天の香具山 2 「天山神社」
2012年 03月 17日
今、スマホ専用のホームページをつくっています。
このスマホ専用サイトは、神社の難しいお話はなしにして、写真をメインに掲載していきたいと思っています。
神社に祀られる女神さまごとに、祀られている神社をわけています。
無料でつくれるサイトなので、ページに制限があるためそれほど多くはご紹介できないかもしれませんが、
ブログとはまた少し違いますのでできましたらぜひご覧ください。
では今日は、前回の続き 「天の香具山」です。
天から降ってきた山が二つに割れて、一つは伊予の国へ、もう一つは大和の国へと落ちた山。
そしてどちらにも同じような三山がある。
これは偶然同じような場所になったのか、それともその場所を選んでそうしたのか?
この三角形になる山の形にも意味があったのかもしれませんね。
そして奈良の大和三山由来の、二人の女の物語。
桂子と桜子。
この名前は、まるで瀬織津姫を表す名前。
「桂」とは月を意味し、「桜」はその意味自身が姫を意味します。
またこの二つの女はまるで
「桂子=磐長姫」 「桜=コノハナサクヤ姫」を意味しているようです。
「桂」とは月にあると言われる木。
そして月には永遠の命をえることができるという水があるという。
またどんな病気も治すことができるという再生の水があると思われていました。
そしてその月の女神もまた同じ。 永遠の命を持つ女神。
それは瀬織津姫であり、磐長姫でもあります。
この能『三山』のお話の中にでてくる二人の女は、どちらも瀬織津姫のことを言っていたのではないでしょうか? そしてこの二人の女の山、大和三山とは瀬織津姫の封印に関わった山だった。
そしてそれは、伊予の国に降ったというもう一つの天の香具山にその秘密があり、三つの万葉集の中でうたわれた歌は、伊予の天の香具山のことだったのではないでしょうか。
◆春過ぎて夏来るらし白栲の衣乾したり天の香具山
(持統天皇)
◆香具山は畝火雄々しと 耳成と 相争ひき神代よりかくにあるらし古も しかにあれこそ
うつせみも妻を争ふらしき
(中大兄皇子)
◆ 大和には群山あれどとりよろふ天の香具山登り立ち国見をすれば国原は煙立ち立つ
海原は鴎立ち立つうまし国ぞ蜻蛉島大和の国は
(舒明天皇)
・持統天皇の歌は以前お話したように、この白い衣とは瀬織津姫のこと。天の香具山に宿る(瀬織津姫)をわが物にできれば春から夏へと季節が移り変わるように時代がかわるだろうと。
・そして中大兄皇子の歌は前回少しお話したように、この争いとは瀬織津姫(月の女神)を巡っての古からの争いが今も自分の目の前で起きていることをあらわしています。
・そして最後の舒明天皇の歌は、この伊予の国の天山から見た景色をうたっています。
大和(倭)とは伊予の国のこと、四国のそのほとんどは山が閉め、西日本最高峰の山もあります。
しかしそれだけたくさんの山があっても、この天山は特別な山だった。
その天の香具山に登り国を見渡せば、煙が立ち(あちらこちらから温泉の煙がたち)、
海原(天山の上からは海が見える)は、鴎が飛びかう姿が見える。
この最後の舒明天皇の歌は、大和の国(奈良)からは海が見えないため、この意味をいろいろな解釈で言われていますが、これは伊予の国の天山から見える景色そのものです。
誰もが、伊予の国を大和と呼ぶはずがないと思っているから、想像もできないことでしょう。
でも、この大和とは倭のこと伊予の天の香具山から見た景色をうたったものだと私は思っています。
そして、久米の遺跡はそんな倭の国をおさえ、天の香具山を手にした姿だったのではないでしょうか。
天山は、小野川のすぐ側にありこの時代もしかしたらこの川は天山のすぐ側を流れていたかもしれません。
川の流れは大分変えられているといいます。
もしそうなら、この天山は海から川へと入る河口、または川を内陸へと進み最初に通る山です。
瀬織津姫は、川と海との境にある島または岡や山へ祀られていました。
ということは、この天山にも瀬織津姫が祀られていたと考えられるのではないでしょうか。
伊予の国(常世の国、橘の国)への入口に祀られた姫。
そしてその天山もまた、久米と同じように太古の昔、旧石器時代から人が住んでいたと言われる
もう一つの人間が住み始めた原点の場所です。
ここは、伊予の国の原点でもある場所だったのです。
今はたくさんの家に囲まれその姿をはっきりとみることすらままならない状態になっていますが、
この天の山がもう一つの大和が誕生することになった原点だったのではないでしょうか。。。。
*天山神社
*祭神:天照皇太神 ・ 天櫛眞知命
天山への入口は狭い住宅街の一角にあります。
伊予二名集の中に書かれてあるうたのようです。
この意味も、三日月を偲んでいるように思えます。
階段を登って山の上へ。
拝殿が見えてきました。
拝殿
奉納されたたくさんの燈籠
「天山神社略縁起」
この中でとても気になることがあります。崇神天皇の時代、ここに初めて神が祀られました。
ここに祀られる神は 「三輪田の祖に勅して祀られた」
三輪田の祖とは、ニギハヤヒであり瀬織津姫のことです。
やはりこの時祀られていた神は、瀬織津姫のことでした。
そしてちょうどこの時代、「瀧の宮」の社号を奉り初代の 初代の斎宮となられたと書かれたものがあります。
それがどこのことかと言いますと、
今治市朝倉 「多伎神社」 です。
ここが初代斎宮だと書かれてあるのです。
斎宮は伊勢神宮を表す言葉とされています。
ずっとまさか。。。と思ってきましたが、もしかしたら本当にこの朝倉の多伎神社が、
本当に初代 「斎宮=伊勢神宮」なのかもしれないと思い始めています。
今まで私自身が心のどこかでまさかそんなはずはないと思っていましたが、
もしかしたら本当に ここ伊予の国が 「倭(女神を祀るところ)」の原点だったのかもしれません。
それは姫を祀る場所として選ばれた場所だったから?
常世の国だったから?
女神がいるもののけの島だったから?
拝殿
本殿
やっと一つになろうとしているのでしょうか。。。。
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