賀茂氏の本拠地 加茂神社 (西条市)(これから向かう未来)
2012年 02月 03日
今日も、引き続き西条市のお話です。
西条市は、ここ数回お話しているように、賀茂氏がその勢力を拡大していった場所、そしてちょうど古事記の時代、世の中を大きく動かした場所の一つでもあると思います。
今日は、その中心地に鎮座する、賀茂氏の神社
「加茂神社(かもじんじゃ) のお話です。
水の都とも言われるほど地下水が豊富な町です。
「うちぬき水」と呼ばれる地下水は、国の名水百選にも選ばれています。
西日本最高峰、日本七霊山霊峰石鎚山は山岳信仰の山でもあり、空海も修行した山と言われていますが、この山岳信仰の起源も、賀茂氏と深いかかわりのある役行者が開いた山とも言われています。
しかし、ここにも、多くの謎が隠されていると思っています。
そんな石鎚山から瀬戸内海へと流れる川が、「加茂川」 です。
そして、この加茂川の東に賀茂氏の本拠地だった場所があります。
また、その東隣には、秦氏がこの地を開いたとされる場所があります。
加茂川の西には、アマテラス荒魂を祀る、「伊曽乃神社」、その西隣には、「石鎚神社」があります。
アマテラス荒魂とは、伊勢神宮でもはっきりしているように、「瀬織津姫」のこと。
西条市に本来祀られていた瀬織津姫の中心がここにあります。
大化の改新で賀茂氏の力が一揆に拡大し、ここに祀られていた姫の姿は次々と封印されてしまったのだと思います。
そしてその時、京都の賀茂神社から勧請し、賀茂郷氏神として祀られたことが、この加茂神社の起源です。
京都の賀茂神社とは、
賀茂御祖神社(通称「下鴨神社」)と賀茂別雷神社(通称「上賀茂神社」)のことをさしています。
賀茂御祖神社は、上賀茂神社の祭神である賀茂別雷命の母の玉依姫命と玉依姫命の父の賀茂建角身命を祀ることから「賀茂御祖神社」と呼ばれています。
神武天皇を導いたといわれる、「八咫烏」は、この賀茂建角身命の化身と言われています。
この伝説から、「八咫烏」とは賀茂氏だったということがわかると思います。
そしてもう一方の、賀茂別雷神社とは、
賀茂氏の祖神である賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)を祀ります。
賀茂別雷命は、雷(いかづち)の神、厄を祓いあらゆる災難を除き給う厄除(やくよけ)とされています。
この両社が朝廷の崇敬を受け始めたのは、飛鳥時代後期、文武天皇あたりからです。
しかしここも、もっと昔から神は祀られていました。
それは、はっきりとしたことはわかっていませんが、賀茂御祖神社の社伝では、神武天皇の時代に、「御蔭山」に祭神が降臨したと伝えられています。
また、賀茂別雷神社の社伝では、、神武天皇の御代に賀茂山の麓の御阿礼所に賀茂別雷命が降臨したと伝えています。
どちらも起源は、神武天皇の時代です。
でも、この時祀られていたの真の神は、瀬織津姫です。
賀茂御祖神社に祀られる 「玉依姫命」と同じ名前の姫は古事記にも出てきますが、ここに祀られている玉依姫命は別の姫といわれ、その姫とは、
『山城国風土記』逸文に書かれた姫のことを表すといいます。
ある時、玉依日売は石川の瀬見の小川で川遊びをしていました。
すると、川上から一本の丹塗矢が流れ下ってきました。
この丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、玉依日売は男の子を産みました。
それが、賀茂別雷命です。
賀茂別雷命が成人した時、
建角身命が、「汝の父に酒を飲ましめよ」と言ったところ、
天に向かって杯を手向け、賀茂別雷命は昇天したといいます。
そして、丹塗矢の正体は、乙訓神社の火雷神、大山咋神。
大山咋神は、大山積神と同じ上を表しているということは、この伝説の中にも、姫から大山積神へと変えられて秘密が隠されています。
古事記とは違う伝承。 ここに、賀茂氏の秘密があるのではないでしょうか。
徳島ののらねこぶるーすさんがおっしゃっていた、賀茂とは一つの氏族ではないと言っていたことが、ここにあるような気がするのです。
それは、賀茂氏の中にも、秦氏の血を受け継ぐものがいたのではないかといことです。
二つの氏族の中に生まれたもの。
また、同じ一族の中で向かう方向が変わってしまったもの。
私は、これが歴史をさらにわからなくしている理由の一つかもしれないと思います。
それは越智氏も河野氏も同じ。
同じ一族の中でも別々の大和(倭)へ分かれてしまったものがいたのではないかと思います。
今日、あることを調べている時に、ギリシャ神話にたどり着きました。
太鼓の時代、人々は「母性社会」 、女神を信仰(ガイヤ信仰)する世界でした。
(ガイヤ信仰)とは、
地域の安全と繁栄、豊饒、家庭の幸福、子孫繁栄、そして社会の平和を守ること。
「母の愛の世界」です。
しかし、時代は進み、人々が豊かになっていくごとに、その信仰は 「男性信仰」へと変わっていきました。
権力、英雄、戦い、力、人間のために利用する信仰へと。
そして、その信仰の頂点にたった神が、「雷」の意味を持つ、「ゼウス」です。
紀元前2000以上前から始まった、女神信仰と男性信仰の争いです。
今の世界は、女神信仰はすっかり姿をなくし、男性信仰の世の中へと変わってしまいました。
それは、人々が信仰する神の変化と同じように変化した、人間の生き方そのものともいえます。
人間がより豊かになるためには、「愛」ではなく、「力」 だった。
確かに争うことで、新たな時代が生まれ、争うことで競争が起こり、よりよい世界を作ろうとしてきたのかもしれません。
でも、あまりにも 「力」だけの世界になってしまったために、人は 「多くの愛」 を忘れてしまった。
それは、日本だけに限らず、現代で言うならば、今の資本主義社会全体がそうなのかもしれません。
人間のために、地球を壊し、自然を壊し、弱いものは強いものに負ける。それは動物の弱肉強食の世界とは違う、欲望の限りに行われる競争の世界。
神とは関係のないこと、と言われてしまえばそれまでですが、
「女神」の存在は、人間の心と共通するものがあるような気がします。
また、世の中のあり方とも、共通すると。
女神信仰から、男性信仰へと変化し今の時代がつくられました。
でも、そろそろ、男性信仰だけの世界は終わりにしいないといけない時代になってきたのではないかとおもうのです。
これからの時代は、女神だけでもなく、男神だけでもなく、
また、今の日本が歩んでいる 太陽が 「女神」 (女が男) になるのでもなく、
女神と男神が一つになり、その両方のよいところを生かしながら、新しい世の中をつくっていくことではないでしょうか。
私は瀬織津姫の復活の意味は、そこにあるのではないかと今感じています。
「再生・復活の水 落ち水」 は、月と太陽が一つになることができなければ私たちのもとへ降り注ぐことも、
聖なる泉に湧き出ることもないのではないでしょうか・・・・・。
*加茂神社
*西条市福武字新田甲1442-1
*祭神
鴨別雷神(かもわけいかづちのかみ)
健角見命(たけつぬみのみこと)
玉依毘賣命(たまよりひめのみこと)
拝殿
本殿
境内社
拝殿の左後ろの山の少し上に、境内社が見えました。
その社へと向かう階段だけ、ほんの少し違う空気が流れている気がしました。
階段の上にある、小さな社。
なぜかここに、姫がいるような気がしました。
この山の自然が、姫を伝えているような。。。。。
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