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(親近感)  大西町 「素鵞神社」

こんばんは。

昨日の、常世の国のお話。 少し長くなりすぎて、よくわかなかったらごめんなさい。
今日は、不老不死のお話は、お休みして、 まずは、神社のご紹介から。

今日は、今治市大西町に鎮座する、「素鵞神社」

ここ 素鵞神社の起源はとても古く、また ここに奉納されたものに、とても興味深い伝説があります。

この日の目的の神社は、ここではなかったのですが、そこに向かう途中に、立ち寄ってみることにしました。

大西町は、旧越智郡、 今治市から松山方面へ行った、旧今治市のお隣の町になります。
大西町の隣は、野間地区というところなのですが、 ここには、スサノオの伝説が残る、野間神社があり、ここ大西町の多くはなぜか、この野間神社の氏子になっています。

スサノオの伝説の始まりは、大西町の海岸。
海岸に船でついたスサノオが、 現在の野間神社がある、神の宮という所へたどり着きます。

その途中の不思議なお話が、今も、野間神社に伝わります。

その伝説が元となっているからでしょうか、大西町は、野間神社の氏子となるようです。

そして、今日、ご紹介する神社も、そんな野間地区との境目に位置する、スサノオを祀る神社です。

ここの祭神は、

須佐之男命(すさのをのみこと)
稲田毘売命(いなだびめのみこと) 
大山積神命
高籠神
雷神

そして、
弥都波能売命(みずはのめのみこと)

(古事記) 弥都波能売命
(日本書記)では、罔象女神(みつはのめのかみ)

そして、罔象女神(みつはのめのかみ)は、 瀬織津姫と同一の女神さまです

そんな、 「素鵞神社」に残る 伝説とは、こんなお話です。

平安時代中期、 「992年」 のことです。
公家であり、小野道風・藤原行成とともに 三蹟 (書道の大御所三人のこと) の一人、藤原佐理が、筑紫から都へ帰る途中、この瀬戸内海で、大きな嵐にあいました。

その嵐は、幾日も続き、藤原佐理らは、困りはてていました。
すると、ある夜、 大山積神が夢に現れてこういいました。

「大山祇神社には、神額がなくて困っている。
お前が、通りかかったので、海を荒す方法をとった。 ぜひ、筆をとってほしい。」

と告げられました。

藤原佐理は、早速筆をとり、神額を海岸から流すと、神の加護で、大三島の海岸に着き、大山祇神社に渡りました。

やがて海もなぎ、藤原佐理は、無事都へ帰りました。

ところが、この神額を書いたのは、ここ大西町紺原三軒屋の、品部川すそであったそうです。

そして、その後、数百年の時は流れ、 

「文禄3年(1595)9月5日」 航海の無事、安全を祈願して、船みこしを奉納したのが、この神社の始まりです。

この 「船みこし」 には、 大山積大神と筆を持った 藤原佐理の人形が向かいあって座っており、
中央の神額には、

「扶桑総鎮守 (日本全土の守り神)」 と書かれています。

毎年、五月の、野間神社と素鵞神社の御祭には、約30人の人々で担がれ、ゆったりした船歌にのって、宮出が行われ優雅な、船みこしの姿が浮かびます。

私も、何度か、野間神社の春の大祭に行ったことがありますが、獅子舞が野間神社の拝殿のある上から順番に階段を降りてくるのですが、その最初に、船みこしがおりてくる姿を見たことがあります。

写真がないのが、残念ですが、船が大勢の人々に担がれ、階段を降りてくる姿に、初めてみた時は、とても驚きました。

そんな、船みこしが奉納されている神社が、ここ 素鵞神社です。

船みこしが、ここに奉納されたのは、 200年くらい前のことですが、 神社の起源は、とても古く

「192年」 仲哀天皇 ちょうど、卑弥呼の時代までさかのぼります。

神社の由緒では、  仲哀天皇の時代、 奴麻の国造 「若弥尾命」が 大山積神を祀り、この地を神野原とよんだことが、始まりとされています。

しかし、もちろん、この時代には、大山積神はどこにも祀られていません。

その後、728年、高籠神、雷神 を合祀したさいに、滝之宮という名前が付けられました。

そして、どこにも、スサノオや稲田姫を祀ったという記述がないのにもかかわらず、 
1594年、 突然、 牛頭天皇が分祀されます。

その後、1871年、再度、滝之宮と牛頭天皇を合祀し、現在の
素鵞神社という名前に、変更されたのです。

この由緒のどこにも、罔象女神のことについては、ふれられていません。

それなのに、ここには、今も、罔象女神の名前が、残されています。

これは、この神社の起源、 192年に祀られて神が、 瀬織津姫のことをさすと言っているのだと思います。

ここもまた、姫の消された 神社の一つ。

でも、今も、罔象女神として、残されていたことに、感謝です。

そして、これは、どうしてなのかわかりませんが、 神社庁の中での、紹介では、
ここ 「素鵞神社」 の御祭神の中に、 大山積神の名前が、のせられていません。

*素鵞神社
*今治市大西町紺原甲484番地
*祭神
須佐之男命(すさのをのみこと)
稲田毘売命(いなだびめのみこと)
弥都波能売命(みずはのめのみこと)

そして、神社庁での、由緒では、
文禄3年(1595)9月5日創祀。と書かれてありました。

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拝殿です。 この日ちょうど、地元の方々が、神事をされていました。
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本殿
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もう一つの鳥居
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この神社の近くには、古墳時代初期の貴重な前方後円墳 妙見山古墳(国指定史跡)があります。
ちょうど、一番初めにここに、瀬織津姫が祀られたころ、ここには、大きな集落があったのだと思います。

どんな人々が暮らしていたのか、とても気になります。

そんなことも、もっと調べていくと、わかってくるのかな。。。

神社庁での、由緒の中に書かれた、

文禄3年(1595)9月5日創祀。

初めて、私の誕生日と同じ日が創祀の神社に出会いました。

不思議と、ただ、誕生日が同じというだけで、親近感が。。。

人間は、何か共通点があると、不思議と親近感をおぼえます。

初対面の人でも、誕生日が同じだったり、名前が同じだったり、 出身地が同じ、趣味が同じ、
何か一つ、共通点があると、急に会話がはずみ、仲よくなるものですよね。

無理やり共通点を探すのも、変ですが、趣味が多い人や、経験豊富な人は、共通点を見つけやすいもの。

よく、子供が、 どうして、こんな無駄なことをしないといけないの?

なんてことを、言いますが、 無駄だと思えることほど、 将来、  役にたったりするものだと私は思います。

いろんなことに興味をもち、 いろんな人と接し、いろんな経験をすることは、人生を豊かにすることの一つなんじゃないかなと思います。

今日も、素敵な一日を お過ごし下さい^^



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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-12-14 07:29 | 愛媛県今治市(旧大西町)

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。


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