熊野神社と瀬織津姫  (真の名)

こんばんは。
台風が過ぎてから、一揆に秋がやってきました。
太陽が降り注ぐ中、爽やかなな秋の風がとても心地よい季節。

夜の空を見上げると、空気が澄んで、星がキラキラと輝きついつい、見とれてしまいます。

季節があるって、やっぱり素晴らしいことですね。

今日は、地元今治の 「熊野神社」のご紹介です。

熊野神社といえば、先日の台風で、瀬織津姫の聖地ともいえる、熊野地方が大きな被害にあい、
熊野那智大社や、熊野速玉大社も被害にあいました。
その時のテレビの中継で、 「世界遺産のこの神社を、なんとしても守らなければ・・・・」と インタビューに答えていたあの言葉が、今も心にひっかかっています。

今日、ご紹介する今治の熊野神社も、 ここ紀伊国熊野新宮大権現の御分霊を奉遷したとされている神社です。 
熊野神社で祀る、熊野権現には、熊野三山といわれる、三つの神社があります。
それは「熊野本宮大社」、「熊野速玉大社」、「熊野那智大社」といいます。

熊野本宮大社は、和歌山県田辺市に、
熊野速玉大社は、、和歌山県新宮市に、
熊野那智大社は、 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町に鎮座します。

これら、熊野三山に祀られる神は、同じ神で、熊野神〈くまののかみ〉、熊野大神〈くまののおおかみ〉とも言われ、神仏習合では、熊野権現と呼ばれます。

熊野権現とは、主祭神の
主祭神の三神(熊野三所権現)を含め、全部で十二の神(熊野十二所権現)のことをいいます。

そして、上記の三社でそれぞれ勧請しあい、
主祭神は、それぞれ
熊野本宮大社は、家都御子神(けつみこのかみ)・・・・阿弥陀如来
新宮の熊野速玉大社は、熊野速玉男神(くまのはやたまおのかみ)・・・薬師如来
熊野那智大社は、熊野牟須美神(くまのむすみのかみ)・・・・・千手観音

を祀り、

天照大神、天忍穂耳命、瓊々杵尊命、瓊々杵尊命、鸕鶿草葺不合命、軻遇突智命、埴山姫命、
彌都波能賣命、稚産霊命を含めたものが、熊野十二所権現といいますが、
熊野那智大社だけは、「瀧宮」(大己貴命)の本地仏 千手観音とし、十三所権現といいます。

本宮大社は西方極楽浄土
新宮の熊野速玉大社は東方浄瑠璃浄土、
那智大社は南方補陀落浄土の地であると考えられ、
平安時代以降には熊野全体が浄土の地であるとみなされるようになったそうです。

これを見た時、思い出したのが、大山祇神社での、十六皇子(十六神社)、大山祇神社では十七神社でした。
神々の名前、数は違うものの、熊野権現とは、大山積神の分同じ考えではないかと思いました。

ただ、祭神を見ると、分身とは少し違うかもしれません。 
でも、やはり、根源には、瀬織津姫があるのだと思います。

というのも、熊野権現とよばれるようになったのは、 中古以降だとされます。
それ以前は、 ここでも、きちんと 「瀬織津姫」 の名前が書かれてある史料が、いくつも見つかっているそうです。

にも、かかわらず、表では、瀬織津姫の名前は全く消されてしまっているのです。

そして、熊野に祀られていた瀬織津姫もまた、大山祇神社と同じように、東北へと運ばれていったのです。

養老二年(七一八)、大山祇神社が正遷座される前年、「熊野本宮神」としてエミシの地に上陸しました。
その場所が、宮城県気仙沼市唐桑町です。

養老2年(718年)4月19日、元正天皇の勅命により、紀州熊野から、数百人の人々が付従いながら、船は出航しました。
そして、5か月の航海ののち、9月9日に、エミシの国、宮城県気仙沼市唐桑町に到着しました。

そして、この時、仮宮を建て熊野本宮神を安置した、その場所が
いまの舞根神社(瀬織津姫神社)だったのです。。

今でも、瀬織津姫神社として鎮座されています。 このことだけでも、 熊野神が瀬織津姫だったということがわかると思います。

しかし、この後、姫の御神体は、運ばれ、室根山へまつられるのですが、いつのまにか、瀬織津姫の名前は消えてしまいました。

何のために、エミシの国へ姫の御神体を運んだのかその理由は、まだよくわかりません。
でも、エミシの国へと運ばれた瀬織津姫は、 大山祇神社の瀬織津姫とは別ルートで、ここにも運ばれていうたのです。
その運ばれた年が、大山祇神社の正遷座直前だったことに、重要な意味があるのだと思います。

大山祇神社は十六年の月日をかけ、天皇の勅命により、大造営を行いましたが、完成したのは、
716年。
完成してから、正遷座まで、なぜか 3年もの年月がかかっています。
それは、正遷座までに、なるべく多くの重要な場所の瀬織津姫を消す準備をしていたのだと思われます。

712年に古事記が完成した時には、まだ、それを実行することができず、大山祇神社も造営中でした。
その集大成ともいえる、日本書紀が完成したのが、720年。
正遷座の翌年です。

大山祇神社の正遷座と日本書紀の完成、 ここで、さらに広範囲にわたり、一斉に瀬織津姫の名前が消されていったのだろうと思います。
だから、 瀬織津姫の御神体を運んだ時には、まだ姫の名前は存続し、その後、突然その名前が消えてしまったのではないかと思います。

今日の神社、 今治市玉川町に鎮座する、 熊野神社は、神亀五年(728年) キーワードの年。
この年の9月に勧請されています。
同じ年の8月23日には、 一斉に大山祇神社が愛媛の地に勧請され、
翌月、9月23日には、一斉に、熊野神社が、愛媛の地に勧請されました。

この9月23日にも、もしかしたら、深い意味があるのかもしれません。
そして、 熊野神社を 愛媛に勧請しなければいけなかった理由も、きっとあるのだと思います。

そして、もう一社、 同じように、神亀五年(728年)9月23日に勧請された
貴布弥神社もまた、瀬織津姫の神社。

大山祇神社、 熊野神社、 貴布弥神社 は、 瀬織津姫を消し去るために、特に重要な地だっただということも、 この熊野とエミシの伝説と、大山祇神社の伝説から、知ることができた気がします。

一歩一歩、 瀬織津姫の真実に近づいてきているような、そんな気がしています。
もちろん、まだまだ、先は長い旅ですが、真実を見つける旅を、続けていきたいです。。。。

*熊野新宮神社
*今治市玉川町小鴨部宮ノ下甲108番地
*祭神
 伊邪那美命(いざなみのみこと)
 速玉之男命(はやたまのおのみこと)
*由緒
神亀5年戊辰9月23日、小千国造命が本郡の総鎮守神として紀伊国熊野新宮大権現の御分霊を奉遷した。
 後に河野家の一族で地頭職の弥熊三郎が社殿を再建したとの記録があり、元弘3年11月伊予大守河野通綱が5反3畝を寄進した。

玉川町小鴨部、この辺は、越智家に由来する場所が多く、もしかしたら、ある時代の中心的場所だったかもしれません。
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拝殿
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本殿
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境内社
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御神木
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ゲド戦記。
映画は、あまり評価はよくありませんでしたが、 私は、大好きな映画の一つです。

あの最後の龍の姿が好きで、龍や姫を作るために、この映画を何度も何度も見ていました。

「真の名」 

時代とともに、多くの名前に変えられた 姫の 「真の名」へ、いつかたどり着きますように。。。。  










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by ldc_nikki | 2011-09-25 23:59 | 愛媛県今治市

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