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お遍路さんの始まりと徳島 「杖杉庵」

こんばんは。

今日は、前回の続き徳島のお話です。

前回は四国八十八か所の焼山寺のお話でしたが、
今回も、この焼山寺にも関係するもう一つの小さなお寺のお話です。

四国八十八か所。
今は、まるで観光地のようにバスで多くの人が訪れますが、
このお遍路さんがどうして始まったかという歴史を
ご存知でしょうか。

ずっとブログをご覧になっていらしゃる皆様は、
もうお読み頂いていると思います、愛媛県松山市にあるお寺

「文殊院」

ここが、お遍路さんの発祥の地と言われています。
このお寺は、お遍路さんの発祥の地なのですが、
八十八か所の中には含まれません。
ですから行ったことがないかたも多いかもしれません。

ここには、お遍路さんの始まりの伝説が残っています。
少し長いお話になりますので、
まだお読みくださっていない方は、
こちらもぜひお読みください。


「文殊寺」四国八十八ヶ所と「かごめかごめ」の本当の意味


ここにも書かれていますように、
八十八か所は、一人の男から始まりました。

伊予の国、、伊予の国荏原の庄の長者 「河野衛門三郎」

お大師さまは、衛門三郎の門前で托鉢の修行を、数回、7日間行いましたが欲深い衛門三郎は、追い帰してしまいました。

それが元で、衛門三郎の子供たち
「男の子5人と女の子3人」は

「八日間」の間に次々と亡くなってしまいました。

文殊院のお話の時にも、書きましたが、
この伝説の中にも、数々の暗号が隠されています。
三島明神の物語やこの衛門三郎のお話は、そのまま読んでもその意味はわかりにくいですが、
よ~く読むと、それらは同じことを根源にもっているお話だということがわかります。

またこの衛門三郎の物語の子供も、あの天照皇大神と素戔嗚命の誓約の時に誕生した
神々と同じように、「8人」の子供がおり、その子供たちは

「男の子5人女の子3人」 

五男三女神と同じです。

そして、衛門三郎の名前は 「河野」
河野家に繋がるとお話なのです。

衛門三郎は、自ら犯した罪を懺悔するために、弘法大師が置いた88のお寺を回り始めます。

20回まわっても、弘法大師に会うことはできず、
21回目は反対からまわりました。

衛門三郎はとうとうこの地、徳島県神山町の焼山寺の麓で力つき
動けなくなったその時、弘法大師が目の前に現れたのです。

そして、弘法大師に自らの過ちを懺悔しました。

ここ徳島県神山町は、
衛門三郎がなくなる直前、弘法大師と出会うことができその罪を懺悔することが
できた場所だったのです。

河野家は、ご存知のとおり、越智家の子孫、
三島明神を祀る、伊予の国の豪族。

河野家は、
なぜ越智という名前を、河野に変えたのか今もその謎はわかっていません。

一つだけはっきりしていることは、
姫の封印に深く関わった越智家の子孫であるということです。

養子として越智の姓になった 越智玉澄の子孫なのか、
本来の小千家の子孫なのか、
衛門三郎がそのどちらをさしているのか、それはまだはっきりとはわかりませんが、
どちらにしても、姫の封印に手を貸してしまった越智家の祖であったことは
間違いないかもしれません。

姫の封印から、
約100年後。

824年、衛門三郎は弘法大師に懺悔するために旅を始めました。

そして、
832年、この地で息を引き取る寸前に、やっと弘法大師に出会えたのです。

そして、この物語の最後に書かれてあるように同じ年の
832年、河野息利の子が「衛門三郎再生」と書かれた石を握りしめて誕生しました。

生まれ変わった河野家です。

現在の松山市道後公園は、湯月城という河野家のお城があったことで有名ですが、
このお城が立ったとされるよりもずっと前に、
この地には、河野家が住んでいました。

そして、その河野息利の子は、弘法大師に懺悔をして生まれ変わった子供でした。

この頃から河野家は同じ一族の中で、大きく二つに分かれて
争いが起こり始めました。
その争いに巻き込まれた人物が、大山祇神社に宝篋印塔を置いた一遍上人です。

私はこの衛門三郎の伝説は、姫の封印に気付いた河野家の一人が、
その心を改め、生まれ変わったことを意味しているのではないかと思っています。

衛門三郎が住んでいたとされる場所は、
姫の封印と関わる重要な地域であることは以前もお話しました。
そこに住む衛門三郎が、四国八十八か所のお遍路さんの先駆けとなった人物であったことは、
弘法大師が姫の魂を鎮めるために八十八か所にお寺を置いたことと繋がっているのです。

21回という数字は、願いを聞き届けていただくために、祈願をする日の数と同じ。

衛門三郎は、自らのまた自らの祖先の過ちを詫びるために、
姫の封印のお寺を21回まわり続けました。
そして満願の日。 21回目にしてその願いは通じ、弘法大師に出会うことができ
生まれ変わることができた河野家は、それから再度姫を祀るようになったのです。

それは、表向きには姫とわからないように。

そして、河野家が滅びる時、
湯月城に棲む大蛇の尾がとどいていたとするお寺「義安寺」の泉の水を飲み、

「この後、決して二君に仕えないことを約束し、自刃したといいます。」

それは、どんなことがあっても、もう二度と一族の本来の祖に反するものに
仕えないという約束だったのではないでしょうか。

そして、ここ徳島県神山町は、女神を封印した一族の高天原。

衛門三郎の物語は、この地が姫が封印され岩戸が開かれた
場所だということを、伝えたかったのではないかと思うのです。
そして、養子に入った越智玉澄の家来として仕えることを選んでしまった
本来の小千家の子孫、河野家が選んでしまった道を詫びたかったのではないかと思うのです。

ここ神山は、伊予の国から最初に祀られた姫の場所、
「大宜都比売(おおげつひめ) = オオケツ=おおきづね」の姫 
(大きな狐にその姿を変えられた姫)」がいる場所。

ここ神山は、
神山の麓、板野に本拠地を構え奈良に移る前までこの地でその勢力を拡大し
この地で藤原京をつくり新しい世の中に変えようとした一族が
「高天原」とした

「天狗の帰る場所」、「黄金の狐が帰ってくる場所」、
姫が黄金の狐にその姿を変えられ、
本土へと渡っていった場所。

国生みで

「8番目 (古いものが終わり新しいものが始まる場所)」 

に誕生した、「大倭豊秋津島」 

別名 「天御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあ きつねわけ)」

現在の本土は、
何もない 「空(から)」の国。
大宜都の根別の国 

「天御虚空豊秋津根別」 

黄金の狐に変えられた女神は、
倭が危機に陥った時、海を渡って帰ってくる。

瀬戸内海に、鉄の橋がかかった時、
狐の姿に変えられた本当の女神は、

ここ、伊予之二名島へ帰ってくると言った空海の言葉が
今現実になろうとしているのかもしれません。

*杖杉庵
*徳島県神山町

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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-07-22 02:14 | 徳島県

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by 愛姫
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