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(鬼門と裏鬼門)  「56番札所 泰山寺」

改めまして、こんばんは。

今日2回目の記事になります。
もしよかったら、まだの方は本日1回目の記事もご覧ください^^

明日は、これと言って予定がないので、今日はもう一つ書いてみたいと思います。

それにしても、寒いですね。
今ブログを書いている部屋には、暖房がなく、ストーブもないので寒がりの私には、ちょっときついですが、
ひざ掛けと、ストールと、温かいカフェオレで、なんとか頑張っています。

皆さんも、急に寒くなりましたので、風邪などひかないようにお気をつけください。

今日2つめのお話は、 「鬼門」 についてと、 久しぶりに 四国八十八か所のご紹介です。

「鬼門」 

家をたてたり、トイレの位置を決めたり、風水でよく使われる 鬼門ですが、
文字の通り、 「鬼が出入りする方角」 として、 さけられる方角ですね。

これもまた、陰陽道の考えかたと言われますが、 古代中国の書物『山海経』にある物語が元となっていると言われます。

しかし、不思議なことに、現在は、日本独特の考えだと言われています。
また、日本の中でも、沖縄には 「鬼門」 という 考えはないそうです。

鬼門とは 「北東(艮=うしとら:丑と寅の間)の方位」 のことをさし、またこの反対側として
裏鬼門  「南西(坤、ひつじさる)の方角」 があります。

陰陽道においては、北と西は陰、東と南は陽とされ、北東と南西は陰陽の境になるので、不安定になると説明されていますが、「鬼」 ということばに反応してしまうため、それが、どうしてそうなったのかが知りたくなりました。

そして、調べていると、 この考えは日本だけのものということがわかり、また沖縄ではないということがわかり余計に、この秘密が知りたくなりました。

ちょうど、そんなことを考えている時に、一つの文章に出会いました。

 「八の数は神道の尚(とうと)ぶ所なり。 但し、殊に八を尚ぶのは、艮(ごん)(東北)・八世の卦であるからだ。これ即ち鬼門にて諸神鬼の出入りする所なり。 故に八の数をもって殊に神道の尚ぶ所となす。」

これは、鎌倉時代の神道史家である 卜部懐県賢(うらべかねたか)が書いた文です。

ここにも、でてくる 「卦」の文字。 「八世の卦」 とは、 「八卦」 のことではないかと思ったのです。
そして、「八」 が神道尚ぶ所のは、【艮(ごん)(東北)】が八卦の中の一つであり、 この場所が即ち、鬼門となるということです。
それ故に、 神道は 八を尚ぶと。

【艮(ごん)(東北)】とは、八卦の 7番目にあたり、山・止・狗・手・少男・相続・関節・骨格・節度などを象徴し、
方位としては東北(地支では丑と寅の間)を示します。
そして、急激に暗闇から明るくなる時間帯(1時から5時まで)なので停止・再出発の意味もあるといいます。

東北は 「再出発のために、終わりを迎える場所」 と いう意味を 「鬼」 と合わせたということになります。

そして、ここでいう 「東北」 とは、 「東北地方」 のことを表しているのだと思います。

では、どこを基準に東北とするのかというと、 当時の都 「長岡京」 または 「平安京」。

鬼門という概念が、いつ生まれたかによって、その中心となる場所は若干違いますが、どちらにしても、ほぼ東北となる場所は、 東北地方のどこかになるのです。

東北というと、 最後まで瀬織津姫を守り続けた場所とも考えられ、また、最後まで朝廷に背いた「蝦夷」 がいた場所でもあります。
そして、 この蝦夷を征伐しに行ったのが、 「坂上 田村麻呂」です。

田村麻呂は、四人の副使(副将軍)の一人ではありましたが、中心的な役割を果たしたと言われます。

そして、この田村麻呂後に、「蝦夷」 を倒したことで、 「鬼」 を 退治した英雄として、さまざまな伝説が語り継がれるようになります。
「蝦夷」には、悪路王という伝説の人物がいて、この悪路王が、悪鬼羅刹にすり替えられ、高丸・赤頭とともに「三鬼」と呼ばれる鬼に転じられたというのです。

そして、田村麻呂といえば、毘沙門天の加護を得て、その鬼を倒したと言われるようになったのです。

毘沙門天とは、インド神話の財宝神クベーラを前身とする神で、もともとは、武神ではありませんでした。
それが、中国に伝わる過程で武神としての信仰が生まれ、四天王の一尊たる武神・守護神とされるようになったと言われます。

そして、日本では、「邪鬼と呼ばれる鬼形の者の上に乗る姿」 でつくられています。

この鬼形の上にのる姿は、 「蝦夷=鬼」を征伐したことが原点ではないかと私は思います。
そして、東北では、 この毘沙門天を祀るところが、多く、田村麻呂の伝説も多く伝わっています。

このことが発端となり、東北以外でも、鬼退治の伝説がさまざまな所で作られるようになったようです。

「東北=蝦夷=鬼」 = 「艮(ごん)(東北)」 = 「鬼門」 となっていったと考えられます。

表の鬼門は 「東北」 として表現されているのは、「瀬織津姫」の名前が最後まで残りつづけ、今もなお
「早池峰の女神」 として祀られる場所、 鬼の住む場所だからなのかもしれません。

他の地方に比べ、 「瀬織津姫」 の名前は消されることなく、残っている所が多いこと、
また、 その東北を鬼門とすることで、 「門」 を閉じ、 瀬織津姫を早池峰の山へと封印してしまったのかもしれません。

早池峰の神とすることで、瀬織津姫の名前は残るものの、早池峰の山の神としてその山から出ることのないように、鬼門の地、 停止の地に、封印されてしまったのではないかと思ったのです。

そして、 鬼門の反対側にある 裏鬼門とは、 「四国」 のことです。
これも、偶然にも、そのちょうど反対側にあたる 「四国」 が 裏にあたり、ここもまた、 「裏の鬼の出入り口」となるのです。

「裏」 とは、 瀬織津姫の名前が表に出ていないことを表します。
裏の鬼の場所。 そして、 瀬織津姫の裏が隠されている場所です。

そして、その場所を封印したのが、もしかすれば、 「四国八十八か所」 かもしれません。

本当は、空海は、姫の存在を守るために、後世にその後を残すために、四国八十八か所を造ったと思いたいのですが、 もしかしたら、 空海は、姫を存在を仏によって、封印してしまったのかもしれません。
でも、その封印こそが、 後の世への目印にもなるのだと、 空海の心の奥底で、思っていたと信じたいです。

更に、裏鬼門 「南西」 の位置に、もう一か所 封印する場所が必要だった所が、 大分県です。

大分県に関しては、もっと調べないといけない場所ですが、 全国一、大山積神を祀る神社が多いのも、
「大分県」。 そして、 姫を封印するために、つくられた神社と言ってもいい、 「宇佐八幡神社」

宇佐八幡神社は、朝廷からも、崇拝されて、稲荷神社の次に日本で多く祀られる神社となりました。

この宇佐八幡神社は 神仏習合の神とも言われ、 大分県国東半島は、神仏習合発祥の地ともされます。

仏と神を習合させることにより、 瀬織津姫を封印させてしまった発祥の地なのだと思えるのです。

表鬼門の東北と、裏鬼門の大分。 
二つの裏と表の鬼門を 封印し、鬼がもう一度この世界にでることのないように、呪文をかけられているのかもしれません。
そして、八十八か所も同じように。。。。。

更に、鬼門とは違うかもしれませんが、日本は龍体と考えなれていますが、
その龍体がはしる 「中央構造線」 の東の端、 茨城県には 地震をとめると言われる 「鹿島神宮の石」があります。
鹿島神宮も、瀬織津姫を封印するために祀られた神社の一つ、
そして、偶然にも、 宇佐神宮のある 「大分県」 も中央構造線沿いにあたるのです。

龍の通る道と言われ、 その道は地震を引き起こす場所でもあり、それは、「ナマズ=龍」 が暴れるからだと地震もまた、 瀬織津姫である 龍の存在が引き起こしていると考えられていました。

だからこそ、神宮皇后が、豊玉姫から受け取ったとされる 「満珠干珠」 は、津波を意のままにできると言われる珠。
津波とは 地震によって引き起こされるものであり、その力もまた、神宮皇后によって、封印された。
その神宮皇后を祀る神社もまた、 「八幡神社」 です。

こうしてみていくと、 全てが繋がってきます。

「鬼門」 とは、 瀬織津姫である 「鬼」 を封印するための 「門」 である反面、
鬼が復活してくるかもしれない 「門」 でもあるため、 恐れられていたのです。

鬼門という概念は、 おそらく 平安時代に造られたもので、 だから、 その影響を受けることがなかった沖縄には、鬼門という概念はなかったのです。

このことからもわかるように、今の日本は、この神の封印から始まった文化も多く引き継がれ世の中がつくられているということです。

「鬼」 は、 ある人間たちによっての邪魔者の姿。
鬼門もまた、同じ。 だから、本当は、鬼門なんてないのです。 そして、 鬼門の封印をとくこともまた、よい世の中をつくるために必要なことなのかもしれません。


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では、今日のご紹介 四国八十八ヶ所 56番札所 泰山寺です。

泰山寺は、愛媛県今治市にあるお寺で、弘法大師の開基とされています。

弘法大師がこの地を訪れたのは弘仁6年のころのことです。
今も流れる蒼社川は、毎年梅雨の季節になると氾濫して、田地や家屋を流し、人命を奪っていたたといいます。
村人たちは恐れ苦しみ、人取川といって悪霊のしわざと信じていました。

この事情を聴いた大師は、村人たちと堤防を築いて、「土砂加持」の秘法を七座にわたり修法したところ、満願の日に延命地蔵菩薩を空中に感得し、治水祈願が成就したことを告げた。

大師は、この修法の地に「不忘の松」を植えて、感得した地蔵菩薩の尊像を彫造して本尊とし、堂舎を建てて「泰山寺」と名づけました。
これが、このお寺の起源とされます。

この泰山寺という名前は、一説には道教の五岳の一つである東岳泰山からの引用ともいわれています。

もともとは、 現在のお寺の裏山 「金輪山」に建てられ、、七堂伽藍を備え10坊を持つ大きなお寺でしたが、
兵火により衰退し、現在の場所に移築されました。

この山号 「金輪山」 は、どうしてこの名前が付けられたのかは不明ですが、
この泰山寺の裏の山は、 古代 「鉄」 を作っていた場所であるとも言われ、ここから少し南へ行った山の中で、 「たたら製鉄」 が見つかりました。

また、スサノオの伝説が残る山もすぐ隣接してあり、 この辺一体が、 「鉄」 の 町だった可能性がとても高いことから、 このような名前がついたのではないかとも思います。

また、このお寺のご本尊は、 

「地蔵菩薩」 です。 大師自らが掘ったものです。

地蔵菩薩とは、大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包み込み、救う所から名付けられた名前。

そして、、釈迦の入滅後、56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、
弥勒菩薩の代わりに、 六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)を輪廻する衆生を救う菩薩であるとされます。

また、地蔵菩薩の足下には餓鬼界への入口が開いていると言われ、地蔵菩薩像に水を注ぐと、地下で永い苦しみに喘ぐ餓鬼の口にその水が入るとも言われます。
地蔵菩薩が与えた水のみ、黄泉の世界に住む鬼たちは、水を飲むことができると言われています。

空海は、鉄の町であり、出雲とも関係の深かったこの地を封印する代わりに、 地蔵菩薩をつくり、鬼たちの供養、鬼たちの魂を鎮めようとしたのでしょうか。

また、お寺の名前にも付けられている、「勅王院」 も、とても気になる名前です。
どうして、ここに 王の勅命による院とつけられたのでしょう。

それだけ、ここは、特別な場所だったのかもしれません。

そして、一つだけはっきりと言えることは、 
空海が八十八ヶ所と定めた場所は、瀬織津姫に繋がるということです。

【追加】
11月24日、今日、新たなことがわかりました。

この 「金輪山」
陰陽道では8番目の星を金輪星というそうです。

この金輪山は、「8」でもって、封印されたお寺だったのです。
そして、この裏山も。 ということは、この山には封印しなければいけない何かがあったということになります。


第56番札所 金輪山 勅王院 泰山寺

本 尊: 地蔵菩薩(伝弘法大師作)
開 基: 弘法大師
創 建: 弘仁6年(815)
住 所: 愛媛県今治市小泉1-9-18

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                               【弁財天】
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                               【大師堂】
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                                【本堂】
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今治の中で、唯一まだ来ていなかったお寺。
家からそう遠くないお寺なのに、 今までなかなかくる機会がありませんでした。

でも、これも、きっと、今行くことに意味があったような気がします。

考えてみれば、このあたりは、小さいころよく遊んだ場所でもあります。
祖母がこの近くに住んでいたので、 よく、遊びにきていました。
見渡す限り 田んぼで、 家はほとんどありませんでした。 

春にはレンゲが一面に咲き、 レンゲを積んで、首飾りをつくりました。
夏は、あぜ道の横を流れる小さな川で、 めだかやオタマジャクシをとっていました。
秋にはつくしを探しにきて、 冬は、たこあげをしました。

今は、そんな風景はどこにもありません。

今より何もない時代でしたが、 子供の頃の方が、幸せだったような気がします。

ブログを書いていたら、ふと、あの光景が目に浮かんできました。

日本の食べ物の象徴 「米」 今でも、神社の神事では、お田植え際があり、収穫祭があります。
そして、神々の名前は変えられても、 「稲の神 食の神」 として、豊受大神が祀られ、アマテラスと共に、崇拝されています。 
豊受神もまた、瀬織津姫のもう一つの姿であり、 オオゲツヒメでもあります。

その田んぼが、日本からどんどん消えていってしまっているこの光景を、姫はどんな思いで見ているのでしょう。 女神も、言霊も、 田んぼも、その他 古代の日本の文化、思想が、消えていってしまうことは、日本がなくなってしまうことに繋がるのかもしれないと思いませんか。。。。。。






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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-11-23 03:33 | 四国八十八カ所

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。


by 愛姫
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