見ざる聞かざる言わざる 「庚申堂」 (2005年5月の山火事)

こんばんは。

今日は、先日ご紹介した三島神社の続きです。
内子町大瀬に鎮座する、三島神社には、「姫大神」と言われる、口伝による秘密の姫が祀られていました。

この姫こそ、三島神社の真の姿、「瀬織津姫」です。
ここ、三島神社では、 代々口伝で、この姫のことを伝え続けてきました。 決して、口外しないようにしながら。。。。

もし、ここに、本当は瀬織津姫が祀られているとわかったら、
神社だけでなく、命までも奪われかねない。。。。 そんな時代がつい100年ほど前まで続いていたのです。
人々は、 誰にも知られないように、 その真の姿を明かさぬまま、今も瀬織津姫を祀りつづけています。

しかし、世の中は、変わってしまい、どこにも書き記されていない、「姫大神」 のほんとうの名前を今、知っている人はいるのでしょうか。。。。。

今日ご紹介する神様は、 この三島神社の向かいの山、「星中山」 という小さな山の上に祀られる神様です。
この神様は、もともとは、三島神社のすぐ近くに祀られていたそうです。
そして 1835年に現在の場所に、移されたといいます。

ここに、祀られる神様の名前は、

「見ざる、聞かざる、言わざる」 の神様と言われます。

 名前は 「庚申堂」 
庚申の日は帝釈天の縁日と言われることからでしょうか、ここには帝釈天さまが、祀られています。

庚申信仰(こうしんしんこう)とは、中国道教の説く「三尸説(さんしせつ)」がもとになっていると言われます。
三尸(さんし)とは、上尸・中尸・下尸の三種類で、上尸の虫は道士の姿、中尸の虫は獣の姿、下尸の虫は牛の頭に人の足の姿をしています。

60日に一度やってくる、庚申の日。
この日は、天帝にその人間の罪悪を告げられ、告げられた人間はその命を縮めると思われていました。
だから、この庚申の日は、眠らずに過ごすようになったと言います。

この庚申信仰が、平安時代に、貴族社会においては、碁・詩歌・管弦の遊びを催す宴をはり、この夜を過ごすようになったと言われます。

15世紀の後半になると、この信仰は仏教と結びつき、また、「日吉(ひえ)山王信仰」と習合されるようになりました。
このころから、「猿」を共通にした信仰へと変化していったのではないかと言われます。
山王信仰とは、比叡山麓の日吉大社(滋賀県大津市)より生じた神道の信仰です。

この日吉大社には、大山咋神と大物主神(ニギハヤヒ)を祭神とします。

日吉大社では、「サルは、山王の使者」とされます。
日吉大社の原点は、およそ2100年前、崇神天皇7年。 この時、本当は誰もお祀りしていたのはかは、さだかでありませんが、現在の東本宮は崇神天皇7年に牛尾神社の里宮として創祀されたものと伝えられている。

現在、この東本宮の祭神は、「大山咋神(大山積神)」

そして、この日吉大社で、神の使いとされている「猿」が、「見ざる、聞かざる、言わざる」の猿とされているのです。

この三猿は、ヨーロッパやアジアの各地で、信仰されているものですが、
ここ日吉大社での、「見ざる、聞かざる、言わざる」 の意味は、まるで、
この神社の祭神の秘密を、 「見てはいけない。 聞いてはいけない。 言ってはいけない」 としているように思えませんか?

「見ざる、聞かざる、言わざる」 の意味は、:他人の欠点や過ちは、見ない、聞かない、言わない、とするのが良い方法である、といわれますが、

もう一方では、 古来より、 このことわざが生きる知恵とも言われてきました。

ただ、他人の欠点や過ちについて言っていることわざとは、思えないのです。
人は、知らず知らずのうちに、 自分が損をするものには対しては、
「見ないふりをし、 聞こえていても聞こえていないふりをし、 もし知ってしまっても言わない」
それが、身を守る方法の一つになっているような気がするのです。(特に日本人は)

1300年前に始まった、瀬織津姫の名前を消す作業は、 まさに、このことわざどおりだったのかもしれません。

そして、先日、ご紹介した 「三島神社」 に祀る 「姫大神」 の真の名前についても、
「見ざる、聞かざる、 言わざる」 と伝えられてきたかのように、 神社の目の前に この 「庚申堂」はたっています。

日吉神社の神の使いの猿は、 「大山咋神(大山積神)」 の使い。
この神こそ、 瀬織津姫の名前が消された代わりに、全国に祀られた神様だから、その神の使いが、
「見ざる、聞かざる、言わざる」 の猿だったではないでしょうか。。。。。。

今回の原発の問題も同じ、 知られたくないことは、
「見ざる、聞かざる、言わざる」  日本は、もしかしたら、1300年の前からはじまった歴史がそういう性格にさせてしまったのではないかと思ってしまいます。

どんなに、都合の悪いことでも、どんなに酷いことでも、 それは隠すのではなく、本当のことを話す、本当の姿を見せる。 そうしなければ、 何も前には進まないことに、そろそろ気づかなくてはいけないのではないでしょうか。
隠せば、隠すほど、取り返しのつかないことになる。

*庚申堂
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生い茂る木々の中に、鳥居を見つけました。
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と、その時、ここにも黒いアゲハ蝶が現れました。
(ここも、導いてくださったんだ!)
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姫に感謝しながら、鳥居をくぐります。
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庚申堂です。
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ここで終わりかと思ったら、まだ奥に何かがある。。。。
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草の中を歩いて。。。。。
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星中山の頂上に祀られていた神様。
何も書かれていなく、 今もわからないままです。 でも、 ここまでこさせて頂いて、ありがとうございます。

今はこの伊予の国しか、神社を巡ることはできませんが、 伊予の国を巡るだけでも、全国の多くの神社や神様と繋がっています。
今は、こうして、伊予の隅々まで行くことが、私には与えられたお役目なのかもしれないなと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2005年年5 月28 日16 時14 分
大三島大山祇神社の御神体 安神山、入日の滝の近くから出火。
その後、延々と燃え続け、鎮火されたのは、
6 月2 日でした。

5日間燃え続けた山は、全部で 「133ヘクタール」 でした。

偶然にも、大山祇神社の東経 「133度」 と同じでした。

私は、この東経 「133度線」 は、古代の 重要な何かのラインだと思っています。
南は、古代の巨石信仰の祭祀場だった 「足摺岬」 
しかし、北は、 島根原子力発電所です。

ただの偶然だとは思いますが、 今回の3月11日の地震が起こった時、
133ではないけれど、 「1」「3」 の数に、思わずドキっとしました。

「龍」 の 中心部 「日本の龍体の中心部」 133 が 動いたのかと。。。。
そして、今日、ふと思い出したのが、 大山祇神社の中でも、特に重要な、「龍が住んでいた」と伝わる
「安神山」 の 山火事。
気になって調べてみると、 燃えた面積もまた、「133」でした。
そして、その火の元 が、 安神山の中でも、特に重要な 「滝」 「神水」 「入り日の滝」

実は、先日ここに行ってきたのですが、 前回お話した 「月の聖なる泉」 とその姿が重なるかのうような
滝壺だったのです。

その場所から燃えはじめ、 この御神体は、そのほとんどが燃えてしまい、山は、その真の姿を現しました。

それが、2005年5月です。

「5」 は、 浄化の意味をもち、真実を理解することが 「5」 の機能とも言われます。
「5」は、ほおっておくと、その目をシャッターのように閉じてしまいます。
でも、浄化すればするほど、 その真の姿が見えてくるということなのです。

私は、子供の頃から 「5」 という数字にとても縁があります。
誕生日が 「5」 だからと思っていたのですが、あまりに 何から何まで 「5」 という数字が付きまとうとで、ずっと不思議でなりませんでした。

ある時、出雲の知人から、 光と数字の意味を教えて頂き、この「5」 の意味にたどりつきました。

それが、瀬織津姫の 浄化の 「5」 と重なったのも、 偶然ではないような気がした一つです。

全てはただの偶然かもしれません。(勝手な妄想だと思いますが。。。。)
でも、 大山祇神社の御神体 瀬織津姫の名前を消すために 追い出した「龍」の山が全て燃えてしまったことも、もしかしたら、 瀬織津姫の復活と関係があるのかもしれないとふと思いました。

2005年5月28日、「133」 「1」 「3」 三位一体
「5」 浄化、再生  「28日」 「2+8=10 1+0=1」 「1」 は始まり。

その姿がもう一度現れた始めた日だったのかも。

「再生」 「復活」 のために。。。。。。。




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Commented by ziiz at 2011-10-14 18:43 x
こんにちは

いつも円空ネタで恐縮です。
円空さんも庚申像を造仏しています。
面白いことに、この庚申像は自刻像との伝承もあります。
自刻像が「見ざる・聞かざる・言わざる」とは、、、何か意味深ですね。
円空さんは間違い無く、瀬織津姫さまのことを知っていたはずなのに、その直接のお名前の像は一体も残していません。
円空の生きた江戸時代も、隠れキリシタンの弾圧、処刑がありました。
各地の神社では土地神を捨て皇祖神を祀ることを強要され、
それに逆らう者は神社を潰され神主は打ち首、そして実際にあった多くの残虐な記録をも消されました。
それでも日本の各地で神様の名前を変えてででも、命がけで守ってきた多くの人々が存在しました。
隠れキリシタンでも明治に入り迫害から逃れられたというのに、
どうして隠され消されてしまった全国の土地神は今だに元に戻されないのでしょう。
これでは、さすがの神様もお怒りになります。
Commented by ldc_nikki at 2011-10-15 01:35
ziizさん、いつもありがとうございます。
貴重な円空のお話ありがとうございます。 自らの姿として、庚申像を造っていたのですね。

今日のブログは、最初、書き始めた時は、ただ床の間の話をするだけのつもりでした。 それが、 書いているうちに、だんだん、自分の想いが次々を湧き上がり、 最後には、円空さんと繋がる気がしてきました。
これは、私の勝手な想像の世界ですが、そういう意味を込めていたのかもしれないとふと思いました。
全国の土着神 (瀬織津姫) のことを、現在どれくらいの人が知っているでしょう。 神社の宮司さんでさえ、変えられた事実を知らない人が多い世の中です。
まずは、 一人でも多くの人が、この真実に気づかなくては元にもどれないのかもしれません。 円空さんが、命がけで、残してくださったものを、今度は私たちが、その意味を伝えていかなくてはいけないのかもしれませんね。。。。
Commented by ziiz at 2011-10-15 15:00 x
円空さんの自刻像と伝えられる庚申さんです。
http://twitpic.com/4m7nbo
何故か女性像です、少し老け顔、、そして満面の笑顔です。
大変な時代を生きたはずなのですが、とっても嬉しそうですね。
Commented by ldc_nikki at 2011-10-16 22:55
ziizさん、ありがとうございます。
なんとも言えない表情ですね。 今まで見せていただいたものと全く違うので、びっくりしました。
大変な時代だからこその表情なのかもしれませんね。
ありがとうございます。 
Commented by ぽん at 2012-09-25 11:57 x
連日のコメント 失礼します(笑)。
2005年5月28日が気になって 昔の手帳を開いてみたところ、「オーラソーマの64番ボトルが割れた」とのメモが。
私がオーラソーマとご縁があったのは2年ほどですが その間にボトルが割れたのは 後にも先にこれだけで、しかも当時は東側の窓に置いて眺めていただけですから 物理的な衝撃で割れる可能性は極めて低い時期のことです。ふと気がついたら ボトルの色が消えていて…。ボトルの形はそのままでしたから 割れて中味が漏れたことに気づくまで しばらく時間がかかりました。
ボトルを購入した先に伝えると そういう報告はあるとのことで、今回ウェブで調べたところ ボトルが割れるのはそのエネルギーを必要としているから という見解が載っており、当時の私も同じように捉えていたように思います。
でも この記事を読んで もしかしたら そのボトルのエネルギーが発動した という側面もあったのかもしれないと感じています。
Commented by ぽん at 2012-09-25 12:03 x
つづきです。
上層がエメラルドグリーン 下層がクリアーの 64番ボトルは、ジュワルクールという名。詳細はウェブで検索するといろいろでてきますが 「真実を求める」「新たな始まり」と関係があるようです。
64→10/1

ついでに2005/05/28→22/4
133→7
4+7=11/2

証明はできませんが(笑) この日の火事についての愛姫さんの感覚と 我が家での出来事がなんとなくつながっているような気がしましたので、記録として記しておきます。^^
Commented by すいほか at 2012-09-26 14:09 x
あの火事のとき、私は安神山のふもとのわが家におりました。
母が足腰が弱いので、火が家まで、あと(目測ですが)100Mくらいにせまって、いつ逃げようかと夜中もはらはらして見守っていたのを覚えています。

あれは、放火で、滝山寺の下のほうにある焼け地蔵さんのマッチで火をつけたそうです。犯人は隣の島の男性でした。

焼けたあと一年後くらいに、友達10人くらいで山に上りましたが、
安神山の上に、小さいころ見た記憶がある祠がないのです。それでやっと最近、少し年上の人に聞いたら、「燃え」て「今は草やなんかいっぱい生えて、どこがどこかわからん」と言われました。

それって確か、町史には、「五龍神社」と書いてあったように覚えていますが、、、。
Commented by ldc_nikki at 2012-09-29 09:23
ぽんさん、私もこの日の火事により、山の地肌が表に出、五大竜王の社が焼けた。木々は焼けてしまいましたが、これが発端となり、いろいろなものが表に出始めたのではないかと思っています。
山が今のような姿だったということを誰が想像したでしょうか。まるで岩山のような、大山祇神社の御神体山。
そしてこの山の土に意味があったことに、誰が気づいたでしょうか。。。
Commented by ldc_nikki at 2012-09-29 09:31
すいほかさん、ご自宅がこの山の麓にあるのですね。
さぞ、怖かったことだと思います。

この山に火をつけた人は、どうして滝山寺で火をつけたのか、私も一時そのことがずっと気になっていました。犯人の住んでいた隣の島は、姫の封印が行われたこと壮絶な出来事が起こったと私は思っています。完全に、それまでの島の歴史は封印されなくなっていることがそれを証明します。
なぜ、火をつけたのかその動機が書かれてある記事を探しましたが見つかりませんでした。
安神山の上に祀られていた祠は、すいほかさんのご記憶の通り、五龍神社、五大竜王です。
でも、この五大竜王は姫を追い出すために祀られたものなんです。安神山に住む大蛇を追い出すために、ここに祀られたと書かれています。姫を追い出すために祀られたこの社がなくなったことにより、姫の姿が戻り始めた。。。。と考えてしまいます。
安神山のお話もブログの中に書いてありますので、またよかったらお読みください^^ ありがとうございました。
by ldc_nikki | 2011-10-13 23:06 | 愛媛県内子町 | Trackback | Comments(9)

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。


by 愛姫
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