天之逆矛のあった場所は?③ 「浮嶋神社」 過去を受け入れる
2011年 05月 06日
昨日は、この記事を書きかけたのですが、途中間違って更新をしてしまい、
題名だけが、掲載されてしまって申し訳ございませんでした。
そのまま、寝てしまっていて、
続きが今日になってしまいました。
昨日は、久しぶりに温泉に行ってきました。 今治市玉川町にある温泉で、源泉は鈍川温泉です。
美人の湯と言われているんですよ。
道後温泉もいいですが、鈍川温泉も私は大好きです。
温泉に入りゆっくり身体を休めたおかげで、ゴールデンウィーク中の疲れもとれたようです。
温泉はやっぱりいいですね。
自然の力は凄い、そう思います。
ここ、玉川町は、天之逆矛のことを知るきっかけになった神社が鎮座する町です。
この山々には、まだ私達が知らない過去の歴史が沢山つまっているのでしょうね。
その歴史のほんの一部でも、こうして感じることができて、とても感謝しています。
そして、これからも、もっと本当の歴史に少しでも近づきたいそう思います。
天之逆矛が、なぜ、大三島へ移動したのか、どこから来たのか、その鍵を握るかもしれない、重信町のお話も、今日でひとまず、最後となりました。
今日、ご紹介する神社は、これまで、お話した、重信町の神社の原点とも言える場所ではないかと思います。
この旧重信町は、松山平野の中の、東に位置する町です。
松山平野は、弥生時代頃から、姿を現し始めたと言われていますが、ここ重信町は、町の中を流れる重信川(伊予川)が、よく氾濫をおこしたかと思えば、枯れ川となり、河床に砂礫(されき)が積もって、伏流水による湧水が噴出し、湖沼が散在する独特な地形になったと言われています。
そして、そんな村の中に、浮嶋があり、古代からこの浮嶋を神域とされていたのではないかと言われています。
その場所に鎮座するのが 「浮嶋神社」です。
伊予の国つくりを行った越智(小千)氏は、ニギハヤヒを祖先とする一族。
『新撰姓氏禄』に第7代孝霊天皇を始祖とする「皇別」とされています。
ある伊予の古文書の中に、第7代孝霊天皇は、三島明神の化身であったということが書かれています。
そして、38代 天智天皇祖神は、今治沖にある津島に鎮座の神「門島神」が
「饒速日命・天道日女命」とも書かれてあります。
第7代孝霊天皇そして、第38代 天智天皇の祖神は、アマテラスとはかかれていないのです。
これは、大変重要な記述です。
ニギハヤヒまたは、瀬織津姫と三島明神は、私の中では同じ神だと思っています。
また、三島明神=大山積神と言われていますが、
やはり伊予の古文書の中に、
「大山積神は、ニギハヤヒ命のことである。」と書かれてある文章も、見つけました。
一瞬目を疑いましたが、何度も読んでもそう書かれています。
瀬織津姫とは書かれていませんでしたが、ニギハヤヒであると書かれてあるだけでも、これは凄いことではないかと思っています。
少し話しがそれてしまいましたが、浮嶋神社を知るためにも、この原点をもう一度書いておくべきだと思ったので書かせていただきました。
浮嶋神社のお話に戻りますが、
浮嶋神社は、全国でも数少ない、可美葦牙彦舅尊(ウマシアシカビヒコジノミコト)を主神とする神社です。
可美葦牙彦舅尊は、天地開闢において現れた別天津神の一柱。
男女の区別がなく、独神だと言われていますが、陰陽思想の陽の神の一柱です。
神社の境内には、三つの自然石が配置された磐座(いわくら)があり、弥生時代から祭祀がおこなわれていた聖地でした。
かつては中央に可美葦牙彦舅尊、左右に伊弉諾尊(イザナギノミコト)・伊弉冉尊(イザナミノミコト)を祀っていたとされます。(本当は、イザナミ、イザナギではなかったと思われます)
現在では、可美葦牙彦舅尊(ウマシアシカビノミコト:浮島神)、大山積命(オオヤマツミノミコト:大三島神)、三神御面(さんしんごめん)が祀られています。
三神御面(さんしんごめん)とは、河野家から伝わるもので、代官は藩主の命を受けて三神御面に対して祈雨祭をしばしば執り行ったと伝わる、雨乞いのための面のことです。
そして、ここは、物部氏の太祖とされる宇麻志麻治命(ウマチマチノミコト)の降誕地でもあるのです。
ニギハヤヒの子である、宇麻志麻治命が誕生した場所。
ここで、お生まれになったことが、もし本当ならば、伊予の国は、神話の舞台となった場所ということになります。 しかし、伊予の国は、現在神話の国とは、ほど遠い存在となっています。
隠された事実が、この伊予の国にあるのではという思いがますます強くなってきたのです。
そして、もう一つ、なぜここに、弥生時代から、可美葦牙彦舅尊(ウマシアシカビヒコジノミコト)をまつる、祭祀があったのかということです。
伊予に残る記述の中でも、特に古い神社の一社であることが伺えます。
そして、その場所に、祀られていたとされる、可美葦牙彦舅尊(ウマシアシカビヒコジノミコト)は、瀬織津姫とどんな関係があるのか。
そして、伊予の中でも、重要な場所であったと考えられる、重信町に、天之逆矛がどれくらいの間かはわかりませんが、置かれていたことは、この神社に関係があるような気がしてなりません。
また、この浮嶋神社隣接して、長慶天皇御陵があります。
長慶天皇は、第98代天皇です。
「長慶天皇陵」と称する墳墓は、全国各地に点在しているそうなのですが、ここもその一つです。
天之逆矛は、大三島に移動する前に、これらの三社のどれかの神社にあった、もしくは、この三社全てに移動しながら置かれてあったかもしれないとも思えてきました。
そして、大三島の瀬戸へ移ったとしたら、そこに、その後、日本の総氏神として、大山積神を祀ったことにも、もしかしたら繋がってくるのかもしれません。
私は、最近強く思うことがあります。
日本の聖地は、「瀬戸内海」の二つの場所。
一つは、鳴門の渦潮がある淡路島と徳島周辺の海。
そして、もう一つは、今治沖、大三島を中心とした、来島海峡の渦潮の海。
二つの 「渦潮」 は、聖地、神域、そして、エネルギーを生み出し、力を増大させる、龍の宿る海ではなかったのかと思います。
「渦」と「龍」そこに、国生みの秘密もあるような気がしています。
更には、四国の四柱の神にもつながり、その四柱の神々には、この浮嶋神社の祭神、可美葦牙彦舅尊(ウマシアシカビヒコジノミコト)にも繋がる。
「陰」と「陽」 を現す 神々。
それは、瀬織津姫、ニギハヤヒも同じく、「太陽」と「月」 陰と陽の神だということにも繋がるのです。
これらは、まだまだ 私の妄想の世界かもしれませんが、私の中では、これらが全て繋がっているように思えるのです。
まだ、頭の中で整理ができていないので、話がいろいろと飛んでしまってわかりにくい所が多々ありますことをどうか、お許しください。
ただ、今日、私が書いたことは、今、私の中でキーワード? パズルのピースのように出てくる言葉です。
まだまだ見つかっていないピースと、今までのピースを、ぴったりとつなぎあわせることができれば、いつか、一つの大きな絵が完成するのかもしれませんね。
全てを見つけることは、そう簡単ではないこともかもしれませんが。。。。
でも、完成だけが目的ではなく、それまでの過程で起きるさまざまな出来事こそが一番大切なことかもしれないとも思います。
その中に、私たちが生きる大きな意味や、ヒントや、教えや、導きが あるから。。。。。
*浮嶋神社 (重信町)
*東温市牛渕584番地
*祭神
可美葦牙彦舅尊 (うましあしかびひこじのみこと)
三神御面(さんしんごめん)
大山積命(おほやまつみのみこと)
*10月第2土・日曜日 例大祭・神幸祭
*境内社
長慶天皇御陵(隣接地)
祖霊社・殉国英霊社
荒魂社
長慶河野宮霊社
*特殊神事12月20日 御面渡御祭・隔年鎮座
拝殿
本殿
神紋
磐座(いわくら)
本殿 (菊の神紋)
長慶天皇御陵
御陵から入る鳥居
参拝の後、ずっと曇っていた空から太陽が顔を出し、光がおりました。
きっと、意味のある場所にきたのですね。
今日も長い文章を最後までお読み下さいまして、本当にありがとうございます。
過去は振り返るものではありませんが、過去を知り、認めることは、次へと進むために必要なものではないかと思います。
悔やむための過去でもなく、悲しむための過去でもなく、
ありのままを、受け入れ、真実を知り受け入れることから、始まる。
それは、私達の人生も同じで、いつまでも引きずるために思い出すのではなく、歩いてきた道は受け入れなければいけなくて、それを認めなければ次へと進むことはできないと。それが、私自身だから。。。
それが、ありのままの姿だから。。。。。
それは、どんな過去でもあっても。。。。。。
今日も、ありがとうございました。
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