ダムに沈んだ平家が祀る神社の秘密 「八幡神社」
2011年 11月 17日
今日も昨日に引き続き、四国中央市のお話です。
金砂湖から、別子山の方へと銅山川沿いを走ると、もう一つの湖が見えてきます。
「法皇湖」 ここにも、もう一つの ダムがあります。
銅山川沿いには、全部で、4つのダムがあります。
この短い距離の間に、4つものダムがあるのも、なんだか異様な感じがします。
以前から、思っていることなのですが、
ダムがつくられる場所は、何かを隠したい場所が多いようなきがするのです。
最初に、そう思ったのは、
奈良県吉野郡川上村の、丹生川上神社上社が元あった場所につくられた、
「大滝ダム」
ここは、縄文時代の祭祀場がある、とても大切な神さまのいるところです。
ここからは、数多くの縄文遺物が出土しています。
また、最古の祭祀遺構(縄文時代中期~後期初め、約1万年前~2800年前)「宮の平遺跡」が発掘された
場所でもあります。
この聖地が、ダムに沈んだということを知った時も、
どうしてここにダムなんかつくるんだろう? そう 強く思いました。
そして、この山も。。。。。
ダムをつくるにあたって、もししたら見つかってはいけないものが、見つかったのではないか?
そんな不信感さえ、あります。
銅山川流域につくられた、別子ダム 富郷ダム 柳瀬ダム 新宮ダム。
このダムのあったところもまた、 姫の聖地だったのかもしれません。
今日ご紹介する神社は、 「富郷ダム」 に沈んだ神社を、一か所に集めた神社です。
この富郷ダムがあった場所には、
富郷津根山の松野,宮城、寺野.葛川、城師 という 5つの地区がありました。
ここは、 源平の合戦で敗れた平家の落人が逃げ落ちて住んでいた場所でも知られ、このダムの中に沈んだ村も、そんな平家の伝説が残る村でした。
また、ここで平家は 「明剣神社熊野の神」 を、祀っていたといいます。
平家の落人たちが、住んでいたと伝わる場所は、「姫」にかかわる場所が多いことに最近気づいてきました。
平家の神と言えば、 「宮島 厳島神社」 が有名ですが、
以前も、少しお話したように、 厳島神社に祀られる、三柱の女神は、 「瀬織津姫」 のこと。
また、これはまたの機会にさらに詳しくお話しますが、
ここ宮島に祀られる神さまの起源は、 「大三島 大山積神社」 にあるのです。
「大山積神社」 と 「厳島神社」 の神様は、同じだということが書かれてあるものを見つけました。
だから、もしかしたら、平清盛は、ここが、古代から日本の最高の神として祀られていた女神の、大三島に次いでの聖地だということを知っていた可能性が高いと思うのです。
平清盛が、宮島に厳島神社を建立する前の神社は、廃社に近い状態になっていたといいます。
その場所に、現在のような、立派な神社を建立したことは、そこに、それだけの神様が祀られていたということ、また、 宮島が、古代からの聖地だったということを知っていたとしか考えられません。
だから、平家の落人たちは、 姫に繋がる神を、氏神として祀っていたのではないかと思います。
そして、この銅山川流域に隠れ住んだ、落人の子孫が、ここに銅山を見つけ、開拓をしていったと言われます。
しかし、その村も、今はこうして、ダムの中に神さまと一緒に沈んでしまったのです。
このダムのほとりに、建てられた、「八幡神社」 の中には、 本来それぞれの部落で祀られていた神社が
一つに集められ、祀られています。
今日は、そんな 「八幡神社」 とその中に祀られる、 小さな部落の神様を、写真で紹介させて頂きます。
【八幡神社】
【八幡神社に合祀された神社の名前】
・八幡神社<城師の地より> ・八幡神社<折宇戸女の地より> ・明剣神社<葛川の地より>
・新田神社<寺野の地より> ・熊野神社<宮城の地より>
【本殿】
【各部落に鎮座されていた神社】
【荒神社 葛川】
【大山祇神社 城師】
【若宮神社 折宇戸女】
【若宮女神 寺野】
【若宮神社 城師】
【若宮神社 葛川】
【金毘羅宮 城師戸女】
【若宮神社 宮城】
【若宮神社 寺野】
ここには、こんなに多くの神社があったのですね。
もうお気づきかとおもいますが、ご覧のとおり、そのほとんどが 「若宮神社」 を祀っています。
若宮神社は、平家の氏神の一つでもあります。
平重盛が丹波の国守をしていた時、山城の国 「石清水八幡宮」
の権殿に祀られていた、御祭神が 「仁徳天皇の御分霊」 であったとされ、この御分霊が、若宮神社の御祭神と表むきには言われているようですが、 実は、この若宮神社は、平清盛が、信仰していた、真の姫の姿なのではないかと思うのです。
兵庫県尼崎町に、 「大物主神社」 があるのですが、
この神社のまたの名前を、 「若宮・若宮弁財天 またの名を若宮八幡」とも称したと伝えられています。
そして、若宮の主祭神は安芸厳島神社と同じ市杵島姫命であるとし、さらに若宮の起源は平清盛が大物に勧請〔かんじょう〕した厳島神社であると書かれてあったいいます。
更に、興味深いことがあります。
これは、もう少し、詳しく調べていきたいことですが、
厳島神社には、 「今社」 とよばれる神社があったとされます。
そして、この 「今社」 が 江戸時代には 「若宮」とよばれるようになったものなのかもしれません。
また、 この 「今社」の祭神 は 後に 「山王社」 に移ったとも言われるのですが、
このことは、長い間、秘密にされていたことだといいます。
また、 この 「今社(今宮)」 では、 大山祇神社の中で何度も出てきている、 9月23日に、
重要な神事が行われていました。
厳島神社の本殿には、 三柱の女神を祀りながらも、 もしかしたら、清盛は、外にはわからないように、
この「今社」 において、 瀬織津姫を祀っていた可能性があります。
厳島神社の 「今社」「今宮」 は、 この 「若宮神社」 と同じ意味をもつ神社なのかもしれません。
そして、そこに祀られる神様こそ 変えられていない 「瀬織津姫」 だったのかも。
ですから、ここ、平家の里に鎮座される神社のそのほとんどが 「若宮神社」 だったこともこれに繋がるのだと思います。
平家が滅んでしまった後も、落人たちは、清盛が一番大切に思っていた 「若宮神社」を祀り、ずっと守り続けていたのかもしれません。
この富郷ダムにある 「法皇湖」 の下には、平家の人々の故郷でのたくさんの思い出と、1000年の歴史、そして、姫の数多くの神社が、眠っています。
そして、姫は、
湖の中に宿る 「龍」 として、 いつかその姿に光をあてられる日を、待っているのかもしれません。
みなさんの故郷が、また、今住んでいる場所が、もし水の中に沈んでしまったら、どんな気持ちになるでしょう。 子供のころの遊んだ思い出も、 学校も、 住み慣れた家も、全てが水の中に沈んでしまったら。。。。
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