姫が宿る常世の国は。。。。。 (神功皇后ゆかりの神社「伊佐爾波神社」)
2012年 01月 28日
今日は、以前湯月城が築城されるまであったといわれる、神功皇后由来の神社をご紹介します。
道後温泉本館のすぐ近くの小さな山の上に鎮座される 「伊佐爾波神社」
湯月城が築城されるまで、現在の道後公園の場所にあったといわれる、 神功皇后・仲哀天皇由来の神社です。道後のお湯に入られ、神功皇后のお腹に、応神天皇が宿ったといわれています。
道後温泉の湯は、少彦名命が再生されたという起源もあるように、特別な水とされていたのだということが、この由緒から見ることができます。
でも、それは、道後のお湯だけでなく、この伊予の国の地下深くに流れる水は、常世の国の水、再生の水、聖水、神(常世の姫)の水だと考えられていたのではないかと私は思います。
神功皇后が、この伊予の湯に入ったことで、八幡大神ではある応神天皇を身ごもることも、常世の国の水に入ったからだということだったのではないでしょうか。
「月読みの持ちたる変若水」 は、常世の国から流れてくると思われていたといいます。
常世とは、月の女神がすむ場所、そこは、太陽の光ではなく、夜でも月の女神の光によって明るく輝く世界。
そして、そこは海の底からでも、真水(神の水)が出る。
斉明天皇が百済救援に行く途中、伊予の国に寄られ、金剛の滝と呼ばれる飛泉で、みずから米を洗い、御神供としてはるか大山祇神(瀬織津姫)を拝し、病気平癒と戦勝祈願のみそぎをされたといいます。
瀬織津姫の今も残る御神徳 「みそぎ」 の水は元来 常世の国から流れくる 「変若水」のことを言っていたともいいます。
古事記の国生みの時に四国のことを 「伊予の二名洲」といわれました。
「愛比売(えひめ)」だけでなく、「伊予」という名前は、今もこの愛媛のことをさしています。
「伊予」の 「予(よ)」 とは、
古語で 「竹や葦などの茎のふしとふしとの間」のことをいうといいます。
月の姫 かぐや姫は、 竹の節間(よのなか)に篭ってました。
竹の中に、封印されてしまった、瀬織津姫の姿と同じです。
竹の「よ」とは、生まれる場所、再生する場所、蘇る場所 = 常世の世界と通じる場所が 「よ」だったのです。
伊予の 「よ」とは、常世の世界と通じる場所を意味していたから、
古事記の中で、「伊予(常世の世界)」の国として誕生し、そこに愛比売(愛しい姫)の名前がつけられたのではないでしょうか。
そして、その伊予の国の中洲が、大三島であり、「南海龍女」 と呼ばれた瀬織津姫の島だったのではないかと私は思います。
そして、宇佐神宮へと連れ去られた「越智常世織姫」 もまた、瀬織津姫の御魂。
竜宮城の織姫とは、大山祇神社に祀られた、「南海龍女」 であり、
宇佐神宮へと連れ去れた 「越智常世織姫」 でもある、瀬織津姫。
この瀬戸内海の海こそが、龍宮城のある海だったのではないでしょうか。
そして、姫を祀る一族 「小千ノ(乎致)御子」は、本来は「をち」と言っていました。
「若がえる」 「甦る(蘇る)」意味を持つ古代の言葉が、「をつ」というといいます。
「小千ノ御子」 = 「をちの御子」 = 「よの御子」 = 「常世の神の御子」だったのです。
小千命(乎致命)とは、姫を祀る一族の皇子だったということではないでしょうか。。。。。。。。
*伊佐爾波神社
*松山市桜谷町173番地
*足仲彦尊(たらしなかひこのみこと)
気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)
誉田別尊(ほむだわけのみこと)
市杵島姫尊(いちきしまひめのみこと)
湍津姫尊(たぎつひめのみこと)
田心姫尊(たごりひめのみこと)
またの名前を、「湯月八幡宮」といいます。
(境内社:北側)高良玉垂社
道後温泉がモデルになった、「千と千尋の神隠し」の「お湯」も、再生のお湯でした。
名前を取られてしまった、千尋とハク。
でも、千尋がもう一度あの橋を渡り、外の世界が出ることができたように、姫の真の姿も表の世界へと出ることができますように。
そして、もう一度、この伊予の国も、真の伊予の国 「愛比売」の国に。
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