのも、きっと、何かのご縁。
そう思って拝殿に近づくと。。。。

「あ!」
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拝殿の中に、 用意されていたのは、 夏越祭の茅の輪でした。
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この日は、高殿神社の、夏越祭の日だったのです。
でも、私たちは、別の土地の人間で、 何も知らずにやってきたので、参拝をしてそのまま帰ろうかなと思っていたのですが。。。

参拝をし、 帰ろうとすると、 中にいた氏子の方が、

「どうぞ 」 と。

「人形をもってますか?」 と聞かれたので、 

「いいえ。 実は通りすがりのもので、 前を通ったので参拝させていただこうときただけなんです。」

すると。。。。

「いいですよ。 せっかくなので、 よかったら、御祓いをして帰ってください。」 と。。。。。

実は、去年も、夏越祭が終わった後に、参拝に行き、 御祓いをしていませんでした。
(これも、きっと、ここの神様が呼んでくださったのかも)
私たちは、お言葉に甘えて、輪潜りをさせていただくことにしました。

茅の輪の側には、宮司さんがいらっしゃいました。
こちらへどうぞと言われ、宮司さんの前に行くと、 なんと、 きちんと、宮司さんに御祓いもしていただけるとのこと。

私たちは、宮司さんの前に座り、 祝詞をあげていただき、 御祓いをしてくださいました。
そして、 その後、輪くぐりをし、 最後に、お神酒までいただき、 感激。

そして、まだ、 始まったばかりで、 あまり人がいなかったので、 氏子の方や宮司さんとお話をさせていただきました。

この神社は、 この辺を開拓した人(神?)を祀る神社だということ。
更に、近くの三島神社も合祀されているとのことでした。

開拓した人(神?)の名前を聞きましたが、はじめて聞く名前で、この時は、それがどんな人か全くわからず、
失礼しました。

それが、後で、調べてびっくり、 ある人と繋がっていたのです。

*高殿神社
*高御産巣日神(たかみむすひのかみ)
*上浮穴郡久万高原町西明神267番地
*7月17日 夏越祭
*神代の昔、明神右京が日向の高千穂より神様の分霊をお持ちしてお祭りした。御に明神右京の霊をも合わせ祭った。
 明治43年東明神本組にあった村社三島神社をも合わせ祭った。
 本殿を飾る彫刻は郡内随一で宝物の随神、鰐口は町指定の文化財である。

(本殿)
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こちらの神社の由緒の中に出てくる、「明神右京」という方が、こちらの神社にお祭りされている人の名前です。
実は、この明神右京は、 この後行った、四国八十八ヶ所のお寺の創建にも深く関わっている人でした。
そして、明神右京は、「狩人」 と現されますが、 鉱山師であった狩場明神、あの空海を、高野山へと導いた、狩場明神 (狩人) と同じだったのです。

ここ、久万高原町は、 岩山が多く、 そのことから、鉱物資源が豊富な町の一つです。
そして、もちろん空海が訪れた場所でもあり、 二つの八十八箇所があります。
お寺のお話は、また次回に、詳しくさせて頂きますが、 この神社は、 そんな空海とも繋がる、狩人(狩場明神)を祀る神社だったのです。

そして、この狩場明神は、 丹生都とも深いかかわりがあり、 そして、それは瀬織津姫とも繋がります。
久万高原町と瀬織津姫の接点が、また新たに、わかってきそうな気がしました。

そして、ますます、瀬織津姫と空海(四国八十八ヶ所)も、繋がっていると思えてきました。

今年の夏越祭も無事終えることができ、 この半年間の穢れ汚れを祓っていただけ、また、新しい一歩が踏み出せそうな気がします。
本当に、ありがとうございます。


(今日は、久しぶりに、愛姫伝の動画をのせたいと思います。
 第3章 瀬織津姫物語です。歌っているのは、私です^^)





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-08-11 00:54 | 愛媛県久万高原町 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日は、先日の続き、伊予市の神社です。

松前町のお隣、伊予市も、とても古い神社が多い町です。
今日、ご紹介する神社も、そんな古代より鎮座する神社の一つです。

そして、祭神は、

「天照大神荒魂」 です。

天照大神荒魂は、もうご存知だと思いますが、瀬織津姫のことです。
神社の名前は、廣田神社。 廣田神社は、兵庫県西宮に鎮座する、姫の神社の一つです。

もともと、この場所は、とても古い時代に、国造神籬を樹て、廣田大神を勧請したのが始まりと言われています。
そこへ、推古帝の御宇4年(西暦596年)厩戸皇子勅を奉じて当国に行啓ありし時、国司小千宿禰益庫躬に令旨を下し神殿を造営せしむ」と伝えられています。

そして、瀬織津姫の横には、ニギハヤヒもちゃんと鎮座されていました。
推古天皇の時代は、愛媛に、もう一つの勢力が力を伸ばし始めた時でした。

大三島の瀬戸に、三島明神を祀ったのも、この時代だといわれてます。
今、私が一番気になっている時代、 587年~745年。 この160年くらいの間に、ここ瀬戸内海でも大きな変化が訪れたのです。

そんな時代に、建立された、この廣田神社も、特別な思いを感じる神社でした。

*廣田神社
*伊予市上三谷甲3165
*御祭神:天照大神荒魂(あまてらすおほかみあらみたま)
*境内社
 冨田神社 尊霊神社 青木神社 高守神社 三光神社
 岩崎神社 生目八幡神社 八重神社 庚申社
 
*由緒
 「上古、国造神籬を此地に樹て、廣田大神(摂津国武庫郡、現在の兵庫県西宮市)を勧請せし地なるにより、推古帝の御宇4年(西暦596年)厩戸皇子勅を奉じて当国に行啓ありし時、国司小千宿禰益庫躬に令旨を下し神殿を造営せしむ」と伝えられている。
 当社の周辺には、上三谷古墳群と呼ばれる多くの古墳が存在しており、特に昭和44年果樹園造成中に三角縁神獣鏡の破片2面分が出土し嶺昌寺古墳と呼ばれているものは、西暦300年代中頃のものと推定されており、道後平野最古の古墳とされている。

では、境内をご紹介します。
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田んぼの横の参道を歩いて鳥居へ。
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鎮守の杜の中に、姫の拝殿が見えてきました。
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狛犬にご挨拶
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そして、拝殿へ
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三島の神紋
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本殿の裏の木
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本殿
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ニギハヤヒをまつる 富田神社
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参拝が終わって帰ろうと思ったのですが、少し聞きたいことがあり、宮司さんのお家に行ってみることになりました。
どこが、宮司さんちなんだろう?

そう思っていると、ちょうど宅急便屋さんが、一軒の家に行く姿が見えました。

神社の境内のすぐ隣。

(もしかして あそこかも?)

宅急便屋さんが、帰ったので、すぐ家を訪ねていってみました。

「すみませ~ん。 こんにちは~」

(宮司さんの奥様らしき人が出てきました)

「すみません。 ちょっと聞きたいことがあるのですが。。」

そういうと、靴をはいて、私たちのところへ来てくださいました。

「本殿の横のお宮は、どなたを祀られているのでしょうか?」

「あ~。 あそこは、大国主ですよ。 それから、横にあった小さい祠は。。。。」

と、境内のそのほかの境内社の説明もしてくださいました。
おまけに、神社の周りの地域のことや、境内社がどこから来たかとか、親切に身振り手振りで教えてくださいました。

そして、ここでもまた、帰ろうとすると、黒いアゲハがす~っと出てきました。

姫さま、 ありがとうございます。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日は最後に、ジェヒさんの質問へのお返事をここでさせていただきたいと思います。

>大祓詞に出てくる禊ぎの3神で瀬織津姫だけが有名なのはなぜでしょう?

私の考えなので、他の考えの方もいらっしゃると思いますが、「大祓詞」 は、 瀬織津姫がこの世から消された代わりにできたようなものだからじゃないでしょうか?

大祓詞は、ご存知のように、中臣祓詞ともいい、 人間の罪や穢れを、祓うために唱えられた祝詞です。
滋賀県の佐久奈度神社が、「中臣大祓詞創始の社」と言われています。

大祓詞とは、瀬織津姫をこの世から抹消してしまい、その際に犯した沢山の罪から逃れようとしてできた呪文、また唱えるだけで、極楽浄土にいけるといった 「南無阿弥陀仏」 と同じようなものなだと思います。

唱えれば唱えるほど、その効果は高いと思われ、何百回、何千回と、唱えたこともあったといわれます。

それだけ、自分たちがしてしまったことへの罪の重さを感じ、自分たちの思うがままになったように思えても、
いつまでも、その罪から逃れることができなかったのだと思います。

そのために作られた 「詞」 それが、大祓詞だから、瀬織津姫だけが有名なような感じがするのでしょうね。

>川に何でも流す行事が今でも行われていて、七夕飾りや精霊流し、疫病流しなどもそうだし、川に流すもの探せばたくさんあるこれら全てが瀬織津姫と関係あるのかしら^^;;


本当にそうですね。 日本語には、 「水に流す」という言葉がありますが、 この言葉も、この 「禊」からきている言葉だと言われます。

古代から、 水は、清めてくれる存在でもあったのだと思います。

「大祓詞」 も、原点は、そこからきているのでしょうね。

七夕飾りを流す、
七夕流しは、昔、棚機津女という、機織り機で布を織る巫女を、年ごとに村の中から一人選び旧暦の7月7日に人里離れた水辺の機屋の中で、 その夫たる神様を、衣を織りながら待ち、訪れた神は棚機津女の村に豊穣を授け、その代わりに穢れを持って立ち去る時に七夕飾りを川や海へ流し送りだすといった伝承がありました。

川は海へと通じ、海は全てのものを飲み込み、浄化されていくのだと、昔の人は考えたのだと思います。
海の水分は水蒸気となり、空へとのぼり、雲となり、また雨となってこの地を潤す。

ふった雨は、山の地面へとしみこみ、さまざまな植物の生命を育むとともに、その雨は、やがて、川となってまた海へと向かい流れていく。
その循環が、この地球のしくみ、地球の生命の営み。その中から、「禊」 という考えが生まれていったのだと思います。

昔の人々は、 「禊」が一番大事なものだと思っていました。
だから、禊を原点にしたさまざまな風習が日本にはあるのでしょうね。

神と繋がるために、 いつも清らかな心と体でいなければいけないと思い、禊というものができたはずなのですが、それもまた、ある時から、自分たちの犯した罪を流し、罪に縛られた心から開放したいと願い、人間のための禊、「大祓詞」 へと変化していったのですね。

でも、何かにすがりたい。と思う気持ちは、 人間のもつ普通の気持ちなのかもしれません。
人間はとても弱いものなのですよね。

だから、「大祓詞」 を唱え、自分の犯した罪を反省し、詫びることができるのなら、 それは必要なものなのかもしれないと思います。
それによって、本当に、心を入れ替え、また新しい出発をするために。

今、この世の中は、 「禊」 が必要なのかもしれませんね。
よい世の中を作るために。。。。。。




 

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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-07-16 04:52 | 愛媛県伊予市 | Trackback | Comments(8)

こんばんは。

毎日、暑い日が続きますね。
例年より、随分早く梅雨があけ、今年は長い夏になりそうですが、
元気に夏をのりきりましょうね。

今日は、前回の続き 松前町の神社です。

前回は、松前町の漁港に鎮座する、瀧姫神社でした。
この日は、神社は終わりにして、買い物に行こうと思っていたのですが、右折する道を間違えてしまい、
なんだか、 行き過ぎた気がすると思い、 次の交差点を曲がり、そのまま国道へと向かっていると、
左前方に、神社がありそうな杜が、見えました。

(なんだか、大きな杜。行こうかどうしようか。。。。)
と考えならが、ゆっくり車を走らせいたのですが、神社の鳥居が見えた瞬間、 ここは行かなきゃ!

そんな思いにかられ、急いでハンドルをきりました。

鳥居の横に、車をとめ、早速神社へ行ってみることに。
(鳥居の真ん中に車をとめているのは、私ではないです^^;)

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ここは、玉生八幡大神社という神社でした。
とても、古い神社で、こんな場所に、こんな由緒のある神社があったとは、全く知りませんでした。

*伊予郡松前町西古泉697
*御主祭神
 誉田別命(ほむだわけのみこと)
*配祀
 ・三女神(市杵嶋姫命、田心姫命、瑞津姫命)
 ・足仲彦命 (第14代仲哀天皇)
 ・氣長足姫命(神功皇后)
 ・玉生石神  

 仲哀天皇の九年(200)ころ、神功皇后が三韓におもむかれる時、当地を逍遥して、湧き出る清泉に戦勝を占い、布が濃紺に染まる吉兆にちなんでこの地を「濃染の里(こいぞめのさと)」と命名しました。
帰途、また船をとどめられ、天神の神託によって久欺美玉(くしみたま)を玉生林にまつったが、後世、郡司がここに社殿を造営して久欺美玉宮(くしみたまぐう)と称して崇拝しました。

 その後、文武天皇の慶雲四年(707)六月十七日、伊予の豪族小千玉興(おちのたまおき)・玉純(たまずみ)が厳島神社より三女神を勧請して久欺美玉宮に合祀し、日女宮(ひめみや)と称しました。

ここは、神功皇后が立ち寄られた、とても古いお宮でした。
沸き出る清泉があったと書かれてありますが、 松前は、昔も今も、地下水のとても抱負なところだそうです。
伊予市から松前町にかけては、とても古い神社が多くありますが、この辺は、愛媛の中でも、古くから国つくりが行われただろう場所です。

それも、やはり、水と関係するかもしれません。

愛媛の古い書物によると、 この辺りで国つくりが行われ始めたのは、成務天皇だと言われています。
仲哀天皇の一つ前の天皇の時代です。
愛媛には、神功皇后に由来する場所が、とても多いのですが、 当時、愛媛は、とても重要な場所だったことがわかります。
当時といいますか、弥生時代から古墳時代、そして飛鳥時代、奈良時代前半まで、愛媛および四国は、一つの鍵をにぎる場所だということが、どんどんわかってきました。

しかし、その歴史は、神々の名前はもちろん、さまざまなことが、隠され、消されてしまい、今となっては、当時のことは、想像の世界でしかないのかもしれません。

でも、歴史を知ることは、とても大切なことだということを、強く感じます。
よりよい未来をつくるためには、歴史の中にヒントがある。そんな気がするのです。

今言われている歴史の、全てを否定する気持ちは、ありませんが、少しでも真実にちかづくことによって、
人が、どう生きていけばいいのか、その答えが、見つかるような気がします。

いぜんにも、書いたような気がしますが、
私のブログの中で、神社へ参拝しながら、一緒に古代の歴史の旅に行っていただければうれしいなと思います。

現実では、タイムマシーンで、古代へと行くことは不可能ですが、
神社の中には、 神様への入り口だけでなく、古代への入り口があります。

たとえば、今日の神社なら、 美しい湧き水で、 占いをした、神功皇后の姿が、目をつぶればすぐ目の前に見えてきそうです。
出雲の、八重垣神社の池のように、ドキドキしながら、水にそまる布を眺めてる姿が。。。。

拝殿
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本殿
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玉生古杜(誉田別命)
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参拝をして、境内を少し歩いていると、
横から、す~っと、何かがよこぎりました。 

あ! カラスアゲハ!
ここでも、黒い蝶が、飛んできました。
「清泉」 ここも、最初は、姫さまだったのかもしれませんね。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「神様」

皆さんにとって、神様はどんな存在でしょうか?

縄文時代の日本人と、神様は、いつも繋がっていました。
それは、神様に依存していたわけでもなく、神様に自分の欲望を押し付けていたわけでもありません。

神様が、沢山の恵みを与えてくださるから、 生きることができると、いつも感謝をしていました。

天災がおきると、それは、神の怒りだと考えました。
非は人間のほうにあると考え、怒りを静めるために、人々は祈りました。

その時代の考えかたが、100%正しいわけではありません。

でも、神=自然に 感謝をする心を、誰もが忘れることはありませんでした。
生かされていることへの、感謝の心を、いつも持ち続けていました。
過ちを、詫びる心を誰もが持っていました。

しかし、それが、人間の文明が進化するごとに、少しづつ変わっていきました。
神さまは、人間の欲望をかなえるための存在へと、変化していったのです。

弥生時代、 稲作が始まり、土地や水をめぐって人々は争うようになりました。
そして、権力をもつ人間が、生まれてきたのです。
人間は、勝つために、祈りはじめます。

勝つために、神と繋がろうとするのです。

それでもまだ、 人間は、神よりえらいなどとは、思ってはいませんでした。

しかし、ある時、人間は、神の声を聞く(巫女)ことを、やめてしまいます。
そして、その時から、少しづつ、一方的に人間の願いだけをかなえてもらうための、人間のための神へと
変化していくのです。

それから、人間は、ますます増徴しはじめ、 ますます欲深くなっていきます。

神の声は聞こうともせず、人間の欲望だけをかなえるために、利用し始めます。

いつのまにか、人間は、神よりもえらくなってしまいました。

そして、とうとう、人間は、神のことを忘れてしまい、人間の力だけで生きていると思い、人間が全てを生み出していると思い、人間が一番偉いと思うようになってしまったのです。

そして、今、人間の欲望は、どんどん膨らみ、神の領域にまで手をだしてしまい、この星そのものの命まで奪おうとしてしまっています。

「神」 という存在は、目に見えるものではありません。
だから、信じることができなくても、それは仕方のないことなのかもしれません。

でも、実は、神様は、私たち一人一人の、体の一部であり、 一人一人の心の中に存在するものでもあるのです。

人間とは、不思議なもので、 感謝の気持ちをなくしてしまうと、 崩壊の道へと進んでしまいます。
それは、自分自身が崩壊することもあれば、家族や、友達、また、その影響が大きいほど、多くの人を巻き込む崩壊へとむかってしまうのです。

人間は、私利私欲。 自分のためだけの、欲望をかなえようとすると、同じように、
崩壊の道へと進んでしまいます。 自分は欲望をかなえているつもりでも、その影で、誰かが崩壊し、誰かが悲しみ、誰かが苦しみ、 そして、 いつか、その苦しみ、崩壊は自分へとふりかかってくるのです。

夢と欲は違います。 希望と欲望は違います。 向上と欲望は違います。

神様を思うことは、 宗教とは違います。

神様を思うことは、人の心を正すことへと繋がるのだと、思うのです。
謙虚な心を、常に持ち続け、反省するこことが生まれ、詫びる心が生まれるのだと。

だから、神様へはお願いをしてはいけないと、昔から言われているのだと思います。

すでに、与えられている幸せに気づき、感謝をする心が、原点にあって、はじめて、
本当の、夢は生まれ、 多くの人が幸せへと繋がる、希望が生まれるのだと私は思います。

それが、 ニギハヤヒの御神徳 「一願成就」 なのだと。

私たちの心の中には、 体の中には、神様が存在します。
だから、神様と繋がることができる心(謙虚な心、感謝の心、反省の心、人の幸せを願う心)
を持つことが、 自分自身の幸せ、家族の幸せ、更には、地球上全ての幸せへと繋がっていくのだと、私は思います。

神社は、人間がたどってきた歴史がつまっています。
人間の過ちの歴史が、つまっています。

それを知り、それを受け入れ、原点へと一度帰ることが、今、この時代に必要とされているものだと私は思えてなりません。






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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-07-12 23:09 | 愛媛県伊予郡松前町 | Trackback | Comments(4)

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。
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