岡山の旅 「吉備津彦神社 前編」
2012年 05月 10日
今日は学校のクラスメイトがヨガの教室を開いてくれるというので
みんなで、ヨガ体験でした。
今まで何度かヨガをしたことがあったのですが、
今まで私が体験したヨガの中で、一番自分にあってる気がしました。
人それぞれ指導の仕方が違うので、
あうあわないってあるんだなと思いました。
彼女は、人を導けるようなヨガの先生を目指しているそう。
教えるのではなく、人それぞれのペースで、自分と向き合い、
よい方向へと体も心も導く。
今日体験して、きっとそんなヨガをしたいんだなと思いました。
おっとりとした話し方と癒しの雰囲気が、心地よく、
まるで、自然の中に行った後のような感覚がします。
ヨガと神社。全く違うものですが、なんだか共通するものがあるようなきがしました。
来週もあるので、今から楽しみです♪
では、今日も岡山の旅の続きです。
今日ご紹介する神社は、あの桃太郎のモデルだとされる
「吉備津彦命」を祀る神社
岡山県一宮 吉備津彦神社です。
今回は、この吉備津彦命と大山祇神社の関係のお話は省略しますが、
大山祇神社に残る
『三島宮御鎮座本縁』や『三島宮社記』の中には、
この吉備津彦命の別名 「彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと」の
名前が出てきます。
岡山と愛媛は、考古学においてもとても繋がりが深い場所だったのでは
と考えられていますが、神社の歴史からみても、
そのことをあらわしている伝説が残っています。
その謎を解くためには、
ここ、吉備津彦神社は重要な神社と言えると思います。
そしてもちろん「桃太郎」のお話も、古代の歴史を表した物語だということも
言えると思います。
吉備津彦の愛媛の関係は、いつかもう少しはっきりした時に、
お話したいと思います。
今日は、神社の写真を見ながら、
お話を進めたいと思います。
*吉備津彦神社(キビツヒコジンジャ)
*岡山市北区一宮1043
*祭神
大吉備津彦命
天御中主神
大きな鳥居をくぐり、参道が続きます。
この大きな鳥居は、太陽の道。
吉備津彦神社は、はるか昔、上方の御神体山に、太陽、月、磐座、巨木を見上げ崇拝する、
古くからの神の宿る場所として信仰されていました。
夏至の日には、
朝日がこの鳥居から一直線に祭文殿の御鏡に入ると言われており
そのことから、「朝日の宮」とも称されています。
この由緒からもわかるように、
この山は古代、太陽と月の神を祀る重要な信仰の場所だったのだと
思います。
そして、ここも封印された場所の一つだということです。
鳥居をくぐり、参道を通っていると両側に小さな池があります。
この池は、この神社にとって大切な場所だと思われ私が今回
この神社の中で一番めにとまった場所でもありますので、
ひとまず池のお話は後にして、先に進ませて頂きます。
まず、見えてくるのが、随神門です。
現在の随神門は、
1697年、
池田綱政公が造営したもので二柱の門番の神様がお祀りされています。
向かって左側が、豊磐窓命(とよいわまどのみこと)
向かって右側が、櫛磐窓命(くしいわまどのみこと)です。
(注)向かって右側の、櫛磐窓命から参拝するそうです。
随神門をくぐる前に、一つ見ておきたいものがあります。
それがこちら 「さざれ石」です。
「さざれ石」 どこかで聞いたことありますよね。
はいそうです。君が代の中に出てくる
「さざれ~石の~。巌とな~りて」 のさざれ石です。
さざれ石とは、もともと小さな石だったものが、
長い年月をかけて、小さなな石と石がくっつき大きな石となった石のことをいいます。
君が代の唄の意味は、
小さな石が、やがて大きな磐となり、
さらにその上に 苔がはえるまでと、それくらい長い年月をと
言っているといいます。
そしてこのさざれ石の横には、なぜか
「龍の巌戸」 とされるものがあります。
その横にある 大燈籠。
この燈籠は、1859年に天下泰平を祈願して建立されたもので
日本一大きな燈籠だとされています。
では、神門をくぐり拝殿の方へと参りましょう。
拝殿に参拝する前に、目にとまる大きな御神木。
それが、こちらです。
樹齢1000年以上とされるこの大杉には、
「龍が宿る」 という伝承があると言います。
こうしてところどころに、消し去ったはずの龍の伝説は
残るのですね。
そして、拝殿へ。
本当に大きな立派な拝殿です。
思わずため息がこぼれそうです。
拝殿から本殿の間にもいくつも建物があります。
こちらは、祭文殿と言って祭典や御祈祷を斉行するところです。
ここは、渡殿といって本殿と祭文殿の間にあります。
10月には、ここに全国の神々を奉祭するといいます。
なぜでしょう?
そしてこれは、本殿の両脇にまつられている神
「楽御崎神社(らくおんざきじんじゃ)」といいます。
吉備津彦命が吉備の国を平定する時に活躍された従者が
お祀りされているといいます。
そして最後に、本殿です。
このように、吉備津彦神社は、本殿に行くまでに
本殿、渡殿、祭文殿、拝殿と大社殿が一直線に配置されています。
この並びは、古代の熱田神宮の社殿配置と
同じだそうです。
広い境内に、立派な拝殿や本殿。
でも私にとってはここよりも、一番澄に建てられた小さな社。
そして、池の中に鎮座される二つの社の方が大事な
場所だと思いました。
今日は少し長くなってしまいましたので、
吉備津彦神社の中に、祀られる姫の場所のお話は
次回につづくとさせて頂きます。。。。。。。。
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