古代の川の道を辿って 「三嶋大明神社」
2012年 04月 29日
今日は、久しぶりに松山の県立図書館に行ってきました。
夕方から子供の歌の発表会があるため、遠くへ行く時間がないしゴールデンウィークで道が渋滞しているので、こんな日は図書館かなと思い行くことに。
駐車場に着き、
今日はどんな本と出会うかな~と考えながら図書館へ。
ずらりと並ぶ本の中から、1冊の本を選ぶというのも、一つの出会いかなと神社のことを調べ初めてから強く思うようになった私ですが、今日も思いもしなかった本と出会う日となったのです。
いつも行く階でエレベーターを降り中へ。
なんとなく気の向くままに右から2列めの通路を通り、最初は今日は神社の資料を見ようかなと
各市町村別の神社の資料の前で足を止め、今気になっている宇和島の資料を手にし中を数ページ見たのですが、違うな~と棚に戻し、何かないかな~とあたりを見回すと、1冊の本に目が止まりました。
今まで何度かその本の題名は見たような気がしましたが、今までは全く目に止まることはなかったのですが、今日はなんとなくその本を手に開いた場所を数ページ読んでみると、
う~ん、なんとなく気になる。
その本を片手に、今度は市町村別の市誌のコーナーへ。
そこで宇和島市誌を手にとり二冊の本を持って机にいきました。
とりあえず宇和島市誌は後にして、この目に止まった本を読んでみようと思い早速読み始めました。
すると、そこには大山祇神社に関するとても興味深いことが次々書かれていたのです。
これを二時間で読むのは難しいと思い、コピーしようと気になるページを次々書き出していきました。
そしてあるページに目を通した時です。
「あれ?この文章どこかで見た気がする!」
よ~く読んでみると、そこに書かれてあったことは、先日大三島へ行った時、
3時間話し込んだあのお寺の奥様が下さった資料と同じ文章でした。
実はこの時、十六皇子について資料があるというので頂いたのですが、
この資料を書かれた方のことを、奥様から聞いていたのです。
今から20年近く前、私と同じようにこの十六皇子を見せてほしいと来られた方がいました。
その方はそれを元に本を書かれた人でした。
奥様はぜひこの本を私に読むようにと勧めてくださいました。
でも、この本は自費出版だから店頭にはもうないかもしれないと言っていて、
どこかで見つかるといいねと言っていた本だったのです。
もう発行してから17年もたっているので、もしかしたら見つけれないかもしれないなと実は半分もうそんなことを言われたのも忘れてしまっていました。
そして今日、なんとなく手にとった本が、奥様から読むようにと勧められたその本だったのです。
本当に、不思議です。
人も本も、会うべき時が来れば自ずと現れると言いますが、
本当に出会いとは不思議だと改めて思った一日となりました。
神社に行き始めて、本当にこんなことが幾度となく起こります。
だから、何かに出会い何かを発見したり何かに気付いたりする度に、
「あ~やっとこのことを教えて頂けるようになったんだ」 とうれしさと共に感謝の気持ちでいっぱいになります。 今回のこの本の中には、まさに今私が知りたいことが山のように書かれてありました。
私の疑問がまたこれで少し解けるかもしれません。
古い資料や、山のようにある文献を一つ一つ全て読むのはそれはそれは大変なことです。
それらの中の一文や、見たいけれどもすぐには見れないものの写真などを掲載してくれている本がなければ今の私はないなとつくづく思うのです。
歴史のことを知ろうとすると、単に一つのことだけを調べていても全く先に進むことはできないのです。
神社や神様のことや、一般的な日本の歴史はもちろんですが、
仏教や道教、密教、仏、神話や昔話、言葉、遺跡、古墳、海外の歴史や古代文明。。。。。
上げればきりがないほど、多種にわたりその意味を調べていかなければいけません。
各分野の専門家の方が調べて下さった資料があるということを、改めて感謝せずにはいられません。
それぞれの調べた結果は私には全くと言っていいほど当てはまらないものばかりなのですが、
でも、その資料を目にすることができるということは、本当にありがたいです。
今回の本を見つけた時は、やっとその意味を知ってもいい時がきたんだと、
なんとも言えない気持ちになりました。そのくらい、先日行った大三島での出来事と、今回の本は歴史の封印の謎を秘めた重要なものなのです。
他の人からみれば、それは全く違う意味でとられているか、またはあまり関心のいかないことかもしれませんが、この意味を説くことがとても重要なことだという強い思いがしてなりません。
このことはいつかここでも話せる範囲で書きたいと思います。
そして、この本の著者の方がもしご健在なら一度会ってお話がしたいなと思っています。
では、前おきが長くなってしまいました。
今日の神社のご紹介です。
今日は、前回ご紹介した住吉神社からすぐ近くにある
「三嶋大明神社」 です。
古代の川の道、政庁へと続くこの川を少しさかのぼってみることにしました。
そこで、まずであったのが、住吉神社からすぐのところに鎮座する この神社でした。
ここは、四十五代聖武天皇の神亀5年に越智宿弥玉純により勧請された
伊予の国七十二郷七十二社のうちの一社です。
神亀5年、8月23日に同時に勧請された神社を今まで何社も紹介してきましたが、
同じように勧請された神社にも関わらずその神社の名前はさまざまです。
どうして大山祇神社とせず、三嶋神社としたり、三嶋大明神神社としたりするのか。
私はここにも祀る人々の微かな抵抗が見られるのではないかと思うのです。
「三島明神」 とは、 大山積神であり、大山積神ではないからです。
本当の三島明神とは、本来三島家→越智家→小千家→乎致命→コチ命→ヲチ命が祀る神。
それは大山積神ではなかったからです。
ですから、三島明神とは表向きは「大山積神」
裏では 「瀬織津姫とニギハヤヒ」 の意味も持っているからです。
だから、わざと神社の名前を大山祇神社としなかった場所もあるのではないかと思います。
そしてもう一つ、
大三島の大山祇神社を含む伊予の国に鎮座される大山祇神社は、
社名と祭神の書き方が違います。
他県では、「大山祇神」 と書かれてあるところが多いのですが、
なぜか、大三島を筆頭に、祭神は 「大山積神」 とされます。
「祇」 と 「積」
どうしてわざわざ神社の名前と、祭神の名前の 「つみ」 の字を変えているのか
その明確な理由が今までわかりませんでした。
でも、今日見つけた本の中に書かれてあった
「祇」 と 「積」 の 字が持つ意味から、少しその理由が見えてきました。
著者の方は、全く姫の存在には気づいていません。
ですから、この本来の意味から解釈する神の意味は私とは少し違いますが、
私はこの字の意味から、私なりの考えが見つかりました。
まず 「大山積」 とは、山を司る神という意味。
大山積神とは古事記の中で、山の神としてその神格が表されています。
にも関わらず、祀られている場所は瀬戸内海のほぼ中央。
海の中の小さな島。
どうしてこの島に山の神が、しかも「日本総鎮守」として祀られているかと疑問を抱く人は少なくありません。
そしてその御神徳は、山の神としながらも、海の神でもあり、武神でもあり、酒の神でもある。
一見とても複雑に思える大山積神の姿です。
しかし、その神社の名前は
「大山祇神社」
「祇」 ということばについて書かれてある 古い国語辞典「大言海」 という本があります。
その中で、「地祇」 について以下のように書かれてあります。
1.地祇とは万物を提出するものなり。
2.祇は地神なり。すなわち国土の神で、天神に対する国土の神である。
3.またクニツカミともいう。
そして、神祇令の
「天地地祇は、神祇官みな常典によってこれを祭る」という用例があげられています。
「祇」という字には、万物を育む神、万物を生み出す国土の神という意味があったのです。
しかし、祭神にはあえて、「積」 と書いています。単なる山の神という名前です。
本来ならば、祭神もまた大山祇神とされるはずなのに、「積」と書いたことにこの神社の本来の意味が
込められていることがわかります。
ここ大三島に祀られる神、この島に祀られる神の御神徳は
「万物を育む神、万物を生み出す国土の神」=「太古の時代からの神」 ですが、
祀られている神は 後に変えられた 「山の神」 ということなのです。
それはこの場所が、神の島であり、常世の島だったからです。
また、完全に本来の神を消し去ることはできず、
また、その神徳だけを入れようとしたこの時代独特の考えからによります。
神功皇后が女神の力だけと取り入れた女性になろうとしたことや、
古事記の中で伊邪那美神が死ぬことで新たな神が生まれたとされることや、
天照皇大神やスサノオがお互いのもっているものをかみ砕き新たに誕生させた
五男三女神や、伊邪那美神が死ぬ原因となった火の神を切ったことによって
誕生した神のように、古代の人々は、一度命が終わることにより新たなそれ以上の力を得ることができるという黄泉がえり、再生、復活の力を信じていたからです。
それが、7で終わり、8でまた新たな世界が始まるという
キリストの考えとも一致するのです。
「大山祇神社」と「大山積神」 の その意味は、同じ呼び方でも全く違うものだったのです。
この古代の川の河口近くに祀られている 「三嶋大明神社」も、本来は古代からの女神、または饒速日尊をまつる場所だったのだろうと思います。
ここから、入ってきた「藤の木」=「藤原氏」により、ここにも新たな神が祀られることになったのかもしれません。
また、ここには、歴史の不思議を感じさせる一人の女性の物語があります。
神社の特殊神事としても行われる
「鍵谷祭(鍵谷カナ姫命祈年祭)」
この鍵谷カナ姫命とは、1782年、この地に生まれた一人の女性のことで、
「伊予絣(いよかすり)」 を独自におり始めた創出者として、今もこの地にその伝説がのこる女性です。
「織物」の神でもある姫と深いかかわりのあるこの地で、
女性であり、 「鍵谷」(鍵をかけられた谷) という偶然にしてはあまりにその名前に姫との繋がりを感じさせられるこの女性がこの場所で生み出した日本三大絣の一つ 伊予絣。
そして三島神社に神として祀られ今もなお、特殊神事が行われている。
まるで、本来の姫を祀るように。。。。。。。
*三嶋大明神社
*松山市西垣生町1226番地
*祭神
大山積神(おほやまつみのかみ)
雷神(いかづちのかみ)
高龗神(たかおかみのかみ)
*境内社
疫鎮神社 御先神社 松尾大明神
白山神社 鷺神社 三光宮 稲荷神社産神社
そしてもう一つ、上の境内社の名前をご覧ください。
ここに 「鷺神社」 があります。
ここの鷺神社の祭神は、なぜか「少彦名命」 です。
この意味はまだまだこれから調べていかないといけないですね。
拝殿です。
ここも注連縄が逆になっています。
神紋
本殿
境内社
今日も長い文章を最後までお読みくださいましてありがとうございました。
沖縄は梅雨入り。四国も初夏の陽気となり桜も緑の葉に変わりました。
そして東北はやっと雪溶けだそうです。
日本は本当に広いですね。
でも、確実にそれぞれの場所でそれぞれの季節が進んでいるのだと実感します。
季節は止まることなく、進んで行く。
人の命も、私たちの時間も止まることなく同じように。。。。
この一瞬一瞬が、もう二度と帰ってこない大切な時なのですね。
最後に、もう今は散ってしまいましたが、短い春を思い出しながら。。。。。。
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