三角寺

こんばんは。

三連休いかがお過ごしですか?
私は今日から三日間のお休みです。
昨日と今日はあいにくのお天気でしたが、
明日は少し晴れそうですね。

今回お話会をすることとなり、
改めてこのブログの大切さを実感いたしました。

お申し込みをされた方のほとんどが、
このブログをご覧いただいている方で、
また、今は面識のある方でも、
始まりはみんなこのブログからでした。

しばらく、神社やお寺のことを書いていないにも関わらず、
ずっと見てくださり、
本当に感謝しています。

今、本当に時間がなく、
以前のようには書く事ができませんが、
少しづつまた神社やお寺のことを書いていきたいです。

歴史の難しいこともですが、
皆さんの神社巡りの道しるべになれたらいいなと思います。

今日のお話は、

愛媛県四国中央市にある、
四国八十八ヶ所65番札所 三角寺です。

今年は、四国八十八ヶ所1200年祭ということで、
ここ愛媛にも沢山のお遍路がさんの姿を見かけます。

近年、歩き遍路をされる方が増え、
あちこちで、歩いているお遍路さんの姿を見かけます。

四国ならでは光景。
四国意外では見ることができないのではないかと思います。

人々の生活に溶け込むお遍路。

いつまでも、続いて欲しいなと思います。

「三角寺」

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愛媛県の最後の札所となるこのお寺は、
四国中央市の山の中にあり、
奥の院は、ここから更に山を超えた反対側にあります。

四国中央市は、
歴史上とても重要な場所の一つで、
三島とも深い関わりのあるところです。

今から1300年前、
歴史が大きく変わるあの時代に、
一つの大きな舞台になったところではないかと
思うほどです。

徳島県、香川県、高知県の県境にあるこの町は、
とても位置的にも重要な意味を持つ場所。

四国最大規模の、
横穴式石室を持つ古墳もここにあります。

そんな場所にあるお寺の名前も

「三角寺」

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弘法大師も、
四国でたった一つの、三角の護摩堂を築いて21日間、
国家の安泰と万民の福祉を祈念して「降伏護摩の秘法」を修法する。


この護摩壇の跡が庫裡と薬師堂の間にある「三角の池」の中の島として現存し、
寺院名の由来ともなっているいいます。

これが、
その三角の池。

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三角の護摩堂は、
ここ三角寺意外にはありません。

そして、この三角の護摩堂の中で、
「降伏護摩の秘法」と言われる秘法を修法する。

降伏護摩とは、
五無間を犯し、方等大乗を謗じ、仏性を殷滅し、君主に背逆し、正法 を惑乱する、
是くの如きの人に於いては降伏法を作すべし。

「五無間」とは、
無間(むけん)地獄に落ちる5種の悪業。
母を殺すこと、父を殺すこと、阿羅漢を殺すこと、僧の和合を破ること、
仏身を傷つけることの五つ。五逆罪。

「方等大乗」とは
不変平等の真理を説きあらわした 経典。

「仏性」とは
仏の性質・本性

「殷滅」とは
隠れて見えなくすること

そして、君主に逆らい、

仏の正しい教えの
判断を失うもの。

これらに用いる秘法
それが、

「降伏護摩の秘法」

この秘法を、ここで修法したことが
意味すること。

それが、
ここであったことを意味しているのかもしれません。

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本尊である
十一面観音は、古くから開運厄除けの観音・安産子安の観音さんとして、
信仰されており、

「子宝杓子」といって、子宝に恵まれない夫婦が寺で杓子を授かり、
仲良く食事をすると子宝に恵まれると伝えられています。

どうして、杓子が子宝に恵まれるものとして
考えられているのか。

それは、「杓子」が
女性を意味するもの、女神を意味するものだから。

女神の体そのものだからです。

「三角」

女神の体の中で、
特別な秘法を修法した弘法大師。

この場所は、
それをしなければいけない場所、
それをするために一番適した場所だと
思ったからかもしれません。

使われるものには意味がある。
それをすることにも意味がある。

それが例えただの伝説だったとしても
そこには必ず、意味がある。

今度のお話会では
そんな話もしたいと思います。

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by ldc_nikki | 2014-11-03 00:17 | 四国八十八カ所 | Trackback | Comments(1)

2013年も、残り後わずかとなりました。
大晦日、皆様いかがお過ごしでしょうか。

12月は、仕事がとても忙しくもっと更新をしようと思いながら
なかなか更新することができませんでした。

歴史の勉強をする時間もあまりなく
毎日の仕事をこなすのに精いっぱいでした。

心の隅で、もっと以前のように歴史を考える時間をとりたいと思う気持ちがありますが、
今私がいる場所、しなくてないけないことが一番近道なんだと信じ、
今できることを一生懸命することだけを考え、
今年一年過ごしてきました。

以前の私なら、焦る気持ちや不平不満を言っていたかもしれません。
でも、姫のことを知ったあの日から私の考え方は大きく変わり、
今与えられたことが大事なんだと、
心から思えるようになりました。

これも、姫に出会ったおかげ、
歴史に出会ったおかげだと今はこの道に私を導いていただいたことを
心から感謝しています。

2013年、振り返ればいろんなことがありました。
神戸の写真展から始まり、
一年間に数えきれない人との出会いがありました。

また、人だけでなく、
自然の中にも、聞こえてくる音の中にも、手にするものの中にも、
見えるもの、聞こえてくる音、沢山のものとの出会いがありました。

また今まで当たり前のように目の前にあったものでも、
新しい一面や、違うものの見方、考え方、感じ方があるということを、
深く考えさせられてた一年でもありました。

歴史は、出来事は一つでも、それぞれの人によって
感じ方も受け止め方も見え方も違うということを知り、
私たちが今生きている中でも、
同じように、人によって大きく考え方が違い、その見方、感じ方によって、
明日が変わっていくものだということがよくわかってきました。

日本だけでなく、
世界中が同じような道を選んできた歴史。

それによって、経済的に豊な生活ができるようになった人たちもいれば、
今も貧困に苦しみ、差別に苦しんでいる人たちがいる。

人の心から信仰心がなくなり、大切なものを見失い、自然と私たちの繋がりを感じなくなり、
物質的なもの、人間の欲望を叶えてくれるものにばかりを
重視するようになり、権力に溺れ、人より優位にたつことに喜びを感じ
見る目線も考え方も、どんどん変わってきました。

歴史を見る目線も同じ、
多くの人がまるで競うように一番を見つけようとする。
日本の始まりはどこか、古事記が日本の始まりだと思う。
神話の表舞台ばかりに目を向け、
神話の全てが正しいもの、美しいもの、素晴らしいものとし、
その裏に隠された陰の部分には、誰も目を向けようとしない。

いつも笑顔でいること
いつも楽しい気持ちでいること
いつも幸せな気分でいること
いつも綺麗なものだけ見ること

それらは確かにとても大事なことだし、
いつも暗いことばかり考えていては、
前に進むことはできない。

でも、何かが間違っている。

暗く考えるのではなく、
陰の部分もしっかり見えなくては本当の幸せはやってこないということを。

それは
神話の裏に隠された、人間の心の闇の部分を見ようとしないことも同じ。

どうして神話をつくらなければいけなかったのか。
どうして古事記を書かなければいけなかったのか。
どうして経済ばかりを優先し、命を大切にすることができくなったのか。

「神話を忘れた民族は滅びる」

と言われますが、
この言葉の本当の意味は、
神話を忘れることは、そこに隠された真実もまたわからなくなってしまうからなのではないでしょうか。

神話の全てが素晴らしいのではなく、
神話の中から読み取ることができる人の歴史、人の心の闇、人が選んだ道を
見ることが神話以外からはもう知ることができなくなってしまっているからではないでしょうか。

神話から本当に読み取らなくてはいけないのは、
神話の舞台を探すことでも、
神話の主人公がだれかを特定することでもなく、
神話の中から読み取ることができる、人が選んだ道、
人がつくろうとした世界、人が重視したもの、
そのアンバランスな選択が、
1300年たった今、大きな歪となってあちこちに現れてきているということを
読み取らなくてはいけないのだと思います。

来年は、「甲午」

60年に一度訪れる暦。
出雲が60年に一度遷宮されるのも、暦が一巡するからだと言います。

古事記が1300年を迎え、
出雲大社と伊勢神宮が新しい出発し、
そして来年四国八十八ヶ所が、1200年と言う節目にあたり、

暦は 甲午となる。

甲午とは、

変化の年になると言います。
私たちの意識が何を望み、何に向かおうとするかによって、
これから始まる60年の暦は、
大きくその道へと舵をきる。

名もない私には何もできないかもしれません。
でも、影となったその姿を、影となったその意味を
影とされながらもずっと支え続け、私たちの欠片となって
有り続けることを知ってしまったからには、
それを何かの形で残すこと、
それが今の世の中にどんな影響を与えているかということを、
もっと詳しくもっと正確に知り残していかなければいけないと強く思います。

生きている間にはもしかしたら理解されないかもしれませんが、
いつか、きっと必要な時がくる。

そう信じて続けていきたいと改めて決意した一年でした。

このブログをご覧頂いてくださっている方は、
想像以上に多く、ここに書くことの重さを感じています。

でも、皆さんが見てくださることが私の励みでもあり、支えてでもあります。

ご覧頂いている皆様全てに、
心から感謝をしています。

2014年が皆様にとって素晴らしい年となりますことをお祈りし、
2013年最後のブログとさせていただきます。

本当に本当にありがとうございました。

よいお年をお迎えください。

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by ldc_nikki | 2013-12-31 20:39 | 日記 | Trackback | Comments(0)

お久しぶりです

こんばんは。
久しぶりにブログを書きます。

新しい仕事につき、時間がないこともありましたが、
なぜかブログを書くことができませんでした。

でも、今日ブログで出会った一人の方から、
忙しい中私のために、資料を送ってきてくださりこのブログがなければ
こんな出会いがなかったかと改めて感じ、
このブログの大切さを思い出しました。

ブログは更新していませんが、私は変わらずずっと神社を巡り、お寺を巡り、
歴史の本当の意味を探し続けています。

どうして、女神はこの世から隠されてしまったのか、
本当は何をしようとしたのか。

その謎が段々とはっきりと見えてきました。
一つ一つの歴史が本当はどうだったのか、その詳細はまだわかりません。
でも、何をしようとしたのか、女神を隠した本当の理由はなんだったのか。
その意味は、私の中では見えてきました。

そして、そのことが今の世の中をつくってしまったことも。

日本はとても裕福な国になりました。
不景気だと言いながらも、本当に貧しい国に比べると、まだまだとても裕福な国。
でもその裏側で、これまでにない問題も多く抱えています。

戦後、高度成長期の中這い上がってきた日本。
それはそれはみんな大変な想いをしてここまできました。
でも、戦後、更に私たちは多くのものを失ってしまいました。
本当に大切なものをかろうじて受け継いできた祖母の時代。
それが、この戦後60年で、ほとんど受け継がれなくなってしまいました。

今それを残し伝えなければ、本当の歴史は二度と表にでることがなくなってしまうかもしれません。
歴史が表に出ないだけでなく、本当に大切な心までなくなってしまうかもしれません。

昔の人たちが伝えてきたものは、
形を変え、言葉を変え、表向きには消されながらも、
とても大事なものをなくしてはいけないという先人たちの想いでした。

人工的につくられた物が溢れ、
物がものでしかなくなり、
日本の言葉がどんどん意味もなく変えられ、
言葉の本当の意味もわからなくなってしまいました。
色が伝える意味。
それは自然、命そのものの姿を伝える一つでもありました。

そんなことを顧みることのなくなった世の中。
それが、今の世の中がよくない方向へと進む速度を速めているような気がします。

「歴史なんて知ってどうなるの?」
そんな声も時々聞こえます。

でも私は、今だからこそ、本当の歴史を知らなければいけないと思っています。
それは単に「歴史」という起こった出来事を知るという意味でなく、
歴史そのものの意味を知らなければいけないということ。

起こる出来事は心がつくる。
今起こっていることは、心がつくっている。
歴史も同じ。
どうして、女神が表舞台から消えなくてはいけなかったなのか。
その原因もまた、人の心にあるのです。
歴史を知ることは、心を知ること。
それは今を生きる私たちの心と繋がっている。

真言密教の教えに、

「如実知自心(にょじつちじしん)」と言う言葉があります。

真実の方向に従って心を見れば、必ず真実へとたどり着く。
これは、私たちの真実だけを見つめれば、真実に従って心の奥を見つめれば、
心の中にある真実、一番大切なものに気づくということだと私は思うのです。
それは、イコール、本来の女神の姿を知ることに繋がると私は確信しています。

どうして女神の本当の姿に繋がるのかという理由を、
いつかきちんとした形で説明できるようになりたいと思います。
大切なものを取り戻すために。。。。。

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by ldc_nikki | 2013-06-20 01:17 | 日記 | Trackback | Comments(4)

受け継ぐ

こんばんは。

今日、古代エジプト文明のテレビをしていました。

今まで、ほとんど解明されてこなかった
一般庶民の生活や、人々の思い。

まだまだ解明され始めたばかりで、
本当のことはわからないけれど、
3000年前に、一般庶民の一人がその半生をかけて書き綴ったことの中に、
今の私たちに向けてのメッセージがあるように思いました。

500人に親切をして一人しか気づいてくれなくても、その行いは無駄ではない。

上司の言うことは聞け。どんなに口うるさいことを言っても、
その中に、ためになることがあると思え。

子供の頃は勉強をせよ。
そうしないとだめな大人になる。

古代エジプト人、3300年前に、一般庶民の人が書いた文です。

3300年前も、今の人も同じ悩みを抱え、同じようにストレスを感じ生きていました。
どんな暮らしをしようと、どんなに発展したように思えても、
人間の思うことは、ずっと変わっていない。
そして、どうすればよりよい人生になるかを、古代の人々も考えていたといいます。

また、エジプト文明が、3000年もの間
繁栄してきたのは、

世界中のどの民よりも、
多くのことを記録し、それを後世に伝えてたからだといいます。

何よりも、物事を受け継ぐことが重要だと考えたのです。

そして、それは、権力者が残した記録だけでは
真の歴史はわかりませんでした。

庶民が何を考え、どんな生活をし、どんなことを感じていたか、
それを知ることで、本当の歴史はわかる。

日本は、エジプト文明が繁栄した 3000年の歴史の半分
1300年前の歴史さえ、本当のことが隠され、
受け継がれていません。

真の歴史を知ることが、どれかだけ大切か、
エジプト文明が教えてくれているかのようです。

そして、もう一つ。
権力者の力だけでは、国の繁栄はなかったこと。
繁栄を継続させるには、
庶民の声を聞くことが、一番大切だということを、
わかっていたからだと。

「受け継ぐ」 ということが、
どれだけ大切なことか。

それは、よいことも悪いことも同じように大切だということ。

嘘を受け継いでも、
何の意味もないこと。

都合の悪いことは隠し、封印する。
悪いことは言わず、よいことばかりを強調する。
見て見ぬふりをする。
本当のことは言わない。
庶民の声は全く届かない

1300年前の歴史も、
これまで行ってきた戦争も、
そして、今の問題 原発も。

小さなことから大きなことまで、
裏で何が起こっていても、ずっと隠され続けてきています。

そのことに、
そろそろ気づかないといけない時なのかもしれません。



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by ldc_nikki | 2012-06-24 23:41 | 日記 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

いよいよ写真展が、明日からとなりました。
準備もほぼできて、後は少し付属のものをつくるだけになりました。

私自身も、初めてのことで、なんだかどきどきしています。
皆さまに喜んでいただけますように、明日は準備も心を込めてさせていただきたいと思います。

明日は写真展の準備が終わったら、平日に休みになることはめったにないので、久しぶりに南予へと足をのばしたいと思っています。

最近、急に気になり始めた場所がありまして。
明日は、そこへ行ってみたいと思います。

南予は、姫の場所があったと思われるところは多いのですが、東中予以上になぞが多い。

今まで直接的には、あまり関係ないかと思っていたのですが、それはちょっと違う気がしてきました。

もしかしたら明日行けば、ほんの少し何かが見えてくるかもしれないとそんな予感が。。

神社のお話は、また明日行こう再開しますので、どうぞお楽しみに。

昨日、フォトブックをつくりに、カメラ屋さんに行った時に偶然見つけたお祭りの写真。

フォトブックの見本の中に、伊予三島または川之江だと思われるだんじりの写真がおいてありました。

伊予三島や川之江は、ほぼ同じような種類のだんじりがでていて、伊予三島だけでも、いくつかの地区で別々でお祭りが行われています。

私が昨年行った三島まつりは、三島地区のだんじりでした。

でも、その中にはなかったので、たぶん違う地区のだんじりだと思います。

その写真に写っていただんじりには、

「弁財天」 の文字が!

黒と赤のだんじりに、弁財天と書かれた提灯が掲げられていました。

「姫のだんじり」です。

側面には、姫の絵もかかれてあります。

これが、どこのお宮のものなのかはわかりませんが、姫を祀るだんじりがあることがわかったのです。

もし、この写真を見て見覚えのある方がいらっしゃいましたら、ぜひ、教えてください。

今年は、ぜひ、このだんじりを見に行ってみたいと思います。

姫のだんじりに出会えたことに、感謝です。

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それでは、最後の準備にとりかかりたいと思います。

展示会の風景は、ブログでご紹介させていただきたいと思います。

それから、明日、初日は朝準備をしますので、もし明日こられる方がいらっしゃいましたら、11時以降くらいからきていただけるとうれしいです。

ご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。





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by ldc_nikki | 2012-01-18 22:33 | 古代の謎 | Trackback | Comments(3)

こんばんは。

今日は、前回の続き、籠神社の姉妹といわれる 「河内神社」 です。

昨日もお話したように、西石原に鎮座する籠神社と、お隣、東石原に鎮座する河内神社は、姉妹、兄弟といわれます。

河内神社の祭神は、現在の大山祇神。

しかし、元は、瀬織津姫だった。
ここ、河内神社には、まるで、姫の御神体を守ったかのような伝承が残っています。

表向きは、「大山祇神」 を祀りながらも、ここは、今も瀬織津姫の御神体を祀っているのかもしれないという貴重な、伝説です。

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河内神社の御神体であろう鏡では、「土州本川郷舟戸氏神川内大明神」 と書かれてありました。
その御神体は、金幣箱に入れられていたといいます。
そして、現在のところに祀られる前は、大川村川崎のミタキ山の山中に氏神として祀られていました。

源平合戦の終わりころ、岩崎次郎左衛門という弓の名人であり忍法つかいであったものが、同志五人で御神体を箱に納めて持ってこようとしていました。

しかし、川をのぼり、谷を越え運んいたのですが疲れてしまい、弥十郎という男を見晴らしのよくきく高い所に残しておいて見張役にし、上の越の崖の上で休んでいるうちに眠気が出てうとうとしていたら、弥十郎でない声がするので、西へ行くのを止め、崖下まわり、更に下の高い崖から氏神の入った箱を谷のほうへと落としてしまいました。
落としたと同時に、地ゆるぎがしはじめて三日三晩ゆるぎがとまりませんでした。

見張の弥十郎が帰らないので現場へ行ってみると、弥十郎は切られて死んでいました。

落とした氏神の箱は、地ゆるぎが止んでから行ってみると、そこにはなく、谷川づたいに川しもへとさがしてゆくと、有間の地主神社の祠のところにあったので、その所へ合祭した。
それから、現在の宮林であまり烏がさわぐので、土地の人が不審に思って行ってみると、金幣が樫の木に掛かっていたので、神官さんがお祈りをしているとゆらゆらおりてきた。
そして、そのおりたところへ本社を建立して、今にいたっているといいます。

それから月日が流れ、明治十年、この御神体をお役人のところへ持ってこいとの命令があったのです。
神官は、言われたとおり持って出かけました。
しかし、有間の森の首というところまでゆくと、神官の目がくらんで歩けない。

なんとかもとへ帰ってきたのですが、鳥居のところで倒れてしまいました。
副神官の和田仲、大平義忠という人が氏神さまにおことわりのお祈りをすると、神官もやっとなおり、もとの神社へ神鏡をおさめ込んだといいます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この伝説を読んで、どう感じたでしょうか?

私は、前半の部分は、まるで姫の御神体を隠すために運んでいて、殺されてしまったかのように思いました。

また、後半部分では、やはり明治時代まで続いたという、姫の封印は本当だったんだと思いました。

前半の殺された場面ですが、実は殺した相手とは平家だと書かれてありました。
でも、あえてその部分は書くのをやめました。

戦いで負けた相手は、いつの時代も悪いことをした人物にたとえられてしまうもの。

誰が、弥十郎を殺したかはわかりませんが、私は平家ではないと思っています。

このように、姫の封印は、日本中で行われていきました。

御神体を運ぶ途中に、命を落としたものは、弥十郎だけではありません。

数えきれない人が、歴史の中で消され封印されてしまったことだけは、忘れてはいけないと思います。


*河内神社
*高知県土佐町石原
*祭神:大山祇神

河内神社は、この川を渡ったところに鎮座します。
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木が生い茂る杜の中に。

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拝殿です。
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拝殿に彫刻された 「鬼」 がとても印象的でした。
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ふと頭の上を見ると。
これは、何を意味しているのでしょうか。
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本殿です。 
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名前は変えられても、ここには今も姫が祀られている。そんな気がします。

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高知からの帰りは、来た道とは違う道をとおりました。
瀬戸川沿いを北へ。 大蛇の伝説が残る山は、思った以上に高く、壮大な景色がひろがっていました。

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そして、今回どうして通ってみたかった、「吉野川」
吉野川は、大国主命の御神体が流れてきた川でもあり、この吉野川と、愛媛側を流れる銅山川の間の山が、今一番きになっている山だからです。

この間の山々は、歴史に封印されたもう一つのなぞがあるように思えてなりません。

なぜか、今でもほとんど人が入ることができない深い山々。 なぜなら、ここには道がないからです。
西は、寒風山トンネル。 東は、川之江まで、この間の山を越えるルートはありません。

この山の中のことは、またいつかお話ができる時がきたら、お話したいと思います。

山の中を走っている途中、ふと空を見上げると、 「龍」が飛んでいました。
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ここが、吉野川へと合流する 瀬戸川です。

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そして、吉野川です。こんな山の真ん中に、大きな川が流れています。
この川を見て、古代の人々の生活が少し見えたような気がしました。

古代の人々は、山道を歩くのではなく、この川を舟でのぼってきたのかもしれないと。
山の中で時々出会う 「舟戸」 という地名。
これは、川の港のようなものだったのかもしれません。

四国の山は、奥が深く人が容易に入ってこれなかったことでしょう。

川を使えば、牛や馬がいなくとも、大きな荷物を運ぶこともでき、 
古代の人々に不可欠であった 「丹(朱)」も、この山の中にはありました。

水が豊かで、気候にも恵まれ、古代の人々が一番平和に暮らしていける場所だったのかもしれません。

ある時代までは。。。。。

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私と同じように、神社を巡り歴史を調べている方が、福岡県にいらっしゃいます。
その方のブログの今日の記事に、姫の封印に関わるとても貴重な伝説が書かれてあります。

よかったらご覧ください。 

ひもろぎ逍遥「赤司八幡神社(1)」

今日も最後まで、ありがとうございました。





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by ldc_nikki | 2012-01-10 22:35 | 高知県 | Trackback | Comments(13)

こんばんは。

今日は、先日の続き高知県です。

国道439号線を、大豊町方面へ走り土佐町へ。 
この日、道路地図を眺めていて、目に飛び込んできた 「籠神社」。

どんな神社かもわからず、「籠」 という文字に引き寄せられるように向かいました。

土佐町西石原へとたどり着いたのですが、もっていたのは愛媛の道路地図でしたので、高知県はおおまかな地図しかなく、とりあえず神社のある方向へ左折。

民家が並ぶ細い道路を走っていたのですが、神社らしき場所が見つからずどうしようかと思っていると、前から男性が歩いてきました。

籠神社の場所を、教えていただいたのですが、はっきりとわからずとりあえず来た道を引き返していると、また一人男性が歩いてきました。

やっと、はっきり場所がわかり、神社へ。

そして、この二番目に道をうかがった方が、その後すぐ、籠神社のお世話をしている方へ私たちのことを話してくださったようで、私たちが参拝を終えて神社を出ると待っていました。

そして、詳しいことを教えてくださるとのことで、いきなり初対面の見ず知らずの私たちを、自宅へ案内してくださったのです。

そして、自宅へ行くと、ご主人がいらっしゃり、奥の部屋から土佐町の村誌を持ってきてくださり一緒にいろいろ調べてくださり、更に、神社や村の伝説が書かれてある部分を全部コピーしてくださったのです。

帰るときには、いろいろわかったら、ぜひまたお話を聞かせてくださいと言ってくださり、初めての高知訪問は、素敵な出会いで始まりました。

あの時、道を尋ねていなければ出会いはなかったかもしれないと思うと、道に迷いながらいくことにも意味があるんだなと、つくづく思った一日でした。

高知県土佐町西石原。
村誌を読むと、土佐町には、驚くほど多くの大蛇伝説があります。
ここだけでも、何度も訪れないと回りきれないほどです。

そして、思ったとおり、ここ「籠神社」は、姫の封印と繋がる言い伝えがありました。

籠神社が鎮座する、西石原のお隣、東石原は、昔一つの村でした。
そのお隣、東石原には、「河内神社」 が氏神として鎮座されますが、この二つの神社 「籠神社」と「河内神社」は、 兄弟とも姉妹とも言われています。

そして、河内神社へ参拝する前に、先に籠神社へと参拝する慣わしもあるそうなのです。

しかし、兄弟、または姉妹とも言われる二つの神社の祭神は、一見全くつながりのなり神さまが祀られています。

籠神社は、「天水分命」 河内神社は 「大山祇神」 です。

この二つの祭神の名前を見て、はっきりしました。

ここも、瀬織津姫が封印された神社。 そして、籠神社に姫は今も祀られ、姫の封印後変えられた神「大山祇神」 が、河内神社へと祀られ、その二つが、同じだと後世に伝え続けてきたのです。

「天水分命」(あまのみくまりのみこと) の 「水分(みまくり)」 とは、「みこもり」 のことです。

「みこもり」 とは、 み(蛇)こもり(籠)。

蛇を籠の中で閉じめた神という意味だったのです。

天水分命とは、 籠の中に閉じ込められた天の蛇(龍)の神、それは、瀬織津姫のことです。

瀬織津姫の封印のために祀られた 大山祇神が、兄弟、姉妹として祀られているこの場所は、姫の封印の事実を今も伝える大事な神社だということが言えると思います。

杉や檜に囲まれた 「籠神社」 は、今も、瀬織津姫の封印の真実を伝え続けているのかもしれません。

神社は、このながいそばしの近くにあります。
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鳥居
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狛犬
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拝殿。 やはり高知県と愛媛県の神社はつくりが違います。特に、瓦が高知県はとてもシンプルです。
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本殿です。また本殿の横には、夫婦杉があります。
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偶然たどり着いた神社が、姫の封印の場所でした。
でも、そのことがわかったのも、親切に教えてくださった総代さんご夫婦のおかげです。
本当に、ありがとうございました。

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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-01-10 00:40 | 高知県 | Trackback | Comments(0)

こんにちは。

今日から三連休ですね。
昨日?いや今日の朝までこれを書いていたのですが、朝方突然パソコンが使えなくなり、あきらめて一度寝ることにいして、今、再開。

今日は、三島明神のもう一つの伝説のお話です。

三島明神とは、河野氏が、祀っていた神、現在は「大山積神」 が、三島明神といわれていますが、三島明神とは、瀬織津姫のことだったと私は思っています。

この物語は、ずっと前から知っていた伝説だったのですが、その意味が、まったくわかりませんでした。

それが、昨年末、なぞがだんだん解けてきて、12月に、偶然何かを調べている時に、開いたページに、思いもかけない地名が目にとびこんできました。

そして、さらに今、もう一つそれに繋がるものに出会いました。

去年から、時々お邪魔をしている、ぐーたらさんという方のブログに、お年玉として、村誌の一部を掲載してくださっていたのです。

「え!このタイミングで!」

自分でも、びっくりしています。

ぐーたら気延日記(重箱の隅)

今から書く伝説は、地域の昔話のような物語で、この存在は知る人は沢山いると思いますが、あまりにも現実に祀られている神とは、内容がかけ離れているため、その存在の意味は、たぶんまだだれも解いていないと思います。

私が解いた内容が、あっているかどうかはわかりませんが、瀬織津姫を探している私の視点から見ると、この物語の真実が、ぴったりと、姫に重なってきます。

かなり長い文章なので、省略して、書かせていただきます。

「神道集 三島大明神」

昔、伊予の国に一人の長者がいました。
*①平城天皇の末裔で、姓は橘朝臣清政という。 四方に四万の倉を立てて何不自由なく暮らしていました。
朝は五百人の待女、夕方は三千人の女官がそば近く世話をしました。

ある時、清政長者が南に面した庭園の方を見ると、雀が巣をつくって子供を育ていました。
その様子を見て、子供がいなかった清政は、男でも女でもいいから、子供が欲しいと思いました。
すぐ、奥方さまを呼んで、どうか子供を生んで欲しいと、頼みました。

しかし、奥方さまは、
「それは、むりなことでございます。」 といいます。

*②「子は、前世からあきらめたこと。」 

でも、前世で行ったことが、本当に原因で子供ができないのかどうか、確かめてみたいと思いました。

*③大和の長谷寺の十一面観音は、子の無い人がお願いすれば、子を恵んでくださり、福徳をお願いすれば、福徳をおあたえくださる。 そう聞いていた、奥方さまは、長谷寺へ、お参りにすることにしました。

長者は、財宝を集めて出発しました。
そして、長谷寺へその財宝を全部寄進し、七日七夜参籠して、熱心にお祈りを続けました。
しかし、何のお示しもありません。
14日たっても、お示しがありません。

信心の限りをつくしてお願いすると、満願の21日の真夜中、ついに観音様が現れました。

しかし、観音様は、こ無しとしてこの世に生まれてきたからには、どうにもならぬ。どこを探しても、そなたの子になるべき子種は見つからないと。

「そういわれるが、いったいこの清政が、前世でどんな罪を犯したというのでしょう。」

*④お前たち夫婦は、昔、牛だった。
このお堂が造られた時、淀から材木をひいてきた牛を、庭につないでおいたときの出来事である。

*⑤私の前に有名な一本の菊があった。この菊は、唐の太宗皇帝の子で玄弉三蔵という僧が中インドの摩訶陀国の王舎から、花の種をもらって長安城の宮中に植えた。それを仁徳天皇の時、鶏草葺不合尊がもらい受けて日本の宮中に植えた。この菊の花は、根元は一本だが、枝は繁昌して五本に分かれている。
東の枝は青くて青色の花が咲き、南の枝は赤くて赤色の花が咲き、西の枝は白くて白い花が咲き、北の枝は黒くて黒い花が咲き、中の枝は黄色くて黄色い花が咲く。こんなに素晴らしい菊の花を宮中におくのはもったいなさすぎるといって、この長安寺の宝前に移植した。世の中にこれ以上の宝はあるまい、天下第一の宝であると思っていた矢先、その雌牛があっけなくこれを食ってしまい、またお前は茎を食ったばかりか、角で根まで掘りおこし、すっかり枯らしてしまった。その後、あの花の種を捜したが、どこにもない。

この過失を反省し、その罪により、このない身に生まれたのである。
*⑥ただ、お前たちは、このお堂の材木の運搬をしたし、またお堂建立の供養に千部経供養をした時、僧の饌米と布施物を運んだ。
その功徳によって、お前たちは大金持ちに生まれてきた。そんなわけで、お前たちに与えるべき子種は無いのだ。さあ早く国もとへ帰りなさい。」

夢がさめた清政は、なくなく言った。

「そこまで徹底的に子無しの身にうまれついた清政なら、もはや故郷へ帰る必要もない。
子を授けていただけないのなら、この清政、自分で腹をかき切って仏の首すじにかみついて、狂い死してしまいたい。
*⑥今後は、このお堂を大魔王の住みかとして、堂内に参籠する人は一人残らずつかまえて殺し、この辺をを鹿の寝床のように荒れ果てさせてしまおうと思うが、いかがですか。
どうかまげてお授けください。」
そう言ったあと、しばらく横になると夢枕に、観音様は前と同じ姿で現れて告げた。

「ただ一つ、*⑦この大和の国采茶郡に一人の女がいる。この女に、一人子種を与えようと思ったが、今、お前が無理にわたしを責めるので、その女にやる子種を取り返してお前に授けよう。その代わり、倉の宝をこの女に与えようと思うが、どうじゃ。お前は宝が惜しいか、子がほしいか」

清政は、「倉も、五万の一族もみな観音様に差し上げますから、どうぞその子をお授け下さい。」といった。

「そういうことなら、後々けっしてわたしを恨むことがあってはならぬぞ」 

そういって観音様は*⑧水精の玉を取り出し、清政に下さる。奥方さまはそれを口にいれたかと思ったら目が覚めた。

奥方さまは間もなく妊娠し、子供が生まれた。
隣近所まで輝くような美しい若君であったから、この子に 玉王と名をつけた。

しかし、観音様との約束どおり、倉も五万人の家来もすべてなくなってしまった。

ある時、長者が山へ木の実を拾いにいき、奥方さまが、誦坂の浦へわかめをとりに出かけた。

子供を浜の砂をすこし掘りくぼめ、錦の産衣をかぶせて寝かせ、自分は磯へ下りてわかめを拾っていた時、
*⑨空から鷲が飛んできて、子供をつかんで空へ上がってしまった。

奥方さまは、その後を追いかけたが、
*⑩鷲は伊予・讃岐・阿波・土佐四つの国の堺にある白人城を飛び越えて、与那の大獄に入ってしまった。

清政と奥方さまは、二人連れ立って探しに出かけたが、見つけることはできませんでした。

それもそのはず、*⑪鷲は、白人城・与那の大獄を飛び越えて、阿波の国坂西郡に住む頼藤右衛門尉という人の庭先の枇杷の木の三つ股になったところへ子供をはさんで、わが巣へ帰ってしまった。

そして、玉王は、頼藤右衛門尉に育てられた。

五歳になった時、あまりに美しい若君がいることを聞きつけた 目代(国司代理)は、頼藤のもとへと、奪いにきた。
頼藤は、さしあげたくはなかったものの、相手は国司の代理、その気持ちにそむいたら、後々どういうことになるかわからぬと思い、差し上げた。

頼藤の奥方さまは、玉王が最初に着ていた産着に名前が書いてあることに気づき、大切に、しまいこんだ。

目代も、異常なまでのかわいがり方で、乳母、子守をつけて大切に養育していた。

若君が7歳になった年のこと、今度は国司がこの噂をきいて、目代をよびよせ、
「珍しい少年をもっている聞いたが、わしにくれぬか。もしくれるなら、代わりに国司職を譲ってもいい」
といわれ、目代もことわりきれず、国司に差し上げた。

国司は大喜びで、かわいがった。

若君が10歳になった時、帝のお目にかけた。
今度は帝がほしいという。

「南海道六カ国の総追捕使(荘園内の軍事警備総監)の職を与えようから、この少年を差し出すように」

国司は、帝に差し出した。

玉王丸が十五歳になった年の春、内の蔵人に任ぜられた。
その後十七歳の春、西海道の九カ国 (筑前・筑後・豊前・豊後・肥前・肥後・大隅・薩摩・日向) と二つの島(壱岐・対馬)を頂き、筑紫の国へ下向することになりました。

蔵人が、庭先に下りて、花を観賞していると、四国から都へ上ってきた十数人の百姓たちがその姿を見て話を始めた。
蔵人はその話声が聞こえてきて、気になりそっと聞いた。

そして、自分がどこからきたのかわからないが、鷲が連れてきた子供だったことを知りました。

蔵人は、泣き崩れ、帝と遠く離れることはいやなので、四国へ行きたいとお願いをし、筑紫は代理官にまかせ、四国へ行くこととなりました。

四国へ下った蔵人は、自分を生んでくれた本当の母と父を探します。
すべての役人に、国中のものを一人残らずこさせるように命令します。

そして、すべてのものに、鷲に子を取られた人はいないかと聞きます。
しかし、一人も名乗りでるものはいませんでした。

蔵人は、ここにはいないのかもしれぬと、こんどは、伊予の国三島郡尾田の里の昔清政長者が住んだ館を修理させて、ここに到着した。

しかし、ここでも、名乗りでるものはいません。

役人たちを一人一人呼び寄せ、不審なことがないか聞いてみると、一夫婦だけが、蔵人のところへきていないことがわかります。
その老夫婦は、 
*⑫伊予・讃岐・阿波・土佐の国堺にある白人城、与那の嶺の南に、真藤の岩屋というところに住んでいました」

蔵人は、もしや、この夫婦が鷲に子をとられた夫婦かもしれぬと思い、家来たちに、なんとしてもつれてくるようにと命令します。

役人たちが夫婦をさがしまわっていると、老夫婦は、大きな杉の洞穴で発見された。

老夫婦は、縄で繋がれ、山を下り、昔自分たちが住んでいた伊予の国尾田へと連れてこられました。

疲れはてた奥方さまは、柱に縛りつけられたまま寝てしまいました。
するとその夢の中に、玉王が現れました。

「夢の中で、わたしたちが山の麓にいると、玉王は山の中にいました。
透額の冠に東帯という装束で、右手には太陽をにぎり、左手には月を持ち、後方には朱の糸で髪を結った天童が一人付き添って立ち、三本の小松を頭にかざしながら、峰から谷の方へ下りてきて、私が昔の玉王です。お父さん、お母さん。」 

やがて夜が明け、昔自分たちが住んでいた屋敷へと連れてこられました。

そして、十七年間ずっと捜しもとめていた 玉王と再会することができました。

それから、伊予の国の三島郡を領地とし、玉王と老夫婦はともに暮らしました。
その後、玉王は伊予の中将となりました。

玉王が37歳のとき、老夫婦は亡くなりました。

玉王は、三回忌の供養がすみ、ようやく宮中へ参内した。
帝は感激され、座を立って、玉王の手をとり、御簾の中へ引き入れてその場で帝の婿に決められた。

そして、父母の墓の上に、社を造り、
「つらかった昔をお忘れなく、日本国中の衆生を守護する神となって下さい」 といって、昔住んだ土地の名を捨ててはならぬというので、神号を 「三島大明神」 と号した。

その後、中将(玉王)夫婦は連れ立って伊勢神宮に参詣、神道の法を受けて四国へ下向された。

御年81の時に神明として現れた。

*⑬「自分の生まれた国に住もうと思う」 といって、伊予の国一宮と現れた。

これと並ぶ*⑭讃岐の国一宮は、中将の乳母 「高倉の蔵人の妻女が戒律を守り修行をつんで現れた神である。

また*⑮阿波の国の一宮は、玉王の養父頼藤右衛門尉である。

三島明神が託宣された。

「わが氏子は枇杷の木を疎略にあつかってはならぬ。わが子玉王は鷲にさらわれたが、枇杷の枝に捨てられ助かったからである。また鷲は鳥の王である。わが子は鷲にさらられたために、のちに万民の王となった。その鷲を疎略に思ってもよいものだろうか」

そういって鷲にも神明の法を授けて*⑯鷲大明神と神号をつけ、伊予の国一宮の御殿の前に社をたてて、大切に敬った。

*⑰その後三島大明神は、東征のため東国に移り住むことになった。

その時鷲大明神も同じように東国に飛び移って、武蔵の国大田庄に住むことになり、この国の鎮守と号して非常な尊敬を受けることになった。


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かなり、短くして書いたつもりなのですが、長くなってしまいました。

ところどころ、特に大事なところと思うところに数字を入れて、色を黄色にしています。

①清政は、平城天皇の末裔とされています。
三島明神は河野家の祖神といわれているにも関わらず、その祖先は、平城天皇というところに、一つの意味を感じます。

平城天皇は、桓武天皇の皇子。ちょうど、平城天皇の時代に、早池峰山に瀬織津姫が祀られました。
この天皇の血を受け継ぐものが、このお話の中では、三島明神となっていくことになりますが、これはこの天皇の名前を記したことに意味があるものだと思います。

②子は前世からあきらめたもの。
それは、瀬織津姫を失った一族だったからです。

③大和の長谷寺の十一面観音とは、現在も三輪山のそばにある、長谷寺のことをさします。
ここは、天武天皇の時代の創建と伝わる寺で、瀬織津姫の本地仏でもある、十一面観音が本尊となっています。 ここは、仏による姫の封印の始まりの場所と言ってもいいかもしれません。
だからこそ、子を授けてもらうために、この寺の名前が記されているのでは。

④お前たち夫婦は、牛だった。
これは、まるでスサノオのことをあらわしているかのようです。
スサノオは牛頭天皇とも言います。

⑤これは、大和との戦いをあらわしているかのようです。しかし、最後には、大和への協力をすることになったのではないかと思える文章です。越智家は、やはり最初は抵抗し、戦いをしていたのではないかと思います。しかし、後に、大和へ協力したものが現れたと。

⑥この姿は、まるで、瀬織津姫の封印後、姫の魂を恐れたものたちのことをあらわしているかのようです。
姫の封印後、藤原一族は次々と病でなくなり、後の天皇は次々と悪霊に悩まされます。その姿を言わんとしているのでは。

⑦大和の国采茶郡に一人の女がいる
これは、まだはっきりとわかりません。ここがどこなのかわかれば、何かがわかってくるかもしれないと思っています。

⑧水精の玉とは、水の神 瀬織津姫のこと。
瀬織津姫は消されてしまったが、その代わりとなる、もう一つの姫の魂を入れた子供を誕生させようとしたともいえます。

⑨空から飛んできた 鷲。
これが、この物語の中で、一番重要な部分だと思っています。
この鷲の正体が、ずっとなんのかわかりませんでしたが、この後の記述で、鷲が誰だったのかがわかります。

⑩鷲は伊予・讃岐・阿波・土佐四つの国の堺にある白人城を飛び越えて、与那の大獄に入ってしまった。
鷲が飛び越えていった場所は、現在の四国中央市の山の中、あの金砂湖から、徳島県の境目です。
ここには、以前も書きましたが、今でも、大蛇、鬼、三途の川、妖怪と、数多くの姫の伝説が残っていて、江戸時代まで、この山を越えることが難しかったといいます。
そして、四つの県の県堺にあった城 「白人城」 とは、 小千命の城だといわれる城です。

これと同じ名前、もう一つの白人城の伝説が、松山、勝岡八幡神社にあります。
白人城は、小千命が、阿波から来た兇賊と戦い、捕らえたものたちを、閉じ込めた場所でもあります。
それと同じ白人城が、 この四つの国の堺目にあったのです。

与那の大獄とは、あのかずら橋のあるあたりをさし、このあたりには、多くの恐ろしい伝説がありました。

⑪阿波の国坂西郡に住む頼藤右衛門尉という人の庭先。
鷲が子供をつれてきた場所。 阿波の国板西郡とは、現在の板野町のことをさします。
そして、この場所は、藤原氏の祖、藤原 鎌足(中臣 鎌足)の本貫地だったのです。

中臣鎌足は、天智天皇の腹心でした。
そして、大祓祝詞をつくった人物です。 瀬織津姫を、祓戸大神にしてしまった人物。
ここから、姫の封印は始まったのだと、私は考えています。

また天智天皇は、中臣鎌足にだまされていたか、または、何も知らなかったか、この時に姫の封印は一揆に加速していったものと思われます。

そして、三島明神のこの物語の中で、子供をさらって行った場所、それは、瀬織津姫が、さらわれていった場所をさしていると思います。
その先は、やはり 「中臣家」だったのです。

その後、次々瀬織津姫の封印の勢いが広がっていったことを、この後の文章があらわしています。

そして⑫ 老夫婦が住んでいたところもまた、白人城の近くでした。
鷲が飛んでいった場所は、姫を封印した人物の居場所をあらわし、ここ白人城のあった場所は、姫を守り続けた人々が住んでいた場所もしめしていると思います。

また、もしかしたら、ここは、それよりもっと前、本当に城とばれるものがあり、一つの大きな村が存在していたのかもしれません。
姫を祀る人々は、人が簡単に入ってこれない場所に住んでいました。
また、ここは、砂金がとれ、鉱物資源の豊富な場所でもあり、豊かな水、大きな川があります。
私はもしかしたら、海からこの山まで、川をのぼってきていたのではないかとも思っています。

どちらにしても、ここ白人城のあった場所は、姫のなぞをとくためには、もっとはっきりさせなければいけない場所だと、強く感じています。

⑬自分の生まれた国とは、伊予国のこと。そして、伊予国一宮とは、大山祇神社神社のこと。

⑭讃岐の国一宮は、田村神社 祭神は 倭迹迹日百襲姫命。
これは、玉王の乳母。

⑮阿波の国の一宮は、玉王の養父頼藤右衛門尉である。

阿波国の一宮は、大麻比古神社 主祭神は、天太玉命。
この、天太玉命が、養父といいます。

しかし、鷲が飛んでいったところは、中臣氏のはず。 天太玉命は、中臣氏と勢力を争ったが、後に衰退することになる、忌部氏。

ここに、阿波の国のなぞが、あると思われます。

また、鷲は、天日鷲命(あめのひわしのみこと)を祖とする阿波国の阿波忌部氏がいる。

鷲大明神として、武蔵の国に飛んでいった先は、埼玉県 鷲宮神社。
祭神は、天穂日命。

大和に協力した人物たちが、だんだん、はっきりとしてきたと思いませんか?

そして、姫の封印に、関わった キーワードともいえる、二つの氏族。

忌部氏と中臣氏。 これが、三島明神の物語の中で、玉王を譲り渡したことに繋がるのかもしれません。
そして、最初に飛んで行った場所とは、本当は、忌部氏の住むところだったものが、後に、中臣氏へ吸収されてしまった。

ぐーたらさんの、大山村誌に書かれていた、大山積神とは、瀬織津姫が封印される時、この地に住む人たちにより、伊予の国より、その力をもってきたことをあらわしているのだと思います。

また、三島明神は、最後に、伊豆へと渡ったと書かれてあります。

それが、現在の静岡県の三島大社のことです。

玉王が奥方の夢の中に出てきた時、あらわれた場所は、山の中でした。
その山の中とは、瀬織津姫を守ろうとした人々が、隠れて暮らした場所をしめし、その時、玉王の手には、太陽と、月を握り締めていた。

その太陽とは、ニギハヤヒで、月とは 瀬織津姫のことだった。

このことから、三島明神とは、瀬織津姫のことだけではなく、ニギハヤヒのことも含むと思われます。

越智家が、本当に祀っていた神、三島明神とは、 大山積神でもなく、鹿屋野比売神でもなく。

ニギハヤヒと、瀬織津姫だったのです。

そして、この二柱の神が、封印の証が、古事記であり、その古事記の本当の意味を、後世に伝えようとしたものが、この、三島明神誕生の物語だったのです。

徳島と愛媛の関係が、ここにはっきりとしてきたと思います。

また、封印の鍵を握るものは、やはり 藤原(中臣)鎌足。そして、藤原不比等が、それを受け継ぎ完成させていったのだと。

空海が、徳島の鳴門を、一番札所としたことも、ここに意味があります。
封印の鍵を握る、封印の始まりの場所 それが、徳島だった。

姫を仏の力で、封印し、また守ろうとした空海は、このすべてを知っていたのだと、今回のことで、さらにはっきりとしてきました。

徳島県板野郡。 ここに、もう一つの封印の秘密が隠されていると思います。

最後に一つ、忘れていました。

⑯鷲大明神と神号をつけ、伊予の国一宮の御殿の前に社をたてて、大切に敬った。

大山祇神社神社の御神体の山の名前は、鷲ヶ頭山。

大山祇神社には、みっつの御神体の山があります。 
右側の安神山には、姫の龍が住んでいるといわれ、ここには、五大竜王が祭られています。
そして、中央の小見山の反対側には、入り日の滝。本当の姿は、月の落水の滝。

そして、一番大きな山、この周辺の海で、一番高い山が、鷲ヶ頭山。

ここに、鷲の山が御神体として今も、崇められています。




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-01-07 12:02 | 古代の謎 | Trackback | Comments(14)

こんばんは。

今日から仕事はじめ。
なんだか、あっというまの冬休みでした。

今日から、また神社のご紹介をさせていただきます。

2012年は、どんな神社へ行くことになるのか、私自身、とっても楽しみです。

最初は、愛媛の中だけだと、そんなに沢山いくところもないだろうな。と思っていたのですが、一つ行けば、不思議とまた次の神社が見つかる。

行った後で調べていくと、どんどん、どんどん、姫に近づいていく。

愛媛だけでも、もう200社以上を越える神社を巡ってきましたが、まだまだ、知らない大事な場所があるんだろうなと思います。

また、一度行っただけでは、わからないことも。

今日ご紹介する神社は、もう一年以上前に、一度訪れたことがある場所なのですが、その時はまったく何も気づきませんでした。

また、ここは、毎週通る場所でもあるのですが、神社が鎮座される裏山の上に小さな社があることに、最近まで気づいていませんでした。

数ヶ月前、車で前を通っている時に、目に飛び込んできた、小さな社。

今回は、その小さな社へと、やっと行くことができました。

今治市玉川町。

以前もお話しましたが、 ここは、古代、「丹生」 と呼ばれた村でした。

伊勢神宮への奉納のお米を作っていたところでもあり、大国主命や少彦名命の伝説も残ります。
また、「天逆鉾」 を運ぶさいに立ち寄った場所。

古事記の時代に、本当は、歴史の中の1ページに、登場するであっただろう場所のひとつです。

今日、ご紹介する神社も、いくつかの由来があります。

ここは、小千の国造りが、神籬(ひもろぎ)を奉斎した場所。

そして、大国主命と少彦名命が駐蹕の場所でもあります。

今治には、ここを含め、数箇所に、大国主命と少彦名命の伝説の場所があります。

大国主命は、ニギハヤヒと同一といわれますが、私は最近、少し違うような気がしています。

大国主命とは、実在した誰かのことをさしているのではないかと思うのです。
そして、少彦名命もまた同じ。

またここには、もう一つの伝説があります。

第98代天皇 長慶天皇の伝説です。

南北朝時代、南朝の第3代天皇でもある  長慶天皇は、北朝軍に大敗した後、この伊予の国へと落ちてきたといわれます。

そして、この玉川の地で、河野家の警護によって、松山市へとぬけます。

それでここは、「竜岡」 とよばれるようになったといいます。

松山へと逃げた長慶天皇は 最後、久米神戸徳威法水院にて崩御されたといいます。

その場所が以前紹介した、現在の東温市(旧重信町)牛渕に鎮座する、浮嶋神社です。

浮嶋神社には、今も、天皇の御陵が残っています。

そして、この浮嶋神社の場所が、ニギハヤヒの子供 「宇麻志麻治命」 が誕生した場所だという伝説が残っているのです。

これについては、もう一度、詳しく書きたいと思っていますが、

ニギハヤヒの子供 「宇麻志麻治命」 が 降臨した場所というのは他にもありますが、「降誕」した場所というのは今だかつて、ここのほかにまだ目にしたことがありません。

長髓彦の妹 炊屋姫とニギハヤヒの間に生まれた 「宇麻志麻治命」が、なぜ、関西ではなく、ここ愛媛で生まれたのか、私の中でずっと気になっていることの一つです。

お話が少しそれてしまいましたが、 ここ玉川町は、消されてしまった歴史がもしかしたら多くある場所なのかもしれません。

そしてその歴史は、ダムとともに、水の中に沈んでいったのかもしれません。

*天神社(元 天津宮)
*今治市玉川町竜岡下字宮の台乙48番地
*祭神
天穂日命(あめのほひのみこと)
菅原道真神(すがわらみちざねのかみ)
*由来
小千国造が神籬を奉斎の古社と伝えられる。大己貴、少彦名の2神、駐蹕の古関で竜王の宮とも称され、又一説によれば神の岡とも呼ばれ、文中2年9月紀伊の国高野山の里に潜める長慶天皇が、北朝軍に大敗して伊予国に落ち、河野伊予守の警護を受けたともいわれ、竜岡とも称した。
天慶5年9月25日筑紫大宰府より伊予へ勧請の二十八社の一社であったが、天正18年天津宮へ合祀した。
 長慶天皇は久米神戸徳威法水院にて崩御、御遺骨を分納の古墳は今も奈良原の山頂にある。

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鳥居をくぐると、月と太陽の灯篭が迎えます。
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拝殿
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本殿
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そして、小さな社は、この本殿の裏山の上にあります。
まるでダムの中に浮かぶ島。 この山だけは、水の中に沈めることはできなかたったのだと、思えます。

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階段を上ると、見えてきます。
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小さな社ですが、私たちには、大きな下の拝殿より、何倍もこの社に、不思議な力を感じました。

ここが、本当の場所だったのかもしれません。

今も、このあたりの地名は 「龍岡」 と呼ばれます。

ここは、古代 「龍を祀る岡」 だったのかもしれません。
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今、瀬織津姫がどうして、瀬織津姫という名前になったのか、その意味を考えています。

月の女神、すべての母であった瀬織津姫。

まだまだ、私の中で、その姿はぼんやりとしか見えていません。

でも、いろいろなことがわかってくるうちに、なんとなくはっきりしてきたことは、

古代の女神は、 「太陽」 ではなかったということです。

そして、単に水の女神でもありませんでした。

古事記の中では、 「太陽」が女神 アマテラスで、 「月」 は男神 月読。

しかし、本当は、女神は、月でなければならない。

それは、生命の誕生、 命、 と繋がっているからです。

女神は、 「命」 の 根源だったのです。

厳島神社の祭神、「三女神」 は、 瀬織津姫の姿を、三つにわけたものだとお話しました。

これは、古代の、 「三相一体」 また 「三位一体」 が原型になっていると思います。

古事記の中では、 アマテラスとスサノオが、誓約をし、アマテラスが日本の女神となることを認め、生まれた神としてあらわされていますが、 それは、瀬織津姫が一度死に、アマテラスと一体になって生まれた、三相一体の女神だった。

瀬織津姫にもまた、三つの顔がありました。

それは、妙齢の処女、母親、老婆 の顔です。

古代の女神は、三つの姿を秘めた女神だったからです。

そして、瀬織津姫が封印されたあと、 空海があらわした姫の姿は、三番目の 「老婆」 の姿だった。
 
再生・復活の女神とされることも、聖母とされることも、死の女神とされることも、すべて、女神がもつ力、命の源、「月」 の 女神だったからなのではないでしょうか。

大和は、どうして、「太陽」 を女神にしなくてはいけなかったのでしょうか。

古事記によって、本当の女神が封印されたことで、「女性」 そのものが、閉じ込められたような気がします。

そして、現代、その女性たちが、 外へと出ようとしています。

それは、女性が封印されたことにより、歪んでしまった世の中の歪をなおすために、女性の力、女性の知恵、女性の感性が必要な時代に入ったともいえます。 

また、それは、瀬織津姫の封印がとかれようとしていることにも、通じるものがあります。

でも、何かが違う、そんな気がするのです。

女性が、男性と同じ感性、男性と同じ知恵、男性と同じ力を出そうとしているように思えるのです。

本当に今必要なことは、男性と同じことを女性がするのではなく、男性と同じ土壌で競うことでもなく、女性でなければできない発想や、女性でなければ出せない力を出すことなのではないのかと。

それが具体的にどんなことかといわれると、まだ、言葉にすることができません。

でも、「命」 と繋がることができる 本当の意味での女性の力を、これからの世の中は必要とするのではないでしょうか。

そしてまた、男性も、そのことに気づかなければならないと。

古事記によって封印されたことは、世の中全体のバランスまでも崩してしまったのかもしれません。

それが、「地球の命」 「自然の命」 「生命」 を、滅ぼしてしまうことになっていったのかもしれないと、感じています。




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-01-04 23:33 | 愛媛県今治市(旧玉川) | Trackback | Comments(2)

新年あけましておめでとうございます。
謹んで新年のお喜びを申し上げます。

いよいよ2012年の幕開け。

龍の年がスタートしました。

今年も、姫の真の姿を探して、神社を巡っていきたいと思っています。

まだまだ、未熟ものですが、

今年も、どうぞよろしくお願いします。

今年2012年の干支は、辰年。
正確に言うと、 「壬辰」 となります。

では、壬辰とは、どんな年なのでしょう。

壬辰の意味を、深く読み取ると、不思議と姫の姿が浮かびあがってきます。

壬辰(みずのえたつ、じんしん)は、干支の組み合わせの29番目。
(干支とは、十干と十二支を組み合わせた60を周期とする数詞)

陰陽五行では、「壬」 は陽の水、十二支の 「辰」 は陽の土となります。

60年に一度だけ、まわってくる組み合わせが、
今年は、 「壬辰」 

まるで、瀬織津姫の姿をあらわしているかのような 組み合わせです。

古事記1300年の節目に、 水と竜の干支の年がやってくることに、不思議なめぐり合わせを感じるのは私だけでしょうか。。。。

そして、この壬辰が、姫の姿をあらわしているとおもえることは、これだけではありません。

以前にも少しお話しましたが、
陰陽五行には、相剋(そうこく)といって、相手を打ち滅ぼして行く、陰の関係というものがあります。
それによると、土は、水を濁し、水を吸い取り、水をせきとめるため、水にかつものは、唯一 「土」 とされます。

大山祇神社が、日本総氏神となり、瀬織津姫を封印するための神として、大三島に祀られのは、この陰陽五行の考え方から、大山積神(山の神) を祀ったのではないかと思っています。

水に勝つ、土の塊、水をせきとめる山だから。

そして、 十二支の 「辰」 は五行での土となり、相剋(そうこく)では、土剋水となります。

五行では、干支での、辰は、水ではなく、土となり、「辰」は、水を封印する土となっていることも、まるで瀬織津姫と、大山積神の姿をあらわしているかのようです。


また、「壬」の漢字の意味もまた、不思議なつながりが見えてきます。

壬の漢字の起源、象形文字には、どんな意味があるかといいますと、

「織機の中の糸巻き心棒を描いた I 型の字が原形で、この中央に糸が巻かれやや膨れた姿になった形が元になり、 (壬) という漢字が生まれたといいます。」

「壬」 とは、織機の中に収め入れられた糸が巻き付けられ膨らんだ糸巻きを表す漢字であり、

「妊娠」 の 「妊」 という字は、「女」 と 「壬」 を組み合わせた漢字ですが、

これは、これが起源となり、 母親 (女) が赤ちゃんをお腹に入れこむ姿 「壬」 を、あわせ 

「妊」 という漢字ができたそうです。

織機の姿と、 赤ちゃんがおなかの中に宿る姿は、同じような意味に考えなれていたのです。

織機とは、布を作り出す 「母」 の姿だったのです。

すべての源、すべての母、聖母である 瀬織津姫が、「織姫」 とされたことは、この考えかたがあったからではないかと思うのです。

ですから、

「壬」=「母」=「水」=「織機」  となります。

そして、 「壬」 のさらなる意味は

「壬とは大なり」 糸をまきつけ、膨らんだ状態をあらわすものでもあるといいます。

「壬」は、十干の9番目になります。

新しい生命体、新しい命が誕生するための最後の段階。
次の新しい時代を前に、最後の準備に、次の時代へとうつるための、最後の仕上げの年に入る段階ともいえるのです。

それが、どんなことを意味するのかは、わかりませんが、次への時代のために必要のないものは終わりを迎えるのかもしれないともいえるかもしれません。

「辰」 年を、動物であらわすと、 「龍」 となりますが、

「辰」 という漢字の起源は、農業にあるといいます。

部首での「辰」 は、貝殻を開いて足を出した二枚貝に象る象形文字が起源だといいます。

農業の 「農」 という字は、 「辰」 の上に、「曲」 という漢字がのっていますが、これは、「曲」が、脳みそを振り絞っていることをあらわす文字で、貝殻をつかい、知恵を使って作物を育てていたため、「農」 という漢字になったといいます。

辰と農業の間には、こんな関係があったのです。

「辰の刻」 という時間をよく耳にしますが、 「辰」の時間とは、午前8時のことをいい、朝起きて、動き始める時間帯が、辰とされています。

また、干支の漢字は、戊’ ‘戌’ ‘辛’ ‘癸’などのように、武器をあらわす言葉が多いのですが、「辰」は、「貝」自然のものをあらわしています。

「辰」とは、自然の力が増す年。 自然のちから、宇宙の法則には、逆らうことはできない年といえるのかもしれません。

60年に一度巡ってくる 「干支は29番目」 ちょうど半分である来年への節目の年、分岐点となります。

これから、30年間という年月をどういう方向にむけるかという、大事な年となるかもしれません。

そして、 「壬」 と 「辰」 まるで姫の姿をあらわすかのようなこの年は、本当に姫の復活するときかもしれないと思ったりもしています。

すべてをあきらかにすることは、まだ時間がかかるかもしれませんが、これから私たちが生きていく方向性を間違わないためにも、姫の姿を少しでもあきらかにすること必要なのではないか。

そして、その中に、生きるヒントがあるのではないかと思っています。

自分ひとりの力では、何も変えることはできないかもしれませんが、一人一人が真剣にこれからの未来のために私たちが本当にむかうべき姿はどんなものなのかを考えることが、きっと、大きな渦となり、世の中を真の姿へと導いてくれる力となるのではないかと思います。

一人でも、多くの人が、そのことに気づきますように。

今の世の中を変える 大きな 「渦」 となりますように。。。。。





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-01-02 04:02 | 日記 | Trackback | Comments(4)

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