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神功皇后伝説 岡山編 「牛窓神社」 (瀬織津姫)

こんばんは。
今日から、数回にわけて岡山の神社をご紹介したいと思います。

先月初め、一日だけ何も予定がない日があり、この機会に少し遠くへ行ってみようということになり、
選んだ先は 「岡山」

今年の秋、岡山で写真展を予定しているため以前から岡山へ行きたいと思っていたのですが、
少し前に、岡山に残る神功皇后の伝説を聞き、その場所へ行ってみたいと思っていたので、
行くことにしました。

日帰りの旅でしたが、中身の濃い一日となりました。
今日から数日、岡山の旅を一緒にお楽しみください。

岡山は、桃太郎で有名な土地ですが、
その桃太郎のお話も、元は歴史上の大きな争いが起源となっていると思われます。
そして瀬戸内海に面した岡山県にも、神功皇后にまつわる重要な伝説が残っています。

第一回目は、そんな神功皇后の伝説からスタートです。

「神功皇后」

最近、この名前を口にすることが私自身とても多くなりましたが、
周りの友達や、会社の人など、いろいろな人にその話をするたびに、

「名前は聞いたことあるけど。。。。。」 と ほとんど人は、神功皇后のことをほとんど知りません。

子供に聞いても、学校では教えてくれないようで、
歴史上とても重要な王妃だとされているわりには、今の時代その存在をほとんど取り上げることは
なくなってしまいました。

神功皇后は、古事記と日本書記の両方にその記述がありますが、
書かれている内容は、少し違います。
また、日本書紀は古事記に比べとても詳細にその行動を書いてあります。

また、神功皇后は今は実在しない人物と考えられている説の方が、多数となっているようにも思います。

古事記と日本書紀の記述で、大きく違う点は、
神功皇后と百済との関わりです。
日本書記では、古事記に比べ百済との関わりが強く表れています。

それは、日本書紀を書いた人物が、「百済系」の人物だったからのようです。

愛媛における神功皇后の伝説の中には、戦いの伝説はなく、そのほとんどが、
本来祀っていたであろう神の場所へと行き、その地で祈りを捧げています。

そのことから私は、神功皇后とは、瀬織津姫の力を得るために、またその場所を訪れなければいけない理由があったから、そういう伝説を残したのだと思っていました。
しかし、他県の話がだんだんわかるにつれて、それだけではないことがわかってきました。

日本書記における神功皇后の伝説と、そこに書かれた場所(神社)の伝承の多くが不思議なほど一致していることも 「ひもろぎさん」のブログからよくわかります。

でも、あまりに一致しすぎていて、まるでそれは日本書紀の記述に合わせて
神社をつくったかのように私には思えます。(ひもろぎさん、ごめんなさい)

古事記は今から1300年前、
712年(和銅5年) (大山祇神社が伊予の国へと一度に勧請された年)に完成します。

それから、わずか8年後
720年(養老4年) (大山祇神社、正遷座の翌年)また(八幡神社での法生会開始の年)に
日本書記は完成されます。

わずか8年後に、一度作った歴史書を更に作り直す必要がどうしてあったのか、
今もなお多くの論争が繰り広げられています。

私自身も、はっきりまだわかったわけではありませんが、
一つの理由として、この神功皇后のことがあるのではないかと思います。
神功皇后という存在をつくることで、八幡神の力を大きくする必要があったのです。
それは、八幡神とは本来の神の力だけを持った神だったからです。
また、その神により一度殺めてしまった神の魂を 「法生会」 という形で、鎮める神でもありました。

この神は、その時の朝廷にはどうしても必要な存在だったのです。

また、神功皇后という、「女王」 の存在も必要でした。

それは 「聖母」 とも言える、まるで女神のような存在です。
しかし、全てつくり話というわけではありません。

多分、 「卑弥呼やイヨ、斉明天皇、もしかしたらその他の伝説、また百済記の中に書かれてあることが元になった、 多くの人の伝説が一つにまとまり、それを朝廷側(百済系氏族)の目線で書かれたものだと思われます。

一番のポイントは 「百済系氏族による目線」 ということです。

しかしその中で伊予の国における神功皇后の伝説は、
本来姫神を祀っていた人物(斉明天皇他)が、実際に姫神を祀り祈った場所が神功皇后に変えられた可能性もあると感じています。

とても複雑な、神功皇后の伝説ですが、
神功皇后の伝説の場所を、一つ一つ検証していけば、封印された多くの伝説が浮かび上がってくるのではないかと思っています。 (それは、瀬織津姫のことだけに限らず)

前置きが長くなりましたが、それでは神功皇后の岡山 「牛窓」に残る伝説をご紹介します。

「西暦310年頃、仲哀天皇(第14代)は、妻である神功皇后と共に、三韓攻め(新羅・百済・高句麗の三国)のため、瀬戸内海を渡っていました。
その途中、吉備国(現在の岡山県牛窓)の浦に立ち寄られました。
船が港に着くと、突然空は雲に覆われ、激しい落雷と共に頭が8つの怪物が現れました。
怪物の名前は「塵輪鬼(ちんりんき)」。 
その怪物が、黒雲に乗って仲哀天皇の一群に襲いかかってきました。
勇敢な仲哀天皇は恐れることなく弓を手にとり、塵輪鬼に矢を射りました。
すると、鬼は真二つになり海に落ちていきました。
しかしこの時仲哀天皇も、流れ矢に当たり、それが元で崩御されてしまったのです。

その時海に落ちた鬼の首が現在の牛窓一体にある小島
鬼島(黄島)、胴が前島、尾が青島となりました。

夫、仲哀天皇を亡くした神功皇后は、天皇の意志を継ぐため、
浦に祀る住吉明神にお参りした後、この地より男装をして出発したといいます。

そして神宮皇后が、三韓征伐を終えて再びこの地に立ち寄られた時のことです。
倒したはずの塵輪鬼の魂魄(こんぱく)が牛鬼に姿を変えて海底から出現し、皇后の船に襲いかかりました。
するとその時、住吉明神が老翁の姿となって現れて、その牛鬼の角をつかんでなげ倒しました。
そしてとうとう、息絶えたといいます。

ここ牛窓に残る伝説では、
神功皇后は、ここから男装をして出発されたといいます。

牛窓で、男装することになった神功皇后の本当の理由はなんだったのでしょうか。
どうして、ここにこのような伝説が残ったのか、まだその謎ははっきりとわかりません。
でも、一つ言えることは、
ここにも、姫の跡があるということです。
そして、この牛窓を含め岡山は、亀の中(亀甲)に閉じ込められた姫の姿が多く存在するということです。

そしてここ牛窓神社の本殿の裏には、

「祇園神社」 として、 瀬織津姫は祀られていました。

*牛窓神社(ウシマドジンジャ)
*瀬戸内市牛窓町牛窓2147
*祭神
 応神天皇
 神功皇后
 比賣大神
 武内宿禰命
*原初の頃は、土地の神霊及び氏の祖先の神霊をまつっており、牛窓明神と呼ばれていたが、長和年間、教円大徳によって豊前(大分県)の宇佐八幡宮から応神天皇・神功皇后・武内宿禰命・比賣大神の御神霊をお迎えして牛窓八幡宮となり、明治6年郷社に列せられ牛窓神社と改称した。

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木々が生い茂る、美しい参道でした。
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拝殿です。
偶然、拝殿の中で一人の女性が、「豊栄の舞」の練習をされていました。
少しその姿を拝見させて頂き、参拝させていただきました。
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とても立派な本殿でした。
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ど根性の木
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そしてここに瀬織津姫は祀られています。
祇園神社の中に。
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ここから、出雲大社へ参拝できるようになっていました。
初めてみました。
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そして反対側には、伊勢神宮への遥拝所
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牛窓神社から海の方へ向かう参道がありました。
そこから見える景色。 この海が歴史の中に封印された牛窓の海です。
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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-05-01 23:51 | 県外編

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