②三つの小島とはあの伝説の昔話と繋がっていたかもしれない。。。

こんばんは。

今日は、前回の続き、 三島の家紋 「三」 という数字の意味に繋がる伝説をお話したいと思います。

三つの小島の伝説

大三島宗方沖に、今も存在する 三つの小島。
何も知らなければ、 だれもが、 気にも留めないかもしれない、小さな岩のような島。
しかし、この島々には、 大三島の伝説、 いえそれだけではなく、 日本の本当の歴史の秘密を今に伝えるかのように、存在する島なのです。

今日は、 三島の 「三」 という意味に込められた一つの伝説をお話します。

昔昔、 光仁天皇御字宝亀十年(779年)、天皇の勅命により、三島摂社として、7つの島に宮を造りました。
そして、それとは別に、諸山積神を、伊豆国加茂郡に鎮座させました。
すると、同じ年、8月17日、 突如として、三島の西南の海辺に、3つの小島が出現しました。
多くの人々が、これを大山祇神の御神徳と思い、それ以降、崇(あが)め敬(うやま)われたといいます。

これは、大山祇神社にのこる、古い文書の中に書かれた内容です。

まず、三島神社摂社7つの島とは、 あの大山祇神社をはじめ、愛媛の数社に今も祀られている、
十六皇子を祀る、十六社、 そして、大山祇神社では、 一の神諸山積神を含め、十七皇子を祀る、十七社のことです。

現在のように、大三島へと祀られるようになる前は、 この文章の通り、 7つの島へ祀られていたといいます。
その7つの島とは、どこだったのかは、まだ全部わかっていませんが、この十六皇子が祀られたのは、
光仁天皇の時でした。

そして、それとは別に祀られたといわれる 諸山積神は、伊豆国加茂郡に鎮座されたと言います。
このことに、とても驚いたのですが、 これは、あの静岡県に鎮座する三島大社のことだと思います。
一説には 三島大社は、三宅島から渡っていたといわれていますが、 途中までは、夫婦神そろって勧請されていたものが、 途中、 男神 大山祇神だけになったという場所がありますが、 もしかしたら、その時、
瀬織津姫から、大山積命へと、名前を変えられてしまったのかもしれません。

大山祇神社の大造営が行われると決まったころ、 大三島に祀られていた瀬織津姫は、三宅島へとその御神体を送りました。 しかし、三宅島から、本土伊豆へと戻ってきてから、瀬織津姫は、大山積命へと名前を変えられてしまったのではないでしょうか。

そして、 突然現れた 三つの小島。 この小島には、今も呼ばれている名前があります。
その名前こそ、

「蓬莱(ほうらい)」・「方丈(ほうじょう)」・「瀛州(えいしゅう)」を指し、
この名前は、道教で言う不老不死の仙人の住む島のことです。

あの始皇帝が、不老不死の島を探すよう命じた場所は、 この島の名前でした。
それと同じ島が、 ここ大三島の 宗方に出現したのでしょう。

この三つの島は、ある伝説のお話、日本中だれでも知っているあのお話の中に出てきます。

その物語の名前は、
「浦島太郎」 です。

現在の伝説では、 浦島太郎は、 竜宮城へと行ったといわれていますが、 原作は、 この不老不死の島
「蓬莱山」へと行ったのです。

浦島太郎は、実は、日本の中で一番古いお話ともいえる、 「浦島説話」 とよばれるお話が元になってできた物語。 この伝説が書かれたのは、大山祇神社の大造営が始まるちょうどその時でした。 
原作者は、「伊余部連馬養」という人物です。

この人物は、一説には、伊予の豪族とも言われ現在の大学教授や博士のような存在で、古い歴史にとても詳しかった人物だと言われています。 そして、この人物こそ、 日本書紀あるいは古事記を作った一人とも言われます。
国家正史作業を行った人物が、 この浦島太郎の原作を書いた人物だったのです。

残念ながら、原作の元となるものは、もうありませんが、 
「日本書記」 や、「丹後国風土記」「逸文」などにそのことが書かれてあります。

原作は、浦島太郎の名前が、若干違いますが、「水江浦嶼子」「水江浦嶋子」「水江浦島子」と書かれています。 そして、乙姫さまと言われる竜宮城の姫は、 「神女」 と。
そして、二人が向かった先は、不老不死の島、 「蓬莱山」だったのです。

これだけではもちろん、まだまだ裏付けにはなりませんが、 浦島太郎のお話は、 瀬織津姫がこの世から消され、忘れ去られてしまったという意味を込め作られたお話ではなかったのかと私は思います。

そして、そのことを後世に伝えるかのように、この時に伊豆に鎮座させたと伝わる、静岡県三島大社の中にある、 瀬織津姫が祀られる神社の名前は、今でも、 「浦島さん」 と呼ばれているのです。

『丹後国風土記』「逸文」では「蓬山(とこよ)」、『万葉集』では「常世(とこよ)」と書かれてある蓬莱山。
常世とは、不老不死の場所という他、もう一つ意味があり、 それは、死者の行く永遠の世界。黄泉(よみ)の国。

瀬織津姫は、 あの世へと行く三途の川の女神と言われていたこともあります。
それを言ったのが、あの空海です。 空海は、 これらすべての意味をわかってそういったのかもしれません。 そして、そのことを物語るかのように、大島の 宗方沖に浮かぶ、 「津島」に祀られた 瀬織津姫は、門島神とよばれていました。
これもまた、 黄泉の国への入口ともとれる名前ですが、 本当の意味は、 不老不死の島、 それは、神の住む島への入口だったのです。

そして、もう気づいた方もいらっしゃると思いますが、 大三島の三つの小島が現れたのは、
大三島 「宗方」  そして、 隣の大島の瀬織津姫を祀っていたという唯一名前が残る島は、 
大島  「宗方」 に沖にあります。

瀬織津姫の別名、 瀬織津姫の代わりに現れた 三柱の女神の名は、

「宗像三女神」
宮島でも祀られる、 多紀理毘売命、市寸島比売命、多岐都比売命。 
この女神たちの名前もまた、同じ 「宗方」 とつけられたことは、 偶然とは思えません。

実は、宮島と大三島とは、同じ女神だと書かれた文面も見つけました。
これはまた、 いつかお話ししたいと思います。

今日は、 長文となってしまい、時間も少し遅くなってしまいましたので、神社の紹介は別の記事に書かせていただきたいと思います。

ひとかけらのパズルが、少しづつ一つの絵を浮き上がらせているかのように、少しづつ少しづつ合わさってきたような気がしています。

今日のお話は、あくまで私の見解で、ほかの方の目線でみれば、全く違うものになるかもしれません。
でも、瀬織津姫のことを知れば、もしかしたら、これは本当にそうかもしれないと思っていただけるかもしれないと思います。

三つの島の伝説。
秦の始皇帝が徐福に命じ、童男童女数千人を引き連れて三神山に向かわせた伝説の場所、
「蓬莱(ほうらい)」・「方丈(ほうじょう)」・「瀛州(えいしゅう)」

このことが、瀬織津姫を祀り、後に日本の総氏神となった
大三島と深いかかわりがあると思えてなりません。。。。





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by ldc_nikki | 2011-10-03 23:27 | 愛媛県内子町

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