見えないメッセージ 「和銅5年 三島神社」
2011年 04月 14日
先日紹介した神社の由緒に書かれていた、天逆鉾。
どこから、大三島へ奉還されたのか、次の課題というお話をしましたが、
今日、他のことを調べているときに、偶然見つけた地名。
大三島に奉還される前の、唯一の手がかりだった、神社の名前と地名。
今日、その地名を見つけることができたのです。
ほんとうに、そこにあったかどうかはわからないのですが、その場所に鎮座する神社の名前も、同じ。
まだ、今はお話することができませんが、今度、その神社へ行ってみようと思います。
こんなに早く見つけることができると思っていなかったので、またまたびっくりです。
神社を巡り初めてから強く確信したことがあります。
それは、前にも言ったと思いますが、順番があるということなのです。
何かにたどり着くためには、必ず通らなければいけない道があるということ。
その時は、何だか、遠回りしたような気持ちになるかもしれません。
もしかしたら、無駄なことをしたと思うかもしれません。
でも、今は、そんなことは、考えたりしなくなりました。
それは、全てには、順番と、その「時」があるからだということがわかったからです。
何か一つわかれば、次の課題が与えられ、そしてまたその課題をクリアできれば、また次の課題が与えられる。 それを続けていると、何かに近づく気がするのです。
日常の中では、それが何かに近づいているとは、わかりにくいかもしれません。
でも、こうして神社を巡っていると、自分が知りたいことがわかった時や、行きたい場所にたどり着いた時、そこまで行くまでに、たどった道のりが、全て繋がっていて、どれも必要だったことがはっきりとわかるのです。
不思議と、どんなことも、意味のないことなんてないのです。
それを何度も繰り返していると、たとえ、その日に何も見つからなくても、どうしてその場所へ行ったかがわからなくても、何も心配することはなく、きっといつかその意味に気付く時がくるだろう。と素直に思うことができるようになりました。
今回も、また、そんな出来事がありました。
1ヶ月くらい前、なんとなく気になった池と地名がありました。
その日は、何の目的もなかったので、地図を見ながら、なんとなく気になったその池に行ってみました。
でも、その時は、その池にも回りにも何もなく、どうして、ここに来たんだろう? と思っていました。
でも、その場所を離れる時、そこから見える山がとても気になったのです。
いつか、この山にあがる時がくるだろうな。 なんとなく、そんな風に思いながら、その場を後にしました。
あれから、一ヶ月。
大三島へ奉還された、天逆鉾があった場所は、その池のすぐ近くの神社だったのです。
更に、その神社はもともとはその場所にはなく、山の方にあったようなのです。
その山が、あの時気になった山。
今日、地図で神社の場所を調べてびっくりしました。
ほんとうに、すぐ近くまで行っていたなんて。。。
その時の私は、まだ、天逆鉾の話を全く知りませんでした。 だから、まだいく時ではなかったのだと。
でも、きっとあれは、私にもうすぐ近くまできているよ。と教えてくれていたように思います。
人は、心が理解できるものしか、見ることはできない。
それは、全てにいえることで、いくら目の前に重要なことがまっていても、次へのステップへの扉がまっていても、それを見ることの出来る心がなければ、人は見ることが出来ないのです。
前に進めないのは、誰のせいでもなく、自分に原因があるのだと、心から理解できるようになりました。
遠回りしているように思えるときは、遠回りしないとわからないことが、きっとあるからなのです。
まっすぐに、早く進もうとしても、それが理解できない限り決して次へと進むことはできないのだと。
だから、全てのことに、素直に向き合い、全てを受け入れ、前に進むことが大事なのだと思います。
心が素直になれば、どんなことも受け入れることができれば、小さなシンクロや、新しい出会いが訪れ、いつのまにか、次の扉の前にやってくる。
些細な幸せや、小さなシンクロは、目に見えないメッセージかもしれません。
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今日、ご紹介する神社は、砥部町に鎮座する 「三島神社」です。
小さな子どもに大人気の、砥部動物園の近くにあります。
ここは、以前偶然近くを通りかかった時、何だかきになる杜があるなと、前までいってみる、「三島神社」と書かれてあったのですが、その時は、もう時間がなかったので、いつか、また来れる時にこようと、参拝しませんでした。
今回、子どもを動物園に連れて行った帰りに、立ち寄ってみました。
*三島神社(麻生)
伊予郡砥部町麻生32
*祭神
大山祇神(おほやまつみのかみ)
高於加美神(たかおかみのかみ)
雷神(いかづちのかみ)
やはり、ここにも、高於加美神(たかおかみのかみ)雷神(いかづちのかみ)が一緒に祀られています。
この名前を見ると、私には、瀬織津姫と、ニギハヤヒと書かれてあるように最近見えてしまいます。
そして、ここの由緒が書かれてあったので、読んでみると、
和銅5年(712)8月23日、越智郡大山祇神社より勧請。
三島別宮地前宮と号した。建立は越智散位大夫玉輿、同異母弟玉澄と伝えられる。とあります。
ここは、越智玉澄が、建立した神社でした。
そして、勧請された日が、和銅5年(712)8月23日。
実は、今、この日付が気になってしかたありません。
和銅5年。 この年のお正月、古事記が完成されたと言われています。
古事記が完成された年の8月23日に、勧請された、三島神社。
しかも、それは、ここだけではありません。
この時、大三島では、新しい大山祇神社をつくっている最中でした。 完成は、この4年後です。
完成する前、この時は、まだ瀬戸に三島明神は祀られていました。
宮浦へうつる前に、勧請された三島神社ということは、祭神は瀬織津姫のまま勧請された可能性が高いのです。 でも、なぜ?
今は、そのわけを探すために、愛媛県中の神社を一つづつ、調べなおしています。
実は、愛媛県中の神社を調べるのは、これで3度目。
同じ文章を読んでいるのに、1回目、2回目、3回目とその時々で、気付く内容が違います。
ここでも、人は、なにを目的にしているかによって、同じ文章でも、全く違ってみえるんだなと、自分でびっくりしています。
越智玉澄が建立した、大きな節目の神社。
まだまだ、わからないことが沢山ですが、その重要な場所に導いていただいたことに心から感謝します。
三島の神紋です
桜がとても綺麗でした。
境内には、多くの緑が残されていました。
鎮守の杜。
今日も、ありがとうございました。
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