三位一体  「宗像大神 日招八幡大神社」

こんばんは。
今日は、まず、三島の神紋のお話から。。

「亀甲 三文字」 三島の神紋の 「三」 には、瀬織津姫やニギハヤヒの名前が変えられてしまった秘密が現されていると思っています。

その 「三」 について、 今まで2回、お話しましたが、 今日は、すべてに繋がってくると言ってもいい、
一つの思想のお話です。

③三位一体

三位一体、よく聞く言葉ですが、 この言葉の起源がどこからきたかご存知でしょうか。
これは、キリスト教が、起源となっています。

私は、幼稚園がキリスト教の幼稚園でしたので、 意味も分からず、いつもお祈りの前に、言っていたことばがありますが、その言葉が、三位一体を現す言葉でした。

「父と子と精霊の御名において アーメン」 

この「父」と「子」と「聖霊」が「一体(唯一の神)」であるという意味です。

大山祇神社に 「大山積神」を祀った後、 本来 越智家の祖神であった、ニギハヤヒや瀬織津姫の代わりに、 古事記や日本書紀の中で、 多くの神々の名前が誕生しました。
その中でも、特に重要な意味をもつ神々は、そのほとんどが、 まるでこの三位一体の考えをもとに作られたように、 現れています。

例えば、 宗像三女神は、
天照御大神が須佐之男命の十拳剣を譲り受けて生んだ女神とされています。

また、大山積神は、
日本書紀では、「大山祇神・雷神・高龗神の三柱」が誕生したとされます。
古事記では、 また全く違う誕生の仕方ですが、 あとから完成した日本書紀では、この内容を訂正し、
上記の三柱が誕生され、 大山祇神社の祭神もまた、最初は 一柱だけだったものが、変更され、
現在のように、 上津社、下津社ができ、 雷神・高龗神が祀られています。
この両方は、姫神とも言われ、 一説には、 コノハナサクヤ姫と イワナガ姫とも言われます。

でも、どちらにせよ、 この三柱を合わせて、 三島明神というとされ、 また大山積神を祀る時には、必ず三柱の神を一緒に祀るようにと、天皇からの勅命もあったそうです。

ただ、キリスト教では、「父」と「子」と「聖霊」 として考えられていましたが、本当のその意味は
日本の形だったのかもしれません。 どんな形であれ 3=1 
それらは、親子であり、夫婦であり、 兄弟であり・・・・・

今、三島の古文書の中に書いてある一文を、訳している最中なのですが、
その中にも、 これに付随する内容が書かれてあるようです。

内容がとても重要なことを書いてあるので、 私の訳しかたが間違っていてはいけないので、 専門の人に確かめている所です。 それが、わかれば、 この三位一体の意味が、神々の名前からはっきりしてくるように思います。

また、この三位一体は、 太陽 月 星(宇宙) とも共通するのではないかと思っています。

太陽=ニギハヤヒ 月=瀬織津姫 星(宇宙)=天之御中主神

宇宙の中に存在する太陽と月、 それらは宇宙の子供であり、太陽と月は地球にとってのパートナーでもある。しかし源は宇宙である。 

そして、大山積神の娘である、 木花開耶姫ならびに磐長姫もまた、 瀬織津姫とニギハヤヒのことなのです。 
両方の魂を持つ 大山積神 = 木花開耶姫 = 磐長姫 
ずっと、 磐長姫とは誰なのか、 姫とどんな関係なのかと思ってきましたが、心の奥で瀬織津姫と重ねていました。

その思いの通り、 磐長姫さまもまた、 瀬織津姫と同じだと。

「八百万の神」 と言われる、自然の中に存在する神々、 それらは、すべて 、瀬織津姫であり、 ニギハヤヒであり、天之御中主神 である。
もちろんその中には、国津神として、実際に存在した人間の姿の神もいたと思います。
神の魂を持つと言われる 人間が。。。。。。。。

古事記や日本書紀は、 多くの神々の名前を使い、 実際に起きた出来事とと、重ねながら作った物語だと思います。  だから、その中には、 まだまだわかっていない謎が多く隠されているのだとも。

そして、 日本の総氏神である 大山積神を三島明神として祀り続けた 越智家、三島家がこの伊予の国に存在し、 大三島に祀られていることにも、 大きな意味があるのだと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それでは、今日の神社です。
今日は、松山市に鎮座する、 日招八幡大神社(ひまねきはちまんだいじんじゃ)です。

ここは、国道56号線を宇和島方面へと走っていると、ぼっちゃんスタジアムの少し手前にあります。
訪れてびっくりしたのですが、 現在は、拝殿も本殿もなく、小さな仮殿が置かれてあるだけでした。

とても、由緒ある神社で、 歴史も古く、 少し寂しい気がしましたが、 それでも、私が参拝している時に、
親子で参拝に訪れた方いて、 とてもうれしく思いました。

拝殿も本殿もなくても、 その鎮守の杜には、 姫の存在はちゃんとあります。
今も、きっと、見守ってくれているのだと、 そう感じました。

*日招八幡大神社
*松山市保免西1丁目4番3号
*祭神:
 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
 品陀和氣命(ほむだわけのみこと)
*由緒
 崇峻天皇2年(589年)筑紫より宗像大神を当地に勧請し、門嶋宮と称した。大同年間(806~809年)痘瘡を患った大納言雄友卿が当社に祈願すると平癒したことから伊予痘瘡宮と呼ばれ崇敬を集めた。
 元慶2年(878年)石清水八幡宮より八幡宮を勧請し石清水八幡宮と称するようになった。元暦元年(1184年)佐々木高綱入国の際に砥部城主、荏原城主と合戦となり勝敗の決まらないまま日没となる時当社に祈願し軍扇で入日を招くと日が差昇り勝利を得ることができたことから日招八幡宮と改めた。

ここもまた、 門島宮と呼ばれていました。
ここの門島とは、どこに行くための門だったのでしょうか。 今も河口に近い場所に鎮座するということは、この近くまで、海があったと思われます。

船がつくこの場所に門島宮をたて、これより陸側に、 姫を祀る重要な神社があったのかもしれません。

e0165472_23155683.jpg


昔は ここに綺麗な川が流れていたんでしょうね。
e0165472_23165131.jpg


e0165472_23181338.jpg


立派な狛犬
e0165472_23183852.jpg


昔はここに立派な、お宮がたっていたのでしょうね。
e0165472_2320112.jpg


現在の仮殿
e0165472_23205295.jpg


「おとよ石」
昔、松山城が作られたころ、松前の港には大名から送られた石が山のようにありました。
それを、たくさんの 「おたたさん」 と呼ばれる人たちが、石を頭の上にのせて運んでいました。
その中の一人、 「おとよ」 という女の人は、 体が疲れていたにも関わらず、いつものように、務めにでかけました。

石の中に、一の丸に二の文字が入った石があり、 それはとても重く誰も運ぼうとしませんでした。
すると、「おとよ」 は、 私が運びましょうと いいました。
そして、 「そのくらいのことができなければ、お城のお殿様に申し訳ない」 と言い、運び始めました。

「出合」 という所を過ぎたところで、 遅れはじめ足がよろめき始めましたが、なんとか、この日招神社まではたどり着きました。 
しかし、ここにたどり着いた 「おとよ」 はとうとうこの石の前で倒れてしまい、帰らぬ人となってしまいました。

そんなけなげな 乙女のことをあわれんで、 この石を 「おとよ石」 とよび、この神社に残すことにしたそうです。
e0165472_2330592.jpg


e0165472_23311471.jpg


今日も、ありがとうございました。
急に寒くなりました。 どうぞ、風邪などひかれませんよう、お気をつけくださいませ。




神々の伝説を伝えるために、そして、
その中から自らの生き方を見つけるために、
ブログランキングに参加しています。

幸せの輪を一緒に広げませんか。幸せの入り口(バナー)をポチっとお願いします。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
トラックバックURL : https://makild.exblog.jp/tb/15749794
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
Commented by ziiz at 2011-10-06 14:24 x
こんにちは

三位一体のお話、とても興味深く拝読させて頂きました。
ちょっと気がついた事がありましたので、投稿させて頂きます。

円空さんは入定される直前、山間の洞穴で最後の造仏になる仏像、いわゆる「洞戸三尊像」を彫りあげました。
十一面観音像が中央で、脇侍が善女龍王像、善財童子像です。
この三体の像はかなり大きなものですが(2m以上)、一本の木を縦に三つに割って制作されています。
ですから、それぞれお顔を合わすように重ねると一本の木となります。
なんだか円空さんの深い思いが感じられます。

あと、円空さんは、薬師三尊像と呼ばれる、薬師如来像と脇侍として日光菩薩、月光菩薩の造仏も多く残しています。
大日如来(薬師如来)の身体は宇宙そのものであるので、その脇侍が日光菩薩と月光菩薩というのは
「真言宗(東密)では、薬師如来は大日如来と同体(化身)と説かれています」
愛姫さまが言われるように「太陽 月 星(宇宙)」は、まさしく三位一体ですね。
Commented by ldc_nikki at 2011-10-07 09:25
ziiz さん こんにちは。お返事が遅くなってしまってすみません。 
円空さんのお話、びっくりしました。円空さんは、わかっていたのですね。 これを読んですぐ「洞戸三尊像」の写真を見てみました。 そこでまたびっくり! 私の善女龍王と十一面観音像が、似ていて。。。
三尊像は瀬織津姫のことだったのですね。一本の木を三つに割って製作されたのは、後世の人々に、歴史に隠されたことを伝えるためでもあったのかもしれませんね。
また薬師三尊像は、もしかいたらニギハヤヒのことだったのでしょうか。
三位一体を源に、いろいろなことを読み解いていくと今まで解明できなかったことが、解明できるかもしれないと思います。
いつも、貴重な情報を、ありがとうございます。
by ldc_nikki | 2011-10-05 23:33 | 愛媛県松山市 | Trackback | Comments(2)

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。


by 愛姫
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31