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☆興居島は姫の島だった

こんばんは、

厳島神社を出発して、少し走ると、
この島で一番大きな、島の氏神様の神社がありました。

ここが、
この島の姫のご神体をお祀りしてある神社です。

ここで、
まさかの繋がりがあったのです。

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★船越和気比売神社

御祭神:「和気比売命(ワケヒメノミコト)」

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「壷からでたお姫さま」の伝説

昔、この島に、和気五郎太夫という漁師が住んでいました。

ある日、沖に出て魚を釣っていると、

丸いものが、浮かんできました。

それは、大きな壷だったのです。

拾い上げて、磯の岩に打ちあてて砕いてみますと、

中から、十二、三才ほどの、それはそれは美しい姫が出てきました。

五郎太夫はびっくりしました。

「おまえは、なんでこんなところにいるの?」

とたずねました。すると娘は、

「私は唐の国のものでございますが、わけあって壷の中に入れられて、

流されたのでございます。私の名は、和気姫と申します。」

といいました。

子供のいない五郎太夫は、大喜びで自分の子供として育てました。

和気姫は、大事に大事に育てられ、後に伊予皇子といわれる人の奥方となりました。

そして、三つ子をさずかりました。

しかし、これを怪異に思い、棚無し小船に乗せて海に流されてしまいました。

三つ子はそれぞれ、吉備の小島、駿河の清見崎、伊予の小千の郡大浜に流れ着きました。

三番目の男の子が、後の河野家の先祖と言われる、

小千御子です。

後に、小千御子が、「母が住んでいた島」と言ったことから、

この島を、「母子島」と呼ぶようになりました。

そして、元禄12年から、興居島と呼ばれるようになったそうです。
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これを読んで、

びっくりしました。

あの、小千命さまが、大浜に???????


私達が、神社をめぐることになった、瀬織津姫との出会いの場所、

大浜八幡神社は、

小千命さまを、主祭神とした神社で、

神社の裏の山が、発祥の地の呼ばれているのです。

この島から流され、大浜にたどり着いた。


そして、和気姫は、小千命さまの母うえさまだった。

私は、毎日、小千命さまの像の前で、
参拝をして、拝殿へと向かっているです。

其の方の、母うえさまに、呼ばれたのか。。。。


そんな島だとは全く知らずに、ましてや、
つい最近まで、島の名前も知らなかった私が、
霧で船が出なかったので、
急遽予定を変更してこの島にやってきて、こんな繋がりがあるなんて、、、、


小千命は、一から、今治と周桑一体の国を開拓し、
繁栄させていった方で、
今では、私にとっても大事な大事な、神様。


そして、愛媛という国を繁栄させていった、一番重要なお方です。


私だけが思っていることかもしれませんが、
何だか、もう一度原点に戻り、
新しい愛媛がこれからスタートするんじゃなかと。


そんな風にさえ感じられる、
出来事。


和気姫さまが、とても近くに感じられる、
本当に会えたようなそんな気さえする、瞬間でした。


あんなに天気がよかったのに、
霧で船が出なかったのは、ここに来るためだったのだと。














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by ldc_nikki | 2010-06-22 23:04 | 愛媛県松山市

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。


by 愛姫
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