蛇から狐へ 「稲荷神」と「瀬織津姫」
2012年 02月 15日
昨日は、久しぶりに23時に寝ました。
せっかく早く寝たのに、起きた時間はいつもより遅くびっくり!
でも、おかげで今日は身体がなんとなく軽いような気がしました。
やっぱり寝ないとだめだなあ~と実感しました。
これからは、なるべく平日は早い寝ないといけないな、と反省。
みなさんも、睡眠不足にお気をつけください^^
さて、今日のお話は、以前ぐ~たらさんにヒントをいただきました、
「伊予稲荷神社」に行ってきましたので、まずは稲荷と蛇のお話をさせていただきたいと思います。
ぐ~たらさんは、徳島の歴史を神社に行きながら調べている方なのですが、本当によくいろんなことを知っていて、尊敬しております。
ぐーたら気延日記(重箱の隅)
以前ぐ~たらさんがコメントで書いていたことが気になり行ってみることにしました。
西野八平さんの著書の中に書かれてあったという、卑弥呼 「邪馬台国」の勢力の広がりが、この稲荷神社に関係があるとのことでした。
邪馬台国と瀬織津姫の関係は、まだはっきりとわかっていませんが、関係があることは間違いありません。
それを知るためにも、ここは一つのヒントになるのかもしれません。
「稲荷神社」 とは、京都の伏見稲荷神社を総本山とする神社で、日本の神社の中で、この稲荷神社が一番数が多いとも言われています。
神社にあまり詳しくない人でも、知っている 「稲荷神社」とは、いったいどんな神社なのでしょう。
まずは、そこからお話します。
稲荷神社に祀られる神さまは、 五穀と養蚕を司る穀物神(「宇迦之御魂(ウカノミタマ)」)・農耕神(「倉稲御魂(ウガノミタマ)」)で、この神様を稲荷大明神といいます。
この稲荷大明神は、神仏両方の神として祀られ、神仏分離後は、穀物・食物の神である、
豊宇気毘売命(とようけびめ)、保食神(うけもち)、大宣都比売神(おおげつひめ)、若宇迦売神(わかうかめ)、御饌津神(みけつ)なども、稲荷神として祀られています。
また、神仏習合の時代は、仏教では、「荼枳尼天(だきにてん)」 と同一視され寺院でも祀られています。
朱い鳥居と、白い狐が稲荷神社のシンボルですが、これらの起源は、 この
「荼枳尼天(だきにてん)」 ダーキニーからきています。
ダーキニーは、仏教の神であり、インドのヒンドゥー教の女鬼(半女神)に由来しています。
その姿は、「白狐」 に乗る天女の姿で表され、剣、宝珠、稲束、鎌などを持物します。
インドでダーキニーは、魔術により強風を起こし、虚空を飛ぶ魔女として登場します。
ヒンドゥー神話では、敵を殺し、その血肉を食らう女鬼・夜叉女となっています。
それが後に、仏教へと取り入れられていったといいます。
京都伏見稲荷神社に、初めて祀られたのは 「711年」 といわれます。
この起源は、日本書記と、『山城国風土記』にあり、その内容は少し違います。
まずは日本書記にかかれてある文。
「稲荷大神は欽明天皇が即位(539年または531年)する前のまだ幼少のある日「秦(はた)の大津父(おおつち)という者を登用すれば、大人になった時にかならずや、天下をうまく治めることができる」と言う夢を見て、早速方々へ使者を遣わして探し求めたことにより、和銅4年(711年)二月初午の日に秦(はたの)伊呂巨(具)(いろこ(ぐ))が鎮座した。」
そして 『山城国風土記』
秦氏の祖先である伊呂具秦公(いろぐの はたの きみ)は、富裕に驕って餅を的にした。
するとその餅が白い鳥に化して山頂へ飛び去った。そこに稲が生ったので(伊弥奈利生ひき)、それが神名となった。
伊呂具はその稲の元へ行き、過去の過ちを悔いて、そこの木を根ごと抜いて屋敷に植え、それを祀ったという。また、稲生り(いねなり)が転じて「イナリ」となり「稲荷」の字が宛てられた。
まず、日本書記のほうですが、ここで重要な箇所は、私は「欽明天皇」 と 「秦」 「和銅4年711年」
このみっつだと思っています。
どうして、「欽明天皇」の名前がここで使われたのかです。
「欽明天皇」とは、539年~571年の間のことをいい、この時代の一番重視することは、
「仏教が伝来がこの時からはじまったということです。」
稲荷神が、密教と習合されるのは、空海が起源となっているようなので、最初に稲荷大明神として現れた時がダーキニーと考えられていたとは思えないのですが、姫の封印には、「仏教」を伝来してきた人物が大きく関わっているのではないでしょうか。
だから、この時代が起源とされたのではないかと考えます。
そして「秦」。
一般的に、稲荷神社とは、『山城国風土記』にも書かれてあるように、 「秦氏」の子孫が祀ったことになっているため、「秦氏の神」と思われています。
でも、私は、本来の(瀬織津姫を祀る)秦氏とは違うと思っています。
それは一族の中の裏切りから出たものかもしれませんが、秦氏が本当に祀っていた神は 狐ではなく「蛇」
瀬織津姫だったからです。
そのことが少し現れているのが、『山城国風土記』です。
秦氏の祖先である伊呂具秦公は、
「過去の過ちを悔いて、そこの木を根ごと抜いて屋敷に植え、それを祀ったという」 と書かれてありますが、
この過去の過ちとは、新大和に対してのことばであり、自分は新大和の人間になったことを表しているのだと思います。
それは、その前に文にも現されています。
「伊呂具秦公(いろぐの はたの きみ)は、富裕に驕って餅を的にした。
するとその餅が白い鳥に化して山頂へ飛び去った。そこに稲が生ったので(伊弥奈利生ひき)、それが神名となった。」
この的にした 「餅」 とは、瀬織津姫のことです。
瀬織津姫は、一般的には水の女神と言われていますが、本来はただの水の女神ではありません。
「命」の根源。 言い方を変えられば、あのもののけ姫の 「しし神」さまのように、命を再生することも、命を奪うこともできる神だとされていたのです。
本来は、「命を奪う」 という言い方は間違っているのですが、
古来、メソポタミア文明の中の神話のように、 命の誕生から、死ぬまで全ての命の源だと考えられていたせいで、この最後の部分、命を奪うところだけが後に強調されてしまいました。
日本の主食は 古来より 「稲」 です。
食べ物がなければ、人はいきていくことができません。 稲作により豊かになっていった大和は、「稲の豊作」
をなにより望んでいたこととではないでしょうか。
また、少し話しがそれますが、この 「稲=米」 は太陽の恵み(アマテラス)によりできたもので、また、これを神と一緒に食べることで、天皇は神と一体になろうとしました。
それが、新嘗祭です。
瀬織津姫が豊受大神となり、伊勢神宮の外宮に祀られることとなった意味は、
「命」に必要な 「稲」が必要だと考えたからではないでしょうか。
お正月に飾る 「鏡餅」 の 「餅」 は、 「蛇」 の姿だといいます。
「餅=蛇」なのです。
蛇である餅を的にして矢を放つと、その餅が 「白い鳥」になって飛び去った。
「白い鳥」 とは、あの三島明神の中でも表されているように、 太陽=カラス 月=白鷺
「白い鳥」とは、月の神使。 姫は白い鳥になって、いなくなってしまったということです。
そうして、そこには、「命の源」=「稲」 だけが残った。
瀬織津姫を祀っていたと思われる、愛媛(伊予の国)の神社、特に、この今治近辺では、「弓祈祷」という神事があちこちで行われますが、これも同じです。
餅の代わりに、「鬼」と書かれた的に向かい、弓を放ち無病息災を願います。
『山城国風土記』に書かれてあることは、朝廷の立場から見た、姫の姿をあらわしているのだと思います。
そして、最後の 「711年」
これは、古事記が完成する1年前。 まさに、姫を消し去る争いが一番激化しているころです。
日本書記と『山城国風土記』。
この両方をあわせみると、稲荷神社が姫の封印にかかわったことがよくわかるかと思います。
しかし、これだけではありません。
稲荷(白い狐)が本来が、姫(白い蛇)だったことは、この他の由来からも読み取ることができます。
空海の伝説です。
弘仁7年(816)、空海は、紀州田辺で稲荷神の化身である異形の老人に出会いました。
身の丈8尺、骨高く筋太くして、内に大権の気をふくみ、外に凡夫の相をあらわしていました。
老人は空海に会えたことをよろこんで言いました。
<自分は神であり、汝には威徳がある。今まさに悟りを求め修行するとともに、他の者も悟りに到達させようと努める者になったか らには、私の教えを受ける気はないと。>
すると、空海はこう答えました。
<「(中国の)霊山においてあなたを拝んでお会いしたときに交わした誓約を忘れることはできません。生きる姿はちがっていても 心は同じです。私には密教を日本に伝え隆盛させたいという願いがあります。神さまには仏法の擁護をお願い申し上げます。
京の九条に東寺という寺があります。ここで国家を鎮護するために密教を興すつもりです。この寺でお待ちしておりますので、 必ずお越しください>
こうして、東寺では、真言密教における荼枳尼天(だきにてん、インドの女神ダーキニー)に稲荷神を習合させ、真言宗が全国に布教されるとともに、荼枳尼天の概念も含んだ状態の稲荷信仰が全国に広まることとなったといいます。
ダーキニーとは、白い狐にのった半分鬼、半分女神の姿をした神。
東寺では、空海がこの白い狐を呼んだという伝説になっています。
空海と瀬織津姫には、封印と鎮魂の両方の繋がりがあると思うのですが、この狐は、姫と狐に変えて封印させたということなのでしょうか。
白い狐が稲荷神と習合したのは、空海が由来と言われています。
稲荷大明神=宇迦之御魂の 「宇迦」とは、「蛇」 のことを表します。
宇迦之御魂とは、「蛇の御魂」 の神ということになります。
また、宇迦は宇賀ともかかれ、 弁財天の中にもその名は見られます。
それが宇賀弁財天です。
弁財天は、瀬織津姫。 稲荷大明神の本来の姿は瀬織津姫です。
四国には、狐の伝説や昔話がほとんどないといわれます。
それは、狐は悪さをするからと、空海が四国から追い出したといいます。
そして、一説には、四国に鉄の橋がついた時、狐がもどってくるだろうとも言われたといいます。
鉄の橋とは、瀬戸大橋、しまなみ大橋、明石大橋のことなのでしょうか。
三つの橋が四国にかかり、いよいよ狐(瀬織津姫)がこの四国にもどってきたのでしょうか。
弁財天といえば、天河弁才天。
私も一度でいいから行ってみたい場所です。 弁財天は、役行者が開基したと伝わりますが、
ここに 「天河秘曼陀羅」 という絵があります。
この絵に描かれた弁才天は、通常の人の姿ではなく、三つの蛇の姿として表されています。
身体が一つで、顔が三つの蛇。
これが、瀬織津姫の意味でもあります。
それは、古代文明にそのヒントがあります。
人類最古の文明とも言われる メソポタミア文明。
その神話に書かれた、創生の女神とは 「女神ナンム」 でした。
ナンムとは、「原初の海」 天地が形を整える以前に世界のはじめからあった淡水の海」を体現する女神です。
それは、大地の下に広がり、冥界でもあり、生命の源でもある淡水の世界アプスーを司る女神でした。
それが本来の瀬織津姫の姿です。
しかし、その後、シュメール人は、ナンムから生まれた子 「エンキ」を登場させます。
このエンキはナンムと同一とも言われ、水による創造の力を持つナンムが姿を変えたものと考えられています。
女神ナンム時代の女性的な「生命を産み出す海」から、エンキ時代の男性的な「精子」へと、とらえ方を変化させていったのです。
そして、そのエンキは配偶者ニンフルサグとの間に女神ニンサル(植物を司る)という娘が生まれ、
ニンフルサグの不在の間、ニンサルと関係を持ち、女神ニンクルラ(農耕・牧畜を司る)という娘をもうけます。
さらに、エンキそのニンクルラとも関係を持ち、女神ウットゥ(機織り、もしくは蜘蛛を司る)をもうけました。
世界の神話は、時代とともに、さまざまなものが融合されていきます。
古代人々は、空と地の両方に水源があると考えました。
そこには、空を飛ぶ鳥(水鳥)である女神、また水(蛇)である女神がいると考えました。
人々は、鳥であろうが、蛇であろうがその神格は同じと考えていたのです。
(鳥は水鳥であり、鷲や鷹などは猛禽類になるため男神信仰となります)
その姿をあらわした女神が、ギリシャ神話 「アテーナー」です。
このアテーナーは、本来はギリシャ神話以前から、母権社会であった、ペラスゴイ人によって崇拝されていた、人面蛇身で顔を見た者を石に変える大地の女神メテュスであったといいます。
また太古の昔から、女神は、概念的には三相一体でした。
若い娘・子どもを生む女性・老婆の三つの面を持つ女神です。
これを元に、さまざまに変化されていったといわれます。
稲荷神に習合された 「ダーキニー」 も この三相一体の一つ(老女)なのです。
女神は、命がたどる道全ての源であると考えられていたのです。
だから、この天河弁才天の蛇の顔も、三つ。 本来は一つの女神からなる三つの女神の姿なのです。
農耕時代、女神の姿は、「再生の女神」 「月の女神」 となりました。
生命を育て、豊穣を促す女神(稲荷神と同じ豊穣の神)、それは月に繋がると考えていたからです。
それと同時に、自然が時々引き起こす破壊力も、女神の姿と考えられていたのです。
しかし本来女神信仰だった、母権制社会は、時代とともに、「父権制社会」へと世界中で変わっていき、
女神の姿はなくなってしまったのです。
これが、瀬織津姫の封印です。
そして、現在は、父権制社会(キリスト)の世の中になりました。
稲荷神とは、まさに女神信仰から、男神信仰への意向を表しているのです。
一般的には、 「アマテラス」 は 女神とされていますが、本来は 「男神」
それを女神としたことは、男と女 「陰と陽」 があわさることで初めて物事は生み出されると考えられていたため、「男(天皇)」 と 「女神(アマテラス)」 でなければいけなかったのだと思います。
古代山に女が登れなかったのも同じです。
「山である女神」 のところへいけるのは、 「男」 でなければ、いけなかったのです。
文明が生まれて、もう数千年がたとうとしていますが、見えないところで今もその考えは続いているのです。
みなさんは、これを見てどう考えるでしょうか。
神さまなんて関係ない。なんて思っていても、今も根源には、それがあり、今の世の中は造られているのではないでしょうか。 それが、(お金儲けのことだけを考える) 資本主義社会です。
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