五男三女神と八王子そして、その母は善女龍王 「河内八社神社」 (今日私の元へ)
2011年 08月 30日
今日のお話は、前回の続き、空海が祀った守護神のお話です。
まだ、前回のお話を読んでいない方は、ぜひ、前回の龍池神社をご覧ください。
空海が、岩屋寺を開基したさいに、11社の神社をおき、そこに守護神を祀られました。
前回の、龍池神社もその一つです。
そして、龍池神社の祭神は、ニギハヤヒと瀬織津姫につながりました。
今日、ご紹介する神社は、 龍池神社からすぐ近くに鎮座する、
「河内八社神社」ですが、 ここも同じ岩屋寺の前を流れる、直瀬川のほとりに鎮座します。
そして、祭神は、ここ数回いつも出てくる名前
五男三女神(ごなんさんじょしん)です。
五男三女神は、古事記の中では、アマテラスとスサノオの誓約のさいに、お互いの剣と、勾玉から生まれたとされる神ですが、 実は、 もう一つの姿がありました。
その姿は、、神仏習合下の両部神道に由来するもので、
牛頭天王の八人の王子です。
仏教の守護神である牛頭天王には、8人の子(八王子)がいるとされています。
牛頭天王(ごずてんのう)とは、日本の神仏習合における神の名前で、
あの祇園まつりでも有名な、祇園信仰の神、そして、スサノオと同一視されます。
八王子は八方位の暦神に比定され、、八将神ともいわれます。
太歳神(木曜星・総光天王)
大将軍(金曜星・魔王天王)
太陰神(土曜星・倶魔羅天王)
歳刑神(水曜星・得達神天王)
歳破神(土曜星・良侍天王)
歳殺神(火曜星・侍神相天王)
黄幡神(羅光星・宅神相天王)
豹尾神(計斗星・蛇毒気神天王)
そして、これらを生んだ母の名を、頗梨采女。
八大竜王の1柱で、娑竭羅龍王(しゃかつらりゅうおう)の三番目の娘、第三王女、
またの名前を、 「善女龍王」 です。
空海が名づけた、清瀧権現(せいりゅうごんげん)も、同じ善女龍王です。
もうずっと前に、何かを調べている時に、善女龍王にたどり着いたことがあったのですが、その時は、漠然と瀬織津姫に繋がるということはわかったのですが、 それがどんな風に繋がるのか、まだあまりよくわかっていませんでした。
五男三女神とは、やはり瀬織津姫を消し去った変わりに生まれた神の名前でもあり、
神仏が習合されたさいに、それは、 八王子となり、 その王子を生んだ母は、善女龍王とされた。
空海が、善女龍王と深い関係があります。
善女龍王は、密教を守護していた中国・青龍寺に飛来して同寺の鎮守(守護神)「清龍」となりました。
その後、空海は、青龍寺を訪れて仏法を学びます。
空海が中国から帰国するさいに、空海の船を守護しながら日本へと飛来し京都洛西の高雄山麓に勧請されました。
そして、海を渡ったので龍の字に「さんずい」を加えて日本では「清瀧権現」と敬称するようになったと言われます。
そして、真言密教を守護する女神となったのです。
日本の神々は、ちょうど、古事記ができ、瀬織津姫が消されてしまった後、
8世紀ころから、仏信仰が強くなり、日本古来の神をまつる神社が衰退し、仏を信仰する寺の勢力が強まり、神々の名は、日本からどんどん忘れさられようとしていました。
それを救ったのが、神仏習合を確立させたともいえる、 空海だったのです。
ここからは、私の考えですが、空海は、中国から持ち帰った 「善女龍王」を、日本古来の女神、
瀬織津姫と習合させることによって、 神々を守っていったのではないでしょうか。
そして、その中心的場所であった、四国の重要な場所に、八十八ヶ所をおいた。 神々を守るために。。
だから、瀬織津姫の名前が変えらるにあたり、その舞台となった場所に、お寺がある。
後に、円空が、全国を行脚しながら木造を掘っていったのもまた、
瀬織津姫のこと、空海が行ったことを知り、日本を守るために、
瀬織津姫とされる 白山の本地仏、十一面観音菩薩をつくり、
空海が信仰した、密教の女神であり、瀬織津姫の姿である、善女龍王をつくった。
瀬織津姫の神社を巡り初めて、ある時、空海のゆかりの地へたどり着き、
それ以来、お寺と神社、両方に行くようになりました。
でも、行くお寺は、そのほとんどが、真言宗。 偶然なのか、 何か関係があるのか、 その答えがなかなかわかりませんでしたが、 今日、やっと私の中ではっきりと繋がった気がします。
そして、これも偶然なのか、 必然なのか、
今日、私の元へ、 ある方が作った、「善女龍王」が届きました。
善女龍王が届いた日に、このことにたどり着いたことも、姫のお導きのような気がしてなりません。
このブログを書きながら、ここまでたどり着けたことが、自分でも、本当に不思議なのです。
五男三女神は、八王子と同じであり、
そして、そのどちらも、原点は、善女龍王。 善女龍王から生まれた 神であり仏だったのです。
そして、それは、空海が瀬織津姫を救うために、神仏を合わせた姿だったのです。
*河内八社神社
*上浮穴郡久万高原町七鳥870番地
*祭神
五男三女神(ごなんさんじょしん)
*弘仁6年(815)弘法大師が岩屋寺、開基にあたり守護神として造った十一社の内の一社とされているが、創設は未詳。 神護年間(765~769)の創設であろうと言われているが大宝寺、岩屋寺の別当である。
明治43年七鳥熊野神社合祀したが、昭和23年分離。

大木の生い茂る参道をとおり、神社へと向かいます。

神聖な森の中に、神社は静かに鎮座されています。

湧水です。

拝殿

本殿

神社のすぐ下を流れる、直瀬川

今一度、拝殿

拝殿に、水の文字が。。。。。。

瓦

森の中にかくれ、その存在をほとんど知られることのない神社なのかもしれません。
でも、その存在感は、ものすごい強いものを感じました。
空海の想いを受け継ぎ、今もなお、岩屋寺を守り続けていることでしょう。


私たちは、 過去の人々の想いを、忘れてはいけないのです。
繋がれた命、 教え、 日本を守り続けている神々。
過去を振り返ることは、タブーとされた時代がありました。
でも、 本当の未来は、 過去を知ることから始まる。
新しいものを生み出すためには、 ただ、 先を見るだけではいけないのです。
過去から受け継がれ、忘れてはいけないものは、 しっかりと守り、受け継ぐ。
過去を知って初めて、本当によい世の中は、つくることができるのだと、私は思います。
自分たちさえよければいい、今、自分たちが、贅沢をして、面白おかしく生きていればいい。
そんな考えは、そろそろやめなけばいけないと思いませんか。
世の中は、今、大変なことになっていることに、そろそろ気づきませんか。
自分だけは、大丈夫。
そんな考えが、どこかにありませんか。
今、現実に起こっていることから、目をそむけていませんんか。
見えないふりをしていませんか。
政治も、経済も、日本も世界も、地球も、宇宙も、
本当におこっていることから、目をそむけ、まだ、幻の過去にしがみついているような気がしてなりません。
人間は、どこまでいけば、本当に気づくことができるのでしょう。。。。。。
神々の伝説を伝えるために、そして、
その中から自らの生き方を見つけるために、
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