☆興居島は姫の島だった
2010年 06月 22日
厳島神社を出発して、少し走ると、
この島で一番大きな、島の氏神様の神社がありました。
ここが、
この島の姫のご神体をお祀りしてある神社です。
ここで、
まさかの繋がりがあったのです。
★船越和気比売神社
御祭神:「和気比売命(ワケヒメノミコト)」
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「壷からでたお姫さま」の伝説
昔、この島に、和気五郎太夫という漁師が住んでいました。
ある日、沖に出て魚を釣っていると、
丸いものが、浮かんできました。
それは、大きな壷だったのです。
拾い上げて、磯の岩に打ちあてて砕いてみますと、
中から、十二、三才ほどの、それはそれは美しい姫が出てきました。
五郎太夫はびっくりしました。
「おまえは、なんでこんなところにいるの?」
とたずねました。すると娘は、
「私は唐の国のものでございますが、わけあって壷の中に入れられて、
流されたのでございます。私の名は、和気姫と申します。」
といいました。
子供のいない五郎太夫は、大喜びで自分の子供として育てました。
和気姫は、大事に大事に育てられ、後に伊予皇子といわれる人の奥方となりました。
そして、三つ子をさずかりました。
しかし、これを怪異に思い、棚無し小船に乗せて海に流されてしまいました。
三つ子はそれぞれ、吉備の小島、駿河の清見崎、伊予の小千の郡大浜に流れ着きました。
三番目の男の子が、後の河野家の先祖と言われる、
小千御子です。
後に、小千御子が、「母が住んでいた島」と言ったことから、
この島を、「母子島」と呼ぶようになりました。
そして、元禄12年から、興居島と呼ばれるようになったそうです。
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これを読んで、
びっくりしました。
あの、小千命さまが、大浜に???????
私達が、神社をめぐることになった、瀬織津姫との出会いの場所、
大浜八幡神社は、
小千命さまを、主祭神とした神社で、
神社の裏の山が、発祥の地の呼ばれているのです。
この島から流され、大浜にたどり着いた。
そして、和気姫は、小千命さまの母うえさまだった。
私は、毎日、小千命さまの像の前で、
参拝をして、拝殿へと向かっているです。
其の方の、母うえさまに、呼ばれたのか。。。。
そんな島だとは全く知らずに、ましてや、
つい最近まで、島の名前も知らなかった私が、
霧で船が出なかったので、
急遽予定を変更してこの島にやってきて、こんな繋がりがあるなんて、、、、
小千命は、一から、今治と周桑一体の国を開拓し、
繁栄させていった方で、
今では、私にとっても大事な大事な、神様。
そして、愛媛という国を繁栄させていった、一番重要なお方です。
私だけが思っていることかもしれませんが、
何だか、もう一度原点に戻り、
新しい愛媛がこれからスタートするんじゃなかと。
そんな風にさえ感じられる、
出来事。
和気姫さまが、とても近くに感じられる、
本当に会えたようなそんな気さえする、瞬間でした。
あんなに天気がよかったのに、
霧で船が出なかったのは、ここに来るためだったのだと。
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